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その花 第四章 : 天開の刻 6



「人間法則? なにそれ?」



 久能と一緒に幕張エリアの高層ホテルに移動した花は、最上階に近いダイニングバーに入り、パエリアの焦げた部分をパリパリ食べながら首をかしげた。


「だから、『なんで難民支援室には三人しかいないのか』――っていう疑問に対する答えだよ」


 久能はバゲットを千切り、エビのアル・アヒージョに浸して口の中に放り込む。さらに二つのタパス(小皿料理)にフォークを伸ばし、ボケロネス(イワシ)の酢漬けとハモン(生ハム)を交互に食べて、セルベッサ(瓶ビール)をラッパ飲みした。


「あんたが配属された部署だけじゃなく、ネスクの職場は公務員でも民間企業でも大抵は三人一組なんだ。自宅勤務のヤツも、ほとんどが三人でワーキンググループを組まされる。四人以上だと、仕事をサボるヤツが出るそうだ」


「それが人間法則ってこと?」


 そういうこと――と久能は答え、ハモンをワシワシ食べる。


「あんたも知っていると思うが、人間心理の法則はいろいろある。返報性へんぽうせいの原理や一貫性の原理、プロスペクト理論やボッサードの法則――」


「それに、パレートの法則もかしら?」


「そうだな。あれは経済において、全体の八割は二割の要素が生み出しているという法則だが、それとよく似た理論に働きアリの法則ってのがある。八割のアリが働いて、二割のアリは仕事をサボる。そして、ちゃんと働くアリの中でも、よく働くのは二割だけってな」


「つまり、三人一組にすると、誰も仕事をサボらないってこと?」


「どうやらそうらしい。俺たちネスクガードは大抵二人一組で行動するから、デスクワークの方はよく分からん。だが、そのシステムでネスクはずっと成長を続けてきたんだから、上手くいってるってことだろ」


 ふーん、そうなんだ――。


 花はポツリと呟き、サングリアのグラスに口をつける。


「つまりわたしは、よく働くアリってことね」


「今日のところは、そんな感じだったな」


「だけど不公平だと思わない? エミシーたちはさっさと定時で帰ってるのに、わたしだけ残業って、そういうのかなり不満なんだけど」


「それはしょうがないだろ。あんたがやらなかったら、他の誰かが残業するだけだ。世の中ってのはそういうふうに、誰かが貧乏クジを引く仕組みなのさ。それにどうやら忘れているみたいだが、俺も貧乏クジを引いた一人だからな」


「あー、はいはい。悪かったわね。遅くまで付き合わせて」


 花は軽く久能をにらみ、ボケロネスをヒョイっとつまんでパクリと食べた。


「おい。勝手に食うなよ。食べたいんなら自分で注文しろ」


「なによ。一口ぐらいケチケチしないでよ。男らしくない」


「ネスクのルールを忘れたのか? ここでは男女差別は禁止だぞ」


「いちいちうるさいわねぇ。だったら逮捕すればいいじゃない」


 花は軽く頬を膨らませ、残りのサングリアを一息に飲み干した。


「――で、あなた、年は?」


「は? 年って、俺の年齢か?」


「当たり前でしょ。わたしの年齢を盗み聞きしたんだから、あなたも教えなさいよ」


「あれはそっちが勝手に怒鳴っていただけだろ。それに俺は、そういうことはあまり言いたくないんだよ」


「なによ。女じゃあるまいし、年齢隠したって意味ないでしょ」


「だから、男女差別は禁止だって言っただろ」


 久能は呆れ顔でボリボリと頭をかき、それから横を向いてボソリと言った。


「……今日で三十一だ」


「え? なに? きょう誕生日だったの?」


 花は思わず目を丸くした。


「まさかあなた、ほんとに恋人とかいないの?」


「だから、いないって言っただろ。それに、この年で誕生日なんか祝われてたまるか。そんなことされたら、逆に気分が落ち込むだけだ」


「ああ、その気持ちはわかるわね。わたしも誕生日なんかどうでもいいし、今年なんて誕生日に天国堕ちしてきたぐらいだし――って、あ、そっか」


 花は不意に思い出し、パンと両手を叩き合わせた。


「ん? 急にどうした」


「いえ、別に大したことじゃないんだけど、今朝、美東びとうって人がわたしに会いに来たのよ」


「ああ、代表議員の美東さんか」


「そうそう。なんか、ものすごい迫力のオバサン」


 花は再び手を伸ばし、今度はハモンをつまんでペロリと食べた。


「あの人、前にどこかで見たことあるなーって思ったんだけど、わたしが天国堕ちした時のバスに、あの人が乗ってたのよ。でも、なんでネスクのお偉いさんが、あんなバスに乗ってたんだろ?」


「別に変な話じゃないぞ。あんたがネスクに来たのは七月三日だったからな」


 さらにハモンを取ろうとした花の手を、久能はペシッと叩き落とした。


「美東さんは、日本政府との難民受け入れ交渉に出向いていたんだ。そしてうちの議員は外からネスクに戻る時、大抵あのバスを使うんだよ」


「へぇ、そうなんだ。でも、議員だったら専用の車ぐらい持ってるんじゃないの?」


 いいや――と久能は首を横に振る。


「ネスクの議員はみんな倹約家なのさ。歩いていける距離なら必ず歩くし、移動手段も一般人と同じ乗り物を利用する。税金から給料をもらっている人間は、一円たりとも税金を無駄にしない。それがネスクの常識だし、そういう人でないと議員資格試験には合格できないからな」


