歴史ある帝都と歴史ある流派と
冬の寒さは厳しくなっていて、外套を着なければ外もまともに歩けないほどだ。
遠目に見えた姿はクラッテンベルク王都のそれとよく似ている。城壁に囲まれ、中には家々が密集している。
だけれど大きく違うのは、どこか古さを感じさせること——前々から聞いていた情報によればそれは「歴史」の重みらしい。
帝都は南北を分割するように大きな川が流れていて、中州の島が巨大なマーケットになっている。
川の下流方面は皮革加工の工場が数多くあって、革をなめすための大量の薬剤と染めるための染料を使うために帝都郊外の水質汚染が深刻であるという。
とはいえ、クラッテンベルクだって王都に川がないから汚染が少ないだけであって、どこかの川で同じことが行われているのだろうけどな。
帝都に入ると、ウェストラインで見かけた長髪の男と、パーマを掛けた盛りに盛ったヘアスタイルの女の人ばかりだ。
「——『月光長斧流』使徒募集!」
「——そこの君、槍なんか持ってないで剣を学ばないか!?」
「——今なら月謝を半額セール!」
王都によく似ているが、そこを歩いている人たちは違うという不思議な街並みを歩いていくと、多くの男たちが看板を掲げて(あるいは首からぶら下げて)、勧誘をしていた。
(「使徒」……「門下生」のことを「使徒」って言うのか。面白いな。で、彼らは武芸流派の使徒を募集しているんだな)
俺が割と平然としていられるのは、あらかじめ聞いていたからだ。
「へえ〜。栄えてるけどウチの州都とそこまで変わんないよねぇ?」
「なに言ってるんだ、リッカ。これだけの年月を重ねた建物が整然と並んでいるところに美を感じないのか?」
「テムズってほんっとワケわかんないこと言う」
リッカとテムズの兄妹はきょろきょろしながらそんな会話をしている。
「…………」
「どうした、スヴェン」
「……いえ」
一方のスヴェンは、元々言葉数が少ないのに、今日は輪を掛けて無口だ。
「ここがお前の故郷なんだよな」
「……はい」
スヴェンがこの帝都を出てきてから1年も経ってない。だからノスタルジーや懐かしさなんてものはないだろう。
だけど、
「……お前、緊張してるのか?」
その表情は複雑だった。あ、いや、いつもの無表情なんだけど、複雑な感情を抱いていそうに俺には見えたんだ。
俺がスヴェンと初めて会ってすぐ、アイツの剣を見て「めっちゃデタラメに振り回すやん?」と思った。それでスヴェンに、無駄が多いぞと指摘したんだ。
——つーかおかしいと思わなかったのか? 単に剣を振り回すのがトレーニングだって聞いて。
——強い男だったから……。
——信用できる男だったか?
スヴェンは無言だった。
信用はできないが、強い男。
そしてスヴェンの故郷であるインノヴァイト帝国は、街中で使徒を募集する連中をちらほら見かけるほどに、武術が盛んな国。
そのスヴェンが隣国のクラッテンベルク王国の騎士学校に在籍しているのだからおかしなことだ。
スヴェンは自分語りをするヤツじゃなかったけど、さすがにここに来るまでに俺はスヴェンから聞いていた。
——俺の実家は、「流水一刀流」剣術を教えています。父はその流派の当主です。
スヴェンはそう、言ったのだった。
* 皇城 *
城としての高さは低いが、主城の外壁は白一色の石材で造られ、一歩城内に入ると磨かれた大理石の床に柱という「贅をこらした」という表現がぴったりくるのがインノヴァイト帝国皇城だった。
ここには帝国の頂点である皇帝と直系皇族が住まう。皇城の周囲には帝国の政を行う議場があるため、主要な貴族は毎日登城している。
そのせいか——あるいは武術を重んじる国家であるゆえか、帝国貴族はクラッテンベルク王国の貴族と比べるとスリムで筋肉質な者が多かったりする。さらには、貴族の数が王国の3分の1くらいしかいない。
この国では貴族であることよりも武術の達人であることのほうが尊ばれているのである。
貴族は星の数ほどある武術の流派のうち、いくつかのパトロンもしており、後援している流派が盛り上がれば貴族の権力も上がり、衰退すると肩身も狭くなる。
