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その花 第五章 : 天満の刻 6



「それでは、臨時代表議会を始めましょうか」



 三月一日、水曜日、午前十時――。法条牧夫は知事室の円卓にそろった代表議員十二名を見渡して両手を叩き合わせた。それから隣に座る美東に片手を向けながら言葉を続ける。


「本日の議会は、美東議員が発議された案件の審議になります。それでは美東さん。あとはお好きにお話しください」


 どうも――と、美東は法条を見ることなく手元のパネルを操作して、各議員の前に設置されたモニターに資料を映す。その表題を見たとたん、議員たちは愕然と目を剥いた。


「本日の議題は御覧のとおり、『特例期限付移住者保護条例に関する期限撤廃修正条項の追加』となります」


「じょっ! 冗談ではありませんっ!」


 美東の三つ隣に座る、第十一エリア代表の村木祥子が声を張り上げた。


「美東議員は難民たちをネスクに永住させるおつもりですかっ!?」


「補足説明ありがとうございます、村木議員。手間が省けました」


 美東は感情のない瞳で村木を見据える。村木は驚きのあまり顔面を強張らせたまま固まった。美東はすぐに目を逸らし、話を続ける。


「詳しくはお手元の資料に記載してありますが、ポイントは三つです。難民たちをネスク南端に位置する第十二エリアの『大山地区』に永住させる。そして大山地区に海産物加工工場、野菜工場、精密機器製造工場を新たに造り、難民たちを就労させる。それにより、ネスクから欧米諸国と中国への輸出品に対する関税が完全撤廃。ならびに、ネスク内企業に対する法人税の軽減税率が永年適用となる確約を、各国政府との間で取り付けてあります――。以上です」


 その瞬間、議員たちは口々に驚愕の声を上げた。


「難民を大山地区になんて冗談じゃない!」

「それより関税の完全撤廃なんてあり得るのか!?」

「法人税が永久に軽減されたらネスクの財政は安泰じゃないか!」


 怒りに顔を歪める者、ただひたすら仰天する者、早速皮算用を始める者――。議員たちは近くの者同士で額を突き合わせ、激論を交わし始める。


 その中で口を閉ざす者は法条牧夫と美東真冬の二人のみ。それぞれの派閥を率いるトップ二名は、無言で互いを見つめている。法条はアゴを上げてニヤリと笑い、美東は上目遣いで厳しい表情。二人はそのまま、場が煮詰まるのをひたすら待った。


 十分、五十分、九十分――。


 各議員は資料の隅々に目を通しながら、自分の意見を述べ合っている。美東はグラスに水を注ぎ、のどを潤す。そして軽く目を閉じ、耳を澄ます。


 難民の永住なんて認められるはずがないでしょう。

 たしかに住民の理解が得られるとは思えない。

 しかし、見返りが大きすぎる。

 よく考えれば、大山地区は陸の孤島だったな。

 うむ。あそこなら他の住民に迷惑がかからない。

 だが、あそこは十一エリアに近い。

 ああ。十一エリアの住民は猛反発するだろう。

 だけどネスク全体で考えれば、反対は少ないかもしれないわ。

 それは楽観的すぎるだろう――。


(結局のところ、行きつく先は『カネ』か『ヒト』かの二つに一つ――)


 議員たちの会話を聞いていた美東は目を開き、薄い笑みを浮かべている法条を盗み見た。


(私は目先の『カネ』を取るわけではなく、未来に生きる『ヒト』を選んだ。しかし、あなたはどうなのかしら。法条牧夫――)


 その瞬間、法条もチラリと美東を見た。二人の視線が再びかち合う。すると法条は軽くおどけた表情を作り、そのままゆっくり口を開く。議員たちはとたんに静まり返り、法条の言葉に耳を傾ける。


「……さて。それでは皆さん。各自、資料を御覧になり、考えもまとまった頃合いでしょう。時間ももうすぐお昼ですから、採決をとってお開きとしましょうか」


(ふん。否決されることを確信している口ぶりね。しかし、そんなことは想定の範囲内よ――)


 美東は法条の横顔を鋭くにらんだ。そして法条よりも一瞬早く声を発した。


「採決の前に法条知事。一つお伺いしてもよろしいでしょうか」


「駄目です」


 法条は指を一本立てて即座に言った。同時に美東の顔が険しく強張る。


「おそらく美東議員は何か隠し玉をお持ちなのでしょう。しかし、出すのが遅すぎました。私はたった今、本日の議案に対する採決を表明しました。そのため、知事の専権事項としてこのまま採決に入ります。ご意見やご感想はのちほどゆっくりお伺いしますので、今はご遠慮願います」


 美東は思わず奥歯を噛みしめた。


(なんという人を見透かした目つき。なんという人を小馬鹿にした態度――)


 美東ははらわたが煮えくり返る思いで口を閉ざし、円卓の下でこぶしを握りしめた。そんな美東を軽く無視して、法条は言葉を続ける。


「それでは、いつもどおり無記名投票の多数決で採決します。皆さん、隣の方にバレないように、手元のパネルで賛否のどちらかに投票をお願いします」


(完全に後手に回ったわね……)


