努力は情熱に火を点ける
* スヴェン=ヌーヴェル *
剣の家に生まれ、剣の道を志す使徒たちとともに育ったスヴェンが剣を握ったのは、お腹が空いたときにフォークを握るのと同じくらい当然のことだった。
最初は家族のみんなが喜んでくれていた……はずだ。「さすが『流水一刀流』当主の息子」だなんて言って。
なにかが変わっていったのは、スヴェンが年齢を重ねて行くにつれて、だった。
流派の訓練場でも最も幼かったのがスヴェンだったときはよかったが、他に自分よりも年少の使徒が入ってくると風向きが変わった。
その使徒は、あっという間にスヴェンよりも剣の腕が上がったのだ。
その使徒が特別優れた少年であったわけではなかった。
次々に入ってくる使徒たちは全員が全員、スヴェンよりも優れていたのだった。
才能の差——逆の意味で、才能の差があった。
それまでアランは、スヴェンとは一線を引いていた——というのもアランは国の任務で遠征することが多く、帝都にいる期間も限られていたからだ。
だが、スヴェンの天稟を知ってから、父は変わった。
手ずから剣を教えるようになったのだ。
剣は「他の使徒からは教わらないように」と言われ、黙々と素振りをする時間が増えた。
さすがのスヴェンも「おかしい」とは思った。
父が教える剣は、他の使徒とは違うものだったからだ。
それでも剣を手放さなかったのに、なにか特別な理由があったからというわけではなかった。剣を握ることがあまりに自然で、手放していることのほうが違和感があったというそれだけのことだった。
スヴェンと父との関わり方が変わると、母と父との間もギクシャクし始めた。それでも幼い弟と妹がいたからか、家族は家族として過ごした——父がむっつりとしてなにもしゃべらず、母はにこにこと子どもの世話をする。そんな家族は、帝国の一般的な流派の家庭だった。
だから、
——お前はクラッテンベルク王国の騎士養成校へ行け。
と父から言われたときにもスヴェンは驚かなかった。「ああ、やっぱり」という気持ちは少しだけあった。「やっぱり、父は自分の才能を見限っていたのだな」という思いだ。
つらくはなかった。悲しくもなかった。不思議とスヴェンの心は凪いでいた。
告げられたそのときが、ちょうど木剣の素振りを終えたばかりだっただからかもしれないし、あるいはこの後にまた素振りをする予定だったからかもしれない。
剣を握っていれば落ち着いていられたのだ。
きっと母は悲しみ、父と衝突するだろうと思ったスヴェンは、父の友人であり役所の仕事をしつつ流派の仕事をこなしてくれているオッサンの用意してくれたチケットを使ってさっさと帝都を出たのだった——それを準備したオッサンのほうが「え、お母さんにご挨拶とかは!? いいの!? こんなに早く行っちゃうの!?」なんて言ってあわてていたっけ。
剣を握っていられるのならばロイヤルスクールでなくても良かったのだが、お膳立てしてもらっていたので受験勉強をして試験に臨むと、なんとかかんとか入学できた。
そう、ロイヤルスクール入学だ。
それこそがスヴェンにとってすべての、
(始まりだった)
師匠、と心の底から呼べるソーマに出会い、彼は、剣匠である父すらあきらめていたスヴェンの能力を開花させた。そして常にスヴェンよりもずっと先にいて、どんどん強くなっていく。
スヴェンに初めて焦燥心が生まれた。
自分が歩みを止めればあっという間にソーマにおいて行かれてしまうという——自分が師匠と呼ぶ相手に失望されたくない、その一心がスヴェンを突き動かし、さらに黙々と剣を振る男に変えてしまった。
帝都にだって来たくはなかった。
移動時間は剣を振れないからだ。
だけれど仕方なく来た。書信を渡さなければならなかったし、渡さないと進級できないと学園の事務に言われたからだ。そういうところは愚直だった。
書信は渡した。帝都での用事は済んだ。
早く帰ってソーマと修行をしたいというそれだけなのに、ソーマはなかなか帰ろうと言ってくれない。
のみならず、父と手合わせをしろという。
スヴェンはワケがわからなかった。
この訓練場も、土の感じも、父の雰囲気も自分が去ったときと同じで。ジャンが頭ひとつ抜きんでたところはあるけれども使徒たちの顔ぶれもほとんど同じ。
懐かしさを感じることはあってもそれ以上はないというこの訓練場で、なぜ父と手合わせをするのか。
(……そう言えば、この数年は一度もしたことがなかったな)
スヴェンが手合わせをした経験ははるか昔、訓練場で幼い使徒だったころ。いや、使徒とすら呼ばれていなかった。他の使徒が入ってきて一度も勝てないとわかると、誰も相手をしなかった——それは父が手を回したというよりも、周囲が「当主の子に勝ってはまずいから」と気を回した結果だったように思う。
ロイヤルスクールに入った今、毎日が手合わせだ。トッチョはもちろん、黒鋼クラスの面々、それにたまにはマテューに、最近はヴァントールと。
それで十分なのに。
なぜここまできてわざわざ父と? まったく、毛ほども、スヴェンは理解できなかった。
「双方構え」
ジャンが審判になり、離れたところでそう声を発した。
(……まあ、いいか! 師匠がおっしゃるのだし!)
