果たされない約束をしよう
とはいえ、俺だって魔法に詳しいわけじゃない。
身体の中にある謎のエネルギーに意識を集中すること。
そしてそれが指先から出ていくイメージ……。
これを実際にやってみせると、むむむとテムズは唸りだした。まるでお腹が痛くなってトイレを我慢しているみたいで——いや、失礼な言い方じゃなくて実際そう見えたんだよ。
「こ、こうか……?」
するとテムズが俺の手を握りしめた——うっすらと、確かに、ぬるりとしたものを感じる。
「え……え? マジ? もうできたの? は!?」
ウソだろ!? 一瞬かよ!?
俺だって何年も【魔導】を育てた結果、ようやく手がかりを得てできるようになったってのに……。
天才ずりーわ。いや、これは天稟のおかげか?
「ふうー……これで、いいのかな……。今まで使ったことのない筋肉を動かしたような気持ちだよ」
テムズはイスにぐったりともたれて動けない。
「すげーよ、テムズ。これを磨けばさっき俺がやったみたいなことができるようになる。それは魔法を使えるっていうなによりの証拠になるはずだ。弟子入りだってできるだろ」
「……ありがとう、ソーマ」
「なに言ってんだよ。一発でできたのはお前の力だ」
「そうではなくて」
テムズは息も絶え絶えだというのに、これだけは言わなければいけないというように——一言一句はっきりと間違えないように、ゆっくりと話した。
「魔法を使えるってこと……教える必要もないのに、教えてくれた。天稟のこともそうだ。君は教えてくれた。なんの後ろ盾もなく、ただの騎士学校の生徒で、ありふれた天稟しか持っていなかった僕に話してくた。どうしてだい……?」
前髪で隠れた瞳にちらりと見えたのは、疑念……いや、恐れや戸惑い、かもしれない。
ふう、と俺は息を吐いた。
「そりゃお前。子どもが泣いてたら手を差し伸べるだろ。そのとき見返りとか、自分が損をするとか、そういうつまんねーこと考えないってだけで」
俺は思わず——テムズが口にした「本音」みたいなものに気圧されて、前世の経験をもとに話してしまった。
でもテムズは不自然さに気づいたふうでもなかった。
「そうか……君は他人の苦しみに寄り添える人なんだね」
そんなたいした人間じゃないと思う。
だってさ、騎士を目指しているのだって、前世でしくじったから今世では安定的に高収入を得たいっていう理由だけなんだぜ?
でも今、そんなふうに言えなかった。
テムズの両目から涙がこぼれたからだ。
「僕らはずっと苦しかった……どこまでがんばっても天稟が平凡だったら大成できないと思っていた。……君は、自分がしたことを正確に理解しているかい? 僕と、リッカの人生を救ったのだ」
人生を変えてしまったかもしれない、とは思った。
でも、
「……『救った』ってのは違うよ。テムズもリッカも、もともとそういう天稟を持っていたんだから」
俺はその発見を手伝ったに過ぎない。さらに言えば、発見したのはピンキノさんだ。
「いいや、ソーマは僕の天稟が間違っていると知る前に、自分の天稟を教えてくれたではないか」
「それは……」
「君の天稟はとても有用で、隠す必要のあるものだ。だというのに君はそれを披露してくれた。さらには【魔導】を伸ばす方法まで……。ここまでしてくれた人に対して、恩を感じないほど不義理ではないつもりだ。なあ、ソーマ……僕らはいったいどうやって君に恩を返したらいい?」
「恩なんて」
要らない、と言いたかった。心からそう思っていたし。
でもそれを言ってはいけない。
要らないと言ってしまえばテムズを悩ませるだけだともわかっていた。「後は自分で考えろ」と言うのとなにも変わらないのだ。それってなにより冷たいよな。
「……それならさ」
だから俺はこう言った。
「いつか俺が困ってたら、助けてくれよ。それでチャラってことで」
ウェストライン騎士養成校で首席とナンバーツーを取る兄妹が味方になってくれるなんて、めっちゃ心強いもんな?
「…………」
「いいだろ、それで? もう泣くなよテムズ。泣く暇があったら【魔導】の練習をしたほうがいいぞ」
「……かなわないな、君には」
ゆっくりと身体を戻したテムズは、ハンカチを取り出して目元を拭った。
「……約束するよ、ソーマ」
そして俺の目を見て言ったのだ。
「僕ら兄妹は、今よりもっと強くなる。そして君がピンチのときには必ず助けに駈けつける……この約束は、何年経っても有効だから」
「ああ。わかった」
差し出された右手を握って返した。
小さい手だと思った。テムズは武技にはほんとうに向いていないのだ。
でも飽くなき好奇心と、挑戦する心をもったテムズは、きっと魔法使いの世界で成功するんじゃないかと——俺は思った。
「だけどな、テムズ。俺がピンチになることを期待するんじゃないぞ?」
「はははは。この約束は、果たされないに越したことはないのだね」
言葉遣いは大人っぽいテムズだけれど、今こうして笑った彼は、年齢相応の幼さだった。
「——ソーマくん! 大変!」
部屋で再度魔力を練る練習を始めたテムズと俺のところに飛び込んで来たのは、さっき出て行ったはずのリッカだった。
「ん? どうした? 訓練場に行ったにしては戻るの早くない?」
「途中で帰ってきたの! もう話題になってるのよ!『流水一刀流』に剣聖様が来てるんだって!!」
なんだって? 剣聖ってことは、この国の剣のトップか。
「『剣匠戦』のねぎらいにでも来てるのか?」
「それが違うの! 剣聖様の前で、当主の代替わりを発表してるのよ!」
「ほぉ」
なるほど。偉い人に証人になってもらって……みたいなことかな?
「なんでそんなに平然としてるの!?」
「え、いや、だってジャンさんに代替わりするってことでしょ? 順当な気がするけど」
「そうかもしれないけど、そうじゃないかもしれないの!」
「?」
リッカはもどかしそうに声を上げた。
「奥義を使えるスヴェンも候補のひとりなんだって!!」
いや、それはさすがに……。
え、マジで?