その花 第七章 : 葬天の刻 9
花が難民たちによるネスク制圧事変を未然に防いでから、七週間後――。
九月十九日、火曜日、午前十時。
花は椎菜映美と一緒に、湾岸道路を走る自動運転車に乗っていた。二人とも落ち着いた色のスーツに身を包み、脇には大きな花束と、ふた付きのバスケットを置いている。
「ねぇ、ハナミー。今年の国連総会は大荒れだってさ」
映美が携帯端末でニュースを見ながら話しかけた。
「またケンカ?」
花は淡々と訊き返す。先週の火曜日から国連の通常会期がスタートしたが、その会議の席で何やら乱闘騒ぎが起きたということは聞いていた。しかし、ここ数日は料理に没頭していたので、あまりニュースは見ていなかった。
「そうそう」
映美は画面を見ながら肩をすくめた。
「先月から欧米諸国が難民の受け入れを停止したことに、中東とアフリカ諸国が猛烈に抗議してるんだって。それで会議中に、どっかの国の大統領同士が殴り合いを始めたみたい。なんていうか、バカだよねぇ」
「ほんと。いい年こいた大人のくせに、みっともないわねぇ」
花も呆れ顔で息を吐き出す。
しかし、国際会議が荒れるのは当然だと花は思った。何しろほんの四十九日前に、11万の戦争難民が受入れ先の地域を武力で占領し、自分たちの国を創ろうとしたばかりだからだ。
しかも難民たちはそのために、外国の軍隊を呼び込むという暴挙に出た。それは他国に侵入して土地を奪い取る行為――つまり侵略戦争そのものと言える。善意でおこなわれた難民支援の人道的行為が、逆に戦争の火種になったという異常事態に世界中は震撼した。
そのため、北米や欧州などの難民を受け入れていた世界各国において、難民に対する危機感が表面化し、難民政策に対する論議が噴出。それと同時に、ほとんどすべての国家で愛国主義と民族主義のナショナリズムが活性化。難民受け入れ反対の声は日増しに大きくなり、難民の強制送還を訴える大規模なデモ活動へと発展。
そしてついに、巨大なうねりとなった市民運動に背中を押される形で、各国政府は難民支援の方針転換を表明。多くの国が、難民を発生させている紛争当事国に対する内政支援を標榜し、受け入れていた難民の送還を開始したが、それがただの厄介払いに過ぎないことは誰の目にも明らかだった。
しかし、それは仕方のない判断だと花は思う。
人道支援で受け入れた難民に、自分たちの国を荒らされるなんて冗談じゃない――。誰だってそう思って当然だからだ。そして今回の事件は、日本政府と自衛隊の対応が功を奏したので難民たちの占領は失敗したが、他の地域だったらおそらく成功していただろうというのが世界の共通認識だった。
つまり、何十万、何百万もの難民たちが一致団結したら、制圧することはほとんど不可能という単純な事実に、世界中の人間がようやく気付いたのだ――。
「――しかも中国なんか、自分たちは完全に無関係だって言ってるみたい」
「そりゃそうでしょう」
映美の言葉に、花は手のひらを上に向ける。
「軍隊を派遣したことを認めたら、国連憲章違反で平和の敵になっちゃうし、世界中から経済制裁を受けることになるからね」
「だからって、一部の軍人が勝手に行動したなんて言われても、そんなの誰も信じないでしょ。だって空母だよ、空母。あんなモノ動かしておいて、そりゃいくらなんでもムリがあるでしょ」
「それでもね、政治の世界では、認めなければどうとでもなるものなのよ」
「あ~あ、やだやだ。オトナの世界は汚いにゃ~」
映美は呆れ果てた声を漏らし、携帯端末の電源を切った。
「そういやハナミー。田川のオッサンって、実は社長だったって知ってた?」
「えっ? ううん。初耳だけど、そうなの?」
「うん。なんかね、地方のスーパーマーケットを運営している会社で働いていたんだけど、六年ぐらい前に宝くじで十億当たったんだって」
