タヌキとタヌキは向かい合う
* キルトフリューグ=ソーディア=ラーゲンベルク *
貴族たちの冬は忙しい。
お茶会があり、夜会があり、演奏会があり、観劇があり、勉強会まであるし、神殿詣でもある。
年末に向けてイベントが目白押しで、年末最終日と年始の初日だけは家族で過ごすことになっており、2日目からはまたもお茶会に夜会に演奏会に……というスケジュールである。
例年通りならば。
「……真っ白ですね」
キールは執事が差し出してきた自分のスケジュール表を見て驚いた。
1枚の紙にびっしりと書かれていた昨年までのスケジュールはどこに行ったのか、今年はほんの数行あるきりだった。
「陛下のご病状が優れないから、ですか」
「そのとおりでございます、キルトフリューグ様。キルトフリューグ様だからこそいくつか予定がございますが、他の貴族ならば子女の予定などまったくありますまい」
「…………」
それほどか、と思った。
まるで国王陛下がすでに亡くなったかのような自粛だ。
貴族の活動が冷え込むと、それに応じて王都全体の消費も減る。特に冬期は働く場所も少ないだけに、貴族たちの落とすお金が王都に染み渡るのである。その結果、飢えずに済む者も出てくるが——今年の経済は……。
「キルトフリューグ様、そう気を落とさず。そのぶん、公爵閣下も在宅が多うございますから」
冬のイベントが少なくて肩を落としていると勘違いしたのだろう、本宅付きの執事は慰めるように言った。
「キールよ、ここにいたのか」
「——お父様」
ウワサをすれば影と言うが、そこに現れたのはキールの父であるラーゲンベルク公爵家当主だった。
さらりとした金髪を右から左に流していて、顔は幼く見える。キールの父親というには若すぎると思えるほどに。
キールは母親似で天使のような愛くるしさだが、この公爵はどこかほわほわした感じだった。
「ちょっと時間はあるかい?」
たずねられ、キールはスケジュール表を見せた。
「いくらでもありますよ」
「違いない」
ふたりは苦笑いした。仕草は、そっくりだった。
向き合って座ると執事がお茶の準備を始める。
「そうそう、さっき、ヴィルカントベルクとクラストベルクから使いが来てね」
そのふたつは、ラーゲンベルク公爵家と合わせこの国でも権力の中枢にある「三大公爵家」だ。
キールがジュエルザード第3王子と幼いころから付き合いがあるのも王家の血を引いているからに他ならない。
「三大公爵家」は政治に関わっているだけでなく、もしも王家になにか問題があった場合に、王家に代わって国政を執行できるほどの権力がある。
それは現実的にも、王国法的にもだ。
「三大公爵家」はそれぞれを牽制し合っているし、国王はそう仕向けているのでパワーバランスは取れているのだが、わざわざヴィルカントベルク公爵家とクラストベルク公爵家が連絡を取ってくるなんて。
「……先方はなんと?」
「キールを、ジュエルザード王子殿下に近づけるなと」
「え、私ですか?」
「うん」
父の口調はどこまでも柔らかい。「昨日王宮で懐かしい顔に会ってさ」みたいなノリだ。
だけれどキールは気が気ではない。
この非常事態にわざわざ公爵家が自分に言及してきたのだから。
「三大公爵家のバランスを崩したくないということだろう。ヴィルカントベルクも、クラストベルクも、クラウンザード王子殿下にもジュエルザード王子殿下にも、接触を控えているからね」
「……クラストベルク家のフローリア嬢は、クラウンザード王子殿下のおそばにいたはずでは?」
「家に戻したそうだ」
「なんと」
クラストベルク公爵令嬢フローリアはクラウンザードにぞっこんだったとキールは記憶している。ちょっとツンとした感じの、気の強そうな令嬢は、クラウンザードの前では甘ったるい声を出していた。
国王の伴侶は外国から輿入れしてもらうことがふつうで、実際、今の王妃はインノヴァイト帝国の皇女だ。
政略結婚である。
だが国王の夫婦仲は悪くなく、倒れた今も、王妃だけは国王のそばにいることを許されているという。このことから国王の病状は「伝染病ではない」と推測されている。インノヴァイト帝国の貴き血に病を伝染させることなどあってはならないからだ。
それはともかく、王妃は外国から、側妃は国内有力貴族から嫁いでくる。フローリア嬢は側妃としてクラウンザードのそばにいるつもり満々だった。
そんな彼女を引っ込めるほどである。
「ヴィルカントベルクもクラストベルクも、今回の国王陛下の状況で国内が混乱するのを避けたいのだろう」
それは「高位貴族として国を守る」なんていう高尚な理由ではない。
ヴィルカントベルクは南方で新しい運河を開発しており多額の資金調達が必要となっているから、貴族の権威が揺らぐと困ることになる。
