ここは武を競う場所、帝都武芸ホール!
「剣匠戦」が行われる「帝都武芸ホール」は、この帝国の頂点である皇帝がいる皇城からほど近い場所にある。
収容観客数3万人。開閉式の屋根と強力な照明による全天候型の武芸施設であり、なんかサッカーワールドカ○プでも始まりそうだなとか俺は思ってしまうのだけれど、ここはただ単に武芸を競うためだけの場だった。
広大な広場に、最大8面で試合ができるようになっているが、「剣匠戦」以上のタイトルマッチではその場に立つのは当事者であるふたりだけらしい。
審判は?
いない。
なぜかと言えば、武芸の達人同士の戦いでは、周囲にいる者を巻き込むほどのすさまじいスキルが炸裂するからだ。
俺がロイヤルスクールで経験している模擬戦とは、レベルが段違いってわけだ。
そりゃ、ジャンがびびるのもわかる。
(おい、小僧! わかってんのかお前!?)
そんなジャンが俺の後ろから小声で話しかけてくる。
(なにがです?)
(ここがどんなところかだよ!!)
(ここって……「帝都武芸ホール」でしょ?)
(そうそう——ってそうじゃねえよ! それは間違いないが、どうして俺たちが)
ジャンは両手を広げた。
(閉館日の今日、ホールの中にいるんだよ!?)
そこはだだっ広い試合場のど真ん中だった。
屋根は閉じられ、照明も焚かれていないので高いところにある隙間から外の光が射し込んでくるだけだった。その外も今日は曇天。俺たちの立っている場所は薄暗かった。
(え、まだわからないんすか? とっくにわかった上でここまで案内してくれたのかと……)
明日「剣匠戦」が行われる「帝都武芸ホール」の中を見てみたいとジャンに頼んだのはつい2時間ほど前のことだ。ジャンならばここに入るツテのようなものを持っているんじゃないかなって思って。
ジャンは快諾したのだが、なんとここに忍び込む方法を教えてくれたんだよ。
(そりゃお前、「帝都武芸ホール」だぞ? 武芸をたしなむ者ならば誰しもが憧れる「帝都武芸ホール」だぞ?)
(そんな「アイドルにとっての武道館」みたいに言われましても)
(はあ?)
(失礼。先を続けて、どうぞ)
(……ともかくだな、この「帝都武芸ホール」に侵入するなんつう「方法」をちらつかせたら、びびって腰が引けるのがふつうだ。俺はそれを見てからかおうと思っただけだ)
(でも案内してくれたじゃないですか)
(そりゃ、お前が虚勢を張ってるんだと思ったからな。実際にホールまで来たらなんのかの理由つけて逃げ出すって思うだろ!)
いや、ジャンを相手に見栄を張るほど俺はヒマじゃないんですけど?
(……そんな憧れの「帝都武芸ホール」なのに、よく侵入ルートなんてありましたね?)
(まぁな。これは若手の武芸者に伝わる伝統的な「度胸試し」なんだぜ。まさかほんとうに入れるとは思わなかったが……)
そうなのだ。
俺とジャンがここにいるのは、もちろん正規ルートなんて通っちゃいない。
——ホールにいちばん近い公園の公衆トイレには、地下へと続く階段がある。
——階段を下りきると鉄扉があり、その先には大昔の地下水道がある。
——地下水道を真っ直ぐ突き当たりまで進み、右に曲がり、3本目の角で左に曲がる。
——その間、明かりを点けてはならない。
——突き当たりにあるハシゴを登ると「帝都武芸ホール」の控え室に出る……。
よくある怪談のようなものだ。
若手武芸者にとって憧れの場所をネタにした怪談。だけど俺は怪談にしてはやたら具体的だなと思ったんだ。で、実際試してみたらほんとに「帝都武芸ホール」の控え室に出た。
(しっかしなんで明かりを点けたらダメなんだよ……俺、気持ち悪いもん踏んじゃった感触があったんだよな……)
ぶつぶつジャンが言っているが、俺には明かりを点けてはいけない理由がわかる。
魔法による監視態勢が敷かれているからだ。最近魔法の訓練をしている俺には、魔力の流れみたいなものがちょいちょいわかるのである。
(……おい、ガキ。俺にこんな思いさせて、まともな用じゃなかったらキレるぞ)
(ですから最初から言ってるでしょ? 明日の「剣匠戦」でトラブルが起きないようにしたいだけですよ)
(トラブル? そんなん起きるわけがねえだろうが。皇帝陛下は……たぶんいらっしゃらないが、皇族が必ずいらっしゃるような格式ある試合だぞ)
(それならそれでいいんです。でも、俺は自分の目で見ないと安心できない)
(そんなことのために忍び込んだのかよ……)
ジャンは相変わらずぶつぶつ言っているが、俺は気にせず試合場を調べることにした。
土が敷き詰められている。踏み込みもしやすく、密度も高い、いい土だ。
変な魔力も存在しない。
(大丈夫そうっすね)
(当たり前だ)
(じゃ、次です)
(次!?)
俺は歩き出す。ジャンがついてこないならそれはそれで構わない——と思ったけど、なんだかんだついてくるようだ。「これがバレたらどうすんだよ……」とか相変わらず臆病なことを言っている。流派の使徒たちの前では強気を絶対に崩さないのに、俺の前だとだんだん遠慮がなくなってきたな。
まだまだ調べるよ。
だって俺は、大事な試合にあわせて小細工するような連中がいることを骨身に染みて知ってるからな!
