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その花 第二章 : 天堕の刻 2



「わたしは飽海花あくみはな。二十六歳。あなたは?」



 花は泣き止んだ少女と一緒に八重洲地下街を通り抜け、高層ビルの地下二階に作られた巨大バスターミナルに到着した。チラシには、一番奥の第十四バースから天国行きのバスが出発すると書いてある。


桐島砂理きりしますなりです。年は十二歳です」


(十二歳? わたしの一回り以上も年下じゃない。はあ……。いつの間にか、わたしもオバサンになっていたのね)


 隣を歩く小柄な砂理を見て、花はこっそりため息を吐いた。


「そういえば砂理ちゃんは、なんでわたしに声をかけたの?」


「あ……すいません……。わたし、東京にきたの初めてで、スマホも家に置いてきたから、道とかぜんぜんわからなくて……」


「ああ、いや、そうじゃなくて。ほら。東京駅には他にも人は大勢いたじゃない? それなのに、なんでわたしだったのかなって」


「あ、それは、これを持っていたからです」


 砂理は天国行きのチラシを花に向けた。


「それと、おねえさんが一番優しそうに見えたので……」


(優しそう、ねぇ……)


 花は再び胸の中でため息を吐いた。


 自分のことを優しいだなんて思ったことは一度もない。たしかに他人を怒鳴るような性格ではないが、だからといって心が優しいということにはならない。嫌なことがあれば腹の中で怒りまくるし、一人になれば毒だって吐くこともある。ただ、それを表に出すのがみっともないと思うから引っ込めているだけだ。


「――どうやらあれが、天国行きのバスみたいね」


 広いバスターミナルの一番奥に大きなバスが見えてきた。空港のリムジンバスみたいになかなか洒落た外観をしている。サイドの窓すべてにスモークが貼ってあるのは、おそらくプライバシーへの配慮だろう。


「な……なんだか、すごく立派なバスですね……」


 バスに乗り込み、後ろから二列目の座席に腰を落ち着けたとたん、砂理がおずおずと言葉を漏らした。


「そうね。だけど乗客は意外に少ないわね。わたしたちを入れて……ざっと二十人ってところかしら」


「あの、おねえさん……わたし……その……」


「どうしたの? もしかして、怖くなった?」


「えっと……はい、ちょっとだけ……」



「――お? なんだ、お嬢ちゃん。怖いんだったら、オジサンがなぐさめてやろうか?」



 不意に斜め前の座席から、中年男の下卑げびた声が飛んできた。


「ほらほら。オジサンの隣が空いているから、こっちにきな」


 緑色のベースボールキャップをかぶった男が、砂理をニヤニヤと見ながら自分の座席を軽く叩いて手招きしている。窓際に座っていた花は反射的に立ち上がって声を張り上げた。


「けっこうですっ!」


 花は通路側に座っていた砂理とすぐに座席を交換し、中年男をねめつけた。


「おーこわ。気の強いネーチャンだな。天国堕ちするダメ人間のくせに、カッコつけてんじゃねーよ。だっはっは」


 男は薄汚れた歯を見せてニタリと笑う。それから缶ビールを開けて飲み始めた。


「ご……ごめんなさい、おねえさん……」


「あなたのせいじゃないから気にしなくていいわよ」


 おそるおそる謝ってきた砂理に、花は指を向けて言う。


「というより、あなたは何も悪くないんだから、絶対に気にしちゃダメよ」


「でも、わたしのせいで、おねえさんにいやな思いをさせちゃったし……」


「これぐらい、どうってことないわよ。この一年、もっと酷いことなんていくらでもあったからね。それより、はいこれ――」


 花は座席に備え付けられていたタブレット端末を手に取り、砂理に渡した。


「今のうちに、『ネスク』について勉強しておいた方がいいわよ」


「あ、はい。そうします」


 砂理はすぐにタブレットを起動して、画面に表示された説明文に目を落とす。花も自分の端末を手に取り、注意事項を読み始めた。




■ ネバーエンディング・しあわせシティ――ネスクへようこそ。


 Welcome to ”Never-Ending Shiawase City”――N.E.S.C.


 ネスクとは、日本国政府より、国家再生特別行政区の指定を受けた特別自治区になります。


 ネスクの場所は、房総半島の北部、北緯36・65度線より南側の全域になります。


 ネスクには、日本人であればどなたでも移住が可能です。


 ※ 移住の際は、移住審査に合格する必要があります。


 移住後は、以下の7つのルールを遵守していただくことにより、ネスクエリア内での生活(衣食住)が永久に保障されます。


 ※ 移住後は、ネスクエリア外への移動は一切できなくなりますのでご注意ください。


・助け合い

・マナーを守る

・差別の禁止

・暴力の禁止

・投票の義務

・労働の義務

・健康管理の義務


 ネスクエリア内では、日本国憲法と日本国法律の一部および、ネスク制定条例が適用されます。


 ネスクエリア内において反社会的言動を行った住民には、懲罰ちょうばつ的社会奉仕活動に従事していただく場合があります。また、反社会的言動の度合いによっては、メンタルケア措置・保護観察措置・追放処分等が科される場合があります。


 ネスクエリア内への中毒性物質の持ち込みは禁止しております。また、ネスクエリア内における中毒性物質の使用は一部を除き禁止となります。


 ネスクエリア内への移住後は、職業適性の分析結果に沿った労働に従事していただくことになります。また、移住者が22歳以下の場合は、年齢に応じた教育施設において教育を受けていただくことになります――。




「――おいっ! みんな聞いてくれっ!」


(えっ!?)


