騒動の中心に、君がいない
* キルトフリューグ=ソーディア=ラーゲンベルク *
「おらァッ! 脇が甘めぇんだよ!」
「はぁ!? たまたまだろうが今のは! もう1回だ!」
「何回やったって変わらねェ!」
「さっきは俺が勝っただろうが!」
木剣と木槍での手合わせだったが白熱していた。木と木がぶつかると激しい音が鳴るし、身体に直撃すればケガはするだろう。
その迫力に、キャーッと黄色い声が上がっている。
だがふたりの実力は伯仲しているので優劣はなかなかつかない。
「そろそろ終わりにしてください。ヴァントールさん、マテューさん」
呆れて言ったのはキールだ。
ここはラーゲンベルク公爵邸の庭。庭と言っても訓練場よりもずっと広く、木々が目隠しになっているので公爵邸の外からは見えないようになっている。これほどの広さが王都内に確保できているのは驚異と言うほかない。
なのでまぁ、模擬戦くらいはできてしまう。
「ンだよ、別にいいだろうが」
蒼竜クラス筆頭のヴァントールが不機嫌そうに言うが、汗だくで身体からはほかほかと湯気が立っている。
「こいつの減らず口を閉じるまでやる」
甘いマスクの黄槍クラスのマテューも言うが、ヴァントールよりは明らかに消耗していた。
「いや、風邪ひきますよ?『公爵家の勉強会に参加したら風邪を引いた』なんて言われるのは少々困るのですが」
ガラス張りのサンルームから出てきたキールは、外の寒さに身を震わせる。見学して黄色い声を上げている女子たちは温かい室内から眺めているからいいのだが、問題はこのふたりである。
勉強会だと言っているのに顔を見るなり「やるか?」「おう」と、いきなり通じ合って模擬戦をやりだしたふたりである。
勉強会なのだ。
そもそも木剣と木槍をなぜ持ってきたのか?
1、2回やらせたらさすがに満足するだろうと庭に解き放ったところ、かれこれ1時間やっている。バカなのかな? 彼らが模擬戦をやっているせいで女子たちも張りついて離れない。白騎クラスと黄槍クラス、緋剣クラスの女子である。
「へっ、公爵家を困らせられるとは面白いじゃねェか」
「いや、ヴァントール、お前それカッコ悪いぞ……」
「アァ!? ンだよ」
「もういいので、一度シャワーを浴びてください……」
キールがふたりを促すと、「おふたりで浴室に!?」と女子が色めき立つ。
どうしてこうなったのか。
「あらあら、お稽古は終わり? ふたりとも元気ねぇ」
室内に戻ったタイミングでやってきたのは、
「! これは、ミレイユ様」
「お見苦しい姿をお見せしました」
ヴァントールとマテューはその場に片膝をついて頭を垂れた。
「あらあら、いいのよ、顔を上げて? 今日はただのキールのお母さんだから」
ミレイユ=ソーディア=ラーゲンベルク——キールの母にして、公爵夫人だ。
派手さはないが極めて上質な布を幾層にも織り込んだ、ワインレッドカラーのドレスは威厳がある。それを着ているミレイユは柔らかな笑顔を絶やさない女性で、笑顔はキールによく似ていた。
ヴァントールたちふたりだけでなく他の生徒たちも膝をつこうとしていたので——ここでは騎士の礼を取るのが通例だから——それをミレイユは止めた。
「ね?」
念を押されると、生徒たちも礼を取るわけにはいかない。
「浴室は案内させるからついていって」
ミレイユに促されると大人しくヴァントールとマテューは部屋を出て行った。
「……お母様」
お帰りください、と目で訴えかけるのだがミレイユは無視して、
「皆さん、ようこそいらっしゃいましたわ。冬の間はどうぞ我が家でお勉強してらしてね」
女子たちが今度は違った色の歓声を上げる。ミレイユはその美貌からも社交界での超有名人であり、そんな人が直々に声を掛けてくれたのだからうれしくないはずがない。
男子たちからも違った声が上がった。うちの母親とは違う、なんであんなに若いのか、というキールに対するやっかみの声だ。
「お母様、これから勉強ですので」
「あ、そうだ。キール、私が勉強を皆さんに教えるというのはどう?」
「お母様」
「……はーい」
