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その花 第七章 : 葬天の刻 5



 捜索を開始してから二時間後――。


 花たち三人は、大山地区の中央に位置する山の中に入っていた。花の土地鑑と適切な推測によって、一般市民の救出は順調に進んでいた。南町エリア・西町エリア・北町エリアと無駄なく回り、囚われていたネスク市民の全員をサイレント・ビーで脱出させることに成功――。


「――あとは、あの工場にいる技術指導スタッフだけですね」


 大木の陰に身を潜めた藤沢が呟いた。闇に包まれた森の先は芝生広場になっていて、その奥には巨大な工場が佇んでいる。


「だが、あそこが少しばかり厄介だな」


 また藤沢が呟いた。その指は斜め手前の芝生広場に向けられている。花と草間も顔を向けてアゴを引いた。そこは整備されたグラウンドだった。巨大な照明設備が昼間のように大地を照らし、その光の中で大勢の大人や子どもたちが楽しそうにサッカーをして遊んでいる。どうやら北町エリアに暮らすアラビア人のようだ。


(こんな時間にサッカーなんて、いったい何時まで遊ぶつもりよ……)


 花はヘルメットの内部ディスプレイで時間を見た。現在時刻は夜の十時前――。大人はともかく、子どもが遊ぶにはずいぶんと非常識な時間だ。


「……飽海さん。赤外線で二階を見てください。西側の奥です」


 不意に草間が工場を指さした。


「一つの部屋に14名の熱源があります」


 花もディスプレイを赤外線に切り替えた。たしかに人体の熱源がはっきり見える。


「……14名。残りの人数と同じですね」


「では、サッカー場を避けて、工場の裏から入りましょう」


「ああ、草間さん。ちょっと待ってくれ」


 森の中を移動しようとした草間を藤沢が制止した。そして花に近づき、話しかける。


「飽海さん。大丈夫ですか?」


「……大丈夫です」


 花は感情を殺した声で応えた。


 藤沢の言いたいことはわかる。目の前の芝生広場は久能が殺された場所だ。あの人面獣心のハッサンが、生きている久能を椅子に縛り付け、笑いながら殺した場所だ。そして久能が無残に死にゆく様を、寄ってたかって笑いものにした場所だ。そんな場所を前にして大丈夫なはずがない。怒りで気が狂いそうだ。今すぐあの悪鬼どもを八つ裂きにしてやりたいに決まっている。


 しかし――。


「……大丈夫です」


 花はもう一度繰り返した。


「今は生きている人を助けることに集中します。まずは、あそこの14名。それから、南町エリアにいる砂理ちゃんと田川さんを助けます。それで全員です」


「そうですね。今は任務に集中しましょう」


 藤沢は一つうなずき、草間に続いて歩き出す。花はサッカー場に顔を向け、鋭い目つきでにらみつけた。それからすぐに顔を背け、二人の背中を静かに追った。


 工場の裏に回った花たちは外階段で屋上にのぼり、事務棟の真上まで移動した。そして目当ての部屋の上で足を止め、ヒート・レイ・ガンで床を静かに切り裂いた。


「天井に穴を開けるなんて、飽海さんはものすごいことを考えますね」


 部屋に飛び込み、14名全員を屋上に放り上げた藤沢が軽く笑った。


「なかなか悪くない作戦です」


 技術指導スタッフの最後の一人を受け止めた草間も、感心半分、笑い半分の声で花をほめる。


「……ダグラス・テイラーは頭が切れます。工場内にどんな罠を仕掛けているかわかりませんから、これが最善だと判断しました」


 ヘルメットで顔が見えないのをいいことに、花は不機嫌そうに頬を膨らませた。自分ではなかなかのアイデアだと思ったのに、二人に笑われたことが気に食わなかった。


「それでは藤沢さん、草間さん。スタッフの皆さんを工場の裏まで案内してください。ここでサイレント・ビーを呼ぶと目立ちますから」


 二人はすぐに返事をして、14名を連れていく。


 花は念のため、屋上のへりからそっと眼下を見下ろした。斜め下にはサッカー場があり、まだ大勢のアラビア人がサッカーをして遊んでいる。どうやらこちらの動きには気づかれていないようだ。


 それにしても、どれだけサッカーが好きなのよ――と、花は軽く呆れて息を吐き出す。そしてすぐに立ち去ろうとしたが、その時不意に何かに気づいた。


(え……? なに……?)


