侵入者とご対面
* 帝都武芸ホール *
日が沈んですぐのことだった。ちらちらと雪が降る中を帝都武芸ホールの外廊下のひとつに近づいていく人影——男がいた。街灯のない場所だから薄暗く、周囲に人影はない。石畳を歩く足音もないのは靴底に特殊な加工をしているからだった。
その男が廊下にあったひとつの鎧戸に目を留めた。枯れ葉が1枚挟まっている。男は周囲を見回してから鎧戸に手を伸ばすと、本来鍵が掛かっているはずの鎧戸は音もなく開いた。
腰高の窓枠に手を掛けると、ひらりとジャンプして内部に忍び込む。そうして鎧戸を閉じる一連の動作において物音は一切立たなかった。
「…………」
静まり返っている廊下を、躊躇なく進んでいく。
鎧戸から差し込んでくるかすかな明かりだけが光源だったが、男の足には迷いがない。
廊下を折れて進んでいくと、ほとんど見えないほど暗くなったが、左右に扉が並ぶ殺風景な通路へと出た。
その扉のひとつに、またも枯れ葉が1枚挟まっている。
「…………」
ニィ、と男は口角を上げて笑う。丁寧に枯れ葉をポケットにしまうと、ドアノブをひねって扉を開いた。
当然内部は暗がりに沈んでいる。男は腰に吊っていたマジックランプを取り出すと明かりを点けた。
広い。
ソファにローテーブル。壁面には備え付けの棚があり、ドアから見て反対側にはもうひとつ別のドアがあった。
ドアにプレートが貼られてあり、「試合場」と書かれていた。
ドアの横、壁面には様々な武器が掛けられてあった。
部屋の広さは、この武器の陳列のためにあった。
剣だけで5種10本。双剣や三剣流なんてものがあるから、同じ型の剣がいくつも並んでいる。その隣には槍が並び、さらに斧、弓、盾と続く。
すべて鉄製だ。意匠も同じなので、同じ工房が作ったものだとわかる。
男は1本の剣の前へと向かった——長剣で、一刀流の剣士たちが使う標準的な剣だ。
長剣を手に取ったあと、男が懐から取り出したのは小ビンだった。
「!?」
その瞬間、パッ、と室内の明かりが点いた。天井の魔導照明が室内を明るく照らし出す。
「いやほんと、驚きだよ」
部屋の入口にいたのは——黒髪の少年だった。
「試合前日に忍び込んで、模擬剣に毒を塗って反則負けにする……。そういう筋書きってどこかで売ってるの? アンタたちみたいな悪人が考えることってマジでいっしょなんだよな」
* *
侵入者がいる——しかも警備員の手引きによって。
それがわかったときに俺が考えたのは、どうやって内部に侵入させるのか、だった。ルートがいくつもあるはずはない。どこか鍵を開けているのだろうと気がついた俺は、外廊下の鎧戸をチェックしていった。すると、鎧戸に不自然な枯れ葉が挟まっている場所があった。鍵も掛かっていない。
そこで張っていれば侵入者を見つけられるはずだ。
だけど、ただ侵入者を捕まえるだけでは無罪放免になる可能性がある——なにせ警備員はグルなのだ。
だから現行犯逮捕をするべきだと判断した。なにかしらの小細工をするところを捕まえるのだ。物的証拠があれば完璧で、そいつを縄でふん縛って転がしておけばいい。
そう考えた俺は、今度はホール内部を調べた。すると控え室のドアに、枯れ葉が挟まっているところがあった。
ピーンときたね。
秋の武技個人戦と同じじゃん、って。
だから俺は、あのときと逆の方法を採ったんだ——室内で待ち伏せするのだ。
ドアを開けると枯れ葉は落ちてしまうから、ジャンに挟んでもらった。で、ジャンには使いっ走りをしてもらっている。ジャンは顔が広いらしく、治安当局に知り合いがいるんだとか。で、その知り合いに一報入れたらここに戻ってくるようにお願いした——廊下を挟んで反対側の控え室で待機してもらうのだ。
ジャンが出て行ったのは1時間以上も前。
さすがに戻ってきているはずだ。
……戻ってるよね? 俺がひとりぼっちってことはないよね?
