その花 第七章 : 葬天の刻 1
花が大山地区を脱出してから四十分後――。
花を乗せたドローンは、幕張にあるネスク市庁舎ビルの屋上に到着した。しかし呆然自失の花は、着地と同時にドローンと一緒に倒れ込んだ。するとクールビズ姿の内田美月が歩み寄り、花の右手の拘束具を解除した。
「立ってください、飽海さん。代表議会が状況説明を求めています」
「セイが……セイが……」
内田の声に花は何の反応も示さなかった。ただうわ言のように久能の名を呟いている。空を移動しながら泣き続けたその顔は疲れ果て、意識がはっきりしていない。内田は平手で花の頬を張り飛ばしたが、それでも花の瞳は濁ったままだ。
内田は悲しそうに顔を曇らせた。それから花の隣に座り込み、感情を抑えた低い声で語りかける。
「……聞いてください飽海さん。私が久能さんと初めて顔を合わせたのは、高校生の時でした。そしてその日は、私の母が亡くなった翌日だったのです」
内田が久能の名を口にしたとたん、花の呟きが不意に止まった。
「あの時の私は、母を亡くした悲しみで泣いていました。そして同時に途方に暮れていました。私は父親の顔も名前も知らず、母ひとり子ひとりで暮らしていたので、この先どうやって生きていけばいいのか想像もつかなかったからです。久能さんが私を訪ねてきたのは、そんな時でした」
再び久能の名前を耳にした花は、ハッと我を取り戻した。そして屋上に倒れたまま、内田の話に無言で耳を傾けた。
「『俺はキミの兄だ』――。久能さんはそう言ってアパートに上がりこんできました。しかも呆気に取られている私を無視して、いきなり料理を作り始めたのです。あの時は本当に驚きました。あんなに驚いたのは生まれて初めてでした」
内田は胸に手を当てて、悲しそうに微笑んだ。
「久能さんが作ってくれたのは餃子でした。ですが、料理はあまり得意ではなかったみたいです。形はすごく不格好だったし、半分以上が焦げていました。でも……それでも、すごく美味しかった。本当に、本当に……おいしかったんです……」
内田は瞳に心の中をにじませながら、震える声で言葉を紡ぐ。
「それから久能さんは、私をネスクまで連れてきてくれました。そして大学を卒業した私は、もう一人の兄である法条知事の秘書として働くようになりました。……ですが、このままずっと秘書を続けるつもりはありません。私はいつか、餃子のお店を開きたいと思っているんです。……ほんと、子どもっぽい夢ですよね。あの時、久能さんに作ってもらった餃子が美味しかったから、餃子のお店をやりたいだなんて……」
わかる……。その気持ち、わたしにもわかる……。花は内田を見上げて奥歯を噛みしめた。内田は小さな唇を震わせながら言葉を続ける。
「そのことを話したら、久能さんにも法条知事にも笑われました。だけど二人とも、お店ができたら必ず食べに行くって言ってくれたんです。久能さんなんか、毎週絶対食べに行くって……約束してくれて……私、それがすごく嬉しくて……」
内田の目から堰を切ったように涙があふれる。その瞬間、花はようやく気がついた。内田が何を言いたいのか――。そして、何を隠しているのか――。その無言の悲しみが胸に刺さり、花の目からも再び涙が流れ出す。
「それなのに……久能さん……お兄ちゃん……お兄ちゃんが……」
花は唇を噛みしめながら体を起こした。そして、小さく震える内田の肩を抱きしめた。
***
花と内田は止まらない涙をなんとかこらえ、知事室に移動した。すると、ドアの前には大勢の人間が佇んでいた。数は全部で十二人――。法条を除いたネスク代表議員の面々だ。そのうちの一人が花にゆっくりと近づいてくる。悲しみを瞳に宿した美東真冬だ。
「美東さん……」
花が呟くと、美東は花の腕を優しくつかみ、首を小さく縦に振る。
「……よく無事に戻ってきてくれました。法条知事が中で待っています」
それだけ告げて、美東は離れる。花も一つうなずき返し、ドアを開ける。その瞬間、鋭い破壊音が飛び出してきた。ガラスが砕け散る音が次から次に響き渡る。その音に代表議員たちは顔を曇らせ、うな垂れた。
一人で知事室に入った花は、一目で事情を理解した。広い部屋の中で法条が暴れまくっていたからだ。
法条は木刀を握りしめ、目に付くものを片っ端から叩き壊していた。円卓に置かれていたガラスの水差しも割られ、グラスも砕け散っている。デスクの上の小物もすべて薙ぎ払われ、床の上に飛び散っている。
「……ああ、飽海さん。ようやく来ましたか」
花に気づいた法条が、怒りに顔を歪めながら近づいてきた。そして花の腕を力任せに握りしめ、有無を言わさず円卓へと引きずっていく。
「よく見なさい。これが、君が選択した結果だ」
法条はパネルを操作し、モニターに映像を映し出した。それは上空から見た俯瞰映像だった。ドローンで撮影した記録らしい。見ると、花が逃げ出してきた精密機器工場と、芝生の広場が映っている。広場には大勢の人が輪になって集まり、その中心には二人の人物の姿があった。
一人は久能で、なぜか椅子に縛り付けられている。もう一人は民族衣装を着たハッサンだ。ハッサンは周りを囲む同胞たちに向かって何やら声を張り上げた直後、いきなりジャンビーアを引き抜いた。そして楽しそうに笑いながら、久能の首を切り裂いた。
「いや……いや……いやあああああああああああああああーっっ!」
その瞬間、花の叫びが知事室にこだました。
花はそのまま意識を失い、その場に倒れた。




