実力差
「王国の名を出したか。であればお前も剣を抜け——格の違いを思い知らせてやろう」
「イヤですけど」
「……なに?」
「俺みたいな子ども相手に『格の違い』とか恥ずかしくないんですか? そもそもあなたの振る舞いがわけわからないから指摘しにきたんですよ。アランさん、こんなのに構う必要はないです。大体今日、『剣匠戦』があって疲れてるでしょ?」
「え? いや、ソーンマルクスくん、この方は剣聖で……」
「ふざけるなァッ!!」
その声で俺は身体が吹っ飛ぶかと思った。実際、訓練場の外にいた使徒の数人は尻餅をついている。
俺はぎりぎりで踏みとどまったけど、耳がキーンとする。
「剣を抜いた私をここまでコケにするとは……アランよ、考えたな? 子どもを盾にすれば私が引くと?」
「え!? 剣聖殿、それは誤解です!」
「そうっすよ。これは俺が勝手にやってること」
あっぶねえ。声だけでおしっこちびるかと思った。
でも、あとちょっとだ。あとちょっとでコッチのペースに持って行ける。
さすがに剣と剣で戦うほど俺もバカじゃない。
スヴェンパパのすごさだって底知れないのに、その上を行く剣聖と正面から戦うなんてあり得ない。
「……あ、それじゃこういうのはどうですか? 剣を使っての勝負なんて勝敗が見えすぎてますけど、剣聖様は剣を使わないで、俺は剣を使って、剣聖様の服とか身体の一部に剣がかすりでもしたら俺の勝利。制限時間は10分」
「……バカな。それでお前が勝てるとでも?」
「あ、すみません。10分は長すぎましたよね。さっき剣聖様が言ったみたいに1分にしましょうね」
「違う!! お前の剣が、私の身体に触れるなど不可能だと言っている!!」
「できると思うけどなぁ〜」
「不可能だ!!」
「それなら、やってみましょうよ。もしできなかったら剣聖様の偉大さを、王国に戻ってから広めますから。俺がここで土下座するよりもはるかにメリットがあるでしょ?」
そう提案すると、
「…………」
剣聖はふと黙り込んだ。
おや、これは行けるのでは……?
「剣聖様だけでなく帝国の偉大さも広めます!」
「ふむ……。皇帝陛下の偉大さを広める、ということか」
「そうです! 陛下は拝謁したこともないので皇子殿下しか存じませんが!」
「悪くないな。見習いとは言えお前も王国騎士。連中に皇族の偉大さを広めるのは……」
くっくっく。かかったな。
こういう意固地理不尽お化けだって柔らかくなる瞬間がある。それは尊敬している人物を持ってくることで引き出せる。
「決まりですね」
俺はさっさと話をまとめた——スヴェンパパは混乱してきょろきょろしているし、スヴェンは無表情だけどおどおどしているし、ジャンはずっと呆けた顔だったけども——とにかく。
剣と剣で戦うことだけは回避した。
さ、剣聖サマ、早くその物騒な武器をしまって。しまって。
こんなことする意味あるのかって言われれば、ある。
わけわからん理由で「流水一刀流」をつぶすとか、スヴェンパパが連れ去られるみたいな展開は避けられた。まぁ小賢しく話を逸らしたとも言える。
ていうか、ガチで人間を瞬殺できるような人を相手に剣を結ぶなんて絶対やっちゃダメ。俺は命の危険を避けたのだ。
いやマジで同じ人類なのかわからんってくらい——別格。
ほんとはスキルレベルを確認したかったけど、そんなことやれる隙なんてない。
(で、そんな人と向き合ってるってわけだ)
俺は訓練場の中央で剣聖と向き合っていた。約束通り向こうは素手。さっき引っこ抜いてた物騒な得物は鞘にしまってある。いやほんと、あの剣、今まで何人の血を吸ってきたんだよってくらい禍々しかったぜ……。
正直言えば、学園の北で「森の死神」とも「見かけたら村を捨てて逃げろ」とも言われるレッドアームベアに遭遇したときにはビシバシ死の危険を感じたものだけど——あれ以上だ。
剣聖はヤバい。
この人に「人間的な理性がある」という前提があるから俺は今ここで立っていられるけど、この人が「野生の動物です」って言われたら俺は逃げる。全力で逃げる。それくらいの相手だ。
「いつでもいいぞ。確か、制限時間は1時間だったかな?」
ほぉ……? お茶目なところもあるじゃないか。
「1分ですよ」
「バカを言え。子ども相手に1分で戦ったとあれば笑われるわ。1時間だ」
「おじいちゃん、もう忘れちゃったんですか? 10分ですよ」
「…………」
ピキッ、と空気がひび割れたような感触さえあった。
こえ〜。
この人がにらんだだけでこの緊張感よ。
遠くにいるジャンがハラハラしているし、スヴェンは無表情だけどなんかキラキラした目をしているし——いやわかってるかお前、剣聖が剣を抜いてたらマジで俺は死ぬんだぞ。
「ソーンマルクスくん……君は、死にたいのか」
審判役のスヴェンパパが呆れている。
「アラン。私がこんな子どもを殺すような人間だと思っているのか」
「言葉の綾です、剣聖殿」
「さっさとやろうぜ」
「ソーンマルクスくん!」
ぎょっとした顔でスヴェンパパが見てくるが、
「ふん……生意気な子どもを演じて、私に侮らせようとしても無駄だぞ。まともな子どもならとっくに泣いて逃げ出すか、失神しておるわ」
剣聖が偉そうに言うけど、なまはげみたいなもんじゃんそれ。歩くだけで子どもが逃げていっちゃうよ。
(しっかしまぁ……)
ふー、と息を吐く。
軽口でも叩いてないと、足がすくむわ。
スヴェンパパが離れていって、3メートルくらいの距離で向き合うと、剣聖がだんだん大きく……巨人のように見え始める。
気持ちで負けたら絶対に剣なんて当たらない。
間違いなく、俺が生きてきて見た中で最強のヒト種族。いや、ヒト種族だよね? 中身サイボーグとかないよね?