ま、まあ、それはともかく。
部屋の明かりを点けた俺は、その場に立ち尽くす人物を見やった。
背が低くがっちりとした体躯を黒色の服が包んでいる。顔は目だけ出ている覆面だが、この体型は見たことがないので、「流水一刀流」の人間ではなさそうだ。よかった。もしかしたら内部に裏切り者がいるかもしれないって思ってたんだよな……。
「……何者だ?」
男は俺を値踏みするようにたずねつつ、両手に短剣を構えた。俺の見た目は子どもなんだから油断してくれるかと思ったのに……甘かったか。
腰に吊っていた剣を抜くと、男は不可解そうな目でその剣を見た。
刀身が黒の、黒鋼クラス限定品だ。
片刃の剣を扱う流派は少ないと聞いたことがあるし、俺が髪を伸ばしていないことからも他国の人間だと気がついたのかもしれないな。
「アンタ、無縛流派の人間だろ!!」
俺は威嚇するようにわざと声を上げた。これは廊下を挟んで反対側の控え室にいるはずのジャンに向けた合図でもあった。隙を突いて突撃してきてくれればなんなくこの男を倒せるだろう。
「……フン。ということはお前は『流水一刀流』の息子が連れてきた王国人か。剣匠も、王国人に頼らねばならぬとは……落ちぶれたものだな」
「なんだと?」
こいつ、スヴェンのことも把握していたのか。俺が「雷火剣術」を調べていたように、向こうもこっちを調べていたってことだ。
マズいかもな。
この男、まったく隙がない。王国騎士のラスティエル様とか、ロイヤルスクール警備員のガラハドさんほどじゃないにしても、強い。明らかに俺よりは場数を踏んでいるし、人を殺すこともためらいのないタイプだ。
それに毒を持っているのは間違いなく、他にも人殺しに特化した武器を持っていると考えるべきだろう。俺に勝ち目はあるのか?
ジャンにはさっさと入ってきてもらうような手はずにすればよかった!
「どうした? 掛かってこい……」
「……いや」
俺は剣を下ろした。そうしても男はまったく油断しない。
だが……これならどうだ?
「俺じゃ勝てないみたいだ。見逃してくれないかな?」
俺は剣を鞘に収め、両手を開いて見せた。
「……見逃す、だと?」
「ああ、俺だってスヴェンに金をもらったからここで見張りをすることになったけど、まさかほんとに誰かが来るとは思わなかったんだ。これでケガでもしたら割に合わないし」
「疑わしいな」
そりゃー疑うよな。でもほら、俺は剣を鞘にしまったでしょ。こうして両手にはなにも持ってないアピールしているし。なにより、こんないたいけな少年が強いわけないじゃないか〜。
「ここに血痕でも残ったら侵入者があったってバレるし、お互いいいことないじゃん? アンタがここにいたことは黙ってるし、なんならこのまま帝都を出て行くよ。それでいいよな?」
「待て」
俺がじりじり後じさっていると、男は言った。
「…………」
俺の後ろ、部屋のドアまであと5メートルというところ。
男から俺までは10メートルほどの距離がある。
「じっとしていろ。ならば殺しはしない」
男は短剣の片方をしまうと、懐から細い縄の束を取り出した。
「……その言葉をどう信じろって?」
「ならばお前が、帝都から出て行くという言葉を信じる理由もないが?」
男がこちらへ歩いてくる。短剣の切っ先をこちらに向けたまま。
「ですよねー……」
俺と男の距離が5メートルまで縮まった——ときだ。
「!」
男の目が見開かれた。
俺の左手が鞘をつかみ、右手が剣の柄をつかんだからだ。
「バカめ」
男は油断していなかった。だから猛スピードで突進するという方法を選んだ。
そう、男は油断していなかった——「油断していない自分」に油断した。