「久々の『剣匠戦』ですな」
「ええ、まったく。『剣』はなかなか順位が入れ替わらなかったが……」
「だが大きな流れは来ていましょう。時代が変わります」
3人の貴族が、議場のラウンジで談笑していた。
「なにせ頂点が剣聖『岩穿双剣流』でしょう。時代は双剣です」
この国が認定している武術は5種類。「剣」「斧」「槍」「弓」「盾」だ。
5種類それぞれの頂点には「聖」の称号が与えられ、次点は「豪」の称号で3流派に与えられる。その次が「匠」であり、5流派となる。その下は全部ただの「流派」だ。
この称号は代表者による決闘によって「奪い取る」ことができる。
それこそがまさに「剣匠戦」であり、「豪」が欲しければ「匠」の称号を持つ者だけが挑める決まりがあった。「匠」は有象無象の流派から決闘を申し込まれることを覚悟しなければならないが、勝てば相手の流派の収入の4分の1を向こう5年受け取れるというメリットもあった。
「一刀流は剣豪と剣匠に1流派ずつしかありませんし、最近は三剣流や多剣流も増えています」
「多剣というのはどうなんでしょうな……勝てればなんでもいいという浅ましさを感じます」
「ほっほっ。北の者に勝つにはなんでもいいでしょう? 使えるものを使わねば」
インノヴァイト帝国がここまで武術を重要視しているのには理由があった。それは北の国境を「雪と氷の王国」に接しており、ここには血気盛んな冬巨人がいる。冬巨人のテリトリーには溶けにくく冷気が長持ちする恒久凍氷という氷があり、これが大変な高額で取引されていることから、帝国にとって必要不可欠なものだった。
つまり恒久凍氷を奪うには武力が必要で——巨人を打ち倒すほどの——しかもスノウマンキングダムとは常に紛争があるような状態であるために、帝国は武力を必要としていた。
実のところ、冷蔵庫の魔道具や製氷にも恒久凍氷は使われていて、帝国内だけでなく王国に住むソーマも恩恵にあずかっていたりする。
いずれにせよ、帝国からすると冬巨人は確実に倒すべき相手で、そのためには手段を選んでなどいられない。
「勝った者が強い。それこそが我らがインノヴァイト帝国の文化でしょう? 剣が1振りで足りぬのなら、2振り持てば良いのです」
「そうですな。今回剣匠戦に挑む『雷火剣術』流派は、長らく一刀流でしたが双剣にして、使徒を大いに増やしたとか」
「ほう……」
「対する剣匠『流水一刀流』は勝てるかどうか」
貴族たちは、自らが推しているわけでもない流派の争いを、完全に他人事として話していたのだった——。
* 流水一刀流訓練場 *
密集している住居が並ぶ帝都にあっては、あり得ないほどに広い敷地と、100人が素振りをしても問題ないほどに広い訓練場。
屋根はあるが足元は剥き出しの地面という訓練場では、10人ほどが木剣で手合わせをしており、その5倍はあろうかという人数が壁際で観戦していた。
「——強い、ジャンさん強い!」
「——ウチじゃ圧倒的だよなぁ」
「——もしかしたら当主様より強いんじゃ……」
「——バカ、言葉が過ぎるぞ」
そんな言葉が交わされるほどに、訓練場の中央で剣を振るう男は圧倒的な強さを誇った。
訓練着はシャツにズボンという簡素な出で立ちだが、レザープロテクターを身体のあちこちにつけている。
赤い髪をなびかせる彼は、周囲より身長もあり、190センチは超えようという高さだ。
筋肉も相応についているのだが背が高いせいですらりとした印象を与える。
だがその筋肉は確かなもので、彼が振るう木剣は唸りを上げ、相対する相手の木剣を吹き飛ばしていく——周囲が「圧倒的」と言ってしまうのもさもありなんだ。
「…………」
当主は——どかっとイスに座って腕組みをし、その光景を眺めていた。
肉体は鍛え上げられており、無駄な肉など一切ないというほど。
だけれど若かりしころの全盛期に比べれば衰えが始まっているのは否めないだろう——彼は長い銀髪を後ろで縛っていた、その中には白くなった髪も紛れている。
髪を縛る飾り紐は水色と銀が組み合わさったもの。
