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その花 第七章 : 葬天の刻 7



 花がアーメドをこの世から消し去って、六時間後。


 日付が変わり、八月一日、明け方の午前四時五十分――。



 南町エリアに暮らすウルビランド人を殲滅した花たちは、海岸堤防に腰を下ろした。目の前に広がる海を眺めると、水平線に太陽が昇り始めている。花たちの背後には黒く焼け焦げた無数の仮設住宅が並び、命の絶えた黒い煙が暁の空に昇っていく。


「お疲れ様です」


 ヘルメットの前面を開いた藤沢が、花と草間にビニール袋を手渡した。中には近くのスーパーマーケットから接収してきた弁当と飲み物が入っている。花と草間も顔を出し、三人並んで黙々と食べ始めた。


「……まだまだですね」


 花がぽつりと呟いた。


 花たち三人が一晩で殺した難民の数は、41,288名――。エネルギースーツの表面に埋め込まれた無数のオートマチック・ディフェンス・レーザーをアクティブモードにすれば、半径100メートル以内の人間を自動的に探知して射殺する。そのため、花たちは町の中を端から端まで移動するだけでいいのだが、それでもまだ難民全体の半分にも達していなかった。


「疲れましたか?」


 草間が訊いた。


 疲れたに決まっている――。花はそう思いながら、首をゆっくり横に振る。


「泣き言は明日にします」


「……そうですね」


 藤沢もポツリと言った。


 食事を終えた三人は、弁当ガラを近くのゴミ箱に分別して捨てた。それから西町エリアに移動して、皆殺しを再開した。




***



 花たちが西町エリアに入ってから二時間十分後、朝の午前七時四十分――。



 西町エリアに居住するイギタリア人、14,050人を殺し尽くした花たちは、港に集まっていた。防波堤に囲まれた小さな漁港だ。ここには漁船を何隻か配備していたはずだが、今は一隻も見当たらない。


「どうやら、ダグラス・テイラーは逃げたようですね」


 朝日に輝く海面を眺めながら草間が言った。


「ここの沖には防波堤に守られた養殖場がありますからね」


 続けて藤沢も口を開く。


「あそこなら潜水艦の係留もできるから、麻薬の密輸と逃走ルートの確保に使ったんでしょう」


「そうですね……」


 花も水平線を見つめながら、気のない声で返事をした。


 それから三人は腰を下ろして水分を補給した。そして三十分ほど休憩してから北町エリアに移動して、最後の掃討作戦を開始した。



***



 花たちが北町エリアに入ってから八時間五十分後、夕方の午後五時十分――。



 北町エリアに住むヨビアン人、57,896人をすべてこの世から排除した花たちは、山林部にある精密機器製造工場に戻ってきた。


 夏の空には既に赤みが差し始め、近くの森からはヒグラシの合唱が響いてくる。工場前のサッカー場はガランとしていて、周囲に人の気配は感じられない。


「……結局、ハッサンは見つけられませんでしたね」


 ヘルメットの前面を開いた藤沢が悔しそうな声を漏らした。同じく顔を出した花と草間も無言で首を縦に振る。時間をかけて北町エリアの隅から隅まで捜索したが、ダグラス同様、ハッサンとその家族を見つけることはできなかった。


「ダグラスと一緒に潜水艦で逃げたのでしょう」


 三人そろって工場のロビーに入りながら草間が推測を口にした。


 休憩を挟みながらとはいえ、てっし、さらに夕方まで大山地区を歩き回った三人の足取りは重かった。体力的にはもちろん、精神的にもとっくに疲れ果てている。しかし三人とも厳しい表情のまま、工場の奥へとまっすぐ進む。


