表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/50

その花 第四章 : 天開の刻 9



 ようやく終わったぁ――と一言漏らし、花は椅子にグッタリと座り込んだ。



 電子ブレスレットを見ると、時刻は夜の九時を過ぎている。コミュニティーセンターの事務所に来てから、ざっと七時間以上――。その間、ほとんどノンストップでヨビアンの男性に短剣を返していたのだから、そりゃあ疲れて当然よね――と、花は思いながらグラスの水を飲み干した。


「ハーナさん。おつかれさまです」


「ああ、ハッサンさん。お疲れ様です」


 不意にヨビアン王国難民代表のハッサンが、ニコニコ笑顔で近づいてきた。今日も民族衣装のカンドーラを着ているが、幅の広い腰帯には金色の派手なジャンビーアを差している。


「ハーナさんのおかげでジャンビーアが戻ってきました。ワタシ、とてもうれしいです」


 ハッサンは心底嬉しそうに、やや出っ張った腹をさすっている。


「お礼に、ウチで食事していってください。ゴチソウを用意しました」


「いえ。お礼だなんてそんな。仕事ですから」


「遠慮しないでください」


 ハッサンは花に微笑みながらさらに言う。


「ワタシたち、ラクダ肉は出しませんから」


(あちゃあ……。わたしがアーメドさんのところでご馳走になったのを知られちゃったか……。これでハッサンさんの誘いを断ったら失礼になるわね……)


「それではせっかくなので、お言葉に甘えさせていただきます」


 花は軽く苦笑いを浮かべながら、ハッサンの家にお邪魔した。そこは集合住宅の中でも一番広いタイプの部屋だったが、やたらと物が多いので少しばかり手狭に感じた。


「「セレム! セレム!」」


 奥の部屋から飛び出してきた小さな男の子と女の子が花に抱きついてきた。


 花も「セレム(こんにちは)」と返しながら子どもたちの頭をなでる。そのまま子どもたちに手を引かれてダイニングに入ると、六人の男女が円になって床に座っていた。その中央には様々な料理が並べてあるので、夕食の準備は既にできているらしい。


(ハッサンさんのところはたしか、三世代の九人家族だったわね)


 五十代後半のハッサンが家長で、その妻と、三十代の息子が二人。息子のそれぞれに妻がいて、幼い孫が三人の大家族だ。


 花の姿に気づいたとたん、みな口々に「アッサラームアレイコ(こんにちわ)ム」や「メッサオルヘリィ(こんばんは)」と声をかけてくる。花も「ワアレイコムッサラー(こんにちは)ム」と返事をして、円のすき間に腰を下ろす。


 ハッサンも一番奥のすき間に座り、「バスマラ」と唱えてホブズ(窯焼きパン)を千切り、一口食べる。それを合図に全員が食事を始める。


「さあ、ハーナさん。イッパイ食べてください」


 花は「ナーン(はい)」と答え、フールというソラマメのスパイシー煮にホブズをつけて口に入れる。すると、右隣に座った男の子がアクダ(羊肉炒め)を差し出してきたのでそれも食べる。左に座った女の子がベール(タマゴのトマト炒め)を取り分けてくれたのでそれも食べる。他にもキブダ(レバー炒め)マラック(茹で肉スープ)ズルビヤン(肉煮込みライス)と、ひっきりなしに差し出される。


(どれも美味しかったけど、お腹がイッパイすぎて死にそう……)


 食後のシャイマハリーブ(ミルクティー)をすすりながら、花はようやく一息ついた。するとコーヒーを飲んでいたハッサンが、ニコニコ笑顔で口を開く。


「どうですか、ハーナさん。お口にあいましたか?」


「あ、はい。ヨビアンのお料理はどれも美味しくてビックリしました」


「それはよかったです。ワタシたち、ラクダ肉はあまり食べませんから」


(ああ、なるほど。アーメドさんに対抗しているわけね)


 その言葉で、花はハッサンの意図を察した。ヨビアンとウルビランドは戦争をしてしまうほど、歴史的にも宗教的にも仲が悪い。そのため国民同士も反発し合い、お互いを目のかたきにしている。


 だから同じ難民とはいえ、血気盛んな若者たちが道で肩でもぶつければ、殴り合いのケンカに発展することは珍しくない。実際、日本に来るまでの船の中でも、乱闘騒ぎが何度もあったと聞いている。先日のコミュニティーセンターでの殴り合いも、そういういがみ合いの下地があったせいだ。


(つまり、アーメドさんもハッサンさんも、ネスクにいる間はできる限り主導権を握りたい。だから、ネスクの窓口であるわたしを接待したいというわけね……)


 いつの間にか政治的な駆け引きに巻き込まれたことに気づいた花は、胸の中でため息を吐いた。花としてはこれからの一年間、難民たちにはおとなしくしていて欲しいだけなのだが、彼らには彼らの思惑があるということらしい。


 まったく……。異なる価値観を持つ民族同士が仲良くするのは、なかなか難しそうね――と、花は今さらながらに思い至った。


「それでハーナさん。例の件はどうなりましたか?」


 不意にハッサンが真面目な顔で訊いてきた。


「例の件というと……」


 花は一瞬迷った。難民たちから寄せられた要望のうち、検討中の案件は無数にある。優先順位の高いものに絞っても、軽く十は超えている。


「もちろん、土地のことです」


「ああ、あの件ですか」


 花は、まいったわね、と思いながら言葉を続ける。


「すみません。そちらにつきましては代表議会で検討中でして、結果が出るにはまだ時間がかかりそうなんです」


 土地の件というのはヨビアンとウルビランド、そしてイギタリアの三陣営が、珍しく連名で申請してきた案件だった。


 今回、ネスクで受け入れることになった難民の数はおよそ11万3,000人で、一か月ごとに1万人ずつが船で到着する予定になっている。しかし、その人数を一か所で迎え入れることはできないため、ネスクの十二のエリアにそれぞれ作られた災害時用の集合住宅に分散して受け入れることが決定している。


