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良い趣味をお持ちで

   * カリエル=イクルミナス *




「いい加減にしろ!! 我らは神官であるぞ。さらにこの歴史ある王都神殿の神殿長の子である! いつまでも面会謝絶で通すとは!!」


 イクルミナス家の長兄が怒鳴り散らしているのを、カリエルは欠伸をかみ殺しながら聞いていた。

 神殿には権威がある。それはもうすごい権威がある。なぜなら「神」という「人」以上の権威を借りることができるからだ。

 だというのに王宮の入口にしか入ることができない。「国王陛下のご病状を確認し、必要とあればいかなる希少な薬剤であっても提供する」と言っているにもかかわらず、入れない。

 入口で神官を止めているのはひとりの老人だ。

 緋色の前垂れは老人がこの国で最上級の医師「典医」であることを示していた。

 腰の曲がっていて、背も低く、頭でっかちでいつも杖をついている。

 あごひげは異常に長くよく手入れされていた。

 その目元は長い眉毛によって半分隠されているのだが、「絶対拒否」を貫く意志の強さははっきりと感じられる。


「陛下への接見はかないません。お引き取りを」

「理由のひとつも言えぬのか! 我らはこうして日々足を運んでおるのだぞ!!」


 イクルミナス家の長兄は、けんもほろろの対応をされたのは生まれて初めてだった。最高権力の一角である神殿長の子として生まれ、神官としてなるべく育ち、神学校でも王都においても、周囲は——貴族でさえも——自分に一目置いている。

 それがこの老人には効かない。

 ただひたすらに「帰れ」と言われる。


「日々王宮に通うことが偉いのであれば私もやっとります。もし皆さんにできることがあるとしたら、日々王宮に通うのではなく日々神に、陛下の無事を神に祈るべきではないでしょうか」

「それくらいやっている!」

「ほんとうに毎日?」

「……そうだ!」


 一瞬、間があったのは「毎日」ではないからだ。数日に1回、父の神殿長が声を掛けて長々とした祈祷を捧げる。それを長兄は嫌がっている。「会うこともできず、生きているかもわからん陛下のために祈ることなどくだらん」と陰で言っていたのをカリエルは聞いたことがあった。


「では毎日、もっと長い時間祈ってください。それこそ神官がやるべきことでしょう」

「貴様なんぞに神官の責務を言われたくないわ!」

「ならば典医の責務についても口出しなさらないでいただきたい。陛下への接見はかないません。これは典医としての判断であります」

「ぐぬぬぬぬ〜〜……カリエル!」


 え、俺?


「お前がこの頑固ジジイを説得しろ! 説得が終わるまで帰山することを許さん!」

「え、ええぇ〜……?」

「いいな!?」


 長兄は怒鳴ると取り巻きを連れ、肩を怒らせて去っていった。


「いや〜……その」

「…………」


 典医は油断しない顔でジッとカリエルを見つめている。


「ちょっとだけ陛下に会わせてもらうなんて……ことは……その……」

「…………」

「ダ、ダメっすよねぇ〜……アハハハ」

「…………」

「アハ……」

「…………」

「…………」

「…………」


 きつい。

 死ぬほど沈黙がきつい。

 カリエルはこういうのが苦手だ。腹に一物抱えている貴族(たぬき)の化かし合いならばやりようがあるが、固い意思を持ってけっして譲らない人を相手にするとどうしていいかわからなくなる。


(俺には向いてねぇっての……)


 貴族のなかでも、彼が通っていたロイヤルスクールには一本の芯を通していた者もいた。各クラスの総代などは特にそうだ。だからこそカリエルは総代にはなれなかったし、なれるとも思わなかった。神殿に生まれ育ち、兄弟仲は最悪だったがちやほやされて育った自分とは違う。


(ん? 学園……?)


