パパに会いに
* キルトフリューグ=ソーディア=ラーゲンベルク *
部屋を出るとそこにはジュエルザードと同じ白騎クラスだった面々と、それ以外にも数人の白騎獣騎士団の正騎士がいた。
ぴりっとした緊張感があったが、ジュエルザードがうなずくとその緊張感が薄れた。キールが第3王子についてくるとわかったせいだろう。
国王の危篤。
そのタイミングでの会いに行くという行動。
王太子になることを明確に希望するという行動。
緊張感がないわけがない。
「行こう」
白のマントを羽織った一団が国王のいる王宮を目指して歩き出した。
屋外に出ると雪はますます降っている。すべての音を吸い尽くし、あらゆる痕跡を消していく。
王宮の建物をつなぐ渡り廊下には屋根がついているが、左右に広がる庭園が見えるよう外廊下となっている。
彼らが進んでいくと、外廊下を移動していた侍従たちはハッとして立ち止まり、道を譲って頭を垂れる。それはいつも通りの風景なのだけれど、このときばかりはキールは「国王の行進」のように思えて仕方がなかった。
王に会えるかどうかはわからない。これまで通りならば会うことはかなわないだろう。だけれどルイーズ=マリー王妃にならば会えるかもしれない。せめて典医に会って王に言付けすることもできる。なにより、ジュエルザード第3王子が仲間を引き連れて、王に会いに行くことが必要なのだ。それこそが立太子を進めて欲しいというアピールなのだから——。
だけれども。
ただの偶然なのか、あるいは偶然にしてもそれを人は運命と呼ぶのか。
雪のない春ならば生命を感じさせる芽吹きの多い庭園が見渡せる外廊下も、今は白い雪化粧によって雪と影のモノクロの世界が広がっている。かたや白い制服とマントを身につけた集団で——前方からやってくるのは白い制服とマントだけでなく、青い制服とマント混じりの集団だった。そこには外套を羽織った令嬢も数名いた。
一足先に国王に会いに行ったらしいクラウンザード第1王子の集団だった。
双方が、止まった。
「——なんだ、お前も来たのか」
クラウンザードの声はよく響いた。
髪と目の色は同じなのだが、こうして見ると、ジュエルザードとはまったく似ていない。声も、身に纏う雰囲気も。
空気は張り詰め、あらゆる音が雪に吸われていた。
たまたまこのとき、赤い薔薇の花を生けた花瓶を運ぶ途中だった侍従は廊下の隅に寄って息を殺していた。彼女は後にこう語る——「私は空気、私は空気、と念じて、地面だけを見つめていました。あと5分早いか遅かったらこうはならなかったのに……」。
キールは思わず息をするのを忘れた。
クラウンザードから見ればこのタイミングで仲間を引き連れて国王の下へと向かうジュエルザードは、王太子になるべく宣言するためだと見えるだろう。
当然だ。
クラウンザード自身も、きっとそうしてきた帰りなのだろうから。
「はい。お兄様も、陛下に?」
だがジュエルザードの声はしっかりしており、その目は兄を見据えていた。まったく引くことのない強い目だった。
「お前は少々痩せたのではないか? 陛下に会うことはかなわぬだろうが、病気かもしれぬなら近づかぬ方が良かろう。帰って休め」
「お兄様も陛下には目通りが叶わなかったのですね」
「…………」
痛いところを突かれたのだろう、一瞬、クラウンザードは言い淀んだが、
「そこにいるのはラーゲンベルク公爵の息子か」
キールへと視線を向けた。
「は。クラウンザード殿下に、遅ればせながら新年のご挨拶をさせていただきます」
拳を胸に当て、腰を折って騎士の礼をする。
本来ならば「新年を迎えた慶びを……」という長々しい挨拶をするのだが、国王が危篤である今は略礼が正しい。
「ラーゲンベルク公爵は弟の腰巾着となったか」
忌々しげにクラウンザードは言った。
自分の後ろにはクラストベルク公爵家のフローリア嬢がいるというのに。
クラウンザードはまだ三大公爵家が「動かない」と踏んでいたのだろう。それほどに三大公爵家の影響力は大きい。
「殿下。ラーゲンベルク公爵の一員として申し上げます。私は貴族としての誇りを持っており、けして腰巾着などではありません」
「はっ、威勢のいいことだ。弟よ、こんなはねっかえりを味方につけて、それで強くなったつもりか?」
「お兄様、言葉が過ぎますよ。ラーゲンベルク公爵家は代々この国に尽くしてきた名家——」
