神殿の奥はヴェールに隠されていて
* カリエル=イクルミナス *
時はすこしさかのぼり——年が明けるという少し前のこと。
「すぴ————」
カリエル=イクルミナス。
それが彼の名だ。
どこか神秘を感じさせる名前である。それはそうだろう、「イクルミナス」にはこの世界におわす神々の祖である、「神の父」の「イクロス」から取られた名前だからだ。
つまるところ彼は、神殿の子である。
なんならクラッテンベルク王国でもいちばん偉い、王都大神殿の神殿長の息子である。
むちゃくちゃ偉いんである。
ミドルネームがないので貴族ではないが、生半可の貴族では勝てるわけもないくらい、偉い。
「ぐぉ〜〜〜すか〜〜〜〜〜」
そんなカリエルは爆睡していた。
天蓋付きのベッドは豪華で、ベッドフレームには金箔まで貼られている。
ピカピカに磨かれた黒い大理石の床は鏡のようで、広い部屋には凝ったテーブルとイスがどーんと置いてある。
荘厳なる神殿の奥に、ゴージャス極まりないこんな部屋があることを多くの国民は知らない。
「ぐぉ〜〜〜〜〜〜……ふごっ」
「起きてくださいませ、カリエル様」
「……んぐぉ〜〜〜〜」
「カリエル様。いい加減起きてくださらないと、私が叱られます」
「ふごっ」
肩を揺すぶられ彼は目が覚めた。
そこには神官服に身を包んだ若い男がいる。
「あー……今何時?」
「9時でございます。カリエル様」
「もう1時間は眠れるじゃん」
ばたーんと倒れたカリエルに、神官は額に手を当ててため息を吐く。
「……先ほどから神殿長を始めお兄様方もティールームでお待ちです」
「…………」
「お願いです、カリエル様。行きましょう」
「……今の聞いて行きたくなると思う?」
「ここはこらえて……」
長い長いため息を吐いてカリエルは起き上がると、さささっと着替えて部屋を出た。彼が着ている服もまた神官服だ。長いズボンに、ソックスはなしで靴を履く。上からすっぽりかぶるポンチョのような上着にはきらびやかな刺繍がなされている。
廊下を行く。横から差し出される櫛を使って髪型を整え、頭には神官の帽子を載せる。すれ違う人々が——みんな神官だ——恭しく頭を垂れる。
若い割りに少々太り気味のだらしない肉体を持つカリエルだが、「神殿長の息子」という肩書きがあれば誰しも道をあける。
ティールームへとやってくると——神殿の内部になぜお茶を楽しむ場が用意されているかについて疑問を持つような者はここにはいなかった——午前の柔らかな陽射しがガラス越しに降り注ぐそこには10人近い神官たちがいた。
「……来たか」
上座でいちばん偉そうにしているのが神殿長だ。年齢は、62歳。カリエルの年齢を考えると彼が40代半ばでカリエルが生まれたことになる。
「なにをしていたのだ。まさか寝ていたのか?」
神殿長の隣に座っているのが40を超えている男で、でっぷりしているが、これでもカリエルの兄である。
「お前が神官服を着るな。格が下がる」
「まあ、まあ、兄さん。こんな弟でも役に立つことはあります」
「ノーザングラス州で高位神官を探している神殿がありませんでした?」
口々に言っているのもまたカリエルの兄たちだ。
男ばかりの5人兄弟。
最大の年齢差は25という年の離れた兄弟だ。
「……はー、朝からクソみてぇな集まりか……」
耳をほじりながらぼやくカリエルに、兄のひとりが、
「なにか言ったか」
とにらみつけてくる。
「なんでもないっす。それで、俺もいたほうがいいんですか」
テーブルで唯一空いていた席につく。末席である。
父と兄弟たち、それ以外はこの王都大神殿の高位神官の老人たちが座っている。カリエルは自分が場違いだと思っているし、兄たちもそう思っているし、老人たちもそう思っている。
「当然だ。家族だからな」
神殿長である父だけは考えが違うので、カリエルはここにいなければならない。
ちなみに、女はここにいない。男尊女卑とかそういうわけではなく、カリエルの母はすでに亡くなっていて、母を深く愛していた父は後妻をとっていない。
そんな父は末っ子のカリエルを溺愛していた。
愛情がうざったくて、カリエルは神殿を一度出ているのだが、こうしてまた呼び戻されている。
「……全員揃ったところで、話を始める」