スヴェンはスパッと考えるのを止めた。これが修行の一環なのかもしれないとか、なにかソーマの気遣いなのではとか、ちょっと考えてもいいことだったが「わからない」とはすなわち「考えなくてもいい」と変換したのである。「悩む時間があったら剣を振ったほうがいい」という脳みその中心まで「剣」に染まっている男の発想だった。
スヴェンの戸惑いが消えたとき、彼の目には目の前の男しか映っていなかった。
もはや「父」としても「剣匠」としても見ていない、「倒すべき敵」としか見ていないその姿にアランの眉間にシワが寄ったのに気づいたのは近くにいたジャンだけだったろう。
静まり返る訓練場に、「始め」の声が通った——とき、スヴェンは前方へと駈けた。
ふつう、強者を前にした場合の行動は限られてくる。
動けなくなる——相手の出方を確認したくなり保守的になる。
搦め手に出る——実力差があるからこそ相手の隙を作る。
やぶれかぶれになる——自分を奮い立たせるために突っ込んで行く。
多くの使徒たちはこの3つ目だと判断した。スヴェンはびびって突っ込んだのだと。
だがジャンも、アランも、もちろんソーマとリッカも「違う」と感じた。
思い切りの良い踏み込みにひとつの迷いもなかったのだ。
「キエエエエ!!」
下段の構えは「受け」の構えであると判断されることも多く、「流水一刀流」でもそう教えられていたが、スヴェンは違う手段に昇華させていた。
切り上げの鋭い一撃。
下から上への剣筋は力が入らないものだから、アランはスヴェンの思いきりのよい踏み込みに困惑しつつも無駄のない動きで木剣をぶつけることで剣を押さえる判断をした。
「!?」
だがスヴェンの剣はぬるりと軌道を変えてアランの木剣をすり抜けると、彼の下顎へと迫ったのだ。
だが「剣匠」は伊達ではない。
アランは半身をひねって剣をかわす。切っ先が巻き起こす剣風がアランの髪をなでる。真剣ならば起きない風圧も、厚みのある木剣ならばこそだろう。
この剣は明らかに「流水一刀流」のそれではない。
そしてスヴェンは明らかに成長している——一撃で、アランは理解した。
「キエエエエエッ!!」
そこからの連撃はすさまじかった。
すべての筋肉を剣を振るためだけに鍛えているスヴェンは、ロイヤルスクール1年生という若さにして大人顔負けの剣を振った。アランは防戦一方に追い込まれた。スヴェンが「剣匠」に肉薄しているというわけではなく、最初の構えが悪かった。アランはスヴェンをなめてかかり、先手を取られた結果、反撃の隙を突けないでいるのだ。
だが、アランも攻撃パターンを読み始める。
動きは「流水一刀流」のものではないにしてもスヴェンが振るっているのは剣だ。木剣と木剣がぶつかり合う音が響き始めた。つまりアランはスヴェンの剣に剣を当て始めたのだ。
「スヴェン……そんなものか!!」
「!」
「キエエエエッ!!」
スヴェンとよく似た声で気合いが発せられた直後。
ビキィッ、と音がしたのはアランがスヴェンの剣を弾いたからだった。アランの力はさすがにスヴェンをはるかに上回る。弾かれた木剣に引っ張られたスヴェンの上半身が反って、隙だらけになる。
「キエエエエ——」
アランはスヴェンの胸元に突きの一撃を放とうとしたときだった。
スヴェンは弾かれた勢いのまま——いや、驚くべき速度で自ら勢いを加速させて、ぐるんと背中を向けたのだった。
「『斬撃』」
そして回転する勢いそのままエクストラスキルを放つ——木剣は、負荷に耐えきれずそのまま爆散する。
木剣の寿命とともに放たれた広範囲の斬撃が真一文字にアランに襲いかかる。
「キッ、キエエエエアアアアアア!!」
一瞬の驚きのあと、アランは突きを放とうとしていた剣を横に振るった。