クラストベルクは鉄鉱山を新たにふたつほど購入しており、大量の鉄をどこに回すかで調整に忙しい。これまた、国内の混乱は鉄の売れ行きに大きな影響をもたらす。
損得勘定である。
「……なるほど、私がジュエルザード王子殿下と通じていると、それが政治的な動きに見えるということですね?」
「そう。特に今はみんなやることがないからね。目立つのさ」
ヴィルカントベルク家やクラストベルク家と違ってキールのラーゲンベルク家は蓄財にいそしむことはあまりない。
どこまでいっても「王家のため」。
これが「忠誠のラーゲンベルク」と呼ばれるゆえんである。
もちろん、宝石鉱山と王都の商流をいくつか握っているのでまったく資金に困らないという理由もある。その資金をさらに増やそうとするのか、王家のために使おうとするのかの違いだ。
キールとしてはクラストベルク公爵令嬢がクラウンザード第1王子のそばにいるから自分がジュエルザード第3王子に会いに行っても問題ないだろうと思っていたところではあるので、彼女が家に戻されたというのは誤算だった。それほどまでに金が大事か。
「わかりました。お兄様に会いに行くのは控えます」
「そうしてくれるとありがたいね。……でも、すんなり受け入れたね? もうちょっと嫌がられると思ったのだけれど」
「お兄様には白騎獣騎士団の騎士たちがいます。それに……」
「それに?」
「……いえ、私の心配など必要ないでしょうから」
キールはジュエルザードから聞いた「次の手」が衝撃だったことを思い出していた。それを父にはまだ話していない。話したところでなにも変わらないし、飄々としている父が驚く顔を見てみたいと思ったからだ。
「そんなことはないだろう。キールは、自分がロイヤルスクールの1年生だからということを気にしているのかい? 王都の貴族でロイヤルスクール卒業生でない者などほとんどいないのだから、すでにキールは貴族の一員だよ」
「ありがとうございます。ですが、自分の未熟さは理解しております」
「……ふむ。ソーンマルクス=レックか」
突然父の口からソーマの名前が出てきてキールは驚いた。
今回のような王家や貴族の政治からは最も遠い存在だ。
「彼なのだろう、お前をそこまで成長させたのは」
「はい」
間髪入れずに答えたキールに、ラーゲンベルク公爵は——父は笑って、立ち上がった。
「まったく、こんな状況でなければお前の成長を素直に喜べるし、ソーンマルクスくんを我が家にも招待しようと思うのだけれどね」
「それはすばらしいアイディアですね。お母様も喜ばれるでしょう」
「そうだろう? お前に友だちができたのかどうかとずっと気を揉んでいたから……。そんなわけで、お前も顔を出してやりなさい」
「はい」
そうして父は去っていった。
キールは出されたお茶を飲みながら考える。
寮生活のロイヤルスクールで、初めてこれほど長く息子と離ればなれで暮らしたものだから母は寂しそうだった。母とは毎日顔を合わせているけれど、母の予定も吹っ飛んでしまって時間が余っているし、予定があったとしてもキールには「部屋に来なさい」と言う。まだ幼い妹もいるし、母としてはまだまだキールたちを手元に置いておきたいのかもしれない。
「ソーマくん、ですか……」
彼は今ごろなにをしているのだろうか。お休みに入っても黒鋼寮にいるのか、あるいは帰省しているのか、あるいは黒鋼クラスの友人宅にでも転がり込んでいるのか。
キールは公爵家令息としての務めがあるので王都のお屋敷に帰らざるを得なかったが、どうせお屋敷に缶詰にされるくらいなら、ソーマといっしょに遊びに行ったほうが有意義だったかもしれない——母は泣いて悲しむだろうけれど。
「……そうか、ロイヤルスクール」
ふと、キールは思いついた。
「キルトフリューグ様。どうなさいました?」
「紙とペンを用意してください」
執事に命じるとキールは自分のデスクへと向かった。
思いついた。今、この瞬間、自分にできること。
「手紙を書くので配達をお願いします」
「それは構いませんが……どなたに?」
執事が眉をひそめているのは、国王の病状を考えると、「三大公爵家」のキールが手紙を書くという行為がどんな波紋を起こすかわからないからだ。
「心配は無用です。ちゃんと理由がありますから」
キールはにこりと微笑んだ。
「ロイヤルスクールの学友たちに、勉強会の招待を送ろうかと思って。もちろん白騎クラスだけでなく他のクラスの方も……そう、黄槍クラス、緋剣クラス、碧盾クラス、それに蒼竜クラスの方にもね」
ナチュラルに黒鋼クラスを省いたのは、この王都の貴族街に黒鋼クラスのクラスメイトの実家がないことをキールは知っているからだ。
執事は、目を瞬かせたが、
「みんなきっと来ると思います。子どもが集まっての勉強会ですから、目くじらを立てる大人もいないでしょう?」
天使のような笑顔でキールは言った。