にこやかな表情のままのキールだったが、やたら圧の強い息子にさすがにミレイユも立ち去った。いや、あきらめた顔ではない。どうせみんなヒマだろうから何度でも来てやろうという顔だ。この母は、息子がロイヤルスクールでどう過ごしているのか興味津々なのである。
「まったく……それでは皆さん、あらためて勉強を——」
言いかけたキールは気がついた。
「え?」
みんながじっとこちらを見ている——どこかほっこりした顔で。
あの、1年白騎クラスのトップに君臨するキルトフリューグ=ソーディア=ラーゲンベルクが、母親の前ではこんな顔をするのだということがみんな意外で、親しみを感じていたのだ。
キールは、もう絶対母親をここには入れないぞと心に誓った。
* マテュー=アクシア=ハンマブルク *
シャワールームがあるというのは貴族にとってはステータスのひとつでもある。室内は暖房によって十分暖かく、シャワーを浴びた後でも風邪を引くことはない。
シャワーのボックスが5つ並んでいて、そのうちふたつにマテューとヴァントールが入っている。
ざぁぁぁ……とお湯を浴びるふたりは、間にボックスひとつ距離を空けている。
「おい、ヴァントール」
「……ンだよ」
「お前んとこ、侯爵家だろ。今回のことでなにか情報入ってないのかよ」
侯爵家は公爵家に次ぐ権威であり、ヴァントールのハーケンベルク家は直系ではもうないが、遠く王家の血を引いている名門中の名門である。
「あァ? てめェ、いっちょ前に情報交換でもしようってか?」
「いや、やっぱいいや。お前なんも知らないんだなってわかったし」
「なにバカ言ってンだ! てめェンとこだってなんも情報ねェンだろが!?」
「そりゃそうだ。だから聞いてるんだよ」
「ハッ。そもそもルイーズ=マリー王妃殿下しか陛下のおそばにいないってンだからこの国の貴族じゃ情報なんて入るかよ」
ルイーズ=マリーは正妃であり、インノヴァイト帝国から輿入れした。
現国王は彼女をことのほか愛しているので夫婦仲は極めて良いが、これほどまでに側妃を遠ざける——ルイーズ=マリーだけをひいきしたことはなかった。
「側妃の家門はどこも必死だぜ。うちにも後押しするよう何度も要請が来ている」
「チッ……今は陛下の回復を祈るべきだろ」
「お前にしちゃ、殊勝な考え方だな。どうだ、神殿詣ででもするか?」
「ア? してるに決まってるだろ」
「えっ」
「アァ?」
蒼竜クラスの暴れん坊だったヴァントールが神殿に通っている姿をまったく想像できずマテューはぽかんとするが、ヴァントールは至極真剣だった。本気で通っているらしい。
もちろんこの世界には神がいるとみんな信じているし、その結果が天稟だと思っている。神が与えし天稟、というわけだ。
だが神の影響力はそのくらいのもので、祈って病気が治ることもなければ、祈って運気が倍増することもない。
「……それじゃ、ハーケンベルク家には第1王子派閥から協力要請とかは来てないのか?」
「来てる。だが、既定路線だ。ウチは第1王子を推すって決めてるからな。テメェンとこもそうだろが」
「まーな」
マテューのハンマブルク伯爵家も第1王子派閥だ。
国王陛下の病気によってにわかに慌ただしくなっている。特に「お前はほんとうに味方か?」というような探り合いもまた多い。
息が詰まるような毎日だった。
お屋敷を出ることも許されなかったし。
それゆえにキールからの申し出はありがたかった。
キールのラーゲンベルク公爵家は明らかに第3王子派閥だが、「ロイヤルスクールの勉強」という建前は非常に強い。主要貴族は全員ロイヤルスクール出身だから、そこでの成績が持つ重みをみんな理解しているために、反対する理由がまったくない。
しかも、第1王子陣営は第3王子陣営のことを知りたがっているし、逆もまた真だ。子どもの勉強会にかこつけて、情報収集をさせようというのである。
——マテュー、頼んだぞ。
と珍しく父が朝からマテューに力強く頼んでいた。損得勘定に長けていて、権謀術数が大好きで、息子なんて手駒のひとつにしか考えていなかった父が久しぶりに自分の顔を見てそう言ったのだ。
「……クソ食らえ、だ」
そんな父親の期待になんて応えてやるかよ、とマテューは思っている。
