呼び出されるのはいつだって唐突
* ヴァントール=ランツィア=ハーケンベルク *
単なるパフォーマンスに過ぎなかった第1王子よりも、圧倒的な実利を伴う第3王子の一手のほうが貴族には効いた。
だがそれでも、もともとは第1王子にアドバンテージがあったので、「立太子レース」はこれで互角というくらい。
今もってなお国王の面会謝絶が続いているために、明日なにが起きるかもわからない状況は変わらない。
ロイヤルスクールの授業が再開したとしても貴族家は子女を通わせるわけにはいかず、キールたちは自宅に籠もることになったのだった——。
「……だりィ」
「ヴァントール、頼むから王子殿下の前でそんなことを言うんじゃないぞ……」
ハーケンベルク家当主にして侯爵位でもあるヴァントールの父は、渋い顔をした。
筋肉質で上背もあるヴァントールとはまったく違って、父は丸かった。顔も丸ければお腹も丸い。すでに身長も並ばれている。てっぺんが禿げ上がった頭は白髪になっていて、必要以上に老けてみえる。
似ているところはまったくないが、赤い目だけは同じだった——父はふだんから目をしょぼしょぼさせているのでその赤さはよく見えないのだが。
「殿下。ハーケンベルク侯爵がいらっしゃいました」
ヴァントール親子がやってきたのは王宮にある第1王子に与えられた1棟。
ここに至るまでも分厚い絨毯に派手な額縁の絵に金箔を貼った花瓶に……やたらと豪勢な内装だったが、クラウンザード第1王子のいる部屋はさらにすごかった。
「うぇ……」
天井から吊されたシャンデリアは目に痛いほどまぶしい。巨大水晶から切り出した、一枚天板を使ったテーブルには宝石でデコレーションされた酒瓶が並んでいる。
思わずヴァントールが「うぇ」と声を漏らしてしまったのも仕方がない。
悪趣味もここまでくればいっそ清々しいとさえヴァントールは思ってしまった。
「おお、来たか、侯爵」
ソファにどっかと座ったクラウンザードは昼だというのに酒を飲んで顔を赤くしていた。左右に女を抱えるだけでも忙しいのに、右手にはワイングラスまで持っている——落として割ったりしたら、従者の1年分の俸給が飛びそうなほどに精巧な彫刻が施されたグラスだ。
女のひとりには見覚えがある。三大公爵家のひとつ、クラストベルク公爵家の娘フローリアだ。長くウェーブした金髪に、つんと上向いた鼻。気の強そうな目元などはワガママいっぱいに育てられたのだろうと思うものの、第1王子が相手なら彼女も猫なで声を出すということか。
フローリアは三大公爵家が王子への介入を避けるために家にこもっていたはずだが、キールが第3王子についたのを見て自分も第1王子の部屋へ出入りしてもいいと判断したのだろうか。
「はっ。まかりこしてございます。本日は事前にご連絡いただきましたとおり、愚息も連れて参りました」
ん? とヴァントールは思う。
今日は自分が呼ばれたということなのか?
単に親父が気まぐれに連れてきただけじゃないのか——。
と、ヴァントールが思ってしまうのも仕方ない。ヒマに飽かせてヴァントールはお屋敷内で剣を振り回し、護衛騎士を相手に一日中稽古をしているのだから。父は「家に籠もりすぎて息子はどうかしてしまった……」と考えていたようで、ヴァントールを連れ出す口実を探していたはずだ。
だが、今日は王子がヴァントールを喚んだのだという。
「おお、お前が蒼竜クラスの総代か」
「はい」
「1年か? いかつい顔してんなぁ!」
ヴァントールは眉をひそめる。
顔をなじられてもなんとも思わないのだが、第1王子ともあろうものが昼から酒を飲んで、自分のようなはるか年下の貴族を相手にしているのが、
(情けねェな……)
と思ってしまったのだ。
「ヴァントールとやら」
声を掛けてきたのはクラストベルク公爵家のフローリアだった。
「はい」
「今、王都ではなくロイヤルスクールにいるはずの各クラスの人数を教えなさい」
「……は?」
ロイヤルスクールの人数?
