その花 第七章 : 葬天の刻 3
花と二人で市庁舎のエレベーターに乗った法条は、壁の電子パネルに指で素早くサインした。するとエレベーターは滑らかに動き出し、最下層の地下6階を過ぎてもまだ下がっていく。そしてようやく止まったエレベーターから降りたとたん、花は通路に大きく書かれた階数表示を見て目を丸くした。
「……えっ? 地下33階?」
「ええ。ここはネスクの秘密基地ですからね。知っている人間はごく一部だけです」
法条は淡々と花に告げて、白い通路を一人でさっさと進んでいく。花も慌ててあとを追ったが、通路の壁に書かれた案内表示を目にして、またまたビックリした。
Nuclear fusion Energy System development Center――N.E.S.C.
「え? 核融合エネルギーシステム開発センター?」
「そうです。それがネスクの本来の名前です。ネスクのエネルギー源はコールドヒュージョン、つまり常温核融合ですからね」
まじで……?
花は思わず呆れ返った。ネスクは独自の発電システムを採用していると聞いてはいたが、まさかネスク最大都市である第一エリアの地下で、常温核融合発電をしていたとは思いもしなかった。
(そういえば、砂理ちゃんの友達がそんな話をしていたけど、まさかあんな都市伝説みたいな噂が本当だったとは……)
花は複雑な表情を浮かべて法条の背中についていく。法条は無言で通路を進んで曲がり、さらに歩く。通路の左右の壁はガラス張りで、その奥はすべて研究室になっている。あちらの部屋では人間型のロボットを調整していたり、こちらの部屋では蛍のように光る小さなドローンをいくつも飛ばしていたりと、様々な研究がされているようだ。
「さあ、着きました」
不意に法条が足を止めて、壁の電子パネルに指を走らせた。エレベーターの時と同じ、生体認証と筆跡確認の混合認証セキュリティーだ。
そして音もなく開いた自動ドアの中に入ると、内部はかなり広かった。やはり研究室なのだろう。テーブル型の大きなフラットモニターや、精密機器製造用のロボットアームが設置されている。
「法条知事。お待ちしておりました」
法条と花が部屋の中央まで足を進めると、ネスクガードの制服を着た隊員二名が奥のパーテーションから姿を現した。一人は男性。一人は女性。黒い髪を短いアーミーカットにした男はすぐに法条に歩み寄り、挙手で敬礼した。
「ご苦労様です、藤沢君」
法条は右手を心臓の上に当てて言葉を返し、花を振り返る。
「飽海さん。こちらはネスクガードの副司令、藤沢宗樹です。藤沢君。こちらは難民支援室所属の飽海花です」
「存じております」
藤沢は花を鋭く見つめながら敬礼する。
「あなたの携帯端末が通じなくなったとたん、久能は飛び出していきました。ネスクガードの同僚として、陸自空挺部隊の仲間として、自分は久能を尊敬しております」
「……ありがとうございます」
花も右手を心臓の上に押し当てながら、奥歯を噛みしめた。
「それでは藤沢君。早速ですが、NESとHRGを飽海さん用にイニシャライズしてください」
「了解しました」
藤沢はすぐに背後の女性隊員に目配せする。すると女性隊員は花をパーテーションの奥に案内した。
花は用意してあった薄手の黒い全身スーツに着替え、その上に黒い軽合金製のボディーアーマーを装着。それから数分で装備の個人用イニシャライズが完了――。花は首から下の全身を、メカニカルなパーツで覆われた姿で法条の前に戻ってきた。
「おや。なかなか似合っているじゃないですか」
「……茶花さないでください」
ニヤリと笑った法条に、花は顔をしかめてみせた。しかし法条は気にすることなく二歩近づき、花が小脇に抱えた黒いフルフェイスヘルメットに片手を当てて口を開く。
「――ネスク知事、法条牧夫の名において、『ニュークリアフュージョン・エネルギー・スーツ』と、『ヒート・レイ・ガン』の使用を許可します」
法条が呟くと同時にヘルメットの表面に認証コードが浮かび上がり、すぐに消えた。武装の最終承認だ。
「さて。それでは飽海さん」
法条は花から離れ、フラットモニターに腰をのせて言葉を続ける。
「そのエネルギースーツは文字どおり、全身でエネルギーを発生させます。原理としては、人間の細胞構造をモデルにしたナノサイズ反応炉をテラの単位で埋め込み、ピンチ効果で発生した磁場をコントロールして三次元ハニカム構造を形成し、全域接続と同時に爆縮を維持して直接発電する『ナノコネクト核融合』です」
「……すみません。おっしゃっている意味がわかりません」
「ああ、こちらこそすみません。そういえば飽海さんは、薬品関係にはそこそこの知識がおありですが、それ以外はイマイチでしたね。いやいや、失敬失敬」
法条は軽く鼻で笑い、花の腰の左右にある電撃銃を指でさす。
「簡単に説明しますと、そのスーツの最大出力は150万キロワットです。古い原子力発電所一基分ほどの出力です。そしてそのスーツを着用すると、腰の電撃銃をヒート・レイ・ガンとして使用できます。いわゆる熱線銃という意味ですが、その威力のほどはご存知ですか?」
「はい。話だけなら」
「よろしい」
法条は一つうなずき、真顔で花をまっすぐ見つめる。
「いいですか、飽海さん。君がその装備を借りたいと口にした直後、私は君にレベル10の裁量権を附与しました。その意味は分かりますね?」
「……そのつもりです」
花も法条を見返しながらアゴを引く。
「そうですか。それでは、大山地区のことはすべて君に任せます」
そう言って法条は立ち上がり、姿勢を正して言い添える。