「準備はいいかね? 制限時間は30分だ」
「1時間!」
「いやですねえ、おじいちゃん。朝ご飯はもう食べましたよ」
「ボケ老人ではないわ、たわけ」
「間をとって30分にしてくれたんでしょ、剣匠殿は。その意図くらい汲んであげましょうよ」
「む……お前は突然大人のようなことを言うのだな」
「まー、そうっすね」
にっこり笑うと、「む?」と剣聖が不思議そうな顔をする。
「両者、始め!」
その瞬間、俺はダッシュした。
剣を抜くよりも前に剣聖の懐に飛び込む。
「!?」
ぬるりと、その姿はしんきろうのように消えた。
「なるほど、それで私に触れようという算段か」
「…………」
「虚を突くのは悪くないが、剣を抜くのが遅いなどということはあるまい? 失望させるなよ」
やべえな、なんだ今の動き。足跡も踏ん張りもなにもなかった。それなのに高速で動いて、俺の視界から消えた。
スキルレベルいくつあるんだろ。たぶん、エクストラスキルじゃない。エクストラボーナスを積み重ねて基礎的な身体能力をアップしたからこそできる技だ。
(いやぁ……これは勉強しがいがあるな)
俺はちらりとスヴェンを見やる。
(見とけよ、スヴェン。剣を極めた人の動き、徹底的に探り出してやるから)
師匠と弟子の、エクストラレッスンの開幕だ。
「む」
俺は剣を抜いて構えた。
「最初からそうしていればいいというのに。ふむ、しかしそれは通常の剣ではないのか——」
問答無用で俺は剣聖目がけて「一閃」を放った。俺のは【刀剣術】のエクストラスキルだけど、【剣術】の「斬撃」と同じ軌道を描く。
ふつうならば盾で防ぐ。上級者なら剣で散らす。素早さに自信があるなら身をひねってかわす。
さあ、どうする剣聖サマ——。
「カァッ!!」
そのどれでもなかった。
剣聖が気合いの入った喝を飛ばすと、斬撃が消えたのだ。
え、声? 声だけで斬撃って消えちゃうの?
よく見ると剣聖の足元半径1メートルの範囲で小石が消えている。その短い距離に限定して喝を入れるなんてことができるの?
ヤバない?
すでに人間の域を超えてない?
「どうした? そんな初歩だけで終わりとはまさか言うまい?」
「!?」
見えなかった。
剣聖は俺が瞬きする一瞬で距離を詰めて、手どころか肘さえ当たりそうな目と鼻の先にいたのだ。
そしてその姿は巨大に見え——錯覚だと理解していても、雲を突く大男のように見えた。
「……そりゃぁ初歩っすよ。俺の打ち手は108式までありますから」
冷や汗が噴き出すのを抑えるために俺はわざと軽口を叩く。
四天宝寺の石田先輩、俺にテニヌの力を貸してくれェ……!
「108式?」
剣聖がキョトンとした瞬間に俺は剣を振った。
もちろん空振りする。いや、この距離で? 一瞬で2メートルくらい後ろに跳んだんだが。
だけど、そういうテクニックは俺もできるんだよ。
踏み込む瞬間にスキル「生命の躍動」を発動して肉体を活性化。矢のように飛び出した俺の突きを、剣聖は高々とジャンプしてかわす。
そして俺の背後、死角に入る——のだが。
(逃がすかよ!)