 ふと、カリエルは気づいた。


「神殿も落ちたものだ。こんな若い者を置いて高位神官がさっさと帰ってしまうとは……。悪いことは言わん。君も、適当な時間をつぶしてから暗くなる前に帰りなさい」

「あのー」

「私はこれ以上、君を通すわけにはいかん」

「そうじゃなくて」

「ん?」


 きびすを返して去ろうとした典医は、カリエルを振り返る。


「典医様って、もしかしてロイヤルスクールの学園長とご親戚かなにかですか」


 アフロのような髪をして、常に苦虫をかみつぶしたような顔をしている学園長。この典医にもどこか学園長に近いものを感じた。


「む。なぜそれを」

「あ〜、やっぱり! 自分はロイヤルスクールに通ってましたからね」

「なにをバカな……。神官が騎士養成校に通うなんて聞いたこともない」

「まあ、そう言われますね。親父が神殿長なのにお前はなにをやってるのかって」

「……君のお父上は神殿長なのか」

「あ、そっすよ」

「さっきのあれは君の兄?」

「まあ、そうです」

「親子ほども年齢が違うではないか」

「良く言われます」


 典医は目を瞬かせてカリエルを見る。


「ふう……兄弟にもいろいろあるものだな。学園長はな、私の弟だ」

「えっ、兄弟!?」


 あの学園長にも家族がいたのか。

 カリエルからすると、学園長はめちゃくちゃ怖い人って印象しかない。


「なぜ君は騎士養成校に?」

「いや、神殿の暮らしが合わなくて……じゃなかった! アレです、ほら、見聞を広げる的なやつ! 神殿と騎士は接点があまりにもなさ過ぎますがそれだといろいろねっ、ほら、あの、今後なんかあるかもしれないじゃないですか!?」


 あわてて取り繕うカリエルだが、まったく要を得ない。


「……ふっ。あの権威が服を着て歩いているような神殿長にこんな息子が生まれるとは。わからぬものだ」


 最初こそ呆れていた典医だったが、小さく笑うと、


「こちらに来なさい、茶でも振る舞おう。こんな寒い場所に立たせておいて風邪でも引かれてはたまらん」

「え?」

「……来ないのかね? まあ、神殿のほうが過ごしやすいかもしれんが」

「い、行きます! 神殿に比べればどこでもマシです!」


 もう一度典医は呆れた顔をして「招いたのは失敗だったか」とぽつりつぶやいたが、カリエルを手近な待合室に招き入れたのだった。

 王宮には貴族も、役人も、多くの人が訪れるために待合室がいくつもある。


「…………」


 カリエルはきょろきょろと室内を見回してしまう。さほど装飾は凝っていないが、落ち着いて上品な部屋だ。典医は勝手知ったる我が家のようにお茶の準備を始める。使用人のひとりがお湯を運んでくると典医は手ずからお茶を淹れた。立ち上る香りはなかなかのものだ——カリエルは神殿で最高級の茶葉を味わったことがあるが、それにも負けていない。


「どうしたかね」

「いや……めっちゃ香りがいいなって」


 すると長いひげの老人はフッと笑った。


「茶は趣味なのだ」


 そのとき初めて気が緩んだ、とでも言うように。

 差し出されたティーカップから湯気が立ち上る。口に含むとやはり良い香りだ。それにカリエルはこのときようやく自分の身体も冷たく強ばっていたことに気づいた。お茶がゆっくりと強ばりを溶かしてくれる。


「あの……いいんすか? ここで俺——じゃなかった。私なんかと時間をつぶしてて」

「気軽に話してくれれば良い。今は問題ない。陛下とルイーズ=マリー王妃殿下がおふたりで過ごしていらっしゃる」

「そうなんだ。なんかいいっすね」

「なにがだ」

「夫婦水入らずってことでしょ? 陛下が王妃様を愛してらっしゃるっていう話はほんとうなんですね」

「うむ……。あれほど仲の良い間柄は珍しかろうな。王妃殿下はインノヴァイト帝国からいらしているし」


 カリエルは話を聞きながら、陛下はやはり「仮病」なのではないかという気がしてきた。そうでなければ典医がここでのんびりなどできるわけがない。


「……しかしその時間もそう長くはないかもしれん」

「え!?」

「いや、今のは失言だった。忘れたまえ」


 典医は渋い顔をした。


(いや、ちょっとちょっと! 待ってくれよ! なにさらっと重大発言してんの!? 陛下が亡くなるかもしれないってこと!? とんでもない情報じゃん!)


