その花 第七章 : 葬天の刻 4
「――自分は草間光成です」
法条が手配した戦術輸送機に搭乗した花と藤沢に、一人の男が声をかけてきた。藤沢よりも少し年上に見える細身の男性だ。装備は花と藤沢と同じ黒いエネルギースーツにヒート・レイ・ガンだが、スーツの左胸と両肩、そして首の後ろに垂らしたフルフェイスヘルメットには黒い桔梗のマークが描かれている。
「飽海花です」
離陸を開始した輸送機の中で、花は心臓の上に右手を当てて草間に自己紹介した。草間と藤沢は目礼だけで済ませたので、どうやら顔見知りのようだ。
「自分は美東グループの民間軍事会社の所属で、本作戦には美東真冬の指示で参加します。飽海さんの行動方針にはすべて従いますので、まずはプランを聞かせてください」
「ご協力感謝します」
広い貨物室の中央に立った花は、周囲を見渡しながらしばし思案した。左右の壁には強襲用ドローンのサイレント・ビーがぎっしりと並んでいる。
「そうですね……。まずは、南町エリアにある総合病院に向かいます」
花はフルフェイスヘルメットの表面をディスプレイモードにして、大山地区の地図を表示した。
「大山地区には難民以外の一般市民は住んでいません。ですので、取り残されているのは生鮮食品や生活用品の流通業者と医療関係者、工場の技術指導スタッフ、海岸の清掃ボランティア、それと消防・救急隊員、警ら任務に当たっていたネスクガードの隊員、合わせて206名です」
花はモニターを操作して、無数のマーカーを表示する。
「彼らの位置は腕輪のGPSで判明していますが、それは難民たちも当然知っています。難民たちが一般市民を捕虜にする場合は、腕輪を取り上げることがじゅうぶんに考えられますし、罠を仕掛けている可能性もあります。そのため、この位置情報は参考程度にして、わたしの記憶を頼りに一般市民を捜索して保護します」
「……うん。悪くない」
ふと草間が呟き、地図上の南町エリアを指でつついた。
「つまり最初は、マーカーが集中しているこの病院に向かうわけですね。それで、そのあとはどう動きますか?」
「人間の心理として、複数の捕虜がいる場合は一か所に集めるはずです。そのため、病院、学校、コミュニティーセンターといった、比較的大きな施設を回ります。それから西町エリア、北町エリア、山林部にある精密機器工場へと移動し、捜索から漏れた一般市民がいればもう一度回ります」
「捜索の途中で難民たちが襲ってきたらどうしますか?」
今度は藤沢が花に訊いた。その目は鋭く研ぎ澄まされている。
「電撃は音が発生するので使えません。音が出ないヒート・レイ・ガンで排除します」
「その意見には賛成ですが、本当にいいんですか?」
藤沢が念を押すようにさらに訊く。
「はい。すべての責任はわたしが負います」
花は目に力を込めて藤沢に答える。
「今ごろは法条知事が外務省に要請して、大山地区にいる難民たちの難民認定を取り消しているはずです。ですので、法律上の問題はありません」
「……なるほど。そうすると彼らは、もはや難民ではなく外患――。つまり、日本に対して武力を行使した、敵性武装勢力ということですね」
はい――。花は藤沢に向かってうなずいた。
「ですが、最優先は一般市民の救出です。私情を挟むわけではありませんが、南町エリアの病院にはわたしの友達がいるんです。中学二年生の女の子と、難民支援室の同僚です。彼女たちは救援を待っています。わたしのことを待っているんです。だからわたしは、絶対に彼女たちを助け出します」
固い決意のこもった花の言葉に、二人の男は無言で首を縦に振った。
***
幕張を離陸してから六分後――。
大山地区の上空に到着した戦術輸送機から、三機のサイレント・ビーが飛び立った。闇に紛れて病院の前庭に降り立った花たちは、すぐさま正面入口へと走る。同時に三機のドローンは夜空に飛び立ち、遥か上空でロイター飛行を開始する。