「ふーん。立派なんだ」


「まあ、美東さんの性格はたしかにちょいとキツめだがな」


「さすがに警備隊のトップだと、議員さんとも知り合いなのね」


「あの人は治安維持局の局長も兼任しているから、俺の上司みたいなもんだ。それより俺はもう一本頼むが、あんたも飲むか?」


 久能はカラになったセルベッサをつまみ上げ、近くの店員に軽く振って追加注文する。


「それじゃあ、ブランデーをシングルでもらおうかしら。オンザロックで」


 あいよ――と答え、久能は店員に声をかける。花は運ばれてきたグラスを握り、セルベッサにコツリと当てて微笑んだ。


「お誕生日、おめでと」


「あんた、本当に意地悪だな」


 言われた久能はまんざらでもない表情を浮かべて花を見つめる。それからおもむろに携帯端末を取り出し、花の前に差し出した。


「なにこれ?」


 花はキョトンと一つまばたき。画面には、何やらボタンみたいなものが表示されている。


「チェックインの確認だ」


「チェックイン?」


「そのボタンを押せば、このホテルに部屋が取れる。――今夜、泊まって行かないか?」


 その瞬間、花は盛大に咳き込んだ。さらに口元を拭いながら、目を剥いて久能を見つめた。しかし久能は軽くおどけたふうに肩をすくめ、何も言わない。


(な……なに? なんなの急に……。この人、本気……?)


 花は慌てて横を向き、ブランデーをちびりと舐めた。しかしもはや味も香りも分からない。花は頬を赤く染めながらチラリと久能を盗み見る。久能は素知らぬ顔でバゲットを千切り、オリーブオイルのしたたるエビと一緒に食べている。


(ま……まあ、顔はそれほど悪くないのよね……)


 花は両手でグラスを握りながら考え込んだ。久能の身長は自分より頭一つ分ほど高く、体もけっこうガッチリしている。話題も豊富で知識は多いし、頭の回転もかなり早い。口調はちょっぴりぶっきらぼうだが、そういうところは嫌いじゃない。しかもネスクガードのトップだから、おそらく給料も高いはず――って、え? うそ。ちょっと待って?


 まさかこの人……完璧じゃね?


 花は思わず呆然と久能を見つめた。


「お。どうした。腹は決まったか? モーニングコーヒーぐらいだったらいれてやるぞ」


(どどど、どうしよう……。こんなにストレートに誘ってくる男なんて初めてなんだけど……。というか、男と付き合ったことなんてないんだけど……)


 花は頭を抱えて考え込んだ。しかしいくら超高速で考えても、結論はなかなか出てこない。


 だけど、はっきり言って、モーニングコーヒーとかメチャメチャいれてもらいたい。アメリカのドラマみたいに、朝起きたらちょっぴり焦げたタマゴ料理とか出されてみたい。そして先に目を覚ました彼氏が近寄ってきて、頭にキスとかされてみたい。それから二人で仲良く手をつないでショッピングに行って、家に帰ってソファに座り、肩を抱かれながらハリウッドの超大作とかチョー見たい。


(だがしかし! だがしかぁーしっ!)


 花は苦悩に顔を歪めながらこぶしを握った。そして頭上に振り上げて、そのまま携帯端末の画面に叩きつける。そのこぶしはジャストミートでキャンセルボタンを押していた。


「あ……甘くみないでちょうだい!」


 花は久能に言い放った。


「今日の今日でそんな関係になるほど、わたしは軽い女じゃないの! 今夜はご飯を食べて、一杯飲んで、うちまで送ってもらう。そういう約束だったはずよ!」


「約束はたしかにそうだが、俺だってそんなに軽い男じゃないぞ」


 久能は端末を手に取り、ポケットにしまった。


「ネスクに来てから誘った女は、あんたが初めてだからな」


「そ……そういうことストレートに言わないでよ……。恥ずかしいじゃない……」


「そういうスレてないところも、嫌いじゃないぜ」


(キーッ! なによコイツ! ヒトのことバカにしてっ!)


 花はさらに頬を赤く染めながら、ブランデーを一気に飲み干した。



***



「さあ、着いたぜ、お姫様」



 食事を終えた花は、久能に車で送ってもらった。


 しかし、ホテルのバーを出てからマンションの前に到着するまで、二人の間に会話らしきものはまったくなかった。道すがら、久能は気軽な調子で話しかけてきたが、花は一言も返さなかった。


 車を降りる時に「どうも……」とだけ口にしたが、それも声が小さすぎて、久能の耳には届かなかった。


 花は久能と一緒に歩道に立ち、呆然と夜空に目を向ける。暗い天には黄色い月と、薄い星がまたたいている。無人の通りには夜の風がひんやり吹いて、ほてった肌に心地いい――。



(ああ……。ほんと、人生ってのはどう転ぶかわからないわね……)



 花は手首の腕輪に目を落とす。時刻は夜の十一時になろうとしていた。


「それじゃあ、またな。おやすみ」


 隣に立つ久能が花をまっすぐ見下ろした。それからすぐにきびすを返し、再び車に乗り込んでいく。


「……ちょ、ちょっと待って」


 久能がドアに手をかけたとたん、花がおずおずと声をかけた。


「どうかしたか?」


「う……うちまで送ってくれる約束でしょ……」



「……いいのか?」



 久能は再び車を離れ、花の前で足を止める。


「今日の今日で、そういうのは嫌だったんじゃないのか?」


「よ、よく考えると、あなたと会うのはもう三回目だし……」


 花はうつむき、小声で答える。


「そ……それに、モーニングコーヒー、いれてくれるんでしょ……?」


「ああ。それぐらい、お安い御用さ」


 久能はわずかに頬を緩め、花の細い肩に腕を回す。それから二人で、花の部屋に足を向けた。




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