スキル「空間把握」によって剣聖の位置ははっきりわかる。
ナメてんのよ、俺を。
だってほぼ真後ろ、「わたしメリーさん。今あなたの後ろにいるの」っていうくらい真後ろに着地しようとしてんのよ。
「おらァッ!」
剣は突きを放った状態。
だから俺はその態勢のまま後ろ蹴りを放った。
「!」
これには剣聖も少々驚いたらしい。だけど身体は落ちてくる途中。これは当たる——と思った瞬間、
「!?」
俺の「空間把握」がわけのわからない情報をもたらした。
剣聖の位置が真横にずれたのだ。
つまり、空中のなにかを蹴ったらしい。
なんだよそれ、そんなスキルがあるのかよ?
「よく私の位置がわかったな? 勘がよいのか? それともエクストラスキル——」
「くそっ」
着地した剣聖へ向かって俺は駈け出す。
だけれどそこからは全然ダメだった。剣聖は完全に油断しなくなったのだ。ジャンプするのを止め、ふつうに横っ飛びに跳んで逃げる。
あの歩行だよ。
わけがわからん。
力を入れているふうもないのに、とんでもない速度で移動ができる。
踏み込みも軽いのは、地面がえぐれていないことからもわかる。
スヴェンパパが「剣匠戦」で見せた剣は、ハチャメチャにゴリゴリの踏み込みと、強烈なスイングだったから、それとはまったく違う流派だ。
(やっべぇな……)
さすが国の頂点。
向こうは剣を抜いていないってのに、ここまで当たらないとは思わなかった。
俺はなんだかんだ、「一撃当てる」くらいはできると甘く見ていたかもしれない。
それがこのザマだ。
(ありがてぇ……。なあ、スヴェン)
怒ってるの? というくらいすごい顔で凝視しているスヴェン。
見てるか。
これが国の頂点だぞ。
お前が目指す剣の先には、こういうバケモノがいるんだぞ。
いつしか訓練場だけでなく敷地の外も静まり返っている。俺と剣聖の鬼ごっこに気づいたのだろうか。
だけれど、このゲームは長くは続かない。
「はぁ、はぁっ、はぁ、はぁっ……」
身体中から汗が噴き出て——これは冷や汗じゃなく、本物の汗だ——俺の腕はだんだん上がらなくなる。かれこれ20分もの間、「生命の躍動」を発動し続けているのもあって体力の消耗が激しいのだ。
「剣が鈍っているぞ……」
剣聖は不機嫌そうに言う。
剣が鈍った途端にこれだ。
とことん「剣」なんだな、この人は。
わかってるよ。俺だって。息も上がって剣の振りもかなり微妙になってるもんな。
「ふぅ——」
俺は剣を鞘に戻した。それを見たスヴェンパパが、
「……ソーンマルクスくん、降参かね? 時間はまだ10分ほどはあるが」
「いや、まだっすね。もうちょいスピード上がるんで」
俺はスヴェンパパに答えながら上着を脱いで、ついでにブーツも脱いだ。
両手をグーパーして、よし、いいだろう。
「行きます——よっと」
「!」
俺の爆発的なスタートに剣聖は一瞬目を開いたが、それだけだった。
かき消えるようなステップに、およそ2割スピードアップした俺であっても触れることはできない。
「その程度か。所詮は、子ども。仕上がらぬ肉体か」
「マジでその言い方止めてもらえます!? ムカつくんすよ!」
やべえ、なんだよこのバケモノは。
俺、スピードには自信があったんだが。もちろんレッドアームベアみたいな体力お化けとマラソンするのとは違って、短時間の一発勝負なら、タッチするくらいはできると思っていた。
触れない。まったく。
惜しい、とすら思えない。
向こうは俺の出方を見て、それから動くのでも十分間に合っている。
それくらいの地力の差がある。
俺は【刀剣術】がレベル400を超えているから「瞬発力+1」に加えて「瞬発力+2」まである。剣聖はおそらく【双剣術】で、エクストラボーナスで「瞬発力」がプラスされているはずだ。
この人、もしかして、レベル600の「瞬発力+3」持ちか? あるいはレベル800の「瞬発力+4」とか?
見てぇ〜! レベル見てぇよ!
「相手を見誤ったとしか言えんな」
…………。
汗だくで肩で息をしている俺に対して、まったく息を切らした様子もない剣聖。
なるほど。
なるほどねぇ。
こちとら、負けたところで失うものはない。勝ったところで得るものもない。スヴェンパパが取り上げられるって流れをうやむやにできたから。
だからまぁ適当なところで負けるのもやむなし。
スヴェンのいい勉強になればいいかってくらいにしか思っていなかった。
だけどまぁ。
「……いや、ほんと、俺のムカつきポイントをよくわかってますね。その上からの、ずっとずっと上からの目線とかね」
「人は地べたを這うアリを気にしては歩かぬ」
「へー」
そうかい。
それならちょっとこっちを見てもらおうか。