 花はもう一度グラウンドに目を向けた。今さらだが、何かがおかしい……。なんというか、雰囲気が尋常ではない……。ヨビアン王国出身のアラビア人たちはサッカーを楽しんでいるというよりは、熱狂しているように見える。フィールドを走り回るプレイヤーはもちろん、周囲で観戦している大勢の人たちも声を張り上げ、握りこぶしで天を叩き、異常なほど騒ぎまくっている。


(なんなの、この違和感は……)


 花はヘルメットの内部ディスプレイをズームした。何が気になったのか自分でもよくわからない。しかし、彼らの様子は明らかに普通ではない。そもそもこんな夜中にサッカーをすること自体、変な話だ。彼らにこんな風習があるなんて聞いたことがない。夜中に騒ぐとしたら、収穫祭などのお祭りぐらいのはずだ。


(もしかして、明日の独立を祝う前夜祭ってことかしら……?)


 花は一人ひとりの顔がはっきり見えるほどズームした。すると、大人も子どもも、みな楽しそうに笑っている。さすがに大人の女性はほとんどいないが、女の子はけっこういる。誰もが顔を輝かせながら、ボールの動きを目で追っている――。


(えっ? ボール……?)


 花は視界を横切ったボールを慌てて追った。それは見慣れたサッカーボールとはどこかが違った。あれは……あのボールは……。



 ああ……なんてことを……。



 花は愕然と目を剥いた。力の限り両のこぶしを握りしめた。前歯で唇を噛みしめた。唇が破け、血がにじんでも構わずに噛みしめ続ける――。そのボールは首だった。人間の首だった。彼らは久能の首でサッカーをしていたのだ――。


 花はとっさに腰の銃を引き抜いた。怒りが頭の中で爆発した。思考が一瞬で真っ赤に染まり、魂が黒い殺意で煮えたぎった。



 許せない……。許せない……。あいつらだけは、絶対に許せない……。


 殺してやる……。殺してやる……。一人残らず焼き殺してやる……。



「――飽海さん」


 はっ!


 花は慌てて振り向いた。気づけば藤沢に肩を押さえられている。その後ろには草間もいる。


「技術スタッフは全員脱出させました。早く南町エリアに戻りましょう」


「で……でも……ボールが……セイが……」


 花の声は泣いていた。怒りと悲しみで震えていた。それで気づいたのだろう。藤沢と草間もサッカー場に目を向ける。そしてフィールドを跳ぶ黒い塊に視点を合わせたとたん、息を呑んだ。


「あいつらぁ……」


「何てむごいことを……」


 二人の男は怒りのあまり絶句した。


 花はヘルメットの前部を開き、震える両手で顔を覆った。砂理と田川を助けるまでは我慢しようと決めていた。感情を殺そうと決めていた。どんなに怒り狂っても、どれだけ嘆き悲しんでも、我慢しようと決めていた。


 だけど、もう、耐えられない……。


 愛する人を殺された。首を切られて殺された。その首を、殺人鬼どもが笑いながら蹴り飛ばして遊んでいるのだ。そんな現実、とても耐えられるはずがない――。


「……それでも、今は耐えてください」


 不意に草間が、感情を抑えた静かな声で花に言った。


「無理……そんなの無理……わたしにはもう、耐えられない……耐えられない……」


 花はうめいた。指のすき間から涙の雨がこぼれ落ちる。


「それでもかまいません」


 草間は花の肩にそっと手を置く。


「ボロボロでもかまいません。涙を流しながらでもかまいません。それでも今は、お友達を助けに行きましょう」


「……久能が言っていました」


 藤沢も怒りを秘めた低い声で花に話しかける。


「飽海さんは頑固でわがままで、弱いくせに体を張って人を守る、どこまでもまっすぐな人間だと。だから自分は惚れたのだと――。久能は柄にもなく、自慢するようにそう言っていました」


(ああ……セイ……)


 花は泣いた。久能の想いを伝え聞いて、さらに胸がし潰される。もうダメだ……。一歩たりとも歩けない……。


 しかし――。


 花は立ち上がった。


 よろめきながら、南に向かって歩き出す。大粒の涙を流して前に進む。ふらつく足で何度も転び、そのたびに四つん這いになって立ち上がる。奥歯を噛みしめながら顔を上げて、助けを待つ砂理の元にまっすぐ向かう――。



「ごめん……ごめんね、セイ……。あとで……あとで必ず、迎えに行くから……」




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