 美東はほぞを噛みながら手を伸ばし、『賛成』のボタンを押した。採決の前に経済的なメリットを強調して少しでも賛成票を上乗せしたかったが、このままだとほぼ間違いなく、事前の想定どおり十一対二で否決されるはずだ。


 せめて接戦で負けたならば、多数決の欠点である『票の割れ』を理由に挽回のチャンスも生まれようが、そこまで圧倒的な完敗を喫すればさすがに何も言えなくなる。


 美東は厳しい顔で円卓を見渡した。すると半数近くの議員が迷っているように見える。村木は早々にボタンを押して背もたれに寄りかかっているので、間違いなく『反対』を押したのだろう。迷っているのは意外なことに法条派が多いが、結局彼らも法条の意を忖度そんたくして反対に回るはずだ。


 やはり、負けたか――。


 美東は観念して目を閉じた。元々無理があったことはじゅうぶんに承知している。それに、ここにいる議員はみな、私利私欲のない立派な政治家ばかりだ。誰もがネスクに暮らす住民の利益を最優先に考えている。つまり、たとえ採決によって票が割れたとしても、それは方向性の違いに過ぎず、元より勝ち負けなどは存在しないのだ。


(それでも負けたと感じるのは、私が未熟な証拠なのだろう――)


 美東は小さく息を吐き出し、目を開く。どうやらすべての議員が投票を終えたようだ。誰もが椅子に座り直し、法条を見つめている。


「さて――。それでは、結果が出ましたので発表します」


 法条は手元のパネルを操作した。同時に全員のモニターに賛否の票数が表示される。その結果は――。



 賛成六票。

 反対七票。



 ――なっ!?


 美東は思わず目を見張った。負けには違いないが、しかし六票。大接戦だ。まさか五人もの議員が自分に同意してくれるとは思いもしなかった。


(これなら……まだ逆転のチャンスはある。飽海が提案したアイデアにもっていくことさえできれば、ギリギリでひっくり返せるかもしれない……)


 美東の瞳に再び闘志の火がともる。


「おやおや。意外に票が割れましたが、結果は結果です」


 法条がニヤリと笑いながら美東を見た。


「美東さん。残念ですが、あなたの議案は否決です。何かおっしゃりたいことがあれば、今この場でお伺いしますよ」


「ありがとうございます。では、遠慮なく――」


 美東は法条を鋭く見据えて言葉を放つ。


「法条知事は私の発案に対し、賛否のどちらを選ばれたのでしょうか」


「問答無用で反対です。当然でしょう」


「ご理由は?」


「言うまでもなくお分かりのはずです。難民の永住なんて、住民の理解を得られるはずがありません」


(――よしっ!)


 その瞬間、美東は円卓の下で勝利のこぶしを握りしめた。


「それでは、住民の理解を得られれば、知事は難民の永住も許可されるのですか?」


「ええ、それはもちろんそうします。この場にいる議員は一般市民の代弁者であり、住民の希望を叶えるのが仕事です。特に私は知事ですからね。ネスクに暮らす人々の願いなら、どんな無理難題でも知事の専権事項として喜んで承認します」


「そうですか。お答えいただき、ありがとうございます」


(その言葉を待っていた。それを引き出した時点でこちらの勝ちだ――)


 美東は呼吸を整えた。心が高ぶる。気持ちがはやる。体中に力がみなぎる――。美東は先走りそうになる唇を固く引き締め、円卓の議員たちを睥睨へいげいしながら言葉を紡ぐ。



「それでは、本案件につきましては、イニシアティブとして再発議致します」



 その瞬間、議員たちの目が見開いた。


「――なっ!? 住民投票ですって!?」


 真っ先に村木が声を張り上げた。


「あり得ません! 一度否決された議案を住民投票にかけるなんて、そんなこと許されるはずがないでしょう!」


「いいえ。不可能ではありません」


 美東は村木を見据えながら淡々と告げる。


「私たち代表議員も市民の一人です。議員が個人的に住民投票を発議することは、いずれの条例でも規制されておりません。……そうですよね、法条知事」


「……考えましたね、美東さん」


 法条はわずかに顔を歪めながら、円卓を指で叩く。それから肩の力をすっと抜いて、言葉を続ける。


「……たしかに、議員が住民投票を発議するのは違法ではありません。前例はありませんが、議会で審議した案件を再度住民に問うなんて、普通は考えませんからね」


「ですが、住民投票で可決された案件は、知事の専権事項として追承認の上、施行しこうされる――。そうですよね?」


「なるほど。私から『その言質げんちを引き出す』のが美東さんの隠し玉でしたか」


 美東に確認を促された法条は、ニヤリと笑って美東を見返す。


「いいでしょう。私もネスクの知事です。二言はありません。もしも住民投票で可決されたら、難民永住の承認をお約束しましょう」


「ですが法条知事!」


 村木が円卓に身を乗り出して抗議した。


「美東議員の議案はこの場で既に否決されました! 再審議に意味があるとは思えません!」


「ですが村木さん。この結果を見てください」


 法条は目の前のモニターを指でさす。


「御覧のとおり、六対七の大接戦です。その差はたったの一票だけ。市民を代表する議員の意見がここまで割れたことを考慮すれば、住民投票にかける根拠はじゅうぶんにあると言えるでしょう」