 カリエルの焦りとは別に、典医は、


「それより騎士養成校での弟のことを教えてくれんか。年に1度会うかどうかという関係でな。会ったとしても自分のことを話すような人間ではないし」

「あ、ああ……そうっすね。あの学園長がそうするとは思えない」

「君は弟とは接点が?」

「ありましたよ。俺の場合はたまたま趣味が合ったっていうか」

「趣味?」

「絵が好きでして。書くんじゃなくて見るほうっすけど」


 それは事実だった。学園長の執務室に運ばれる絵を見てカリエルが評価したことがあり、それを耳にした学園長がちょいちょいカリエルを呼び出して絵の評価をさせた。

 カリエルとしては、いつも苦虫をかみつぶしたような顔をしている老人に呼び出されるのは苦痛でしかなかったが、学園長はカリエルの評価をじっと聞くと「もうよい。帰りなさい」と追い出すのだった。あの時間はなんだったんだ。


「ほう」


 典医が興味深そうに目を輝かせる。


「ではあの絵をなんと判断する?」


 この待合室にも1枚の絵が飾られていた。それはローブを羽織った男が、天秤を掲げているようなものだった。

 その背中からは神々しい光が射し込んでいる。

 つまりこれは宗教画である。


「技能の神、エルセルエートを描いたものですね」

「そうだ。絵描きの技量や絵の意図はどうだ?」

「典医様。俺、神殿の息子っすよ? 宗教画でしたら得意中の得意領域ですよ」


 カリエルは立ち上がって、絵の前に行く。

 両手で抱えられるくらいの小さめサイズである。この待合室にはちょうどいい。


「……ずいぶん新しいですね。絵の具の退色がほとんど見られない。俺の知らない作者っすね」

「作者のことはいい。中身だよ」

「中身は……まあ、凡庸ですね」


 カリエルはずばり言った。


「エルセルエートは技能の神であり、スキルレベルを計測する際にもエルセルエートの御力を借りていると言われています。そのためモチーフとして天秤が使われることがありますけど、これ見よがしに掲げなくとも絵の一部に天秤が描かれていればそれで問題がありません。後光の表現も拙い。そもそも神を表現するのに光あれというのは陳腐な発想です」

「そ、そ、そうか……」

「……典医様?」


 振り返ると座っている老人はその小さな身体をますます縮込ませているようにみえる。


「ど、どうしたんですか」

「私なのだよ……」

「え?」

「描いたのは……私なのだ……」

「————」


 さーっ、とカリエルの血の気が引いた。

 凡庸、拙い、陳腐。

 めちゃくちゃこきおろしてしまった。


「ふう……正直な批判というのはショックなものだな」

「も、申し訳ありません!」

「なぜ謝る。指摘が間違いだったとでもいうのか?」

「いえ、それは……」

「——ぷっ、くくっ」

「え?」

「はははははっ」


 頭を下げていたカリエルは突然典医が笑い出したことに驚いた。


「君は面白い。ふつうなら『間違いでした』と自らの発言を撤回するところだぞ。だが、これではっきりした。君の趣味が絵画鑑賞であるということは真実だ。好きなものにはウソをつけないのだろう」

「あ、ああ……そういう」

「弟も絵が好きだったな。絵画狂と言ってもおかしくないほどに……私は、才能がないようだがの」


 どうやら学園長は絵画を集めるのが趣味だったようだ。周囲に同じ趣味を持つ人がいなかったのだろうか。だから、カリエルを呼び出した——。


(迷惑極まりねぇ)


 そんなカリエルの思いはともかく、典医は座ったまま、自分の絵を見やる。でもその目は才能のなさを悲しんでいるのではなくて、自分の作品を愛おしむようだった。


「……カリエルくん」

「あ、は、はい——あれ、俺、名前言いましたっけ?」

「神殿長の子の名前くらい覚えておる。それで、騎士養成校の話をもうすこし聞かせてくれんか」

「はい、それはもちろん構いませんが……学園長ではなく、ロイヤルスクールですか?」

「うむ。すこし、ウワサを耳に挟んでね。それがどういう意味を持つのかを確認したい」


 ウワサ? なんのことだろう、と思ってカリエルがイスに戻ると典医は言った。


「実は、騎士養成校……ロイヤルスクールに、とある指示が出ているようでね……」


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