 先頭に立って歩く花は、倉庫の一つに足を踏み入れた。ダグラスたちが麻薬を隠していた場所だ。花は部屋の奥に進み、昨日と同じように腕を前にまっすぐ伸ばす。


「……なるほど。三次元透過装置ですか」


 山のように積まれた鋼鉄のコンテナが現れたとたん、草間が小さく呟いた。隣に立つ藤沢も、ため息を吐きながら周りを見渡す。


「あいつら、こんなに大量のドラッグを密輸していやがったのか」


「……たしか、ここだったんです」


 花も周囲の大きなコンテナを眺めながら振り返る。


「わたしがここを見つけた時、すぐ後ろにダグラスが立っていたんです」


 その言葉で花の意図を察したのだろう。草間と藤沢は腰のヒート・レイ・ガンを引き抜いた。


「あの時は気が動転していたので、入口の自動ドアが開く音に気づかなかったんだと思いました。ですが、もし、そうじゃなかったとしたら――」


 花はヘルメットの前面を閉じて、内部ディスプレイを赤外線探知モードに切り替えた。すると、奥のひと際大きなコンテナの内部に赤い熱源がいくつも見える。数えてみると、大小合わせて全部で14――。


 花はヒート・レイ・ガンの出力を抑え、コンテナの壁を大きく切り裂いた。すると中には14人の人間が隠れていた。9人のヨビアン人と、5人のイギタリア人だ。ハッサンとダグラスと、その家族全員がそろっている。


「……潜水艦で逃げたと思っていました」


 再びヘルメットの前面を開いて顔を出した花が、ダグラスを見据えて淡々と言った。


「――まあ、当然それも考えましたけどね」


 ダグラスは諦め顔でコンテナから出て、花に答える。


「クライアントとの契約なんです。何があってもここに残るのが、我々の仕事なんですよ」


「それは、一人でも難民が残っていれば、大山地区を占領する口実になるからですね」


 そういうことです――。花の言葉に、ダグラスは手のひらを上に向けた。


「中国は今回の計画にかなりの投資をしましたからね。そう簡単には引き下がれないということです」


「ですが、既に損切りの段階に入っているみたいですよ」


 冷たく言い放った花に、ダグラスはニヤリと笑ってさらに言う。


「それはそうでしょう。我々の独立宣言は、ネスクの通信妨害で遮断されてしまいました。それに海路も陸路も情報も完全に封鎖されては、中国は大山地区の状況をつかむことはできません。どう考えても作戦は失敗です。公海上で待機していた人民軍の戦闘艦隊も、今頃は撤収を始めているでしょう」


「それはつまり、独立宣言を世界に発信さえできれば自分は助かる――。ダグラス・テイラー。あなたはそう計算して、ここに隠れていたんですね」


「そういうことです。まさかネスクが、海底の通信ケーブルまで爆破するとは思いませんでしたからね」


「法条知事なら、それぐらいのことは平気でします」


「どうやらそうみたいですね。完全にワタシの計算ミスです」


 ダグラスは軽く肩をすくめ、花を指さす。


「ついでに言うと、ハナさんがここまでするなんて思ってもいませんでした。まさか大山地区にいる難民すべてを殺すなんて、あなたはとんでもない極悪人だったのですね」


「人を人とも思わないあなたたちは、もはや人間とは認められません」


「ハハハ。だから平気で殺したわけですか。いやいや、これは恐れ入りました。ですが、いくら口で強がってもハナさんは心優しい人間ですからね。これだけの大虐殺をしておいて、この先――」


 その瞬間、花はコンテナの中にヒート・レイ・ガンを向けて引き金を引いた。


 瞬時に青白い熱線が十歳ほどの少年を貫通する。金髪の少年は即座に燃え上がり、床に倒れて灰となった。


「デ……デリーックっ!」


 ダグラスは血相を変えて声を張り上げ、灰の塊に駆けつけた。しかし三兄弟の末っ子は、もはや指のすき間からサラサラとこぼれ落ちる粉となり果てていた。


「ガッデムっ! なんてヒドイことをしやがるっ! この人でなしがぁっ!」


 ダグラスは牙を剥いて花をにらみ上げた。しかし花は涼しい顔で、さらにトリガーを連続で引く。ダグラスの次男、長男、妻が次々に燃え上がり、炭となって崩れ落ちる。


「ああ……ああああああああ……」


 形をなくした愛しい家族を、ダグラスは震える腕でかき集めている。その様子を、9人のヨビアン人たちは青い顔で見つめている。


「ダグラス・テイラー。さんざん他人を食いものにしてきたあなたに、わたしを怒る資格はありません」


 花は淡々と言いながらダグラスに近づいていく。そしてダグラスの腕をつかみ、力任せに放り投げた。エネルギースーツで強化された腕力はダグラスを軽々と投げ飛ばす。ダグラスは近くのコンテナに激突し、床の上に転がった。