(ロビーに灯りが点いているわね……)
花は頭部を完全に覆う黒いヘルメットを指でつつき、内部ディスプレイの暗視モードを通常モードに切り替えた。先行する草間と藤沢は腰のホルスターから銃を引き抜き、タイミングを合わせて病院内に突入していく。
花は打ち合わせどおり、入口手前の木陰に隠れた。そして内部ディスプレイを今度は赤外線探知に切り替えて周囲を見渡したが、近くに人体の熱源は見当たらない。赤く見えるのは街灯だけで、夜の町は完全に静まり返っている。ディスプレイのデジタル時計に目を向けると、時刻は19時30分を表示している――。
『クリア――』
不意に耳元で藤沢の声が聞こえた。無線通信だ。
『飽海さん。病院の職員たちを確保しました』
「すぐに向かいます」
花はフルフェイスヘルメットの前面部分を開放して、顔を出したまま病院内に足を踏み入れた。すると、ロビーのベンチやソファがいくつも横倒しになっていた。まるで竜巻が通り過ぎたような荒れ具合だ。これはどう見てもただ事ではない――。花は胸に不安を抱きながらロビーを突っ切り、奥の事務室に駆け込んだ。
「砂理ちゃんは!?」
広い事務室には医師や看護師が集まっていた。全員日本人だ。花は砂理の名を呼びながら室内を歩き回る。しかし、砂理と田川はどこにもいない。すると一人の男性医師が声をかけてきた。以前、コカイン中毒で入院した女の子を診察した医師だ。
「――え? 連れていかれた?」
「はい……」
花は医師の話を聞いたとたん、思わず耳を疑った。険しい顔付きになった花に、医師は申し訳なさそうに言葉を続ける。
「たしか夕方の五時頃だったと思います。黒人の一団がいきなり押し入ってきて、難民の患者たちを全員連れ出していきました。そしてその時に、田川さんと桐島さんも連れていかれてしまいました」
「どうしてあの二人だけ?」
「分かりません」
医師は首を横に振る。
「ただ、あの二人を連れていったのは、ウルビランド共和国難民団代表のアーメド氏でした。私たちはこの部屋に閉じ込められてしまったので、そのあとのことは分かりません」
「アーメド・アブドルラフマンが、なんで砂理ちゃんと田川さんを……」
そう呟きながら、花には薄々察しがついていた。砂理は花と仲が良く、難民支援のボランティアにもしょっちゅう顔を出していた。そして田川は難民支援室の職員だ。だから当然、アーメドには顔も名前も知られている。つまり――。
(おそらく、人質ね……)
なんて卑怯な――。花は奥歯を噛みしめた。そうでもしないと腹の底から怒りが飛び出しそうだった。
「――飽海さん」
不意に草間が近づいてきた。花も草間に顔を向ける。草間はそれ以上何も言わないが、それだけで花には伝わった。
「……そうですね。今は助けられる人から助けましょう」
花はこぶしに怒りを握りしめながら外に向かう。そして人数分のサイレント・ビーを呼び寄せて、病院の職員全員を脱出させた。
「それでは藤沢さん。草間さん。このあとは予定どおり、学校とコミュニティーセンターを回ってから、西町エリアに向かいます」
「先に人質を探さなくていいんですか?」
硬い声で指示を出した花に、藤沢が訊いた。
「はい」
花は苦悩に顔を歪めながらうなずいた。
「わたしたちはまだ、170人以上を助けなくてはいけません。2人と170人ではどちらが優先か、考えるまでもありません」
「分かりました。飽海さんの友人は、あとで必ず助け出しましょう」
「自分も全力を尽くします」
藤沢に続いて、草間も花にうなずきかける。
「ありがとうございます」
花は涙をこらえながらヘルメットの前面を閉じて顔を隠す。そして、エネルギースーツで強化された脚力を発揮して十メートル以上跳び上がり、近くの学校まで一直線に駆け抜けた。