 しかし難民の代表たちは、全員が一か所で生活できるようにしてほしいと言ってきたのだ。そのため、花は彼らの要望を判断支援人工知能の審議にかけたが、その結果は『却下』だった。


 ネスク内には11万の難民すべてが暮らせる土地ならいくつもある。しかしそれを実行するには、新たな居住区画の建設が必要になる。さらに、教育、医療、治安維持などの施設と人員も必要になる。それは分散して受け入れる体制に比べ、十倍近いコストがかかると人工知能は判断。それで却下の運びとなった。


 しかし、その結論に花は納得したが、難民の代表たちは抗議した。さらに、結果を伝えてからしばらくの間、彼らは花を見かけるたびに土地のことを何度も頼み込んできた。それで花は仕方なく、美東議員を通じて代表議会に上申し、議員たちの頭を悩ませてしまっていた――。


「そうですか……」


 花の返事に、ハッサンは残念そうに顔を歪めた。その目は、小さなボールを蹴って遊ぶ三人の孫たちに向けられている。花からすると、夜の十時に家の中で走り回るのは非常識以外の何ものでもないのだが、ハッサンは目元を和らげて孫たちを見つめている。


「ワタシたちは大地の上でくらしていました。だから、子どもたちにもそうさせてあげたいのです……」


(つまり、こんなマンションは嫌ってことね……)


 花の胸中は複雑だった。ハッサンの言いたいことはわかるし、できるなら願いを叶えてあげたいとも思う。しかし、ネスクにも使える予算というものがあり、それは決して無限ではないのだ。


 難民の一時受け入れということで、日本政府からも物資の提供を受けてはいるが、現状ではネスクからの持ち出しの方が圧倒的に多い。美東議員からも予算の節約を厳命されているので、さすがにこれ以上の融通は難しいと、花も肌で感じていた。


「すみません、ハッサンさん。代表議会も慎重に検討していますので、結果が出るまでしばらくお待ちください」


「そうですね。わかりました」


 ハッサンはジャンビーアを差した腰布をさすりながら朗らかに微笑んだ。


「そういえばハーナさん。カートはやっぱり、ダメでしょうか?」


「カート?」


 花は一瞬キョトンとした。それも最初に話し合った翌日に、判断支援人工知能から却下されたと伝達済みだったからだ。


 いくら効果が低いといっても、カートは中毒性物質、つまりドラッグであることは間違いない。日本の法律では使用を禁止されてはいないが、そもそも日本にはほとんど流通していないし、それでなくてもネスクは中毒性物質の使用を禁止している。つまり、カートの使用は論外だった。


「すみません。それは既にお話ししたとおり、ネスク内での使用は認められないんです」


「ですが、カートはただの葉っぱです。サラダみたいなものです」


 だったらキャベツでもいいでしょう――と花は思ったが、黙っておいた。


「すみません、ハッサンさん。あなた方の文化につきましては、できる限り尊重させていただきます。日本の法律では持ち歩きを禁止しているジャンビーアをお返ししたのも、その表れです。ですので、皆さんにもネスクの文化とルールにご理解いただきたいのです」


「そうですか。わかりました」


 ハッサンがニコリと微笑んだので、花はホッと胸をなで下ろした。そして残りのシャイマハリーブ(ミルクティー)を飲み干してから、いとまを告げて立ち上がる。しかしドアを出る寸前、ふとハッサンに訊いてみた。


「そういえばハッサンさん。サッカーボールは届きましたか?」


「サッカーボールですか? さあ? ちょっと記憶にないですが、それがどうかしましたか?」


「さっき、お孫さんたちが古いボールを蹴っていたので少し気になったんです。それに、アーメドさんのところにも届いていない様子でしたので」


「そうですか。それでは、あしたにでも確認しておきます」


「そうですね。念のため、こちらでも確認しておきます。それではこれで失礼します。お夕飯、ご馳走さまでした」


 花は丁寧に頭を下げて、エレベーターに向かっていく。その後ろ姿を、ハッサンは優しそうな笑顔で見送った。



「――さてと」



 玄関のドアを閉めたハッサンは奥の部屋に入り、ジャンビーアを引き抜いた。そして、隅に置いていた大きな段ボール箱の粘着テープを切り裂き、正方形の箱を一つ引っ張り出す。その箱に収まっていたのは、新品のサッカーボールだった。段ボールの中には一ダースのサッカーボールが詰められていた。


 ハッサンは箱からボールを取り出すと、逆手に握りしめたジャンビーアを慎重に突き立てる。わざと薄く作られていたボールは、まるで紙のように切り裂かれていく。そして真っ二つに割れたボールの中には、真空パックで小分けにされた葉っぱが詰め込まれていた。


「……ふん。なにが『できる限り尊重する』だ。小娘が偉そうな口を叩きおって。忌々しい」


 ハッサンは緑色の葉っぱを見つめながら、憎々しげに不満を吐き捨てる。そしてすぐに袋を破り、カートを口いっぱいに詰め込んだ。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