父はカリエルがお茶を飲み始めたのを見て、切り出した。
「今、王宮に起きていることは皆、知っているな?」
全員がうなずいた。いや、カリエルだけはお茶菓子を食べていた。起きたばかりでお腹が空いているのだから仕方がない。十代男子の食欲はすさまじいのである。
「貴族たちは腹の探り合いをしておる。血縁者はすべて邸に留めておるし、さらに遠方に出ていた者も呼び寄せているようだ」
「なんと……そこまでは知りませんでした。騎士たちはどうなっているのですか」
長男がたずねる。
「前線の騎士は戻っておらんが、近隣州に駐屯、もしくは視察などしていた者は切り上げて戻ってきておる」
「それはつまり……その時が近いということでしょうか」
「うむ」
神殿長は重々しくうなずいた。
「……国王陛下の病状が重篤であるということだ」
しん、と静まるティールーム。ずびび、と音を立ててお茶を飲んでしまったせいでカリエルは兄たちからすごい目でにらまれた。
「カリエル。お前も騎士の真似事をしていたのだからわかるであろう。ロイヤルスクールの騎士見習いたちも邸に留め置かれている。話を聞きに行くことはできるか?」
「え、俺っすか?」
「うむ」
カリエルは目を瞬かせる。
彼は確かに、この家を出ていた——つまり「王立学園騎士養成校」で騎士になるべく勉強していたのだ。
だが、卒業と同時に父は彼を神殿に引っ張り戻した。
ふつうならロイヤルスクールを卒業したら騎士団に配属される。本人が嫌がらない限りは、どこかしら受け入れ口がある——黒鋼士騎士団ならば誰でもウェルカムだから。
カリエルは騎士になることがイヤじゃなかったし、そもそも神殿に嫌気がさして出ていったというのに、なぜか学校を出るとそこには神殿が待っていた。
初めて「あ、親父ってすげえ(やべえ)んだ」と気がついた。
家出はもうおしまい、とでも言わんばかりの鮮やかな手腕で騎士見習いが神官見習いになってしまったのだ。
「剣を振り回す以外に使い道があるとは、父上のお考えはさすがと言わざるを得ません」
「たしかに。野蛮な騎士に話を聞くにはカリエルがふさわしい」
「いってこいカリエル」
「——いや、いやいやいや!」
カリエルは腰を浮かせた。勝手に話が進んでいる。
「なにが起きてんの!? それもわかんねえのに騎士時代の仲間に会ってこいって無茶言わないでくださいよ!」
「……お前、その口の利き方はなんだ。だからロイヤルスクールのような野蛮な学校に行かせたくなかったのだ」
長男が言うとみんなうなずいた。
ロイヤルスクールでは礼儀作法も学ぶのだが、武芸でガンガン行くタイプは礼儀作法を軽視する者も多い。
最終的に最前線で剣を振り回す騎士になるのであれば宮中儀礼などはまったく必要ないのだ。
「カリエルが言うのももっともだ。私たちがわかっている範囲で情報を共有しよう」
神殿長が言うと、兄たちは不服そうながらも口を挟まない。父は絶対なのだ。
「まず、今月に入ってすぐ国王陛下が倒れられた」
「——は?」
初手から、衝撃的な情報だった。頭をぶん殴られたような気持ちだった。
国王陛下は神殿長よりも10は若い。それなのに倒れた?
しかもその情報は発表されていない——少なくともカリエルは聞いていない。政務が滞ったという話も聞こえてこない。
もちろんカリエルが政治からほど遠いところにいるというのはあるだろうけれど、それでも大神殿の一員である。国王陛下が倒れたとか重要な情報が聞こえてこないことはおかしい。
「それは……隠されているのですか」
「そうだ。なぜかわかるか」
父の問いに、カリエルはすこし考えてから、
「考えられるのはふたつ。ひとつは後継者がはっきりと決まっていない今、国王陛下の治世が盤石でないと知れ渡ることは他国につけいる隙を与えてしまう。そしてもうひとつは……謀略ですか」
「そのとおり。私は、何者かによる攻撃の可能性もあると見ている」
「…………」
カリエルは、冬だというのに背筋に汗が流れるのを感じた。
聞きたくなかった。とんでもない機密情報だ。聞いてしまった以上、自分も他の貴族たち同様、王都から離れることができない。
(こういう面倒があるから神官になんてなりたくねーんだよ!)