俺が子どもであっても、敵だと認識した。だけれど、子どもであるという事実までは無視できなかった。
つまるところ男は、俺が剣を抜く前に短剣を刺せると踏んだのだ。
「バカはそっちだ」
俺は次の瞬間、
「『抜刀一閃』」
エクストラスキルを発動した。
男はもうすぐ目の前。
あと0.1秒も掛からずに俺の身体に男の短剣は触れるという距離。
でもそれだけあれば十分だ。
まるで俺の身体ではないみたいに、手が勝手に動く。
剣を抜く速度に比べれば、男の突進なんてスローモーションだ。
神速の剣が男目がけてほとばしる。
「!?」
なにかを切ったという感触もない。まるで腕を振って蜘蛛の巣を振り払うくらいの感覚で、剣が男を吹き飛ばす——胴体に斬撃を食らった男は「く」の字になって部屋の反対側の壁に激突した。
室内が衝撃に揺れる。
掛けられていたいくつかの武具が落ちて床に当たり、ぐわんぐわらんと音を立てる。
「…………」
壁からずり落ちた男は頭をがっくりとうなだれたまま、座り込んで動かない。
「…………」
この剣は模擬剣だ。もちろん、生身に当てれば打ち身じゃ済まないほどのダメージを与えるけれど、男はフル装備で防具も完備している。殺す気でやっても死にはしないだろう。
「…………」
……え? し、死んでないよね?
俺が思わず構えを解いたときだった。
「!?」
男の手が動いたと思うと、俺のすぐ目の前まで剣が迫っていた。
あぶね!
身体をひねってかわすが、すでに男は起き上がってこっちに走っていた。
「チッ」
早い。
これ、「生命の躍動」使ってるぞ。
そんならこっちだって。
「うおおおお!」
「!!」
俺は「生命の躍動」を発動し、斬りつけてきた男の短剣に正面から剣をぶつける。ギィィンと火花が散る。大人に競り負けない俺の剣に、男は目を見開く。
だがすぐに考えを切り替えたみたいだ——俺を、侮るべき相手ではないと。
どこから取り出したのか、男は両手に剣を握っている。
「『双剣舞踏』
「!?」
男の動きが変わる。
手が、足が、関節がなくなったかのようにしなる。剣筋は上下左右どこから来るかわからず、俺は即座に「空間把握」を発動してぎりぎりでかわしていく。
クソ、なかなか終わらん!
こっちだってごりごり体力削りながらやってんだけど!?
(早く来てくれよ、ジャン!!)
だけど誰かが入ってくる気配はない。
俺は最悪の予想をした。ジャンはまだ戻ってきていない。なんらかのトラブルでもあって戻れなくなったのだ。
だったらどうする。俺ひとりでなんとかする?
でも「抜刀一閃」は使ってしまい、体力の残りは少ない。額から汗が滴る。それを見て——いまだにエクストラスキルを使い続けている男の目尻が笑う。
「——その程度か」
剣と剣をぶつけ、距離を取ってかわすが男はすぐに距離を詰めてくる。やりづらい。距離ができれば「一閃」を撃てるのに。男は対人戦に慣れているから嫌がらせのような戦い方を続けているのだ。「空間把握」がなければとっくに攻撃が当たっていた——剣には毒が塗られているはずだ。ちょっとでもかすったらヤバい。
(ん……)
そうだ。その短剣には毒が塗られているんだ。
それならやりようがある。
「ゼアアア!!」
「ッ!?」
深く踏み込まれ、放たれた剣筋はこれまでと違うものだった。エクストラスキルではない通常の剣。切っ先が俺の左腕をかすめる——瞬間、俺は無理やり身体をひねった。
「ゼア!」
次の一手で、俺の剣は弾き飛ばされ、部屋の隅に転がっていく。
「くっ……」
すげえ一撃だった……剣を握ってた手がびりびりする。指先が震えて、すぐには剣を握れそうもない。
「やはり、所詮は子どもだったな」
「くっ……」
その言い方。マジで腹立つんだよなぁ。中身は大人なんですが?
