勝負の剣は一流で
* アラン=ヌーヴェル *
この「剣匠戦」が始まる直前においてもなお、アランは落ち着いていた。
不安はずっとあった。
無縛流派の流行に、減っていく使徒。前線での戦いは熾烈を極めるがなかなか後継者は育たない——ジャンが最有力候補だったが、どこか頼りないところがあるとアランは思っていた。
そんなさなか戻ってきた息子スヴェン。
スヴェンの成長に驚いたアランだったが、
(このままスヴェンを剣の道に進ませるわけには……)
どうしても息子を自分と同じ道に行かせたくはなかった。
それほどに、前線での戦い——「雪と氷の王国」との戦いは厳しいものだった。
毎年何十何百という兵士が帰らぬ人となり、腕の立つ武芸者であっても寒さで腕をなくし足をなくし武の道をあきらめざるを得なくなる。
厳しさは毎年増しているようで、被害は徐々に拡大していた——それを知っているのは前線に立つ者だけだ。そして彼ら、剣匠を始めそれ以上の位を持つ流派は、けして弱音を吐かない。いわば我慢のチキンレースのようなものかもしれなかった。
この帝都にいればその現実を知ることはない。
ただもたらされる戦果という甘い果実に酔うだけでいい。
だから、イザベルとの離婚を承諾した。「流水一刀流」から離れればせめて子どもたちは命を賭した戦いに身を投じる必要はなくなる。
イザベルは自ら離婚を切り出したのだが、彼女は最後まで、離婚しない道を模索していたようにアランには感じられた。「家族」でいることの大切さを知っているからだ。父と母のいる家庭で育ち、ひとり行商人として国中を歩いた彼女は、遠く離れていても「家族」ならば心がつながっていられることを知っている。
『——以上を心得た上で、すばらしき勝負を見せよ』
でもアランは「家族」よりも「生命」を優先すべきだと信じていた。スヴェンが——才能のない息子が「流水一刀流」で研鑽を積めば、そこそこの剣士にはなるかもしれない。だけれど剣匠流派に課される使命において、前線での戦いに向かえば間違いなく死ぬ。
ならば「家族」でいられなくなっても「生命」をつないだほうがいい。
『両者構え』
恨まれても。
嫌われても。
たとえもう「父」と呼んでくれなくとも。
それがアランの決断だった。
『では尋常に……』
アランは試合場の中央に立っていた。「帝都武芸ホール」での試合はいつぶりだろうか。手にした模擬剣は重いが、軽い。
これは命のやりとりを前提とした戦いではないのだ。
そう思うと——なぜだか。
腹が立った。
この戦いのなんたる軽さ。
そして見せ物となっている自分。
腹が立たないわけがない。最前線での苦しい戦いを思うと、これはなんだと言いたくなる。
アランは無意識に、本気で戦うときの構えをしていた。
『始めッ』
もはや対戦相手を見ていなかった。
見るべきは「雷火剣術」の当主ではない——見るべきは「家族」であり、つないだ「生命」であるべきだ。
「キエエエエエエエッ!!」
一度の踏み込みで足元の土が爆発し、アランの身体は前方へと突き進む。射出された弾丸のような早さに、対戦相手のフレデリックは目を剥いた。
流れるようなアランの手の動きは、達人が悠久の年月を掛けて到達する熟練のそれだった。
数万という観客が集まっている「帝都武芸ホール」だが、ここにいる者のうち、このアランの剣を見たことがあるのは10人にも満たないだろう。
なぜなら、最前線でしか見せない剣だからだ。
ほとばしった。
剣が、光のごとく。
まるで剣に水がまとわりついたかのように、濡れたように見えた。だがその剣速は常人が目では追えないほどの早さ。
フレデリックは危機を察知し、攻防一体の構えを止め、両手に持った2本の剣でこれを防御しようとする。
「!?」
一瞬で防御の剣が折れると、アランの剣がフレデリックの脇腹にめり込む。振り抜かれる力のまま、そのマッチョな長身は真横に吹っ飛んで地面を転がった。
それは「流水一刀流」奥義——「水影斬」。
アランが頑なに、ジャンにさえも見せなかったこの剣は、戦いのための剣であり、練習や、見せ物のための剣ではなかった。
静まり返っていた。
これほどの人が集まっているというのに誰も一言もしゃべれなかった。