スヴェンは——見た。
アランの剣が、信じがたいほどの速度で、「斬撃」の衝撃波とぴたり一致する角度で正面からぶつかったのだ。
その直後、パンッ、という乾いた音とともに衝撃波はその場に消え、爆風とともにスヴェンの身体は後方に吹っ飛ばされた。
転がったスヴェンは立ち上がろうとし、しかし、衝撃波によってくらくらする頭のせいで膝立ちになるのが精一杯だった。
「——武器を失った時点でスヴェンの負けだ。いいな、ジャン」
訓練場の中央に、アランは立っていた。
爆風に煽られたのか、あるいは剣によって相殺させた結果、彼は無傷だったのか。
それでも彼の手には木剣があり、自分の手の木剣は根本で折れている。
「ええ……当主の勝ちです」
ジャンが——審判が判断すると、おおおおおっ、と歓声があがった。
* ジャン *
(まったく、とんでもない息子が帰ってきたもんだ——これが「蛙の子は蛙」ってヤツか)
そんなことを思いながらジャンは、訓練場の裏手にある水場で顔を洗っていた。切れるように冷たい水だが、今はそれが心地よい。
真冬だというのに、彼の身体は火照っていて、もうもうと立つ白い水蒸気は熱心に訓練を行った結果のものだった。
アランとスヴェンによる親子対決は、使徒たちに衝撃をもたらした。流派からいなくなった当主の息子が戻ってきたかと思えばすさまじい戦いぶりを見せたからだ。しかも当主がとんでもない技を見せて勝利した。
使徒たちの熱意に火が点いた。今日の訓練は激しくなり、指導を任されているジャンもまた釣られるように熱が入ってしまった。今も訓練場からは気合いの声が聞こえてくる。
ジャンが驚いたのは、アランの実力に、だった。
エクストラスキルに木剣を真正面から当ててしのぐ、なんてのは「神業」だという認識である。
もしもジャンがアランの立場だったら、かわしただろう。それくらいの身体能力はある。当主であるアランだって同じのはずだ。だがわざわざ剣によって「斬撃」をねじ伏せたのは、
「当主の意地だろうな」
まさかスヴェンがエクストラスキルを使えるとは思わなかったのだろう。さらに最後の「斬撃」を放つ前の動きは、エクストラボーナスにも到達している可能性が高い。つまりスヴェンの【剣術】レベルは200を超えている。この1年弱で100以上のレベルを積んだことになる。
異常な成長力だ。
アランは、それが癪だったのだろう。自分の知らないところで息子が急成長してしまったから。
「あの当主にもそんな一面があるとはね……」
訓練場ではもちろん、「雪と氷の王国」への遠征でも冷静沈着だった男が、あんなふうに感情をあらわにするとはジャンにも意外だった。あの「神業」がアランの「意地」だと確信できるのにも理由がある。勝負が終わるや、アランは「この後は用事がある。今日の訓練はお前が主導してくれ」とジャンに言い渡してどこぞへと消えたのだった。
他の使徒たちは気づかなかったろうが、ジャンにはわかった。
息は上がっていなかったが、アランの腕に相当な負担が掛かったのだろう。
疲労困憊、という感じのスヴェンに比べれば圧倒的に優勢だったのはアランだけれど、あれほど消耗するとは。
「しっかしエグい戦いだったな……あのふたりの踏み込みで地面が削れたもんな」
ふたりのブーツによって、踏み込んだ場所の地面がえぐれていた。
「それにスヴェンは……最後まで……」
「——剣を握っていた」
「そう。刀身がぶっ壊れたとて、手放さなかったのは偉い——って誰だ!?」
ぎょっとしたジャンが見たのは、スヴェンが「師匠」と呼び、ティーラウンジ「帝都すいーとはーと」のトイレですれ違った黒髪の少年だった。
「ソーンマルクス=レック。スヴェンの『師匠』してます」