「あなたはとても口が上手です。ですが、あなたの言葉は、もはやわたしには届きません」


 花は再びダグラスに近づき、今度は彼の足を踏み砕く。同時にダグラスの絶叫が倉庫内に響き渡った。


「た……たすけ……たすけて……」


 ダグラスは激痛に涙を流しながら花を見上げている。しかし花はその顔をまっすぐ見下ろし、淡々と言う。


「いいでしょう。あなたがわたしの大切な人たちを生き返らせたら、助けてあげます」


「そ……そんなこと、できるはずが……」


「そうですか」


 花はくるりときびすを返し、元の位置に戻っていく。そしてダグラスに銃口を向けて、引き金を引いた。ダグラスは悲鳴を上げる間もなく燃え上がり、そのまますぐに燃え尽きた。


「――さて。ハッサン・サウード・ユーセフ・アルヤマン」


 焦げた肉の匂いが漂う倉庫の中に、花の凛とした声が響く。同時に民族衣装に身を包んだハッサンは、ビクリと肩を震わせて花を見た。


「あなたはどうして、セイの首を切ったのですか?」


「ハ……ハーナさん……。ワタシはただ、ダグラスに命令されて――」


 その瞬間、花はヒート・レイ・ガンのトリガーを引いた。泣きじゃくっていたハッサンの孫息子が即座に燃えて、灰となった。ハッサンは愕然と目を剥いたまま、灰の小山を見つめている。その強張った横顔に、花は再び質問する。


「あなたはどうして、セイの首でサッカーをしたのですか?」


「し、してない! ワタシはしてない! ワタシはサッカーなんか――」


 ハッサンが声を張り上げた瞬間、再び青白い熱線が走り、もう一人の孫息子が燃え尽きた。


「あなたはどうして、救いの手を差し伸べたネスクを裏切ったのですか?」


「ワ、ワタシは、ワタシは……」


 ハッサンは言葉に詰まった。アゴも膝もガクガクと震えている。花は絶望に染まったハッサンの顔から目を逸らし、連続で引き金を引いた。


 瞬時にハッサンの妻が燃え上がる。近くにいた孫娘も燃え上がる。三十代半ばの長男と次男も燃え上がる。その妻たちも燃え上がる。そして即座に燃え尽きて、ただの灰に成り果てた――。


 コンテナの中に一人残ったハッサンは腰を抜かして絶句した。花は淡々とした表情で、死の恐怖に怯えるアラビア人に近づいていく。そしてハッサンの頭をつかみ、コンテナの壁に何度も何度も叩きつけた。


 肉が潰れる音。骨が砕ける音。激痛に苦しむ呻き声――。


 草間と藤沢はそれらの音を聞きながら、花の私刑をまっすぐ見ている。


 この一年間、花が難民のために頑張っていたことを藤沢は知っていた。久能と顔を合わせるたびによく聞かされていたからだ。


 今年の三月、花が難民の永住化を実現するために、ネスク内を駆け回っていたことを草間は知っていた。テレビをつければほぼ毎日、難民と一緒に微笑む花の姿がそこにあったからだ。


 だから――二人の男は無言で奥歯を噛みしめた。


 誰よりも難民のために頑張ってきた心優しい女性が、誰よりも深い心の傷を負ってしまった。その怒りがどれほどのものか。その悲しみがどれほどのものか。男たちには分からない。


 愛する人を殺された。大切な友人を殺された。大事な仲間を殺された――。そんなこと、到底許せるはずがない。そんな悲しみ、到底耐えられるはずがない。だから、花の怒りを二人は止めない。止めようなんて思わない。ただ口を閉ざして見届ける。それがこの場で唯一の、人間が人間として下せる答えだった。


 それからすぐにハッサンは動きを止めた。その脱力した肉体を、花はコンテナの外に放り投げる。そして淡々とヒート・レイ・ガンのトリガーを引き、ネスクにやってきた難民最後の一人を焼き尽くした。




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