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その花 第五章 : 天満の刻 7



 臨時代表議会の閉会後――。



 美東真冬が自分のオフィスに戻ると、室内で待っていた花が慌ててソファから立ち上がった。


「お疲れ様です、美東さん。それで、会議の方は……?」


 美東はおそるおそる尋ねる花をまっすぐ見つめ、首を小さく縦に振る。


「首の皮一枚でつながりました」


「それでは、住民投票に持ち込むことができたんですね?」


「ええ」


 美東は答えながらデスクチェアーに腰を下ろした。


「代表議会の採決は六対七で否決されましたが、おかげで何とかねじ込むことができました」


「えっ? 六票も取れたんですか?」


 花は思わず目を丸くした。惨敗必至の事前予想とはまるで違う。しかし、こちらにとっては嬉しい誤算だ。


「どうやらネスクの財政基盤を強化したいと考えていた議員は、私の予想以上にいたみたいですね。おそらく一票や二票では却下されていましたが、ほぼ半数の議員が難民の永住に賛成となれば、さすがに無視できないと知事も判断したのでしょう。それで住民投票のプランが通りました」


 美東はグラスに水を注ぎ、一気に飲んで息を吐き出す。


「……私たち代表議員の発議は、議会での審議にかけることができます。それは職務であると同時に業務上の特権とも言えます。つまり、議会で否決された議案を再び住民投票にかけるのは職権の濫用らんように抵触します。この手は二度と使えないでしょう」


「すみません。わたしの頭ではこれ以上のアイデアは出てきませんでした……」


「それは私も同じことです」


 頭を下げた花に美東は軽く手を向ける。


「それより飽海さん。投票開始まで残り二十五日しかありません。その間に住民を説得できなければすべては水の泡です。本当に大変なのはこれからです」


「はい。わかっています」


 花は目に力を込めて一つうなずく。


「予定どおり、これから難民の特使団を結成し、すべてのエリアに派遣します。そして各地の住民と直接対話の場を設け、難民の永住に理解を得ようと思います」


「よろしい」


 美東はデスクのモニターに目を向ける。そこには花が作成した『難民永住化・住民投票対策計画書』が表示されている。


「特使団の構成は、イギタリアの児童をメインにしましたか?」


「はい。ご指示どおり、白人・黒人・アラビア人を六・二・二の構成にして、全体の七割を十二歳以下の児童から選抜しました」


「まったく……。子どもをダシにするとは、私たちは本当に醜い大人ですね……。しかも人数がもっとも少ない白人を交流のメインに据えるとは、人種差別を認めているようなものではありませんか……」


 自嘲する美東の声に、花は無言でうつむいた。


 たしかにこれは汚いやり方だ――と花も思う。しかし、非常に残念ながら、ヒトは見た目で相手を判断する生き物だ。それは生き残るためにつちかわれてきた生存本能に直結している機能なので、抗うことは不可能に近い。それに、『人種差別をしてはいけない』といくら頭でわかっていても、個人が心に抱く印象まで強制することはできないのだ――。


 怖そうに見える人を怖がるな――なんてことは不可能に決まっている。怖そうに見えた時点で怖いのだから、ほとんど無理難題だ。


 だから見た目がゴツい大人ではなく、かわいらしい子どもを使うのはイメージ戦力の常識なのだ。そして人間は、自分に近い存在に共感を覚える。だから日本人は、肌の色が比較的自分たちに近い白人への好感度が高くなってしまう傾向がある――。


(つまり、美東さんの指示はどこも間違ってはいない。たしかにあまり褒められたやり方ではないが、大事なのは難民たちがネスクで暮らしていけるようにすることだ。だったら、手段になんかこだわっていられないでしょ……)


 花は自分の心に折り合いをつけて腹をくくり、顔を上げて美東を見る。美東はモニター越しに花を見つめて口を開く。


「いいですか、飽海さん。この住民投票が最後のチャンスです。必要な物資と人員は可能な限り手配します。全力で住民の支持を取り付けてください。あとは万事、あなたにお任せします」


「はい」


 花は決意を込めて頭を下げる。そしてすぐに、美東のオフィスをあとにした。


(これは責任重大ね……。とりあえず、十二のエリアの巡回ルートから決めなくちゃ……)


 花はエレベーターホールで足を止めて、左手首の腕輪に目を落とす。時刻は昼の十二時過ぎ――。どうりでお腹がすくわけだ。キリもいいことだし食事にしようと思うが、でも何にしよう――。花はエレベーターが下りてくるのを待ちながら思案した。


「……市庁舎の食堂? それとも、たまにはホテルランチもいいわね。ああ、そういえば、セイが美味しい定食屋があるって言ってったっけ。あれはたしか――」


 花は呟きながら記憶を探る。すると不意にエレベーターのドアが静かに開いた。その瞬間、花の顔面が完全に固まった。



「――おや。飽海さんじゃないですか」



 エレベーターの中には法条牧夫と内田美月が立っていた。しかも二人は仲良く腕を組み、法条はなぜかニヤニヤと笑って花を見ている。内田の方はいつもの淡々とした表情のまま花に向かって会釈した。


 花は思わず茫然自失となり、突っ立ったまま白目を剥いた。


 そんな花を放置したままエレベーターのドアはすぐに閉まり、二人は何事もなかったかのように去っていく。そして花はしばらくの間、エレベーターの前で立ち尽くしていた。




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