お屋敷に籠もって汲々とするしかない両親を放っておいて自分はキールのお屋敷で羽を伸ばすのだというつもりである。だからこそ木槍を持って来た。身体もなまっていたし。
「なんか言ったかァ?」
すでにヴァントールはボックスから出てきて、わしゃわしゃとタオルで頭を拭いている。
見事に均整の取れた身体だ。マテューとて鍛錬を怠ったことはないし、特にトッチョという槍のライバルが現れてからはめちゃくちゃトレーニングしている。だが、ヴァントールにはかなわないなと思ってしまった。芸術品に近いものを感じる。
13、もしくは14という年齢でこの肉体なのだから、この先どうなるのだろう。
「ンだよ……じろじろ見ンな、気持ち悪りィ」
「お前、天稟はなんだっけ?」
「アァ? 入学式ンときに発表したろうが」
「忘れた。興味なかったし」
「てめッ……」
イラついた顔をしたヴァントールだったが、すでに公表されているし隠すほどでもないと思ったのだろう、
「『常在戦場』だ」
「おぉ……まさに、だな」
いつ何時、戦いになっても即座に対応できる精神を保つことができ、戦闘能力も均等に高めることができる。そんな天稟だ。
「てめェは、『偉大なる指揮者』だろ」
そう、マテューの天稟だ。
これはまさに人をコントロールするものであり自分自身が戦うためのものではない。
だから、苦労した。
武技の個人戦準決勝第1試合、キールとの戦いで見せた【槍術】レベル300の第2のエクストラスキル。
「紫電突貫」を修得するには——血の滲むような努力をした。
本気で、個人戦優勝を狙ったからだ。
まさかキールにいなされるとは思いもしなかったが……。
「笑えるだろ? 政治家向きの天稟だってのに、この勉強会にも木槍を担いでくるんだからよ」
トッチョのような槍系の天稟をうらやましいと思ったことは何度もある。だが、天はマテューにその才能を与えなかった。
「アァ? なにが笑えるンだ?」
「え……」
「槍を振りたきゃ振ればいいだろが。少なくともてめェは楽しいからやってンだろ? 黒鋼のデブと戦ってるときのてめェはいつもニヤニヤしてるじゃねェか」
「————」
楽しいからやる——そうだったろうか。
(そうだ)
確かに、トッチョと手合わせしているときは、楽しんでやれている。
政治闘争に明け暮れる父への意趣返しのつもりで打ち込み始めた槍が、いつしか自分のコンプレックスになっていた——。
「……ニヤニヤなんてしてねーよ」
「知るか。男の顔なんて覚えねェ」
すたすたと去っていこうとするヴァントールの背中に、
「ヴァントール」
マテューは声を掛ける。
「明日もやろうな」
彼は、足を止め、
「決まってンだろ」
顔だけ振り向いてにやりとしてみせたのだった。
戦闘向きの「天稟」が味方をして鍛え抜かれたヴァントールの背中も、締まっている尻も、とてつもない瞬発力を生みそうな脚も、さっきは妬ましいものだったけれど、
「…………」
今はもう違った。
超えるべきライバルなのだと、マテューはそう感じるだけだった。
目の前にそそり立つ壁は高ければ高いほうがいい——なぜなら超えていった先に、父がいるからだ。
——人間としてお父様を超えるの。貴族としても超えるの。そうしたらそのとき、君を止められる人なんて誰もいないわ。
自分に、偉大なる父を超えなさいと言ったのはたったひとり。
ファーリットという少女。
彼女が生きていることをマテューは知った。あの夜のダンスホールで彼女と1曲だけ踊ることができた。
彼女は黙っていた。
なにを聞いても答えてくれなかった。
それが答えなのだとマテューは知った。
彼女が生きていることがわかっただけで、いい。
(親父を超えるほどの力を手に入れれば、俺はファーリットにもう一度会えるはずだ)
マテューは着々と仲間を増やした。黄槍クラスはフランシスを筆頭に、ほぼクラスを掌握し、今はソーマとその仲間たちを味方にしたいと思っている。
それこそが「偉大なる指揮者」の本領である。
「……俺も出るか」
シャワールームから出るときのマテューは、野望の片鱗などどこへやら、爽やかな笑顔を浮かべていた。