秋の武技個人戦で、キールくんの武器に毒を塗ったヤツがいたから、学んだのである。
(そう言えばジャン……ジャンさんは「流水一刀流」の奥義みたいなのって使えないんですか?)
(お前、呼び捨てマジ止めろよ。……奥義は使えねえよ)
(えっ、そうなんですか)
(俺をバカにしたか?)
(いだだだだ!?)
拳でこめかみをぐりぐりしないでよぉ!? こんなんやられたの小学校以来だよ!
(大体、見たこともねえからな……当主の奥義は)
(いつつつ……そうなんですか?)
(「奥義を使えるようになれば自ずとわかる。そして奥義は軽々しく使い、ひけらかすものではない」だってさ。せめて見せてくれなきゃわからねえだろうに)
ジャンはまたぶつぶつ言い出した。
へー、そうなんだ。流派の教えとしてはあるのに、実在するのかわからないのか。スヴェンパパは当然使える……んだよな? 非実在奥義?
それはともかく俺たちは無人のホールから観客席へと移った。スタジアムのように階段状になっている観客席は、備え付けの椅子などはなくて、固められた土の段になっているだけだった。敷物を持ってくるのが当たり前らしい。
俺が試合場の地面を確かめたように、観客席を調べ始めるとジャンがぼやいた。
(おいおい……なにを調べるっていうんだよ。これを全部調べるってなったら日が暮れちまうぜ)
(日が暮れる間に全部終わるなら上々じゃないですか)
(おまっ、まさか丸一日ここにいる気か!? 誰か来たらどうすんだよ!)
(誰か来たら好都合でしょ)
俺はにやりとした。
(「剣匠戦」前日に「帝都武芸ホール」に入り込むようなヤツは、悪人に決まってる)
それ、俺たちのことじゃないのか……というジャンの言葉は無視することにした。
* スヴェン=ヌーヴェル *
「流水一刀流」の訓練場はいつもと違う空気だった。「剣匠戦」を明日に控えており、使徒たちが浮き足立っていることはもちろん、敷地を囲う低い塀の向こうにまばらな見物客が集まっていることもある。有名武芸者や「聖」のつく流派ならば当然の光景も、この「流水一刀流」ではここ何年もなかったことだった。
さらにはスヴェンの存在だった。
「フッ……フッ……フッ……フッ……」
黙々と素振りを続けるスヴェンに話しかける者はいない。当主との手合わせを見て全員がその実力を知っているし、その当主もスヴェンに話しかけないのだ。当主以下ではピカイチの実力者であるジャンならば気にせず話しかけることもできるだろうが——現に昨日は「なんだよ、素振りだけか?」とか話しかけていた——今日はそのジャンもいない。ジャンの取り巻きたちはジャンがいないからそれはそれで飼い主を探す犬のようにそわそわしていた。
そしてもうひとつ、女子の存在である。
「…………」
訓練場の隅にイスを出したリッカが、両膝で頬杖をついて不機嫌そうにスヴェンを眺めているのだった。ふだん女子がいることのない「流水一刀流」においては、見た目小学生のリッカであっても、雰囲気が華やぐのだった。
(……なんで)
だけれど当のリッカは、
(なんでなにも話しかけてこないの!?)
訓練場に入ってから一言も口を利かないまま3時間が経とうとしているスヴェンにしびれをきらしていたのだけれど。
(ふつう、なんかあんでしょ!?「女子ひとりで気まずくないか」とか「もらった革紐の使い心地は最高だよ」とか! まぁこいつがふつうじゃないってことは知ってたけどね!?)
そんなふうにいつもと違う空気の中、当主であるアラン=ヌーヴェルは、使徒たちの指導をしているのだった。
いつもどおり。なにも変わらず。若い使徒の剣の振りを正し、実力者同士の手合わせを見ては講評する。
「…………」
時折、息子へと視線を向けることがあったのだがそれは長い時間ではなかったから誰も気づかなかった。
美しい素振りだ——とアランは思っていた。息子が、あれほど美しい素振りをできるとは思いもしなかった。
剣筋が美しければ自分の力を100%乗せることができる。それは「流水一刀流」のような流派ならば常識だ。
いわゆる「基本型」だけではあるが、スヴェンが「基本型」だけであれほど実力を伸ばしたというのならば、この先を期待してしまう自分がいる。
「…………」
そっと瞳を閉じる。
なにを勝手な、と思う。
流れる水のごとく、あらゆる力に逆らわず剣を振る。さらば、剣は次なる境地を見せる。
それこそが「流水一刀流」の基本であり真髄である。
スヴェンはまさにその道を突き進んでいるように見えた。おそらくあの「師匠」であるソーンマルクス少年の指導によるものだろう。ただ惜しむらくは、ソーンマルクスは基本型を教えることはできてもその先を教えることはできないだろう。武芸の流派で学ぶか、あるいは王国ならば騎士団やロイヤルスクールで教わることだ。そのときスヴェンが順応できるのかどうか……。
息子が不器用であることは父であるアランはよくわかっている。
だが、
(そんな心配こそ、まさに「親の身勝手」だな)
スヴェンは一心不乱に剣を振っている。
親のことなどまるで目に入らないように。
すでに違う道を歩んでいる——この「流水一刀流」の訓練場にあってスヴェンだけが違う剣を振っているように。
それはアラン自らが過去に決定したことの結果だった。