いつだって当主はひとり
* アラン=ヌーヴェル *
引きも切らさぬ使徒希望者の申し込みに、友人であり役所勤めをしつつ事務手伝いをしてくれる仲間とてんてこまいになっていたのだが、2日も経つとやがて落ち着いてくる。
「ふう……とりあえず、おめでとうでいいのかな? 使徒の数は3倍だし、他流派で実力を認められていた剣士の使徒希望者も何人かいる。後継者問題に終止符を打てそうだね」
「…………」
「当主殿——アラン?」
友人として名前で呼ばれると、アランは顔を上げた。
雑然とした事務室には書類が散乱している。
「ああ、いや……。こんなことになるならもっと『剣匠戦』をやっておくべきだったとでも言いたいのか?」
「あっはっは。正直に言うと少しだけ思ったよ。でも『剣匠戦』は申し込まれないと成立しないからね。逆に『剣豪戦』に挑戦するというのもあるのではありませんか、当主殿?」
「冗談は止せ。剣匠であっても剣豪であっても剣の道を行くのに変わりはない」
「上は目指さないということ?」
「上も下もないということだ」
アランが言うと、友は肩をすくめておどけてみせた。「それはそれ、予算は予算だろ」とでも言いたげに。
「それじゃ、今日はそろそろ帰るよ」
「ああ、いつもほんとうにありがとう」
「いやいや、今後の『流水一刀流』の繁栄を願っているさ——」
と言って去ろうとして、ふと立ち止まると、
「そう言えば、剣聖様ってあの後なにも言ってこないのかい?」
「ん? ああ……そうだな。そちらは問題ない」
「そうか、そうか。まだまだこの流派には君の力が必要だからね」
安心した友が出て行くと、アランもふぅと一息吐いて事務室を出て——訓練場へと向かった。
太陽が沈むと一気に冷え込み、外は雪がちらついている。
訓練場内は死のように静まり返っていた。
ほとんど明かりのない中、アランは模擬剣を手に取ると、ひとり構えを取った。
「——ハッ!!」
剣を振るうと剣の周囲に水がまとわりつくような感触があり、振り切ると蒸気となって霧散する。
「流水一刀流」を突き詰めると、こういう剣になる。
アランの知る範囲では他の流派にもそれぞれ特徴があり、たとえば「剣匠戦」で対決した「雷火剣術」では剣を振ると火花が散った。10年以上前に見たことがある。
極意にまで到達した、あるいは到達しかかっている者にのみできること。
だというのに、ジャンはいともたやすく達成し、そして息子であるスヴェンも——。
(あの、才能のないスヴェンにそんなことが……)
剣を振りながら考える。
スヴェンはクラッテンベルク王国のロイヤルスクールに通うようになってからソーンマルクスという少年に師事したという。スヴェンの成長の度合いを見ればソーンマルクスが与えた影響は計り知れないものであることがわかる。
それなのになぜ、スヴェンは「流水一刀流」の極意に近づいていたのか?
(見ていたからだ)
幼いころよりずっと、この訓練場の片隅で、「流水一刀流」の稽古を見続けていた。
その経験はスヴェンの身体に染みついている。もはや本能のレベルで。
だからどれほどソーンマルクスの影響が大きかったとしても、スヴェンの剣の奥底には「流水一刀流」があった。
(私は、うれしいのか?)
水平に薙ぐような剣は速度をあまり感じないというのに、空間が切断されるほどの鋭さを持っている。
(バカな——私は、腹が立っているのだ)
感情は剣に乗る。
繰り出された突きは、荒々しい衝撃波を前方へと飛ばすと、訓練場の壁面を凹ませた。
(スヴェンの本質を見抜けなかった……他ならぬ私自身に!!)
振り下ろした剣は触れていないのに地面をえぐり、振り回される剣は水蒸気を飛ばし、周囲はうっすら靄が漂っている。
(才能がない者を手助けするのが剣術ではないのか!! 持たざる者の心の支えになるのが剣術ではないのか!! 我が子可愛さに、苦境から遠ざけ、親のフリをするのが「流水一刀流」の当主として、あるべき姿なのか!!)
