そして「剣匠戦」の朝が来る
* 帝都武芸ホール外周 *
その人物は、帝都武芸ホールを遠目に見ることができる建物の陰にいた。雪は先ほどから止んでいたが、敷き詰められた粉雪があらゆる音を吸っており、静かだった。影に潜む人物を雪明かりがほんのりと照らし出している。
小柄だった。フードを目深にかぶっており、表情はうかがい知れない。背中には短弓を背負っているが、地味な色合いなので暗がりではほとんど見えないだろう。
「…………」
帝都武芸ホールの鎧戸を開いて、ひとりの少年が出てきた。黒髪で短髪という、この国ではほとんど見ることのない特徴の少年である。
「……ソーンマルクス=レック。クラッテンベルク王立学園騎士養成校黒鋼クラス1年、平民」
声は、少女のものだった。
「王国が喧伝する『栄光の世代』筆頭である、キルトフリューグ=ソーディア=ラーゲンベルクを押さえて座学でトップ。結果として我が国内では『栄光の世代』などは『まやかし』だとする意見が主流に。そのような『まやかし』に頼らねばならないほど王国の国力が衰退しているのではないかと強気の推測を語る貴族もいる……」
少年——ソーンマルクスは鎧戸を丁寧に閉じると、きょろきょろと周囲を見てから——走り出した。その速度はすさまじく早く、身のこなしも軽やかだ。
「……アレが、座学トップ?」
少女は首をかしげる。
事前情報では「スキルレベルが低く、武技はまったくできない」という話だった。むしろスヴェン=ヌーヴェルがキルトフリューグに続いて2位という順位で武技個人戦を終えて、「さすがは『剣匠流水一刀流』当主の息子」と、帝国貴族間では話されていたほどである。
父のアランですらキャッチできていない情報が、貴族には伝わっていたりする。
それはともかくソーンマルクスはノーマークだった。
「……あの戦いぶり」
侵入者は貴族の手の者であろうと思われ、たかだか10代前半の少年が戦って勝てる相手ではない。だが、彼は強烈な一撃を食らわせた。その後は押されていたが、最初の一撃が優れた武器によるものであれば侵入者は死亡し、少年の勝利だったろう。
少女は知らなかったが、最初の一撃は見たことのないエクストラスキルだった。「斬撃」のように見えたが、もっと速い、少女の目では追えないような一撃。
いずれにせよあの戦いぶりは、「武技はまったくできない」という事前情報とはまるで反対だ。
「もしや……王国ではスヴェンとソーンマルクスが入れ替わって行動しているのでは?」
少女はその推測に思い当たった。あれほどの剣技を使える13歳だか14歳なんて帝国にだっていはしない。
ただ「入れ替わった」なるとスヴェンが座学で優れていることになるのだが、ソーンマルクスが「武技はまったくできない」と言われるよりは可能性がありそうだ。
「……私は、自分の目で見たものしか信じない」
ただ、ふと、気になることがあった。
少年がやられそうになったから、仕方なく少女は弓矢によって加勢した。こうなることもあろうかと思っていたのでそれは想定内だ。
だけれど——その直後のこと。
カラン、と音がした。
少女からは見えない場所で、乾いた音がしたのだ。そう……たとえば、ナイフが転がるような音だ。
侵入者が落としたのかといえば、そうではない。音の鳴った場所が離れている。
あれはいったい……。
「……もしや、ソーンマルクスがなんらかの罠をしかけていた?」
と考えかけて、少女は首を横に振る。
「それはない。むしろ侵入者の罠、と考えたほうが正しい。連中は罠にも長けている……。む」
帝都武芸ホール内に、ぽつぽつと明かりが点くのが見えた。
おそらく侵入者を確認し、警備員が動員されたのだろう——いくら買収されていると言っても、目の前に侵入者が転がっていたら対応せざるを得ない。
「あとは治安当局の仕事だ。……帰ろう」
少女はきびすを返して路地裏へと進んでいく——明かりが届かなくなって少女の姿が闇に溶ける。
「帰って、弓聖様……お母様に報告しないと」
* *
「剣匠戦」当日の朝は快晴だった。
気温も少し上がったせいでうっすら積もった雪は昼には溶けてなくなってしまいそうだ。
目覚めた俺が朝食の食卓につくと——食卓は静まり返っていた。
「……ほ、ほぉら見たことか! ちょっと雪が降ってもすぐに晴れて溶けてしまうんじゃ。年明けからどかどかと雪が降るがのう。雪の量によってその年の北伐計画が決まるんじゃよ。大雪ならば『雪と氷の王国』の恒久凍氷は豊作での、多くの強者が北へと旅立つ——」
「おじいさん。ちょっとは黙ってください」
「……はい」
ぴしゃりとスヴェングランマに言われ、グランパはしょんぼりしてしまった。
どうやら「剣匠戦」のせいでみんなぴりぴりしているらしい。
だけどスヴェンは黙々といつも通りのペースで食べてるけどな。
「イザベルさんたちは『剣匠戦』を見に行かれるんですか?」
「!?」
俺が聞くとスヴェンママはがちゃんとフォークを落としてしまった。
「ちょっ、ソーマくん! いきなりそんなこと聞くぅ!?」
向かいに座っていたリッカがにらんでくるが、
「え、いや……見に行くならみんなで行くほうがいいんじゃないか? なあ、スヴェン」
「?」
スヴェンはきょとんとした顔で俺を見てくる。え、マジ? こいつ今日なにがあるのかわかってないの? そこまでバカだったっけ?
