蛇の目
前回あらすじ:
他校の優等生、テムズとリッカに絡まれたソーマだったが爆速で逃げ切った。
他クラスの偵察をしたソーマはその帰り、不審な動きをする人物を見かける。蛇のような目をした他校の教員だ。その姿に怪しさを感じたソーマは彼を尾行することにする。
蛇のような目をした教員は最低限周囲を確認しただけですいすいと敷地内を進んでいく。手元には地図らしきものを持っているので土地勘があるというわけではないようだ。
真後ろからつけていく俺には全然気づいた様子はない。
「この方向は……」
わかった。
大練武場——明日の個人戦が行われる会場だ。
日程的には明日から第1学年、つまり俺たちの学年の個人戦が行われ、翌日から2年生、3年生と続いていく。
練武場の確認に来たわけじゃなさそうだけど……。
「?」
俺はふと自分の背後を振り返った。
だけどそこはしんと静まり返った道があるだけだ。
「…………」
気のせいか。
なにかいたような気がしたんだけど……ああ、俺も俺で、慣れない尾行なんてしているもんだから後ろが気になるんだな。
「やべっ」
あの教員は大練武場の鍵を持っているのか、裏口のドアを開くと中へと入っていった。
大練武場は六角形をした建物で、すり鉢状になった観客席と、中央には1対1で戦うには十分過ぎるほど広いスペースがある。
個人戦は1回の戦いが長引くものでもなく、また全員が全員参加するわけではないのですべての試合がこの大練武場で行われることになっていた。
俺はつるりとした壁面に、唯一凹んでいる裏口の入口に手を掛ける。
鍵は開けられたままだった。
周囲を一度確認してから俺も中へと滑り込んだ。
(……明るい)
飾り気のない殺風景な廊下だったが、天井の明かりは点いているので十分に明るい。魔道具による明かりだけれど、こうして見ると蛍光灯みたいだなと思ってしまう。
(どっちに行った?)
俺は足音を殺して歩いていく。
こんなことになるなら「忍び足」みたいなスキルを伸ばせばよかったな……。
何度かチャレンジしてみたんだけどなかなか伸ばすのは難しかったんだ。体格のせいか、俺には向いていなかったみたいで。
「!」
いくつか分岐する廊下の先で、カチャリ、という音がした。
先を急ぐと——そこは、
「『白騎クラス控え室』……?」
個人戦のステージにつながる、各校の参加者のための部屋……ということだろうか。
なんでこんなところに用が?
聞き間違い、じゃないよな……確かにここの部屋から音が鳴ったはずだ。
「…………」
俺はドアに耳を当ててみると、確かに室内から小さな物音がする。ここにいるのは間違いないようだ。
どうする? ここでドアを開いたら明らかに蛇の目の教員にバレる。でもヤツがなにかここでやっていることは間違いない。
(……隠れよう)
俺は向かいの部屋の扉を開いた。そこも控え室のようだったが、イスとロッカーが並んでいるだけで少々ほこりっぽかった。
人数が多いときに使う、控え室の控えか?
まあ、そんなことはどうでもいいや。
「…………」
その部屋のドアに耳を当てていると、数分して向かいのドアが開く音がした。
「これで白騎クラスも……」
そんな声が一瞬したが、そこから先は聞こえなかった。
なんだ?「これで白騎クラスも」なんなんだ?
「…………」
ゆっくりと、慎重にドアが閉じられると、男の立ち去る足音が聞こえた。
俺はそこからさらに5分は待った。
ドアをゆっくりと開くと、廊下の明かりは消えていた——つまり真っ暗だった。
「よぉし……」
真っ暗であっても真向かいの部屋のドアを開くことくらい問題ない。
俺は「白騎クラス控え室」とやらに入ると、壁をまさぐって魔道具のスイッチをオンにした——パッ、と室内が明るくなる。
さっきまでの掃除が済んでいないような部屋とは違い、こちらは美しく整っていた。
絨毯は新品のように毛並みがよく、テーブルもピカピカだ。
まるでティーサロンのような落ち着いた装飾の室内に、壁際にある、刃を引いた模擬戦用の武器だけが異質を放っている。
「さて、と……アイツはなにをやらかしたんだ?」
個人戦の前日に白騎クラスの控え室に忍び込む。
やることと言ったら……まあ、なんらかの妨害って考えるのがふつうだよな。
俺は棚やらなんやらを調べて、時限爆弾みたいなものがないかを確認したけれどそういったものはなかった。
というか、カラッポだった。
明日、白騎クラスの使用人たちが持ち込むのかもしれないな。
「そうなると……やっぱり武器か?」
並んでいる武器を確認してみる。
うーん……見た目はあまり違いがないようだけど。ああ、まあ、黒鋼クラスで使っているものよりははるかに装飾が凝ってるしカッコイイけどね?
