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その花 第三章 : 天生の刻 4



 花が声の方に顔を向けると、二人の人間がゆっくりと近づいてくるのが見えた。



 一人はネスクガードの青い制服を着た背の高い男で、もう一人はクールビズスタイルの若い女性だ。花は男を見たとたん、思わず息を呑み込んだ。頭髪のサイドを刈り上げたその顔は、かなり強く印象に残っている。


「あなたはたしか、久能くのうさん……?」


「うん? ああ、あんたか」


 久能は花を見て軽く手を上げた。それから花の隣に座る砂理を見て、ベンチの前に立つ老人に目を向ける。


「あー、俺は今デート中なんだが、トラブルなら話を聞くぞ。これでも一応、ネスクガードの一員だからな」


「おお、それはちょうどいい。助かったわい」


 老人は慌てて久能に一歩近づき、花を指さしながら口を開く。


「この乱暴な女が儂の杖をいきなり奪って、足で踏んで曲げたんじゃ。ガードの隊員ならさっさとこの二人を捕まえて、ネスクから追放してくれ。こんなマナーも知らない不届き者なんか、ネスクに相応しくないからのう」


「ほう。そいつはひどいな」


 久能は『くの字』に曲がって地面に転がる杖を見た。それから花に目を向ける。


「一応確認させてもらうが、その杖はあんたが曲げたのか?」


「ええ、そうよ」


「理由は?」


「その人がその杖で、砂理ちゃんの膝を突き飛ばしたから」


 そう言って、花は砂理の膝を指さした。とたんに老人は慌てて両手を左右に振る。


「わっ、儂は別に突き飛ばしてなんかおらんぞ! ちょっと杖が当たっただけじゃ! この女は事実をねじ曲げて、大げさに言ってる卑怯者じゃ!」


 老人は声を張り上げて怒鳴り散らした。そんな老人を、花は上目遣いでにらみ上げる。砂理は青い顔でうつむいたまま、花の手をぎゅっと握りしめている。


「あー、分かった分かった。水掛け論は時間の無駄だ」


 久能は軽く呆れた顔で周囲を見渡した。


「――お、ちょうどいい。すぐそこに防犯カメラがあるな」


(防犯カメラ?)


 花は久能の視線を追った。すると、たしかに近くの街灯に全方位カメラらしき機械が設置されている。久能はすぐに携帯端末を取り出して、操作しながら口を開く。


「――よし。いま裁判を申請したから、全員そのままでいてくれ」


「え? 裁判って、どういうこと?」


「別に。そのまんまの意味さ」


 キョトンとして尋ねた花に、久能は軽く肩をすくめて言葉を続ける。


「ネスクは特別自治区だからな。犯罪やトラブルは自分たちで対応して処理するんだ。そしてあんたたちのいざこざは、あそこの防犯カメラがすべて見ていた。こういうケースで裁判を申請すると、ネスクの『判断支援人工知能』が瞬時に状況を分析して結論を出す。それを裁判官が三十分以内にチェックして判決を出す――って仕組みだ」


「うそ……。ネスクの裁判って、そんなに即断即決なの?」


「まあな。スピーディーで合理的だろ?」


 呆気に取られて目を丸くした花に、久能はニヤリと笑ってみせる。


「さすがに殺人みたいな重大事件は時間をかけて慎重に調べるが、日常的なトラブルに手間をかけるのは時間と人件費の無駄だからな――おっと、判決が出たぞ」


「はやっ!」


 花はびっくり仰天した。三十分どころか二分もかかっていない。こんなに素早い裁判がこの世にあるなんて思ってもいなかった。


「おやおや。こいつは珍しい判決だな」


 久能はわざとらしい驚きの表情を浮かべ、花と砂理と老人を順に見た。


(なによこいつ。もったいぶることないじゃない……)


 花は頬を膨らませながら『自分は絶対に悪くない』――と胸の内で繰り返した。しかし、手を握りしめている砂理が小刻みに震えているので、不安な気持ちが嫌でも伝わってくる。そのせいで、急に悪い予感が脳裏をかすめた。もしも自分が有罪だったら、いったいどんな処分が下されるのだろうか……。


「……ねえ。判決が出たんなら早く教えてよ」


「まあ、そう慌てるな。今、ガードの応援がこっちに向かってるから――お、きたきた」


(はあ? ガードの応援? なんで?)


