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■02・故に薬師は奔走する

 


 ハインツはこれまでにないほど機嫌が悪かった。

 着崩れた白衣を整えて、使い慣れた鞄を持ち出す。乱れた服装で出歩いて許される業種ではない。必要なものを持っているの確認し、ハインツは研究室を出た。

 静かに後ろに続く侍従に仕事を与えると、城の廊下を大またで歩く。


 目的の場所は間違えようもない——執務室。

 相手はこの時間は書類の決裁でこの部屋に缶詰だ。人の出入りはそれなりにあるが、ハインツが執務室へと入ったときには事務官はおらず、ただ書類の山がその部屋の主を隠すように机の上へと積み重なっていた。その紙の山の間から、見知った顔が紙面に向かってペンを走らせていた。


 表情は険しい。眉間に寄った皺に、無理難題が記された書類でも相手取っているのだろうか? 種類は違えど状況としてはハインツも同じなのだから、これから目の前の王太子に伝える内容に胃痛がしてくる。しかし伝えなければ騒ぎになるし、国益にも支障が出る。後手には回れない。



「ヴィクトール。例の件、証言が集まったよ」

「……やっとか。ああ、胃が痛い」

「ここ最近、お互い胃薬が常用になっているからね」



 お前の薬はよく効くからなあ——としみじみ言われてしまうと、苦笑いしか出てこない。もっとも、ハインツは主治医ではないが、ほとんどその扱いを受けている薬師である。相談役のような役割も受け持っているため、ある方面の問題ではヴィクトールに代わって矢面に立つことさえある。

 研究に打ち込ませてほしいと心中では思っているが、幼い頃からの友人たちのために、骨を折るのは仕方がないと達観してしまっている。政権闘争に巻き込まれるのはごめんだが。



「お前が代わりにこの書類を処理してくれたら、俺の胃の平穏は訪れると思うんだが、どうだろうかハインツ?」

「胃のほかに頭髪の心配もしたほうがいいかもしれない。さすがに毛生え薬はできていないので。それから僕は事務官じゃないんだ、無理を言わないでくれ」



 それは酷くないか冷徹薬師殿——そう言って、ヴィクトールは深いため息とともに荒っぽく書類の束を動かした。はらはら落ちる書類を、紙面を見ないように拾い上げながら執務机に近付いて手渡す。

 紙面を見てくれれば上手く巻き込めたのに、と毒づいて、ヴィクトールは書類の山に紙を戻した。ずいぶんと雑な方法でハインツを引っ張り込もうとするあたり、相当に溜め込んでいるらしい。



「少し休んだ方がいい。薬師からの進言だ」

「……そうしよう。それに別件の報告が聞きたい」



 来客用の椅子に座ると、ヴィクトールは疲れたように背もたれに身体を預けた。

 傾き始めた陽射しが、部屋の中を赤く染める。


 ハインツも向かいに腰を下ろせば、侍従がティーセットを持ってきた。研究室を出たときに伝えておいただけに、タイミングがちょうどいい。もっとも、自分たちで用意するのも毒が入っている心配がないという、安全面の事でもあるが。

 毒殺云々が現実味を帯びてきているのだからどうしようもない。

 ハインツが口をつけてからヴィクトールもカップを手に取る。



「飲み物ぐらい、気楽に飲みたい……」



 と、呟くように言う。



「まあ、気持ちは分かるが諦めるんだね。ここで倒れようものなら、連中に騒ぐ理由を与えてしまう。奴らがのさばるのは我慢ならないだろう?」



 いっそ連中を騒がせて、適当な理由をでっち上げて処刑するか——わりと本気の目付きでヴィクトールが言った。口元から疲れたような笑いが漏れている。

 ハインツは頬を引きつらせて、色々な意味で追い詰められている友人を見た。彼の濃い茶髪では目立つだろう若白髪は、まだ生えていないようだ。それを安堵すべきか否か。

 ここに出入りできる数少ない人間の一人としては、彼の疲労を軽減させるべく努力をしなければならないのだが、最近はそうも言っていられない。ここ数ヶ月の、主に精神的にくる激務のおかげで、そのうち自分も白髪の一本でも生えてきそうな気さえしてくる。幸い自分の髪は灰色がかった銀髪なので目立たないだろうが。


 彼が鬱陶しげに頷くのを見て、ハインツは鞄から紙の束を取り出した。

 ヴィクトールがチラリと視線を向けてから、意外と少ないな——と言い、普段の書類もそのくらい少なければいいのに——と真面目な顔で続けた。

 ただ城に研究室を持って研究をしているだけのはずの自分が、なぜこんな事をしているのだろうか。本来ならこういったことは文官の仕事だろうに……。心の中で首を傾げる。どこで道を間違えたのか——と、結果に思い至り苦笑した。



「でだ、あのバカの新たなる悪行はどんなことだ」

「自分の弟をバカ呼ばわりとは、大層ご立腹なようだね」

「事実だろう。父上が第三妃を猫可愛がりするから、あんな悪行にまで目を瞑らざるを得ないんだ。まともに考えなくても廃嫡が適切だ。街中に行ってみろ、誰も彼もがあのバカの悪行を知っている。民に見切られたら国が終わるぞ」