「ん?」
俺は並んでいる武器のうち、3本だけあった剣に気がついた。
その剣の表面になにか塗られているような……。
「……油ってことはないよな。真剣じゃあるまいし」
真剣は刃が錆びるのを防ぐために油を薄く塗ったりする。
「ってことは……」
俺はハッとして後ろに飛びのいた。
「毒……!?」
あわてて口元を抑える。
揮発して吸い込んだりしてもヤバイものだったら俺の意識は飛んだりしそうだけど、今のところそれは大丈夫そうだ。
なら、これは相手を傷つけたときに効果があるようなものってことか……?
刃が引いてあるとは言え、擦り傷やかすり傷はいくつもつくのが模擬戦だ。
もしそこに猛毒が入り込んだら——。
「……そのとおりだ」
「!?」
俺は、声にぎょっとして振り返る。
その声はすぐ真後ろから聞こえたのだ。
「おっと動くな」
「!!」
「動けばためらいなく刺す——同じ毒が塗ってあるぞ」
首元に刃を突きつけられていた。確かにその表面にはヌラリとした液体が塗られている。
そして俺の目の前には、蛇の目の教員が立っている。
(き、気づかなかった……! 戻ってきたことも、部屋に入られたことさえ……!!)
もしや忍び足やそれに類するエクストラスキルなのか?
「ア、アンタ……気づいてたのか……」
「これでも鼻が利くんだ。あんな至近距離に隠れられれば気づくさ」
クソッ……反対側の部屋に隠れたのがミスだったとは……。
「それで? お前は大公派の犬か? それとも第3王子派閥? ん……そう言えば黒髪の1年が学年首席だと聞いていたが、そうか、お前が平民のソーンマルクス=レックか」
「そ、そっちこそ白騎クラスの武器に毒を塗ってどうするつもりなんだよ……人死にが出るぞ」
「バカが。質問しているのはこちらだ——言っただろうが、これは毒だぞ」
「っ!」
刃の切っ先が、つん、と俺の喉に触れる。
今……切れたか? 切れたらそこに毒が入るのか?
死ぬかもしれない——という感覚に全身が麻痺したようになる。いや、これは毒による麻痺ではないのか? 傷はついたのか? どうなんだ?
「……くくくっ、いい表情をするではないか。正直に話すのなら少しは長生きできるし、苦しまずに死ぬことができるぞ。この毒は強烈でな。体内に入ると全身がうっ血し、肌から血が噴き出し、血だるまになって死ぬ。その絶叫を聞いた者は三日三晩眠れぬほどさ。どうだ? 今すぐ試したいとは思わないだろう?」
「…………」
どうする、どうしたらいい。
こいつは俺がどこぞの誰かの手下だと勘違いしてる。それを逆手に取れないか? どうやって?
「質問に答えろ。お前は誰に命じられて動いている?」
「お、俺は……」
なんて答えるのが正解なんだ!?
「早く答えろ。さもなくばこの控え室を血まみれにし、明日の個人戦もできなくなるぞ?」
「——それは困るなあ」
「ッ!!」
その瞬間、俺も、蛇の目の教員も、予想だにしなかった声が聞こえた。
次の瞬間には俺の喉元に突きつけられていた刃が、真横へと吹っ飛んでいった。
そんなことを可能にしたのは鋭い突きの一撃——針のように尖ったレイピアによる刺突だった。
「っく」
蛇の目の教員は刃を手放してしまったものの身体を回転させて侵入者に蹴りを放つ。一撃は強烈で、侵入者のボディに当たるやガインッと金属質の音を立てる。
「とっとと」
金属——鎧か?
侵入者は背後にバックステップを踏んで教員と距離を取ると、俺、教員、侵入者との間で5メートルほどの三角形ができた。
「貴様……!!」
教員の目が見開かれた。
俺も、驚いた。
落ち着いて見るとその侵入者が着ている鎧は——白銀のごとく輝く白。
胸当てに彫られた紋様は獅子。
たなびくマントの色も白とくれば、それはすなわち、
「白騎獣騎士団、正騎士!?」
この学園にいるはずもない、正騎士。
本物の騎士だ。
であれば納得できる。
部屋に入った瞬間に距離を詰め正確無比の刺突で刃を吹っ飛ばすほどの技量があることは。
一歩間違えれば俺の喉に傷がつくところを、完全無傷で終わらせたのだ。
騎士はたてがみのように金髪を逆立て、いたずらっ子のような青い目で俺を見る。
「名乗りが遅れたが、緊急事態ゆえに許せよ。俺はラスティエル=ソーディア=ヴィルカントベルク。白騎獣騎士団所属の騎士だ」
身長は190ほどありそうだが、ひょろりとした感じをまったくさせない、がっちりとした筋肉質な身体だ。
さっきの動きを見ればその筋肉が張りぼてのそれではなく鍛え上げられたものだということがわかる。
鈍重さもない。足取りは軽やかで、床が絨毯ではあったが石畳であったとしても彼は足音ひとつ立てずに動くことができるのだろう。
まさに——野獣。
俺は、この人が洗練された白の獣などではなく、野生の獣だと直感したのだった。
「ヴィルカントベルク……! なぜ中立の大公が私の邪魔をする!?」
教員が憎々しげに騎士ラスティエルを見据える。
「『なぜ』だぁ?」
ニィ、とラスティエルが笑う。
「『中立』も『大公』も関係ねぇよ。騎士は国の『剣』。振り下ろされたそのとき、目の前の相手を血まみれにしてやるだけさ」
「——ッ!」
次の瞬間、ラスティエルは教員との距離を一気に詰めていた。
たった一歩歩いたほどの気軽さで、5メートルもの距離が縮まったのだ。
だけど教員もたいしたものだった。
弾丸のように放たれたレイピアの刺突を半身ひねってかわし、懐から巾着袋を投げつけたのだ。
これにはラスティエルも不意を突かれたようで、急制動した身体で横に跳ぶ——この部屋の入口へと。
教員が逃げるのを防いだのだ。
だが、教員は逃げるつもりはないようだった。
彼はポケットから黒い錠剤を取り出し、口に運ぶ——。
(——自決する気だ)
俺は、直感した。
向こうのラスティエルも同じように「しくじった」という顔をしている。
(させるかよ——)
俺の身体も自然に動いていた。
武器は持っていない。
教員との距離は3メートルほどある。
だけど、
(伸びろ)
俺の手には、
(伸びろ伸びろ伸びろ伸びろ伸びろ伸びろ伸びろ伸びろ伸びろ伸びろ伸びろ伸びろ!!!!!)