「そ、そうね……ソーンマルクスくんの言うとおりだわ。『剣匠戦』にはみんなでいきましょう」
「イザベル……」
「大丈夫よ、お母さん。見ないで悶々とするより、胸を張って見に行きたいわ」
毎朝祈りを捧げるくらいだから、スヴェンママも相当心配しているんだろうな。心なしか痩せたようにも見えるし。
「だけどなあ、相手はあの無縛流派の一味だろう? なんか妙な小細工をしてくることもあるんじゃないか? 前回の槍匠戦は、それで事故につながったしなぁ……」
「おじいさん!」
「す、すまん」
事故、なんてスヴェングランパが言ってしまったものだから、スヴェンママはぎょっとして手にしていたパンを取り落としてしまった。
俺は思わず、
「あー、事故とか小細工はないですよ」
「ん? なぜそんなことが言えるのかね?」
「そ、それはそのー……昨日、『流水一刀流』のジャンさんが治安当局っぽい人を連れて『帝都武芸ホール』に行ってたからですね」
「ほう。ジャンもここぞというところで働くのう。これで『流水一刀流』の後継者問題は解決じゃな!」
「おじいさん!!」
「ご、ごめんて……」
スヴェンの前で「流水一刀流」の後継者の話とかをしたものだから、また怒られている。ていうかスヴェングランパのうかつさはすごいな。反面教師にしよう。
「…………」
とか思っていたら向かいのリッカがにらんでくる。やべっ、俺もうかつなことを言ったわ。なんで俺が「帝都武芸ホール」にいたりしたのか、リッカなら想像つくもんな……。
スヴェンが「では俺は素振りをしてきます」と真顔で言うものだからその首根っこをつかんで、みんなで「剣匠戦」へと向かうことにした。チケットはスヴェングランパが確保していたらしく、落ちたグランパ株をなんとか高騰させようとしている。
スヴェンの弟妹は自分の父親が出る試合ということで大興奮であり、3台の馬車に分乗したのだけれど、違う馬車に乗っている俺にすら彼らのはしゃぐ声が聞こえてきた。
「帝都武芸ホール」から500メートルほど手前で、馬車を下りた。
なぜそんな手前で下りたのかというと、
「え……これみんな、客?」
大混雑で馬車は動けなくなっており、歩行者たちがホールに向けて歩いていく。昨晩俺が忍び込んだときのとは全然雰囲気が違う。カゴにお弁当を積んで売り歩いている人もいるし、あまっているチケットを買い取ったり売ったりするダフ屋もいる。
「離れるなよー、迷子になるぞー……うわあ!? ばあさん、どこだ!?」
早速スヴェングランパが人並みに飲まれてどこか違うところに行きそうになっていた。
「…………」
スヴェンママは、スヴェンの服の裾をつかんでいた。弟妹はグランマが両手でつないでいる。
「さて、それじゃ俺たちも迷子にならんようにしような」
「……その前に、ソーマくん、アタシになにか話さなきゃいけないことがあるんじゃないの?」
「ちょっ、怖いってリッカ!」
ジト目で詰め寄ってくるリッカから逃れて歩き出しながら、俺は、
「いや、さっき朝食のときに話した内容が全部。俺は見かけただけ」
「絶対ウソ」
「そっちこそどうだった? スヴェンとはちょっとは会話できた?」
「うっ……」
口を閉ざしたリッカはじりじりとバックするとテムズの後ろに隠れた。
フッ、リッカに困ったときにはスヴェンの名前を出すとうまくいくということを俺は学んだぜ。
「——ソーンマルクスくん、こっちじゃ!」
スヴェングランパのよく通る声が聞こえて来たのでそちらにいくと、エントランス近くで全員が集合できた。