「君にはサポートとして二人つけます。一人はそこの藤沢君。もう一人は美東さんの懐刀、桔梗部隊の草間君です」
言われて花は藤沢に目を向ける。藤沢も花を見つめ、力強く一つうなずく。
法条は再び歩を進め、花の肩に手を置いた。
「さて、飽海さん。最後に一つ、言っておきます」
「はい」
「大山地区の外のことは、私がすべて何とかします。ですから、いくら時間がかかっても構いません。何があろうと絶対に、我々の目的を遂行してください。そうすれば、私は君を許します」
「……いえ。許していただく必要はありません」
花は自分の肩をつかむ法条の手に、そっと触れて決意を伝える。
「わたしはネスクに暮らす人々を守る――。それだけです」
「そうですか……。よい答えです。久能君……いや、私の弟が命を懸けた価値は、どうやらあったみたいですね」
法条はしみじみと呟いた。そして花と藤沢の二人を連れて、エレベーターへと足を向けた。
***
「……行きましたか」
照明を落とした薄暗い知事室で、美東真冬が呟いた。その瞳はガラス張りの壁の向こう、暗い星空の下を飛び去る戦術輸送機を見つめている。
「ええ。あとはタイミングがすべてです」
美東の隣に立つ法条も呟いた。その手には傷だらけになった木刀が握られている。
「……北条さん。外務省には私の方から連絡しておきました。大山地区の難民は全員、今から一時間以内に難民認定が取り消されます」
「おやおや。さすが美東さん。私ごときの考えはお見通しですか」
「NESを使うと聞けば誰だって分かります」
「はは。それはたしかにそうですね」
法条はわずかに微笑みながらデスクに向かう。そして引き出しから取り出したブランデーを二つのグラスに注ぎ、一つを美東に手渡した。
「……さて、美東さん。いつかの話の続きでもしましょうか」
「何のことですか」
唐突な法条の言葉に、美東はわずかに眉を寄せる。
「難民永住の賛否を問う、住民投票の結果が発表された日のことです。私はあの時、とっさに難民の永住を許可して、襲われそうになっていた飽海さんを救いました」
「……ああ。あの時のことですか」
「ええ、あの時のことです。私はあの時、飽海さんを救うことでネスクの全員を救ったと言いましたが、覚えていますか?」
「もちろん覚えています」
「実はですね、美東さん。飽海さんには、私も最初から目を付けていたんです」
「最初から……?」
「ええ。彼女がネスクにやってきて、移住審査を受けた直後からです。あなたもご存知のとおり、彼女はほぼすべての職業に適性がある、非常に貴重な存在ですからね」
「たしかに飽海は優秀な人材ですが、いったい何に使うつもりですか?」
「……私はね、美東さん。彼女をネスクの指導者にしようと思っているんですよ」
「なっ……!?」
美東は思わず目を剥いて法条を見上げた。その驚愕の視線を、法条は軽くおどけたふうに肩をすくめて受け流し、言葉を続ける。
「考えてもみてください。今の代表議員の皆さんは、知性も品性もすばらしい人格者ばかりです。ですが、残念ながら我々は、社会の冷たさや、辛さや苦しみを、本当の意味では知らないのです」
「お言葉ですが法条さん。程度の差はあれ、我々も社会の辛酸を舐めております。現に今もこうして、非常な困難に立ち向かっているではありませんか」
「それはただ、状況に対応しているだけのことです。はっきり言って、こんなことは誰にでもできます」
法条は自嘲するように顔を歪めて、さらに話す。
「我々は幸運にも、それなりの家柄に生まれました。おかげで生まれた時から今この瞬間まで、金銭的に苦労したことは一度もありません」
「それはたしかにそうですが……」
「我々は役所に赴き、恥を忍んで生活保護を求めたことはありません。電気代が払えずに、暖房のない部屋で寒さに震えたこともありません。就職先が見つからず、絶望に涙を流しながらネスクに逃げ込んだ経験もありません」
「……だから、私たちはネスクの指導者に相応しくないということですか?」
「いえ、そうは言いません。ですが、社会の最底辺まで転がり落ちた人間なら、我々よりも確実に広い視野を持っています。そしてそういった人物なら、同じ苦しみを味わった人々をよりよい未来に導けると思うのです」
「それが、飽海ということですか」
「そういうことです」
法条は短く答え、琥珀色の液体を一口含む。
「……だから私は、飽海さんに監視と護衛を付けて、陰ながら守ってきました。何しろ彼女は悪名高い製薬会社の社員でしたからね。それがバレたら、彼女を傷つけようとする不届き者が出てくるかもしれません」
「なるほど……。つまり最初からというのは文字どおり、飽海がネスクに来た次の日から、あなたは彼女を見守ってきたということですね」
「ええ、そのとおりです。ですが、今回はそれが裏目に出てしまいました……」
法条は悲しそうに顔を曇らせ、グラスを夜空に掲げて語る。
「私は彼女の護衛に弟を使ってしまったんです。おかげであいつは飽海さんに惚れてしまいました。そしてすぐに恋人として付き合うようになり、結婚式場の予約までしておきながら、八つも年上の私より先に逝ってしまったんです……」
美東は両手でグラスを包み、何も言えずに視線を落とす。
「明後日の八月二日はあいつの誕生日だったんです。独身最後の誕生日です。だからこっちはわざわざ奮発して、とっておきの酒を用意していたのです。それなのに……あのバカときたら……一口も飲まずに……一口も飲まずに……」
法条の目から、涙が一筋流れ落ちる。
美東はそっと法条に寄り添った。そして法条の腕に優しく触れて、慰めた。




