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■05・故に伯爵は嘆き慄く

 


 曇天から落ちる雨に、ルトガーはため息をついた。

 どこか体が悪いわけではないが、やはりこの天気と言うものは、気を滅入らせる。

 では晴れていれば良かったのかと問われると、それもまた違うように思う。


 ただ、気分だけが重く沈んでいるのだ。ルトガーは静かに足を組み直した。

 常に誰かが側に居るような、どこか落ち着かない心地。

 ルトガーは一度、離れへと視線を向けて、そして正面を見据えた。


 ――一体何を企んでいるのだろうか?


 目の前の席に座るのは、レーベンタール(りんごく)の王太子との手紙のやり取りを仲介していた男。

 お忍びと建前をつける男は、侯爵家嫡男にしては地味な装いだった。



「オストヴァルト殿……」



 きっとこの屋敷の周りには、護衛が密かにいるのだろう。

 だから落ち着かないのかもしれない。そうだ。きっとそうなのだ。



「本日はこのような遠方にまで、どのような用件でお越しになったのかお聞きしても?」

「ブランケンハイム殿、そのように警戒をなさらなくてもよろしいかと」



 オストヴァルト――ハインツは困ったように眉尻を下げた。



「そうは言っても、なかなか難しいものでして」



 こうしてテーブルを挟んだ距離で、自国ではない他国の貴族と話す機会がなかったわけではない。ルトガーは外交事務官だ。むしろ逆にその機会は多かった。

 しかし、自宅でのささやかなパーティーに招待するわけではなく、完全に仕事外からの会談。しかも相手はレーベンタールの王太子の側近にも等しい男で。

 事前に書面での話し合いは行われていたが、それでも背中を汗がつたう。



「近々、ご子息がご婚約なさるとか。おめでとうございます」

「は、はい。ありがとうございます」



 どこか掴めないハインツの微笑に、ルトガーは声を上ずらせない様にするだけで精一杯だ。

 まるで貼り付けたような笑み。本心から言っている訳ではないのは分かる。俗に言う社交辞令だ、会話の開始のための号砲と同じ。


 手紙の返事の催促……なのだろう。ルトガーはひっそりと心中で気落ちした。

 上手くいけば、善い話なのだ。どちらにも利のある婚約。

 イレーネ嬢は――とハインツが尋ねてくる。



「イレーネでしたら、離れで――普段と変わらず、心穏やかに過ごしています」

「そうですか……」



 ハインツは首をめぐらせ離れを見る。そのことにルトガーは驚いた。侯爵家の嫡男にしては、会談中にするにはあまり品のいい行いではない。

 こちらの気を解すためなのか、それともハインツも同じような心持なのか。



「オストヴァルト殿――それで話というのは」



 二人だけしか居ない室内に、ルトガーの硬い声が響く。

 本来晴れていたのなら、テラス席を準備していたのだが生憎の天気だ。庭師のような騎士(・・・・・・・・)が丹念に手入れをしているここは、ルトガーの密かな自慢だった。

 その騎士――テオドールは、少しでもイレーネの気慰みになればと離れへとやっている。



「イレーネ嬢の婚約のことです」



 ――今更、改めて訊くことではないのだ。


 けれどやはり、どこか戸惑いがある。

 イレーネを何処か良い人の所へと、ルトガー苦心しているのは確かだ。


 このままここにいても、噂を払拭するには時間がかかりすぎる。

 すでに社交界には知らぬものが居ない呼び名――死人姫。

 この時ほど、ルトガーは己の外交官に近しい肩書きが良かったと思ったことはなかった。何しろ国外への伝手を探すには困らないのだから。


 ――弟の代わりに、見つけてやらなければならない。


 イレーネは父と母を一度に亡くしてしまったのだから。

 それも普通ではありえないだろう出来事で。

 あのときの、イレーネが感じた恐怖はどれ程のものだったのか。


 ルトガー自身も外交事務官ということから、旅先で身の危険を感じたことは少なからずある。男の身ですら恐ろしさを肌身で受けるのだ、社交界にでたばかりの娘に耐えられるような代物ではない。

 それでもってして――あの噂、である。

 心穏やかに、弟夫婦を失った傷が癒えるように、偏にイレーネの心身を慮っているルトガーからしてみれば、腹が立つ以外に言葉がない。


 イレーネがそれに反論することはない。それは違うと訴えられる場所に立つことも避けている。与えた屋敷に一人ではあまりにも不憫だと引き取れば、イレーネはただただ悲しそうに微笑むだけ。

 家族はルトガーの決定に従った。ただ不安を口にはした。

 だからこその離れなのだ。もとは祖父が住んでいた場所。


 むろん姪を、イレーネへの心配は当然あるのだ。

 ただ……伯父としての側面、優しさの裏側を覗き込めば、そこには自身の家族への保身も当然のように存在している。


 すまない――とルトガーは心の中で謝る。


 それは一体誰へ向けての謝罪だったのか。弟か、姪か、はたまた家族か……。

 あの日、前々から決まっていた会談。外交といっても交易関連の話だ。その場で、後は双方の上層部のサインを書くだけといった状態にまで話を詰める予定だった。宰相と財務での事前協議を行い、どこまで譲歩するのかも決めていた。