ぬるりとまとわりつく、なにかがあった。
それは3メートルの距離を一瞬で縮め、教員の指先にまとわりつくと、
「んなっ!?」
つるりと黒い錠剤を滑らせた。
錠剤は教員の目にべしっと当たると、床へと落ちていく。
「——がほっ」
教員が次の錠剤を手にするよりも先に、ラスティエルは再度距離を詰めて教員の腹に拳をめり込ませていた。
教員の身体が「く」の字になって、
「うぐ、ぐ……無念」
俺を、視線で殺せそうなほどに憎々しげににらみつけながら、気を失った。
こ、怖えぇ……。
絨毯には黒い錠剤が一粒と、離れたところにさっき教員が投げた巾着袋、それに吹き飛ばされた刃が落ちていた。
巾着袋が落ちたときの音からすると硬貨が入っていただけのもののようだ。
「おいおい……やるじゃねぇか、坊主。今の魔法だろ? とんだ飛び道具持ってやがるな」
「その、ナイショにしといてもらえます?」
俺が魔法を使えるとバレたらまたぞろめんどくさいことになる。
「この教員を捕まえたお手柄は、ラスティエル様に差し上げますから」
「バァカ、教員の不祥事なんて闇から闇に消えるに決まってんだろ。まあ、なんとか生け捕りにはできたから自白はさせっけどなぁ、薬なりなんなり使ってよ」
え……怖っ。貴族の闇、怖っ。
「それにな、学生の秘密をうたって喜ぶほど落ちぶれてもねーよ。後は俺がうまくやっとくからお前は安心しとけ」
「あ……ありがとうございます」
「おう、恩に着ろ」
がはははは、と笑う騎士ラスティエル——ラスティエル様は「大公」と呼ばれたほどの家名によらず、気さくな方だった。
「あれ? もしかしてラスティエル様って俺のこと尾行してました?」
「…………」
「なんか気配がすると思ったんですよね」
「……そ、それはまあ、アレだ、今年の1年に黒髪黒目の平民出で、ラーゲンベルクのガキを押しのけて1位になってるヤツがいるとか聞いて興味があったとかそういうわけじゃねーからな!」
「全部しゃべりましたね」
「お、お前なぁ! なんだよさっきのは! 全部見えてただろ!? 武技はてんでダメって聞いてたのに、お前、腕を隠してんな?」
「あー」
ラスティエル様と教員との攻防から自決まで、3秒も掛かっていない。
俺がそのすべてを把握できたのはエクストラスキル「空間把握」を発動していたからだった。
「ま……それもまたナイショってことで……」
そこまで話した俺は——ふと、身体から力が抜けていくのを感じた。
安心したからだろうか?
「お前とんでもねーな。まあ、武技の腕を隠してるってのは正解だぜ。これでお前が頭だけじゃなく強いとなったら、もっと……って、おい?」
あ、そうか、魔力を使いすぎたからか。
「おい!」
俺はそのまま絨毯の上に倒れてしまう。
衝撃は感じなかった。
絨毯が柔らかかったからか、あるいは倒れる直前にラスティエル様が抱きかかえてくれたからか。
「おいいいいいいい!?」
ラスティエル様の戸惑った声だけが聞こえ、俺の意識は途絶えた。
拙作「裏庭ダンジョンで年収120億円」がアーススターノベルから書籍化が決まりました。
来月2月16日に発売予定です。
イラストレーターはttl先生で、めっちゃすばらしい仕上がりなので書店でお見かけの際は手に取ってみてくださいませ。
ごりっと修正や加筆がされていて読み応えもアップしとります。