ふぅ——と息を吐く。
スヴェンとジャンのふたりを相手取っても息ひとつ切らさなかったアランだが、今は荒く息を吐いている。額から汗が滴り、周囲の地面は荒れていた。
「……剣聖殿についていくべきであったか。この、不抜けた根性をたたき直すには……」
ついてこいと剣聖は言った。
あの誘いは、流派のことを考えれば受け入れられなかったが、心のどこかで喜んでいる自分もいた。「もっと強くなれる」という言葉は、この国の武芸者にとってなによりも魅力的に聞こえる。
「忘れろ……私はやはり、この流派でなすべきことをなさねば」
アランは剣聖が去り際に言った言葉を思い返す。
最後の最後で「抜刀一閃」をソーマは繰り出した。剣聖は勝利宣言などすることもなく、アランに話しかけた。
——この少年の剣を見たか。おそらくスキルレベル400、ふたつめのエクストラスキルだ。
最後に放ったソーンマルクスの剣は、アランは間違いなく剣聖に届いたと思った。むしろ剣聖の身体を心配したほどだ。
回避したのは、剣聖のスキルだ。
だから剣聖の勝利であることは間違いない。
だが、剣聖は、
——おい、アランよ。まさかこの私が、子ども相手に、スキルを使って勝利して喜ぶ大人だとでも思ったか。
剣聖はまったく納得していなかった。完全勝利でなければならない——というか経験と年齢差を考えれば完全勝利に決まっていると剣聖は考えていたのだ。
——では勝負はソーンマルクスくんの勝利だと?
——バカを申すな。そこで子どもはぶっ倒れ、剣は私に届かなかった。どう見ても私の勝ちであろうが。
どう見ても「子ども相手に、スキルを使って勝利して喜ぶ大人」にしか見えない。
——こやつは異常だ。私の見たところ、他にもスキルを駆使している。つまり、少なくともスキルレベルは700を超えているであろうな。
——まさか。ソーンマルクスくんはスヴェンと同じ……13歳か14歳ですよ。
——天才とはいるものだ。末恐ろしいな。それに最後のアレは——。
言いかけて、剣聖は首を横に振った。
——アランよ。こやつを逃すなよ。逃すようであれば私がもらおう。
驚くアランを尻目に、剣聖は去っていったのだった。
「私がもらおう」というのはそのものずばり、剣聖の流派に入れようということだろう。
ソーンマルクスが、剣聖に見いだされたのだ。
この国では常識だが、剣聖の流派は使徒が数人しかいない。それほどまでに剣聖は使徒を取らないことで有名なのだ。
そんな剣聖が、少年を——しかも王国の騎士見習いを使徒にすると言い出したら、帝国が揺らぐほどの衝撃を与えるだろう。
「逃すなと言われてもな……」
ソーンマルクスは息子の師匠であり、クラッテンベルクの騎士見習い。
今からどうこうするなんてことはできない。
それは剣聖とて同じ……同じだよな? 王国に無理を通して無理やり使徒にしたりしないよな?
不安になるアランである。
「……しかし『最後のアレ』か」
剣聖が言ったのは、ソーンマルクスが放ったエクストラスキルのことだろう。あの剣筋はアランの目にもほとんど見えなかった——真剣勝負で相手が繰り出してきたら、勘でかわすしかない。惜しむらくは予備動作で発動がバレバレだということで、それはソーンマルクスの実戦経験が足りていないせいだろう。もしさりげなく、ノーモーションであれを撃たれたらアランはかわせない。ぎりぎり剣で打ち合えるかどうかだ。
とはいえ、そういう「強スキル」はレベルの高いエクストラスキルには存在しているので驚くほどではない。
剣聖が言いたかったのはあの剣が——ソーンマルクスの剣が、似ているということだ。
この国の民ならば誰でも知っている石像がある。
クラッテンベルク国境にも設置されているが、同じ石像が国内数多くの場所にある。
帝国最強の剣士。
歴史上ただひとり「剣帝」を名乗ることが許された者。存在は謎に包まれており、強さだけが伝説のように伝わっていた。
ゆったりとした服を着て、腰にひとふりの剣を下げただけであったという。
その剣は直剣だったが、歴史家には剣が湾曲していたと言う者もある。
「まさかな」
剣聖はソーンマルクスの戦い方を「剣帝」のそれと重ねたのかもしれない。だがアランから見るとソーンマルクスの剣はあまり実用に向いていない。というより本人の実戦経験が足りない——なんだかジャングルでのサバイバルをしてきた男のような、粗野だが、ピュアなものを感じるのだった。剣の道の先にあるはずの「剣帝」とは相容れないと感じた。