なんの話だ?」
「いいから。あなたは言われたことに答えなさい」
「しかし——」
「ヴァントール」
父にたしなめられ、ヴァントールはうなずいた。
まったく理解も納得もできないが、やるべきことをやるというのは貴族社会では良くあることだ。
「……今は上級貴族の子女が多く王都に留まっております。ロイヤルスクールは授業が再開したと聞いておりますが、白騎クラスはゼロ。蒼竜クラスは5学年全体で40名ほど、黄槍クラスは30名ほど、緋剣クラスは10名ほど、碧盾クラスは——」
「それ以上はいい」
鷹揚な言い方だった。
「ア? お前ンとこが大公だからって娘のお前が偉いわけじゃねェだろうが。なに偉そうに言ってンだよ」
——と、喉まで出かかっていた言葉を呑み込んだ。
これでも1年蒼竜クラスを率いている男である。貴族としての振る舞いはできる。
「ですって、クラウンザード様ぁ。どうしちゃいます?」
急に甘ったるい声を出すクラストベルク令嬢を見て「うぇ……」と声が出かかったがそれもヴァントールは呑み込んだ。やればできる子である。
「おい、ハーケンベルクの息子よ」
ヴァントールはじっと第1王子を見つめる。
酔ってはいるが眼光は本物だ。
肉体はがっしりしており、ジュエルザード第3王子と比べて明らかに強そうだ。そして実際、強いのだろうとも思っている。
ジュエルザードとてロイヤルスクールにいる間は剣の達人として恐れられていた。あのキールが兄として仰いでいるのだ、キールが4年、歳を重ねたら今とは比べものにならないほどの使い手になるはずだ。
だが、クラウンザードは、それ以上である。
ヴァントールは相手の強さがわかるようになってきた。
(……ただの酒飲みの遊び人じゃねェとは思ってたが……これほどかよ)
シンプルに強い、と思う。
遊びながらも剣を振り回すことは続けていたらしい。
これが正騎士。これが第1王子だ。とヴァントールは実感する。
「蒼竜クラスは……精強だな?」
「はい。もちろんです」
自分でも思ってみなかったほど誠実な言葉が口をついて出た。
「白騎クラスを除く、他のクラスが束になってもかなわない……そうだな?」
それは——わからない。
ヴァントールはすでに知っているのだ。黒鋼クラスにいるスヴェン=ヌーヴェルという男を。
「そうに決まってますわ! だって、クラウンザード殿下も育成に力を入れている蒼竜撃騎士団に入ってくる子たちでしょう?」
フローリアが口を挟むと、「ハハ、愚問だったか」なんてクラウンザードも応じている。
「あの……ロイヤルスクールのことをなぜおたずねになるのですか」
「ハッ。まあ、お前は知っていてもいいだろう。ジュエルザードがろくでもないことをしただろう? あの対抗策を考えていたのだ」
ジュエルザードがやったことと言えば、ドラッヘンブルク伯爵を自分の派閥に引き入れたことだろう。
対抗策?
ロイヤルスクールがいったいなんなのか?
「ジュエルザードはつい先日までロイヤルスクールにいた。あそこを舞台にしてな、蒼竜クラスが大勝するようなイベントを仕掛けるんだよ」
「イベント?」
「第3王子が余計なことをしかけて蒼竜撃騎士団を揺さぶりにかかったからな……こっちもあの手この手でやり返さねばならんというわけだ。ロイヤルスクールもその1手に過ぎん。——おい」
声を掛けられ、やってきたのは壁際に立っていた騎士——ブルーの制服を着ていることから蒼竜撃騎士団の正騎士だとわかる——だった。
こいつも強い、とヴァントールは直感する。
すさまじい体躯だ。ガッチリとした上半身に太い脚。髪は刈り上げられていて強靱な顎といい顔は長方形のようになっていて、首も太いために顔と身体の境界がわかりにくい。
眉がなく、目は蛇のように油断がない。
良く日に焼けたその肌は、この騎士がふだんから移動や戦闘のために外を駆けずり回っていることが推測される。典型的な軍人タイプだ。
「ハーケンベルク侯の息子から話を聞いておけ。必要な情報が得られたら帰ってもらえ」
「ハッ」
ぎょろりとした目がヴァントールへと向き、思わず身構えそうになる。
ただ話を聞かれるだけというのに。
(これが正騎士……)
ヴァントールは——吊り上がってしまいそうになる口元をなんとかこらえた。
(こいつに勝ちてェ……!)
第1王子の御前だというのに戦いたくてうずうずしてしまうヴァントールだった——その横で父は、「もうほんと、変なことしないでくれよぉ」と泣きそうな顔をしているのだけれど。