「黙れ。御託はたくさんだ。お前は本気で、きれい事と理想論でこの国が良くなると思っているのか?」
クラウンザードの声のトーンこそ変わらなかったが、内容は明らかにジュエルザードを押さえ込もうとしている。
「理想を描けなければ現実はついてきません」
「お前はロイヤルスクールでなにも学ばなかったらしい」
「学びましたよ……とてもたくさん。王国各地におもむき、金をばらまいて得る情報よりもはるかに有益なものを」
ジュエルザードがクラウンザードの放蕩を指摘すると、
「バカめ。だからお前には誰も従わぬのだ。回りを見ろ、なまっちょろい新興貴族家しかおらんではないか」
「ドラッヘンブルク伯爵がその言葉を聞いたらどう思うでしょう」
「……やがて飛竜はよそでも飼育できるようにする」
「不可能です。この200年、誰もできなかったのですから」
「ならば一伯爵家を優遇し続けると? 王国の癌ではないか」
ふー、とジュエルザードはため息を吐く。
飛竜を飼い慣らすことに唯一成功したドラッヘンブルク伯爵は、蒼竜撃騎士団に大きな影響力を持っている。その伯爵を味方につけたことでクラウンザードと対等に戦えている。
「話になりません。ドラッヘンブルク伯爵は王国に忠実な貴族ですよ」
「飛竜を独占しておいて忠実もなにもあるか」
「無理に奪おうとする者がいれば、相手が王族であれ間違いを正す。貴き血を持つ者の鑑ではありませんか。お兄様の周囲に、そう言える者はいないのですか」
「バカめ。俺は間違えぬ」
「残念な取り巻きですね」
「…………」
「…………」
第1王子と第3王子がにらみ合う。
張り詰める緊張に、騎士たちは思わず剣の柄に手が伸びかけ、居合わせた不幸な侍従は花瓶を持つ手がブルブルと震えた。
「……私は陛下への目通りを願いに来ただけです。厳寒の折、お兄様もご健康にはくれぐれもお気をつけて」
「ふん、このような寒さ程度で健康を崩すものか」
「…………」
最後の最後まで王族として毅然と振る舞ったジュエルザードと、威勢は良いが子供っぽい応対であったクラウンザード。
(どちらが次期国王にふさわしいかは一目瞭然ではありませんか)
キールは確信した。ジュエルザードこそが次の王だと。
クラウンザードのがいくら「反省」したと言っているのだとしてもなにも変わっていない——。
つかつかと歩いていくジュエルザードとその仲間たち。
「…………」
それをじろりとにらんでいるクラウンザード。
(……くだらない。所作のひとつひとつが王族の権威を貶めています)
ふいっ、とキールはクラウンザードを見ることを止めた。見ているだけで気分が悪くなる。彼なのか、あるいはクラストベルク公爵家の娘か、つけているらしい甘ったるい香水の香りまで漂ってくる。これが危篤の国王を見舞う者の姿なのか? こんな男になぜ多くの貴族が付き従っているのか?
ふたりの王子は1メートルほどの距離を空けてすれ違う。
ジュエルザードもまた、もはやクラウンザードを見ていなかった。眼中にない、とでも言うように。
その瞬間、クラウンザードが忌々しげに口元をゆがめたのに、キールは気づかなかった。
クラウンザードは音もなく身体を翻した。
まるでダンスを踊るようなターンだ。
だからこそジュエルザードの騎士たちも、クラウンザードについていた騎士さえも、誰も声を上げることができなかった。
クラウンザードは第1王子だ。
放蕩で有名などら息子でもある。
だけれど——ロイヤルスクールを卒業した正騎士だ。
彼が剣を抜いたとき音はしなかった。これほど雪が降っていて周囲が静かであったとしても誰も気づかなかったほどに。
抜き放たれた剣が、ジュエルザードの斜め後ろから迫る。
キールはその瞬間までなにが起きたのかわからなかった。
だからキールとジュエルザードが、異変に気づいたのはほぼ同時。そして、対応するには絶対に間に合わない距離だった。
目撃した侍従が花瓶を取り落とした。
花瓶が落ちる前に——バラの花が地面に落ちるよりも前に切っ先はジュエルザードの喉を切り裂き——。
ッキイイイィィィンン——。
剣が、切っ先を防いだ。
漆黒の剣だ。
刃は引かれていたが名工によるれっきとした剣だ。
黒のパーカーを羽織った、黒髪の少年をキールは知っている。
よく知っている。
「——貴様ッ」
クラウンザードが吠えるのと同時にキールも叫んでいた。
「ソーマくん!!」
魔法のように現れた黒鋼クラスの友の名を。