 花は再び久能の視線を追いかけた。すると、公園の入口から制服姿のネスクガードが四人もこちらに向かって駆けてくる。


(えっ? なんでガードがあんなに来るのよ……)


 花が首をかしげると、砂理も近づいてくる男たちをチラリと見た。そのとたん砂理の手はさらに震え、同時に花の胸の中も重くなった。


 自分は絶対に悪くない。それだけは絶対に間違いない。しかし、老人にベンチを譲らなかったのは、たしかにあまり褒められた行為ではない。それを『マナーがなっていない』と言われたら、強く反論することはできない気がする。そう考えると、自分にも少しは非があったのかもしれない……。そう思ったとたん、花の中で不安が渦を巻き始めた――。


「よーし。それじゃあ、判決を伝えるぞ」


 四人のガード隊員が到着したとたん、久能は花たちに向かって口を開いた。


 花は思わずごくりと唾を飲み込んだ。砂理は押し黙ったまま花の手をぎゅっと握る。老人は胸を張って腕を組み、偉そうにアゴを突き上げて久能を見ている。久能はそんな三人を見渡してから、おもむろに判決を読み上げた――。



「あー、そちらの女性二人は無罪放免。じいさんはネスクから追放だ」



 その瞬間、老人は細い目を見開き、花と砂理はホッと胸をなで下ろした。


「なっ!? なんじゃと!? なんでそんな理不尽な判決が――」


「じいさんはちょっと黙っていてくれ。こっちの話がまだ終わってないからな」


 久能は老人に片手を向けて黙らせて、四人のネスクガードに目配せする。ネスクガードの隊員たちはすばやく久能の背後に並び、姿勢を正す。


「あー、飽海花さんに桐島砂理さん。本日はネスクエリア内において不快な思いをさせてしまい、誠に申し訳ありませんでした。ネスクの治安維持を担当するネスクガードを代表して、深くお詫び申し上げます」


 久能も姿勢を正してそう告げると、ベンチに座る二人に深々と頭を下げた。同時に隊員たちも頭を下げる。それから久能は、呆気に取られている花に向かって言葉を続ける。


「実はこのじいさん、同じようなトラブルを何度も起こしていて、裁判も今日で四回目だったんだよ。それで過去三回ともすべて有罪だったんだが、今までは社会奉仕活動のペナルティ処分――つまり、海岸に流れ着いたゴミ拾いだけで済んでいたから、それでつけ上がっていたんだろ。だから今回は、年にほんの数回しか出ない追放処分が下ったんだ」


「ふっ! ふざけるなっ!」


 老人がいきなり怒号を上げた。


「ほんのちょっと杖で小突いたぐらいで追放処分なんて重すぎるじゃろ! 上訴じゃ! 儂は再審を請求するぞ!」


「ああ、かまわないぜ。ネスクの外で好きなだけ訴えてくれ」


「いやじゃ! 絶対にいやじゃ! 儂はネスクの外になんか絶対に出るもんかっ!」


「おやおや。往生際の悪いじいさんだな」


 久能は苦笑いを浮かべながら、四人のネスクガードに向かって一つうなずく。隊員たちは老人をすぐさま拘束し、そのまま公園の外へと連行していく。


「いっ! いやじゃ! いやじゃぁーっ! 儂はか弱い老人なんじゃぁーっ! 今さら外の世界で生きていけるはずがないじゃろぉーっ!」


 老人はほとんど引きずられながら、首を激しく左右に振って怒鳴り続ける。


「おまえら儂から手をはなせぇーっ! 外の世界は地獄そのものじゃーっ! だから儂はネスクにやってきたんじゃーっ! それなのにっ! 追放なんてひどすぎるっ! 儂が儂らしく生きてなにが悪いっ! おまえら儂を殺すつもりかっ!? 儂に死ねと言ってるのかっ!? 助け合いの精神はどこにいったっ! いやじゃっ! はなせっ! 儂はネスクで一生楽に暮らしたいんじゃぁーっ!」