 唐突に響いた男の声に、花は反射的に顔を上げた。見ると、緑色のベースボールキャップをかぶった男が立ち上がって声を張り上げている。さっきの嫌味な中年男だ。


「オレの隣に座ったオッサン、五億の借金を作って逃げてきたんだとさっ! すげぇだろっ! さすがのオレもビビッたぜ!」


 男は自分の隣に座るメガネの中年男性を指さしながら、バス中に響く大声で笑い出した。すると他の乗客たちも一斉に笑い出し、車内は下卑げび笑声しょうせいに包まれた。


「信じられるか? 五億だぜ! 五億! そんなデカい借金があったら、移住許可なんて下りるワケねーだろ! ムダ足確定第一号だな! だーはっはっはっはっは!」


 男はさらに声を張り上げて笑い飛ばしている。


(……アホくさ。審査するのはアンタじゃないでしょ)


 花は背もたれに寄りかかり、呆れ果てた顔で息を吐き出した。バスの中はまだオッサン連中の笑い声があふれているが、何がおかしいのかまるで理解できないし、理解なんかしたくもない。


「お……おねえさん……」


「ん?」


 不意に砂理がおずおずと花の腕に手を置いた。


「あの……ネスクの移住審査って、むずかしいんでしょうか……?」


「え? いや、試験じゃないんだから、難しいってことはないでしょ」


「でも、説明には、移住審査に合格しないといけないって書いてあるんですけど……」


「それはまあそうだけど、ネスクのことって徹底的に情報規制されているから、わたしもぜんぜん知らないのよねぇ」


 花は手のひらを上に向けて肩をすくめる。


「まあ、移住審査があるってことはチラシに書いてあったから知ってたけど、どんな審査をするのかなんてわからないし、そもそも『壁の向こう』がどんな世界なのか、まったくわからないのよねぇ」


「そう……ですよね……」


 砂理は顔を曇らせてうつむいた。その小さな両手で握りしめているタブレットは小刻みに揺れている。


(あらあら。せっかくここまで来たのに審査を通らなかったらどうしよう――って不安になっているわけね)


 花は横目で砂理を見て、もう一度小さなため息を吐いた。すると同時にバスがゆっくりと動き始めた。タブレットの時計に目を落とすと、時刻は朝の十時ちょうど――。チラシに書いてあった時刻表どおりの出発だ。座席は半分ほどが埋まり、ざっと数えて三十名ほどが座っている。大半は中年男性だが、高級スーツに身を包んだ中年女性の姿もあった。


(あんな上流階級っぽいオバサンでも天国堕ちするなんて、世の中ってやっぱり難しいのね)


 花は軽く目を閉じて、世の無常をそっと嘆いた。そして――まあ、少しぐらいなら教えてあげてもいいかな――と思いながら、隣に座る女子中学生に声をかけた。


「……ねえ、砂理ちゃん」


「あ、はい」


「ネスクの説明は一通り読んだ?」


「いちおう、ぜんぶ読みましたけど……」


「そう。じゃあ、ヒントを教えてあげる。『日本人なら誰でも移住できる』って書いてあるのに、『移住審査に合格する必要がある』って、ちょっと矛盾していると思わない?」


「はい。それじゃあ、誰でもじゃないと思いました」


「でしょ? つまりね、それがヒントになってるの」


 花はタブレットに説明文を表示して、砂理に向けた。


「ほら、見て。ここには、『ネスクでは七つのルールを守ってもらう。ルールを破ったらペナルティがある。中毒性物質の使用を禁止する』――って書いてあるでしょ? つまりね、ネスクが求めている人というのは、ルールをきちんと守れる人ってことなの」


「あっ、そっか。なるほどです」


「だから、もし砂理ちゃんが本当にネスクで暮らしたいと思っているのなら、移住審査では絶対に嘘をついちゃダメよ」


「え? うそですか?」


 砂理はパチクリとまばたきした。なんで嘘をついてはダメなのか? そもそも嘘をつくなんて思ってもいなかった――といった表情を浮かべている。


「そうよ。嘘をつくのは犯罪の第一歩と言われているの。だからね、どんなに答えたくない質問をされても、嘘をつかずに正直に答えるの。そうすれば、絶対に移住審査に合格するから」


「わ、わかりました」


 砂理は小さなこぶしを握りしめ、それからわずかに頬を緩めた。


「教えてくれてありがとうございます、おねえさん」


「別にお礼を言われるほどのことじゃないわよ。それより、お菓子食べない?」


「あ、はいっ。いただきますっ」


 花がチョコレートクッキーを取り出して見せたとたん、砂理は嬉しそうに微笑んだ。




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