 法条の言葉に、村木の顔が厳しく歪む。


「ま、私としても認めたくはありませんが、今日のところは美東さんの情熱に敬意を払うとしましょう」


 法条は肩をすくめて美東に言う。


「それで美東さん。住民投票のスケジュールはどうしますか?」


「プランは既に用意してあります。画面を御覧ください――」


 美東はパネルを操作して、全員のモニターにスケジュールを表示した。


「今日から五日後の三月六日、月曜日に告知を開始。そして三週間後の三月二十七日から投票開始。その四日後の三月三十一日、金曜日に結果を発表――という流れです」


「三週間後?」


 法条が眉を寄せたとたん、他の議員たちも首をかしげた。


「普通なら、告知した日から一週間が投票期間ですよね?」


 法条の隣に座る中年男性、浅野が美東に目を向けた。


「今回はどうして投票開始が三週間後なんですか?」


 当然です――。美東も浅野をまっすぐ見返す。


「難民の永住可否は、ネスクの未来を左右する非常に重要な案件です。そのメリットとデメリットを住民一人ひとりにしっかりと認識させて、本当に正しいと思う選択をしてもらう必要があります。そのため、通常よりも情報提供の期間を長く設定しました」


「はは。なるほどね」


 法条がスケジュールを見ながらアゴをなでた。


「つまり美東さんは、市民を説得する時間を稼ぎたいわけですね」


「正しい判断をしてもらうためです」


「ま、そういうことにしておきましょうか」


 法条は美東を指さし、ニヤリと笑う。


「それでは、特例として、今回の住民投票は美東さんのプランでやってみましょう。ネスク知事として承認します」


「ありがとうございます」


 美東は丁寧に頭を下げた。その姿を見て、法条は両手を叩き合わせる。


「さて。時間もちょうどお昼です。本日の臨時代表議会はこれにて終了。皆さん、お疲れ様でした」


 その一言で議員たちは立ち上がり、すぐに知事室をあとにした。美東は最後に立ち上がり、法条の後ろを抜けていく。すると不意に法条が声をかけた。


「――ああ、そうだ、美東さん」


「はい」


「ちょっと気になったのですが、『住民投票の結果に従う』という言葉を私から引き出したのは、あなたのアイデアですか?」


「いいえ。思いついたのは難民支援室の飽海です」


「やはりそうですか」


 法条はおもむろに立ち上がり、壁際に飾ってあった木刀を手にして肩を叩く。


「いえね。代表議員が住民投票を発議するなんて、普通は考えつかないでしょう。あなたの本質は良くも悪くも生粋の政治家ですからね」


「……以前にも言いましたが、飽海は有能です」


「どうやらそうみたいですね。そして、そんな彼女を抜擢ばってきしたあなたも有能だ。しかし、住民投票の結果は目に見えています。その先のプランはあるんですか?」


 法条は興味深そうな目つきで美東を見ている。美東はその瞳をまっすぐ見返しながら淡々と答える。


「元々勝ち目のない案件が息を吹き返したのです。だったら、そのまま成長することがあってもおかしくありません」


「すぐに息絶えると思いますけどね」


 そう言って、法条はニヤリと笑う。その顔から美東は目を逸らし、そのまま知事室をあとにした。


「――法条知事。失礼します」


 美東と入れ違いに、秘書の内田が知事室に入ってきた。


「奥様から伝言を承っております」


「あー、『秘書の内田と浮気したらぶっ殺す。それと、昨日のレストランは感じが悪かったから、行政指導して身の程をわきまえさせろ』――ってところかな?」


「それと、自分にも若い男の秘書をつけろ――とのことです」


「やれやれ、今度はそうきたか」


 法条は苦笑いを浮かべながら、木刀を元の場所に戻して振り返る。


「どうして女ってのは、夫の権力を共有していると思い込むのかねぇ。特にうちのヤツは政治経験なんかまったくない三流プログラマーなのに、よくもまあ恥ずかしげもなく偉そうな口を叩けるもんだ」


「それは仕方がありません。奥様はバカですから」


「はは。違いない」


 淡々とした内田の言葉に、法条は楽しそうに笑い出す。


「さて、内田君。よかったら、一緒にお昼でも食べに行かないかい?」


「餃子でしたら、お供させていただきます」


「はいはい。たぶんそうくると思ったよ」


 法条は諦め顔で微笑みながらコートの袖に手を通す。内田も手にしていたコートを羽織り、法条と腕を組む。そして二人で仲睦まじく、エレベーターへと足を向けた。




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