表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/13

   虚構が形作る場所

 


 やはり、大事な姪をそんな国には……。

 しかしそれとなく嫁ぎ先にと相談する先々は、皆顔色を悪くする。

 そして――検討する。と言って音沙汰がなくなる。善き家ではもう適齢な相手はいない。国内に諦めを持ち始めた矢先の、レーベンタールからの手紙だった。


 中身に目を通して、何を勝手なことを――とルトガーは思った。

 こちらの事情を調べた上での内容に、部外者が口を挟むなと言いたくなった。


 けれども向こうは、本来ならば国王を通してもおかしくはない話であるはずなのに、後見人であるルトガーへ直接打診してきた。何を企んでいるのか。ルトガーが最初に思ったことである。

 そもそも王太子が動く以上、まずはヴェルツェル国王に行くのが筋というものだろう。わざわざ仲介役――目隠しをしてまで持って来るものが、縁談とは。いかに自身の弟の姪とはいえ、直接的な影響力を持ってはいないのだ。


 酷い話だがイレーネを貰い受けたからといって、外交取引で贔屓をする訳にはいかない。自国の王族が他国へ嫁ぐのとは違うのだ。国家間の同盟や協力の証としては、王族や公爵家は使えるが、一貴族で外交事務官でしかないブランケンハイム家では無理だ。

 今、ヴェルツェルとレーベンタールは良好な関係とはいえない。事が事だけに、相手への状況を求めるための連絡を密にしているが、かなり空気は悪い。それとなくイレーネ宛てに、当時の状況への質問が来ているのも把握している。何しろ事件を調べるにあたって一番早いのが、当事者への聴取なのだから。非協力的な態度は、相手に付入る隙を作る。イレーネの体調を見ながら、少しずつ書いてもらった。


 それで相手国への義理は果たした、ルトガーはそう思っていた。

 だが、相手はそれで全て(・・)満足したわけではなかったらしい。

 事件への更なる問い合わせの中に入る、イレーネ自身への問いかけ。


 何故そんな事が必要なのか、中身をあらため顔を顰めた。

 そしてしまいには、王太子本人からの手紙が来た。

 そっと、ルトガーはハインツに気付かれないように息を吐く。


 条件だけを見れば、それはとても善い話なのだ。

 外側に付随するであろうものに、一切の目を向けさえしなければ。


 ――イレーネ。


 イレーネはどう思うだろうか。

 ルトガーは苦悶した。イレーネは今は平穏に過ごせている、だがそれはルトガーが生きているうちだけだろう。息子が婚姻し、妻となる令嬢がこの家へ住まうようになれば……そうは行かないだろう。

 ルトガーは姪が嫌いではないし、呪いも、貴族間にある相手を落とすための噂と同じ扱いでいる。けれど、これから先を考えると、このままにしておくのも無理だ。


 弟も爵位を持った、まがりにも貴族だ。

 唯一の跡継ぎ、ならば女当主としても問題はなかった。

 小さいが家を買い与えた結果が、使用人の不審死だった。調べたところ、全てにはっきりとした原因があったのは判明している。


 ――ただ一人、行方不明となった従僕を除いて。


 足を滑らせたように水路に落ちた、らしい。

 家に食材を卸しに来る業者が、たまたま目撃しそう証言をした。

 しかし水路の流れは遅いのに、その従僕の遺体は見つからなかった。

 その事にまで呪いのせいだと吹聴されれば、興のなかった者たちまで囃し立てる。


 ――屋敷での発見者がイレーネだったのが大きすぎた。


 あの小さな家に混乱が広がるのはあっという間だ。服の乱れすら直さず、貸していた家政頭がルトガーの屋敷に駆け込んできた。着の身着のまま家へと向かえば、放心し何処かを見つめるイレーネの姿が目に入った。

 事態の収拾に走り回まわったのは何度あったか。さして古くもない傷痕を容赦もなく抉る出来事に、イレーネの精神が崩れてしまうのではないかと心中穏やかでいられなかった。焦点の合わない瞳、声を出さない唇、無気力な体。あそこまで回復できたのは奇跡的だといっても良い。


 ――妻はそんなイレーネの姿を知らない。

 厄介とは声には出さず思っているだろう。

 妻は回復後のイレーネしか見てはいない。


 テーブルの上のカップから視線を動かし、ルトガーはハインツを見た。表情に変わりはなく、姿勢を崩すことなく男は席に座っている。外交官ではないが、時として王太子の代わりにでることもあると訊く男。オストヴァルト侯爵家嫡男。