男は目元しか見えなかったが、愉悦に顔をゆがめているのがわかる。
勝ちを確信しているのだろう。確かにこれは「油断」ではなく「当然の判断」だ。俺が2本目の剣を持っているようには見えないし、実際に持っていない。
「……近寄るな」
俺は男から離れるように後じさる。だけれど男は俺が剣のほうにいけないように歩を進める。
「さあ……さっさと終わらせようか。なに、この毒は強力な神経毒だ。しばらく昏睡状態に陥るだけのものだ」
絶対後遺症とか残りそう。生きていればだけど。
俺は男から離れるように後じさる。それは部屋の入口と反対側だった。
「おっと? 試合場への扉は施錠されているぞ?」
「えっ」
「そちらからは逃げられないということだ」
「…………」
男はじりじりと距離を縮めてくる。さっきの俺の「抜刀一閃」のようなエクストラスキルを警戒しているのか、じりじりと。
まったく……たいした警戒心だよ。
これが裏仕事をするプロってヤツか。
「さあ、手を出せ。ちょっと傷をつけるだけで終わりだ。お前だってここでブスッと刺されたくはないだろう? こちらも、血で汚した床を掃除なんてしたくない」
「…………」
俺は、仕方なく右手を差し出した。
それをすこし意外そうに男は見ている。最後の最後まで抵抗すると思ったのだろうか。
男は俺の左手にも注意を払いながら近づいてくる。短剣を振れば、もう届くという距離だ。
(抵抗は……)
そのとき俺は、
(——するに決まってんだろ)
魔力を練っていた。
俺の足元から伸びた魔力が、最初に男が取り落として床に転がっていた短剣をつかんでいる。短剣の切っ先は男に向けられている。
ここまでできるようになったのだ。
男の死角から短剣を射出し、背中から刺す——そのために俺はこちらにじりじりと移動したのだ。
さあ、行くぜ!!
「——誰だ!!」
男が振り返った。
え——なんでバレた!? と思ったけれど違った。
次の瞬間、なにかが風を切って飛んできて、
「フゴァッ!!」
男の左肩に直撃する。それは「矢」だった。矢は肩を貫通したところで止まり、その衝撃で男の上半身はあおられて床に転げる。
「…………」
うっすらと開いた入口の扉——その向こう、暗がりに誰かがいる。
「く、くそっ……これは、毒……」
男は、自分の肩に刺さった矢を抜こうとしていたけれど、そのまま泡を噴いて白目を剥いてしまった。……え、死んだ?
ってその前に!
「!!」
俺は入口へ駈けていって扉を開いた——けれどそこにはもう誰もいなかった。
「…………」
来たのにも気づくことができなければ、去っていったのもわからなかった。
何者だ?
正義の味方……ってわけじゃないよな。
「これは……」
俺はふと、桜のようなニオイを嗅いだような気がした。
「——ほんとうにいるのか」
「——間違いないっつってんだろ。だけどこんなにぞろぞろ連れてくることは……」
「——あのなあ、ジャン。お前が騒ぐほどなんだ。腕利きを連れてこんとどうにもならんだろうが」
「——それはそうだけどよ。侵入者が逃げたらどうすんだ」
「——犯罪を未然に防げるのならばそれに越したことはない」
ざわざわと多くの人間がやってくる気配がした。
俺はあわてて自分の剣を取り戻すと、部屋から出て、声の反対へと走っていくのだった——いや、だって、転がってる男の説明なんてできないし、そもそも俺も不法侵入なんだよな。
ジャンがいるっぽいので、あとはよろしく! という気持ちで立ち去ることにした。