ゆっくりと動き出す貴族の毎日
黒鋼寮に戻るとスヴェンがトッチョと連れ立って汗を流しに行くところだった。
アイツらほんと仲良しになったな。裸の付き合いまでできるようになったのかよ。
まあ、裸の付き合いっつっても井戸水を汲んでばしゃばしゃ掛け合うくらいだけどな。まだまだ外は暑いし。
「ん? 夏休み中に貴族の間で話題になってたこと? ……どういう風の吹き回しだよ? ソーマって貴族に興味なんてないんじゃなかったっけ」
部屋に戻ると同室のリットが戻っていたのでさっきキールくんたちに聞いた話をしてみることにしたんだ。
「いや……なんか、キールくんも巻き込まれてるっぽい話だからさ」
「あぁ、そうだろうね。キルトフリューグ様はジュエルザード第3王子派閥だと思われてるから」
「やっぱりリットも知ってるのか?」
「まあ、ね。次期国王レースの筆頭がクラウンザード第1王子で、その次がジュエルザード第3王子なんだから話題にならないほうがおかしい」
「……うちの村ではそんな話にならなかったぞ?」
「なるわけないでしょ。ボクが言ってるのは王都の上流階級の話」
ですよね。
話題になると言えば、誰が誰と不倫したとか、どこそこの家の牛が死んだとか、今年は豊作だとか、そんなのばかりだ。
「ボクが知っているのは第1王子は地盤を固めるために新興貴族を優遇したり、もともとお金の使い方が派手だったのが最近は輪を掛けてすごいとかだけどね」
俺がキールくんから聞いたのもそんな話だった。
これから、第3王子のジュエルザード殿下が政治に関わっていこうという年齢なのに、第1王子がこの体たらく。
保守的な貴族は「第1王子よりも第3王子のほうが王太子にふさわしいのでは?」と考え始めた。
そうなると第3王子の周辺はさわがしくなりキールくんもいろいろと忙しくなるかもしれないということだ。
最悪——第1王子派閥との争いが発生するかもしれない……。
「……ま、キルトフリューグ様は第3王子派閥の筆頭だから、いっしょにいたらソーマも危ないよね」
「リット、お前そこまで知ってたのかよ?」
「君が知らなさすぎるんだよ。とは言っても、派閥争いなんて何年も後のことかと思っていたんだけど……夏休みの間に有力貴族が動き出すとは思わなかった」
リットはその「有力貴族」とやらの名前をいくつか挙げたけれど、もちろん俺との面識などあるわけもない。
ちなみに言えば蒼竜のヴァントールは第1王子派で、黄槍のマテューたちは今は中立だ。リエリィの実家は国王派とでも言うべきか、そのときの国王に忠誠を誓う……中立と言ってもいいのかもな。
「荒唐無稽な話ではあるんだけど、こんなウワサも広がってるよ」
リットは付け加えた。
「第1王子は貴族間の軋轢をなくそうとしている……その証拠に黒鋼士騎士団に肩入れしている、なんてね」
「…………?」
「もしそれがほんとだったら、学園の黒鋼クラスの地位が向上するだろうから、是非とも真実であってほしいものだけどね〜」
リットは冗談っぽく言ったが、俺はドキリとした。
(それってむしろ、第3王子の話じゃね……?)
だけどキールくんからはそんな話は聞かなかった。彼が知ってて俺に言わないってことはないよな……俺に遠慮するような内容でもないし。
じゃあ、キールくんは知らなかったのか。リエリィも?