内心でそう思っている。前線で剣を振り回しているほうが絶対楽しい。
「あれ? だけど神殿長、それって推測の域を出ないんですか? 陛下が重篤な病だったり、それこそ服毒だったりしたら神殿にある希少な秘薬を提供するもんでしょ? そのときに診察しますよね」
この国は、権力が大きく分けて3つに分かれている。
国王を頂点とする貴族派閥と、経済を握る大商会たちの派閥と、神殿長を頂点とする神殿派閥。神殿に関して言えば武力や実行力はないのだが、そこはそれ、神秘の力があるので権力が集まっていた。
希少な魔導触媒や薬品素材は必ず神殿に集まるし、魔力持ちの多くも神殿に集まる。ロイヤルスクールで「天稟」を確認するのに使う道具も神殿が貸与しているし、王都の貴族の子女はもちろん、一般市民に至るまで、生まれてすぐに王都大神殿で祝福を受ける。
国王が危篤になったりしたらまず確実に連絡が来る。
だから当然、カリエルは神殿長が国王を診察したものだと思っていた。
なのに神殿長は「私は、何者かによる攻撃の可能性もあると見ている」という、少々歯切れの悪い言い方をした。
神殿長が、である。
この神殿の頂点にして叡智の塊である神殿長が、である。
「……私は直接、陛下の容態を診察していない。典医が介入拒否権を発動した」
「なっ……!?」
驚いた。「なぜ」よりも前に驚きが来た。
なぜなら、
「神殿が毒を盛った可能性、もしくは神殿が毒を融通した可能性を疑われているのですか!?」
典医は国王専属の医者だ。彼が神殿長を遠ざけているのは神殿長が疑われているからに他ならない。
「おそらくはそうだ。だが、私だけであれば抗議するところだが、あらゆる高位貴族も面会謝絶となっている。無論、第1王子も、第3王子も」
「!!」
次期国王は第1王子が最有力と考えられており、今月ロイヤルスクールを卒業した第3王子がその次の可能性として見られている。
だが国王は、いまだ王太子を決めていない。
今、国王が倒れて——仮に崩御でもしたら、この国には大混乱がやってくる。
いったい誰が国王に毒など?
誰が得をするのか? 第3王子派閥に過激なタカ派が潜んでいるのか? あの、温厚そうなジュエルザード第3王子がタカ派をそばに置くとは思えないが——。
「カリエル」
「——は、はい」
考えに没頭しかけていたカリエルに、神殿長が声を掛ける。
「お前にしか収集できない情報もあると私は思っている。まさか、ロイヤルスクールに通わせていたことがこんなふうに活きるとは考えもしなかったが、お前は貴族の子女のネットワークを使って情報を集めてくれないか」
「承知しました」
カリエルは背筋を伸ばした。
理由を説明されれば納得できる。
カリエルはこうして、神官服を脱ぎ、腰に剣を差して神殿をふらりと出ていったのだった。
「——よろしかったのですか、神殿長」
カリエルだけでなく他の息子たちもいなくなったティールームには、神殿長と高位神官の老人たちしか残っていない。
「カリエル様を神職にするというのは、いささか反発も強かったことでございましょう。それなのに、ああしてまた、ロイヤルスクールのことを蒸し返すとは……」
「うむ、心配はもっともだが、私の考えはちょっと違う」
「違うとおっしゃいますと?」
神殿長が「我が子可愛さ」にカリエルを手元に置きたがっていると考えていた高位神官の老人は目を瞬かせた。
「私は最小限の情報しか渡さなかったというのに、カリエルはすぐに今神殿が置かれている状況と、国王陛下を害そうとした犯人について考えを巡らせた。これほどの聡明さは兄たちにはないのだ」
「そ、それは、確かに」
老人たちからすると「すでに知っていた」話だが、カリエルは今この瞬間聞かされて、しかも老人たちと同じ水準まで考えを巡らせることができていた。
確かに、他の兄たちはこれほどではなかった。
神殿長はイスから立ち上がり、窓際に立った。3階のこの部屋から見下ろすとちょうどカリエルがふらりと神殿を出て行くのが見えた。
その姿を見ると「もう帰ってこないのではないか」と不安な気持ちになるのだが、その一方で、先ほど見せた聡明さこそが彼が神殿にいるべき人材の証明でもあるような気がした。実のところカリエルは、神官にしては勤勉ではないし、怠惰だし、破天荒だが、それでも騎士よりずっと神官のほうが合っている《・・・・・》。本人はきっと、そうは思わないだろうけれど。
「私にはね、国王陛下のお気持ちを理解できるのだ」
神殿長はカリエルの背中を見つめながら言う。
「我が子は可愛い。だが、誰かひとりに家督を継がせねばならない……その瞬間が来なければいいのにと願っているのに、いつかやってきてしまう。その瞬間をすこしでも遠ざけようとし続けて、ここに至ってしまったのであろう。立太子しておくべきだったのは間違いないが……願わくは、国王陛下の思考が明瞭な状態で、王太子を決定していただきたいものだ」