 組合長とルトガーは顔見知りだった。それも祖父の代から、家族ぐるみの付き合いがあった。もともと一商家でしかなかったブランケンハイム。その流通面への顔の広さと人脈から、当時、終戦後の疲弊した国内への食料問題解決のために抜擢された。

 やっかみもだいぶ受けた。未だに成り上がりではなく、金で爵位を買った貴族――成金貴族と言われるのもその関係なのだろう。外交事務官の肩書きを得てからはそういった手合いは減ったものの、ない、とは言い難い。


 そういった事情もあるが、ルトガーの交易に関係する交渉には手を抜かない。顔見知りだからこそ、中抜きをしているのではないかと陰口を叩かれることもあるが、ブランケンハイム家を高く評価した当時の陛下から続く、王家の信頼を失うような失態はしない。

 そこまで言うのならば、自分たちで同じ条件で交渉を代わってみればいいのだ。

 レーベンタールの中央、そこは腐敗の匂いが微かにしている。


 芽がでたばかりの人間が行けば、体よく喰われるだけだ。

 そう、国が疲弊し始めるとするあの腐敗の匂い。

 ルトガーは同じ外交事務官だった父親の補佐で他国を回った経験がある。国が病み始めた匂い。もっともはっきりと感じることが出来た国は、後日ドゥーツェ帝国によって攻められた。都市一つが軍事拠点になっていたというのに、国の中央がまったく気付いていなかったのは、恐らく、内通者が居たからなのだろう。


 レーベンタールの中は、派閥で大きく二つに割れている。帝国にとってはさぞや狙い目(・・・)だろう。王太子が内部の修正に奮闘しているらしいが、どこまで回復できるのか。

 事実、事務官たちを視察に向かわせた先で、帝国の兵士が他国の流通に口を出しているのを見ている。

 その話を陛下と宰相に報告をすれば、安全策を選ぶのは目に見えていた。徐々に取扱量を減らそうとしていた矢先に――あの事件が起こってしまった。


 初めて、初めてだった――感情を、私情を優先してしまったのは。

 交渉が終わって、落ち着いてから襲う後悔。陛下と外交官への報告で、叱責どころか逆に心労を慮る言葉を頂いた。

 もともと取引を減らす予定だったのだ。それが早くなっただけのこと、と。しかしルトガーは、休養という名の謹慎の沙汰が下された。


 ちょうど、良かったのかもしれない。

 ルトガーは誰に咎められることなく、イレーネの事に気を回せた。


 それが陛下の温情だったのかは分からない。

 しかし、この一件がレーベンタールとの交易に強い影響を与えたのは確かだ。


 ――そんな場所に、イレーネを嫁がせて本当に大丈夫なのか。


 目に見えているではないか、とルトガーの直感が囁く。おそらく、そう遠くないうちにレーベンタールは荒れると。

 もっとゆっくり探しても大丈夫だ。なにも無理をしてこの話に乗る必要はない。イレーネは素直な娘でもあるし勤勉だ。

 時間をかければきっと、あの通り名のような娘ではないと分かってくれる。……そう、国内でも嫁ぐことができるはずだ。後見人は外交事務官である伯父、無碍に扱われることもない。だがしかし、それで幸せになれるかはルトガーにも分からない。何故か燻る気がするのだ。


 とれだけイレーネ本人を見ていても、そこに何らかのフィルターがかかっていやしないだろうかと。当人同士がよくても、外野が、そう言う時ばかりに、ここぞとばかりに騒ぐ部外者共が。

 それらの相手は酷く疲弊するのだ。早くから父を手伝い、骨身に染みている。だから一商家のころから、婚姻には神経を使っていた。

 隠居のような状態の伯爵。


 ――職務中の怪我で醜い姿になった。


 王太子が恩賞を与えるほどの怪我とは、一体どれほどのものなのか。

 見目が変わってしまっただけなのか、それとも身体への不具なのか。

 今までと体の自由が変わると、心身を磨耗し荒れる人もいると聞く。


 他者への、言葉や肉体へ当たるような、攻撃的な人物なのだろうか。

 分からないのだ。

 分からない――警護中の事故、それは近衛兵にとっては実に不名誉なことだ。


 そう、賊に襲われた殿下を護っての負傷――ではなく事故なのだ。一体どんな事故だったというのか。詳細は未だ掴めていない。

 恐らくは、第二王子であるフェリクス殿下に関係することなのだろうと、ルトガーは予想している。あの王子の悪癖は、外交に係わるのであれば耳に入れておかないと、自衛が出来ない。着任したばかりのある国の外交官は、妻がその毒牙にかかった。慌てて連れていた娘を国元へ返したのは有名な話だ。兄であるヴィクトールにはそう言った負の話はでてこない。


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