「ブランケンハイム殿」

「な、なんでしょうか――」

「ブランケンハイム殿は、イレーネ嬢の婚約に反対なのでしょうか?」



 反対。いや、反対などできるはずもない。

 ルトガーは口ごもる。


 貴族にとって世間体は、時に個人を殺す。だからこれは善い話なのだ。

 そう、世間的には、哀れな令嬢を想う伯爵からの求婚。

 噂話に耳ざとい連中が、喜びそうな話。


 数年前の、ある伯爵を思い出す。春の暖かな日差しの中、彼らは暗い表情だった。

 痕跡を消すかのようにやってきたアイネム伯爵。

 アイネム伯爵は頼りにでき、尚且つ信頼できるのがルトガーしか思い浮かばなかったと言って屋敷に来た。


 長年レーベンタールで財務に関わっていた伯爵。不正を嫌う彼が、身分を偽造してまでヴェルツェルにやって来たとは、いったい何があったのかとルトガーを戦慄させた。

 何故か一人欠けた伯爵家。伯爵の長女はどこかに嫁いだのだろうか? だとしたら後祝いを用意しなければ、そう思っていれば――


 アイネム伯爵の長女が、自ら命を絶ったことを知らされた。


 アイネム伯爵は詳細を言わなかった。ただ一言――第二にやられた、と。

 レーベンタールの第二王子、ただただ幼いと耳にしていたその王子の実態は、ルトガーが思っていたものとは違っていたらしい。隣国が表にだそうとしなかった第二王子は、悪癖が過ぎるものだった。

 酷く憔悴した表情のアイネム伯爵が、言葉少なに語った近況。あの時はまだ感じられなかった腐敗の匂い。しかしその芽は着実に、発芽していたのだろう。外聞もあるだろうに、彼はそれら全てから残された家族を護ろうと動いていた。その結果が、国外への移動。


 爵位の返上、名すら捨てるほどに国を、第二王子を嫌悪していた。

 アイネム伯爵――否、その名すらもうない彼らは、以前にも似たような事例を知っていたからこそ、国を去る事を決めたらしい。彼らと交流があったと言うカナリス家も、嫡男を亡くし国を出た。そのカナリス家には何があったのかは、とても聞ける状況ではなかった。

 ルトガーは彼らを匿い、粛々と平民として生活できるように手配するより他なかった。元は彼らも庶民の出身だったので、質の落ちる生活でも堪える事が出来るのが幸いだった。


 当座の生活に困らぬであろう金を持たせ、彼らを送り出した。

 数年後、彼から手紙が来た。質素だが誠実な働きぶりがよかったらしい。

 彼らのもう一人の娘、次女がシェフルド国の男爵家の養女になったそうだ。


 名を聞いたことのある男爵家。確かこの家も国の財務に関わっていたはずだ。きっと真面目な家同士で相性が良かったのだろう。

 裏で起きた事を何も知らない回りは、盛大に騒いでいた。

 調べさせたレーベンタールの社交の場。その場で飛ぶ言葉は、遠い地へ向かった彼らにはあまりにも惨いものだった。


 そして今、その言葉の中心に置かれているのはイレーネだ。

 華やかに着飾った姿が溢れるその場所は、事実と嘘が交じり合う。言葉という虚構で勝手に彩られたイレーネが、どうしてそんな場所に立てるというのか。



「私は――」



 ルトガーは何度も唇を湿らせる。そうしなければ口すら動かせない気がして。



「王太子殿下が打診してきた話は、確かに善い話、だと思います」



 ごくり、と喉がなる。

 そう、善き話なのだ――何を反対するというのだと、言いたくなるほどに。

 騙しているわけでも、嘘偽りで固めているわけでもない。


 ただ、ただ、不安なのだ。嫁がせても大丈夫なのか。

 その不安の大元は、一体なんだ。

 そう、イレーネだ。彼女の気持ちが何よりも重要なのだ。


 貴族間での政略結婚は当たり前のことだ。だが、イレーネは他とは違うのだ。あの噂、死を招く娘。今はその言葉を実感することはないが……。

 それを一番気にしているのは、当のイレーネ自身。

 己の立場がどれだけ不安定なのかを、あの姪はきちんと理解している。

 その上で持ってきた話。それを素気無く扱うことを、イレーネはしなかった。



「ええ。イレーネ嬢にとっては、デメリットは少ない。事前に話していますように、クリストフ……失礼。クラルヴァイン伯爵は社交の場に出ることはありません。使用人もごく少数ですし、それに、跡継ぎを伯爵は望んではいません」

「それは――」



 ハインツは唇に人差し指を当てると、やや困ったような表情で言った。



「ここだけの話でお願いします。クラルヴァイン伯爵は一代限りの爵位ですので、跡継ぎは――必要ありません」

「一代、限り……」

「これはお伝えしておいた方がいいと思い、ブランケンハイム殿にはお話しました」

「名誉、爵位――そういう事ですか」



 ハインツが無言で頷き、ルトガーは得心がいった。

 恩賞、事故、名誉爵位。つまり、その事故には確実に王族が(・・・)関わっている。



「クラルヴァイン殿、やはり、この話は――」



 貴方は、その言葉が行き着く先を知って伝えたのか。

 ルトガーを真っ直ぐに見つめるハインツに、表情の変化はない。



「迷われますか、ブランケンハイム殿」

「それは、当たり前のことではないのですか?」



 迷っているのではない。選択肢は二つしかないのだから。



「――失礼を承知で言うと、今、そちらの国は少々荒れていると、聞き及んでおります。そして、今の話が事実ならば」



 ゆっくりと、言葉を選びながらルトガーは言う。


.

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