でもリットが先に知っている……ウワサだけがひっそりと広がっているってことか。
なんだよそれ。なんか気持ち悪いな。
「? どしたん、ソーマ」
「あ、いや……なんでもない」
俺は首を横に振った。
そんなこと考えても俺になにかわかるはずもない。
気にしてもしょうがないだろう。
*
きなくさい政治の動きなんて、実際のところ俺には関係があるはずもなく——学園生活は進んでいった。
順調に? と言われればそんなこともない。
最近のトラブルの中心地は、
「——クソッタレ! またかよ!!」
黒鋼クラスの教室前に、泥がまき散らしてあった。
叫んだのはトッチョだ。
イラつくのもわかる……これで5回目だからな。
朝から汚れた廊下の掃除とかマジでテンション下がるわ〜。
最初の1回は教室内が被害に遭ったので、ジノブランド先生と相談して鍵を掛けることにした。
そうしたら次のターゲットは廊下だ。
廊下を封鎖するわけにもいかないし、毎晩嫌がらせをしてくるわけでもないので、待ち伏せして犯人を捕まえることもできていない。
「お前の従兄弟、まだ根に持ってんの?」
とはいえ、犯人が誰かはわかってるんだけどな。
トッチョの従兄弟だ。
俺を退学に追い込もうとトッチョにテストの八百長をやらせようとし、逆に反抗され、さらにはトッチョをリンチしようとしたが俺に教育的指導されたトッチョの従兄弟である。
「ああ、そうだよッ! 昨日も派閥に入れとかごちゃごちゃ抜かしてきやがるから、槍を向けたらあわてて逃げていきやがった」
「お、お兄ちゃん! 今日の嫌がらせってお兄ちゃんが変にプレッシャー掛けたせいじゃないの!?」
我がクラスの文豪ルチカ先生(トッチョの妹)が言うと、
「…………あ」
それに気づかなかったのか、トッチョはぽんと手を打った。
「お前バカだなー。もうちょっとうまくやれよ」
「ソーマには言われたくねえんだが!?」
「さっさと掃除しちゃおうぜ」
俺はみんなを促して掃除に取りかかる。
泥だけ、ってのが温いよな。
これがうちの田舎だったら牛の糞尿をぶちまけるわ。
きっとそんなもの持ち運びするほどの根性もないから、適当に泥で嫌がらせをしてるんだろう。
「つってもまぁ、許さないけどね……」
「あん? ソーマ、なんか言ったか?」
「別に。今日の授業のこと考えてただけよ」
「じ、授業……」
俺がにやりと笑うと、すすすとトッチョが離れていった。
おい、トッチョどこへ行く。お前がいちばん掃除がんばらなきゃいけないヤツだろ。
その日の夕方、俺は碧盾寮の裏手にある森へやってきていた。
碧盾寮は黒鋼の10倍くらいの規模で、ちょっとした団地のようにすら見える。
実際、5学年で400人近くの学生が住んでいるし、そこで働く人数を考えるとデカくなるのは当然だよな。
「——クソッ、なんで俺がこんな雑用を……!」
裏口から出たところには井戸があり、鍛錬を終えた生徒たちが自由に使うことができるようになっているのだけど、寮内には風呂も完備しているからわざわざ外の井戸を使う者は少ない。
そんな井戸へ、愚痴を言いながら現れたのは——トッチョの従兄弟だ。
碧盾クラス3年で、子爵家の子。
もう16歳にはなるだろうに体格はひょろっとしていて、このまま成長してほんとに騎士になれるのだろうか?
彼は井戸から水を汲み上げては、ぜえぜえ言っている。
バケツに移した水をどこに持っていくのか——森の入口、土の山だ。
「めんどくせえったらねえよ……!」
土の前でようやく息をつく。
「だけど、まさか泥をぶちまけられた翌日にまたぶちまけられるとは思ってないだろ。ざまあないぜ。それにこの子爵家の俺が、そんなことをやってるとは思いもしまい」
いやいや、バレバレだけどね?
現行犯を押さえられてなかったから見過ごしてただけでさ。
今日の授業が終わった後、トッチョは「夜通し教室の前で犯人が来るのを待つ」とか言ってたんだけど、そんな行動はバレバレなので止めさせたんだ。
で、むしろ教室も廊下もガラガラにして、外では「今日の明日で変なイタズラもないだろ」とわざとウソの情報を流した。
もちろんそれだけでトッチョの従兄弟が動くかどうかはわからなかったし、夜通し教室の前にいるのもバカバカしい。そこで思いついたのが——泥を作っている場所を見張ろうということだった。明るいうちに泥は作っておくだろうなとは思ったし。
そうしたら案の定、こうしてやってきた。
「トッチョのバカが! 死ね!」
ばっしゃーん、とたらいの水をぶちまけた。
あとはシャベルでも使ってバケツに泥を移す——みたいなことをしていたのだろう。
今までは。
「……あ?」
だけど今日はいつもと様子が違う。
——ヴヴヴヴウウヴヴヴヴヴヴヴヴヴ。
「あああああああ!?」
泥の中から大量の蜂が飛び出してきたからだ。
もちろん、俺が仕込んでおいた蜂の巣だ。
この世界の蜂で、警戒心が薄いのかそっと木から巣を取り外すと大人しいのだが、攻撃されると一気に気性が荒くなる。
そんな蜂の巣が、パッと見ではわからないよう土でデコレートしておいたのだ。
「な、なななんなんだ!? 来るな! バカ野郎、来るな!! ——イデッ、イデエエ!!」
トッチョの従兄弟は蜂に刺されまくって、泣きながら寮へと戻っていった。
フッ、勝ったな。
それからというもの泥がぶちまけられるような嫌がらせはなくなった。
トッチョは「あの従兄弟にしてはあきらめが早ぇな……」なんて首をひねっていたけどね。
「……ソーマ、君なにかしたんでしょ?」
ジト目で我が同室のリットくんが見てくる。
「なにかってなに? 大体俺がなにかしたらもっと嫌がらせが加速するだろ」
「それは……確かにそうなんだよなぁ」
リットも首をかしげている。
「俺はなんもしてねーよ」
ただ戯れに蜂の巣を取ってきて、土をかけておいただけ。
トッチョの従兄弟はあくまでも「自爆」したのだ。
「俺はね」
汚れていない廊下を通り抜けて教室のドアを開く。
「さ、今日も授業を始めようか」