相変わらず不安そうなスヴェンママの横で、スヴェンは相変わらずの無表情で突っ立っているが、
「師匠」
「ん?」
「あちらに」
スヴェンが指を指した方向から、ざわつきが聞こえてくる。
「——『雷火剣術』だ」
「——いつの間にこんなに使徒が?」
「——一大流派じゃないか」
総勢300名を超える人員を引き連れてやってきたのは「雷火剣術」一派だった。全員おそろいの、黄色と赤色の組紐で長髪を結んでいる。
人数は多いが、半分ほどが少年という感じで若い。戦力的にはいまひとつだが、将来性はあるという評価になるんだろうか。
その集団を率いているのが、張りついたような笑みをしているマッチョだった。「雷火剣術」の道場で見たアイツだ。
うわー、この人やっぱり当主だったのか。
俺は、カルト宗教の教祖みたいなものを連想した。
「!?」
ギュイン、と当主がこちらに首を向けたので俺はあわててスヴェンの陰に入り、リッカはテムズの陰に隠れた。
「師匠?」
「……スヴェン、『雷火剣術』の当主がこっちを見ていないか?」
「はい、見ているようです」
怖っ! 第六感でもあるのか?
「……師匠、もう見ていませんし、去っていきましたよ」
「お、おう」
ふいー、という感じで俺とリッカが出てくると、
「さすが師匠。すでに他流派の当主からも注目されていましたか」
注目されてはいるかもしれないけど、ちょっと意味合い違うからね?「あいつやるな」「フフ、お前こそ」みたいな感じじゃないからね?
「——『流水一刀流』だ!」
「——あれが当代の『剣匠』か」
「——人数少なくないか?」
「——どれもこれも強そうだ」
「——若手のジャンも強いという話だぞ」
今度はスヴェンパパたちの登場だ。人数は100人ほどだが、こちらのほうが騒がれている。
さすがは「剣匠」と言うべきか。
いや、こう騒がれでもしないとスヴェンパパがとんでもなくすごい人なんだということを忘れそうになる。
やっぱりインノヴァイト帝国は武芸者にとっての国で、その道に優れた者が偉い、ということがはっきりしている。貴族も平民も関係なく称号が与えられ、尊敬を集める……それはクラッテンベルク王国とはまったく違う。
「!」
ちらり、とこちらに視線をやったスヴェンパパは、スヴェンママがいることに気がつき驚いたようだったが、すぐに元の仏頂面に戻った。はぁー、そういう顔はスヴェンにしっかり遺伝しているぞ?
「…………」
だけれどその後、小さくうなずいたように見えた。きっとスヴェンママに向けたささやかなメッセージなのだろう。
「……まったく、わかりづらいのよねえ、あの人は」
それでもスヴェンママにとっては大きなメッセージだったみたいだ。まるで積年の悩みが解消されたように、さっきまでの暗い顔はどこへやら、明るい声でこう言った。
「さ、早く行きましょう。いい席が埋まっちゃうわ」
「お、おいイザベル……」
「おじいさん、黙っていてください」
「あ、はい」
スヴェンママが先頭を切って歩いていくので俺たちもそれに続いた。
「…………」
だけど俺は、ひとつ気になっていた。
「…………」
めっちゃジャンがにらんでくるんだよね!? 視線で人を殺しそう!
やっぱり昨日の後始末は大変でしたか? そりゃ大変でしたよね!?
「どうしたの、ソーマくん」
「い、いや、なんでもない……」
「剣匠戦」が終わったらジャンに顔を合わせずに出国しちゃおうかな……。