その花 第六章 : 暗天の刻 6
大山地区で爆発事故が発生した二日後――。
花のマンションに帰ってきた久能は、雨で濡れた頭とジャンパーをタオルで拭きながら、工場の調査結果を花に話した。花はオーブンで焼いた冷凍食品のラザニアと、缶詰のスープ、カット野菜で夕飯を用意しながら訊き返す。
「えっ? スペイン語? 例の牛乳パックにスペイン語が書かれていたの?」
「ああ。昨日と今日の二日かけて工場の中をしらみつぶしに探したが、ドラッグは見つからなかった。ただ、カラの牛乳パックがゴミ箱に捨ててあって、そいつのパッケージがスペイン語だったんだ」
久能はジャンパーをハンガーにかけて、手を洗い、テーブルにつく。そして皿に盛られたカット野菜にマヨネーズをひねり出しながら、熱々のラザニアを見て眉をひそめた。
「また冷凍食品か。おまえ、ちょっと手を抜きすぎなんじゃないか?」
「なによ。わたしが作るより美味しいんだからいいじゃない」
「いや、料理ってのは味だけじゃないだろ。作るっていう行為自体が、最高の調味料だろうが」
「うるさいわねぇ。イヤなら食べなきゃいいじゃない」
花は缶詰スープをカップに移し、レンジでチンしてテーブルに運ぶ。
「だいたい、あなただってまともに作れるのは餃子ぐらいで、他はお世辞にも美味しいなんて言えないじゃない」
「そうか? チャーハンだって作れるし、寄せ鍋だって美味かっただろ」
「そんなの、誰だって美味しく作れるわよ」
「じゃあ、なんでおまえは作らないんだ?」
「冷凍食品の方が美味しいから」
「それと、手間がかからないからだろ?」
「そうよ。なんか文句ある?」
花はカット野菜にドレッシングを適当にかけて、フォークを突き刺し、久能をにらむ。久能は半分呆れ顔で肩をすくめ、取り分けたラザニアにもマヨネーズをたっぷりかける。
「まあいい。それで、見つかった牛乳パックの流通ルートと、桐島さんが持っていたコカインの分析結果をすり合わせて分かったんだが、あれはどうやら南米のペルーから運ばれてきたようだ」
「ペルー?」
花は思わず首をかしげた。
「そんな遠いところから、いったいどうやってネスクに運び込んだの?」
「まだ分からん」
久能はラザニアをもりもり食べながら言葉を続ける。
「たぶん船便だとは思うが、記録がまったくないからな。ただ、世界のコカインの97パーセントは、南米のコロンビアとペルーとボリビアで生産されている。おそらく大山地区は、北東アジアルートの新たな麻薬中継拠点に使われているんだろ」
「なっ!? なんですって!?」
花は思わず目を剥いた。
「ネスクが麻薬の中継地なんて冗談じゃないわっ! セイっ! 明日中になんとかしてっ!」
「そりゃおまえ、できるなら俺だってそうしたいに決まってるだろ」
久能はスープに口をつけ、ラザニアにフォークを突き刺す。
「だけどな、難民たちの口はかなり堅い。あいつらは同胞の悪事がバレると、全員まとめてネスクから追い出されると思っているから、誰一人として絶対に口を割らない。それどころか積極的にかばい合っている。これじゃあ、麻薬の関係者を突き止めるのはほとんど不可能だ」
「でも、ドラッグのせいで火事になったし、子どもが死にかけたのよ。このまま放っておくことなんてできないわ」
「まあ、落ち着け。誰も放っておくなんて言ってないだろ」
久能は冷えた麦茶をグラスに注ぎ、のどに流し込む。
「とにかく、ドラッグについてはネスクガードが捜査を続ける。おまえは下手に首を突っ込むな」
「イヤよ。わたしは難民支援室の責任者よ。難民の安全のためなら、なんだってするんだから」
「絶対に駄目だ」
久能は花の顔を指でさした。
「いいか? 俺の経験から言わせてもらうと、そうやって勢い込んで前のめりになるヤツってのは、大抵ロクな結果を出さない。しかも最近の大山地区は昼間でも治安が悪化している。おまえはしばらくあそこには近づくな」
「もう一度言うけど、イヤよ」
花も久能の顔を指でさし返す。
「わたしにだって予定があるの。来週の月曜には難民の代表と話し合いの約束をしているし、砂理ちゃんと一緒に黒人の女の子のお見舞いに行く約束だってしているんだから」
「その程度の用件なら、どちらも延期した方がいいな」
「そんなことできるわけないじゃない」
「やろうと思ってできないことなんてないだろ」
「だったらさっさと悪い人たちを見つけてよ」
「まったく……。おまえは本当に頑固だな」
久能は苦笑いを浮かべて頭をかいた。
「しかも口の減らないわからず屋で、わがままで自分勝手で思い込みが激しくて、何でもかんでも自分一人でやろうとする。おまえみたいな跳ねっ返りは見たことがない」
「……なによ。キライになったのなら、そう言えばいいじゃない」
「まさか。俺はおまえのそういうところを愛しているからな」
「んなっ!?」
花は思わず頬を赤らめながら膨らませた。
「……な、なによそれ。わけわかんない。あなたの趣味、ちょっとおかしいんじゃない?」
「そうかもな。兄貴と内田さんにもそう言われたよ」
なんだとアノヤローども。
花は反射的に牙を剥いた。
(じゃなくて、あのクソ知事とクソ妹め。わたしの知らないところでセイに変なこと吹きこんでんじゃないわよ。アイツら、マジで不倫してるって噂を流してやろうかしら……)
花はドス黒い怒りに目をギラつかせながら、ラザニアを口に放り込む。そんな花を見つめながら、久能は目元を和らげる。
「おいおい。そんなに怖い顔をするなよ。あの二人は、あれでもけっこうおまえのことを気に入っているんだぜ」
「そんなことっ! ぜっっったいに信じないっっっ!」
花は半分ほど食べたラザニアにフォークを突き立て、思いっきりふてくされた顔で久能をにらみつけた。