間近で見ていたジャンは、まさに目を見開いていた。
存在したのだ——流派の奥義は。
倒れたまま動かないフレデリックのもとへ使徒たちが駈け寄っていく。そしてあわてて医者を呼ぶ。泡を噴いて気絶しているフレデリックは戦闘続行が不可能だった。
『——勝者、「流水一刀流」』
アナウンスが流れると、爆発的な歓声が暴風のように吹き荒れたのだった。
* 剣聖 *
「けっ、剣聖様、こ、こんなところにおられましたか」
「うむ。ここからの眺めはなかなかよい」
帝都の時計塔、その屋上にある狭いスペースにいたのはこの国の剣のトップである剣聖だった。
長い長い階段を上ってきてひぃひぃ言っている流派の秘書は、時計塔から見晴らせる帝都の絶景よりも自分の心拍数のほうが気になるだろう。若い男であるこの秘書は、武芸をやらず、書類仕事に邁進してきたのでこの有様だった。
「ふぅ、ふぅ……セルジュ皇子殿下は無事に宮中にお戻りです……」
「そうか。ま、近衛騎士隊が固めていれば無事は保障されたようなものだがな」
剣聖は淡々としている。この帝都に異変など起きるはずがないと確信しているかのように。
「……ふう。それで、昨日の侵入者ですが、結局何者かもわからずに自害されました」
それは「帝都武芸ホール」に忍び込んでいた者のことだった。
剣聖は小さく笑う。
「……剣聖様?」
「自害? 口封じだろうが」
秘書は答えない。結論はそうだろうと思っているが、確たる証拠がないので断言はできないのだ。
「しかし……奇妙な話もあったものだな」
「奇妙、ですか」
「侵入者の身体にあったのは矢によるダメージと、剣によるものもあったのだろう? しかし『流水一刀流』の剣士は、治安当局の捜査官を連れてきたのでその者が戦ったのではない」
「ジャンですね。それはまぁ……そうですね」
「弓は弓聖の手の者だとして」
「…………」
秘書は答えない。結論はそうだろうと思っているが、確たる証拠がないので断言はできないのだ。大事なことなので二度思うのである。
「侵入者に一撃を食らわせた剣士は何者だ? 無縛流派やそこに肩入れしている貴族がいくらボンクラとはいっても、こういう裏工作をさせる者はよほどの強者だろう。『流水一刀流』に、そんな強者と渡り合えるほどの者がいたか?」
「さあ……わかりませんね。私としては『流水一刀流』のジャンが、どのようにして襲撃を察知したのかが気になりますが」
「無縛流派とて一枚岩ではない。何者かがタレ込んだのだろう」
それは思いっきりハズレだった。
剣聖とは言え、無縛流派の企みを見抜き、侵入者と戦ったのが他国の騎士見習いだとは到底思わない。
「まあ、そうでしょうね」
秘書もうなずいたが、ハズレだった。
「剣聖様は……『剣匠戦』の結果をおたずねにならないのですね」
「聞かずともわかる。『流水一刀流』が負けるはずがない」
「それは……はい、圧勝でした」
「アランは一刀流の使い手の中でもこの国で2番目か3番目の実力者よ。それが剣匠でもない流派にやすやすとやられるわけがないわ」
「……剣聖様、楽しそうですね」
「む、そうか? いや、なに……アランの剣は地味での。アレが、『帝都武芸ホール』でお披露目になったというのはなかなかに面白くての」
「地味ですか? なんとかっていう奥義はすごかったですが」
ぴたり、と剣聖の動きが止まった。
「え。奥義使ったの?」
「はい。奥義だともっぱらの評判です。ご覧になったセルジュ殿下も大変なお喜びだったとか」
「ワシも見たことがないのに?」
「え。見たことがないんですか? 剣聖様が? じゃあ、『剣匠戦』を見に来たらよろしかったのに……」
「そんなのずるいだろ! 最前線でも使わないんだぞ、アイツは! もったいぶってるだかなんなんだか知らんが!」
「水みたいな剣でしたし、北方で使ったら凍るからでは?」
「ああ、なるほど……」
剣聖はうなずいてから、
「なるほどなぁ……『剣匠戦』行けばよかったなぁ……」
最初にカッコつけて帝都を見下ろして黄昏れていたのはどこへやら、哀愁を漂わせるのだった。
「!」
次の瞬間、剣聖はぽんと手を打った。
「それなら見に行けばよい」