両端に赤の丸石がある飾り紐は、この帝国においては「流派当主」であることの証だった。
「はあぁ〜、これじゃもう誰も相手にならねえな」
赤い髪の剣士、ジャンは言ってちらりと当主を見やった。
当主は厳しい顔でじっとジャンを見つめていたが、
「……稽古をつけるか」
と立ち上がる。
その瞬間、訓練場内は静けさに包まれた。
「剣匠」である「流水一刀流」の当主にはそれだけの迫力と、威厳があった。
「……ハッ」
だけれどジャンは、小さく笑った。
「別にいーっすよ、当主。堅苦しい流派の剣術なんて俺には必要ないし。それで俺の強さが相殺されたら意味ないっしょ?」
「だがな、ジャン。ここは『流水一刀流』であり——」
「俺は街にでも繰り出してきますわ。当主はせいぜい『剣匠戦』の準備でもしててくださいよ」
当主に背を向けると、ジャンはふらっと訓練場を出て行ってしまった。すると、彼を追うように使徒の10人ほどがぞろぞろと出て行った——彼らは「ジャン派」だった。
「…………」
当主は再度イスに腰を下ろすと、「稽古再開」を命じたが、使徒たちはあまり身が入らないようだった——。
その日の稽古が終わると、使徒たちは訓練場を出てそれぞれの家に戻る。
半日を訓練にあて、あとは別の仕事を持つ者もいれば、自己鍛錬にすべての時間を捧げる者もいる。
流派は傭兵団のような役割をしており、モンスターや盗賊、国境紛争などでの戦闘命令があればそれに従って動き、働きに応じて報奨金を得る。ふだんはパトロンである貴族から金銭面での援助を受けているが、「剣匠」ともなると国からも定額の予算をもらうことができた。
だから使徒で、本気で強くなろうとしている者には給金を払っている。
「……ふー……」
「流水一刀流」の当主は、質素な執務室で、書類を見ながら厳しい顔をしていた。
すべての流派が潤沢に予算を持っているというわけではない。
「流水一刀流」はあまり良い方ではなかった。
有名な流派は使徒から月謝をもらうところもあり、また有名な武芸者がいるところはそれだけで貴族からの手厚い支援を受けることもあり、そうすると懐は潤う。
だけれど「流水一刀流」はそれをよしとしなかった。
——武術は誰にでも開かれている。剣一本あれば、戦える。
それは「流水一刀流」の過去の剣士が語った言葉とされ、執務室の壁にもこの文言が飾られてあった。
「アラン殿——ああ、ここにいらしたのですね」
そこへ現れたのは当主と同じ年頃の男性だったが、肉体は一般人のそれだ。
流派の訓練場兼、当主の邸宅であるここにおいては、一般人のほうが目立っている。
「何度見つめたって、ここの蓄えは変わらないでしょうに。これ以上倹約倹約と言ったところで苦しくなるだけですよ」
「わかっている。お前がうちの金の管理をしてくれるようになって、かなりよくはなったんだが……」
「まあ、役所の仕事をしながらではあるから、これくらいしかお手伝いできませんけどね」
「なんとか、もう少し使徒に給金を増やしてやりたいが……」
「もしかして、『剣匠戦』を引き受けたのは収入を気にしてのことですか?」
「いや……剣匠たるもの、『剣匠戦』を引き受けるのは責務だ。もちろん、勝てば収入が増え、負ければ剣匠の地位を失うがな」
「勝てる自信があるのでしょう?」
「当然だ」
その言葉は揺るぎなかった。
たとえ「時代遅れ」と言われる一刀流であっても、剣匠の名前は伊達ではない——そう心から信じていることをうかがわせる断言だった。
「ではどうして難しい顔をしているのですか? アラン殿、あなたは……もしや今になってスヴェンさんを王国にやったことを後悔しているのですか」
「それはない。スヴェンは剣士として、生きてはならない」
当主——アラン=ヌーヴェルがそう断言したときだった。
「——当主様! 当主様!」
使徒のひとりであり、住み込みで家事も受け持ってくれている少年が駈け込んできた。
「お坊ちゃんが、スヴェン様がお帰りです!」
ハッ、とした顔で手伝いである男性が当主を見ると、
「……なんだと?」
アランはそれまで以上に険しい顔をして立ち上がるのだった。