 街中の薬問屋に足を運んでいるハインツは、彼以上にその話を知っている。

 もっとも、民衆はもっと口汚く罵っているのだが……ハインツは口を噤んだ。



「それに関してはこちらではどうにもできないからな。お前のことだ、どうせそれもアレ(・・)の廃嫡の際に利用するつもりなんだろう?」



 書類の何枚かをヴィクトールに手渡しながら、ハインツが目付き鋭く続けた。



「当然だ。親子水いらずもたまにはいいかと思ってね、折角だから父上もろとも引き摺り降ろそうかと思案中だ。そろそろあの色ボケ親父を玉座に座らせ続けるのはまずいと、官僚たちからあがっている。俺からすれば今頃かと言う心境だが」



 ヴィクトールにしては珍しく、あからさまな言いようだ。



「バカの目に余る行為が、子供の騒ぎ程度ならよかったんだがな……」

「子供の範疇で収まらないからこの事態だ。商人組合から悲鳴が上がっている。組合長と話したが、やはりヴェルツェル(となりのくに)との取引が一気に減ったそうだ。その代り、ウチをやっかむドゥーツェ(あちらさん)が取引を強引に迫っていると。それも、かなりこちらに不利な条件でな」



 ハインツは書類の一枚をテーブルの上に置き、指先で叩いた。



「組合長もそれなりに耐えてはいるが、崩されるのは時間の問題か」

「恐らくは——。どうもあちらさんはウチの王子からのお達しだ、と耳目を憚らず恫喝しているらしい。それは後回しとして、隣との取引激減の理由だが、やはり件の馬車の襲撃事件だった。乗っていたのは外交事務官のブランケンハイム一家、商人組合との新たな関税の事前伺いだったそうだ」

「しかし当人は急病により、弟を代理人として立てた——と」

「ああ、彼の弟も一時期事務次官補佐として商人組合に出入りしていたそうだ。それで今回は顔見知りということもあって、代役に選ばれた。結果としてそれが功を奏したわけではないのだがね……」

「本来の外交事務官は無事だった。皮肉極まりないな」



 パシリと紙をはたきながら、ヴィクトールは言った。



「代理の弟夫妻は亡くなっている。一人娘はあまりの事態に遭遇したことで、屋敷に引き篭もっている状態だ。ブランケンハイム氏とて、気が気じゃないだろう。気の弱い娘なら心身虚弱になってもおかしくない」

「それで、取れた裏を氏に事細かに説明できそうか?」

「したら国交断絶か、よくて関税の大幅な引き下げが必須になる」



 胃が痛い——。心なしかキリキリと音まで鳴ってきたような気さえしてくる。

 余計なことをしやがって、あのバカが——心の中でハインツは、見た目だけは麗しい第二王子を罵倒した。この調査だけで数ヶ月も掛かっているというのに。



「いっそあのバカの首を差し出して、氏とヴェルツェル国王の許しを貰った方が早い気がしてきたんだが、どうだろう?」

「短絡的な行動なら、僕も一票入れたい気分だ」



 もっとも交易の取引に王子の首というのは、未だかつてない事態になる。どの面さげてきやがった、と冗談でも笑えない光景になりそうだ。それはそれで自分たちの後始末が楽になるな、と少しでも思ってしまった自分も大概だが。



「直接的な証拠は相変わらずなしか」

「ああ。追求しても、取り巻きが勝手にやったで逃げられるだろうね」



 それで何度もかわされている以上、今回ばかりは使えない。言いたくはないが国内だからこそ歯噛みすることが許されるが、国外の、それも交易の大動脈でそれをやったら、信用できないと即座に取引を停止にする理由になってしまう。



「悪知恵だけは連中も(・・・)働く、頭が痛いな。どこかで都合よく暴動でも起きて、たまたま(・・・・)通りかかったバカが巻き込まれてくれればいいのに……。ついでに上手く止めを刺してくれればなおよし」

「願望がダダ漏れだぞ」

「計画を立案しているわけじゃないんだ、願うくらいは自由だろう」



 ごもっとも——愚痴としてこぼしたくなる気持ちもわかる。



「先に父上を隠居させてしまうべきか。どうせお忍びで色街に通っているんだ、薬でも盛って病気にさせる手もあるな。さすがにお忍び先が街中の視察じゃないと、父上は言えないだろうし。言ったら言ったで、民の反感が凄いだろうな。想像するだけで涙が出てくる」

「笑いすぎなだけだろう」



 実際にハインツはその光景を想像してみたが、この王太子が腹を抱えて笑う姿しか出てこなかった。



「まあ、親子の話はこのぐらいだ。結局のところこれも状況証拠にしかならない。バカの不品行で追い詰めるにしても、被害者が手伝うかが……正直微妙だな。娘を傷物にされた家は醜聞を避けるために出ないだろうし。娘たちのその後は?」

「……あれを幸せといえるかだな。被害者たちはアレの紹介で嫁いでいるが、どいつもこいつも問題のある家だ。もっとも連中が用意できる家となるとたかが知れているから、容易に想像はつくだろうが」



 あの状況では娘たちが哀れだ。お気に入りぐらいだろう、アレが妙な場所に嫁がせないのは。側には置いていないが首輪つき、束縛癖は遺伝だろうか。


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