「十億!? なにそれ? ものすごい強運じゃない」
花は思わず目を丸くした。
「それでオッサン、思い切って脱サラして、友達と一緒に運送業の会社をつくったんだって」
「あー、なんとなくわかったわ。つまりその会社がうまくいかなかったから、ネスクに来たってわけね?」
「ううん、そうじゃないみたい」
映美は片手を横に振る。
「どうやら会社はうまくいってたらしいよ。だけど、その友達がカジノにはまっちゃって、二十億の借金をつくっちゃったんだって」
「えぇ!? 二十億!? それもまた、ものすごいわね」
花は思わず目を剥いた。
「しかもその借金を、連帯保証人だったオッサンが返すことになったんだってさ。それでオッサンは会社を売ってなんとか十五億までは返したんだけど、残りの五億がどうしても返せなくて、それでネスクに逃げてきたんだって」
「なるほどね……。なんだか、お人好しの田川さんらしい話ね……」
花は思わず窓の外に顔を向けた。涙は既にさんざん流したはずなのに、田川の顔を思い浮かべたとたん、鼻の奥が熱くなった。
「おやおや。ハナミーは泣き虫だにゃ~」
花の様子に気づいた映美が、ハンカチを花の膝にそっと置く。
「そんなこと、知ってるわよ」
花は外の景色を眺めながらハンカチを握りしめた。そしてそっと、目元を拭った。
***
花が映美にハンカチを返してから、二十分後――。
自動運転車はガラガラの広い駐車場に入って停止した。花と映美は花束とバスケットを持ち、青い空の下を歩き出す。二人が向かう先には大きく開かれた門があり、脇の案内板には『ネスク第二エリア・墓地公園』と書いてある。
園内に入った二人は、色とりどりのコスモスが咲く花壇の間を通り抜け、小さな噴水の奥へとさらに進む。その先は、広い芝生広場に銀色のプレートが整然と並ぶ墓地になっていた。
映美は花の前を歩き、二ブロック先の角で足を止めた。目の前の芝生の上には平らな大理石と、まだ新しいネームプレートが置かれている。
「よっ、オッサン。また来たよ」
映美は『田川篤志』と刻まれたプレートに優しく微笑みかけた。
「あら?」
不意に花が軽く首をかしげた。骨壺が納められた大理石の上に、大きな花束が捧げられている。
「誰か来たみたいね」
「きっとオッサンの彼女だよ。あの子、ほんとにいい子だもん」
映美はしゃがんで膝をつき、腕の中の花束をそっと並べる。
「あの日――。ほんとはあたしがスナリーと一緒に大山地区に行く予定だったじゃん? それなのに、あたしの体調が悪いからって、オッサンが気をつかって変わってくれたでしょ? あたしさ、そのことをオッサンの彼女に話したの」
「エミシー……」
花も芝生に膝をつき、映美の横顔に目を向けた。
「あたし、絶対に殴られるって思ってた。そりゃそうでしょ。だってオッサンは、あたしの代わりに死んだんだもん。……だけどあの子、ぜんぜん怒らなくてさ、逆にビックリしちゃったよ」
「エミシーのせいじゃないわよ」
花は映美の手をそっと握る。しかし映美は首を小さく横に振る。
「……でもさ、ハナミー。オッサンが生きていたら、あの子はきっと幸せだったと思う。あの子はオッサンと結婚して、子どもを産んで、幸せな人生を過ごしていたと思う。……あの二人はさ、外の世界で諦めた幸せを、ネスクに逃げてきてようやくつかんだんだ。それなのに……その幸せを、あたしが壊してしまったんだよ……」
映美の目から涙が流れる。
「ほんと、なんなんだろ……。あたしなんか、ただ毎日生きてるだけのしょうもない人間なのに……なんで……なんで愛してくれる人がいるオッサンが、あたしより先に死ななきゃいけないのよ……」
映美は大理石に両手をつき、ぽたりぽたりと涙をこぼす。
花は震える映美の肩を抱きしめた。そして一緒に、静かに泣いた。