 公園の噴水広場には大勢の人がいた。人々はみな足を止め、ネスクガードに連行されていく老人を眺めてざわざわと騒いでいる。しかし老人の姿が遠ざかり、怒鳴り声が聞こえなくなると、すぐに再び動き出す。ある者はジョギングを再開し、ある者は談笑の続きを始め、世界は穏やかな風景に立ち戻る。


「二人とも、本当に悪かったな」


 久能が再び花と砂理に声をかけた。


「今日のお詫びとして、治安維持局から食事券を進呈させてもらった。二人の端末に送信してあるから、あとで確認してくれ。これは裁判所からの命令だから、遠慮なく受け取ってほしい」


「ああ、いえ。こちらこそ」


 花はちらりと横を見た。久能の斜め後ろには、長い黒髪をお下げに結った、きれいな女性が控えている。


「えっと、デート中にご迷惑をおかけしてすみませんでした」


「は? デート?」


 久能はパチクリとまばたいた。そしてすぐに背後の女性を振り返り、苦笑いを浮かべて頭をかく。


「ああ、そうだった、そうだった。悪いな、内田さん。待たせたな」


「いえ」


 内田と呼ばれた若い女性は淡々とこたえ、花と砂理に向かって丁寧に頭を下げる。


「それじゃ、飽海さん、桐島さん。俺たちはもう行くから。二人とも、今日のことでネスクを嫌いにならないでくれよ」


 久能はほがらかな笑みを浮かべ、内田と一緒に立ち去った。


(……まあ、そりゃそうよね。彼女がいたっておかしくないか)


 花は遠ざかっていく久能の背中を眺めながら、小さな息を一つ漏らす。すると不意に、砂理が花の腕に抱きついた。


「花さん……。わたし、こわかったです……」


「ごめんね、砂理ちゃん。わたしがちょっと、おとなげなかったね」


「ううん……。花さんはなにも悪くないです。でも、ネスクにも、あんなイヤな人がいるんですね……」


そうだねぇ――と言いながら、花は砂理の膝についた汚れを手で払う。


「久能さんも言っていたけど、あのジジイはつけ上がっていたのよ。ネスクに住んでいる人はみんな優しくて、困っている人がいたらできる限り手を差し伸べるでしょ? そんな社会に長い間暮らしていたから、自分がチヤホヤされて当たり前だと思い込んでしまったのね」


「でも、それってなんか、かなしいです……」


 砂理は花の肩に額を押し当てた。


「ネスクは優しい世界なのに、なんで優しくなれないんだろ……」


「まあ、人間の見た目はほとんど同じだけど、中身は一人ひとり別物だからね。だからネスクは頑張っているのよ」


「がんばってる……?」


「そう。ネスクが優しい社会なのは、久能さんみたいな警備隊が目を光らせているからだって、今の一件でよくわかったわ。それに、ネスクの社会制度も信じられないくらい優しいってこともね」


「社会制度……?」


 首をかしげた砂理に、花は優しく微笑みかける。


「砂理ちゃんはまだ知らないと思うけど、今みたいな小さなトラブルでも、外の世界で裁判になるとものすごく大変なのよ。単純な事件でも、裁判が終わるまでには平均で三か月。複雑な事件だと年単位の時間がかかる。たしか、裁判全体の平均期間は九か月ぐらいだったかな」


「九か月って……ほとんど一年もかかるんですか?」


「そうよ。それに時間だけじゃなく、お金もかなり必要なの。弁護士を雇うと、普通は着手金で数十万、報酬金ほうしゅうきんでさらに数十万。しかも精神的な負担も大きい。誰だって裁判の間は心が落ち着かなくなるし、不安で気が休まらない。何度も何度も弁護士と打ち合わせして、裁判所にも足を運ばないといけないから、心も体も疲れちゃう。だけど、ネスクの裁判はほんの数分だったでしょ?」


 花は街灯の防犯カメラを眺めながら言葉を続ける。


「まあ、これは事件現場の記録があるからこそできる仕組みだけど、わたしたちみたいな被害者からすると、時間もお金もかからないのはものすごくありがたい。だってほら、さっきのジジイと九か月も争わずに済むのって、幸せだと思わない?」


「それは……はい。そう思います」


 砂理はこくりとうなずいた。


「でも、花さん。ネスクの仕組みがそんなにいいのなら、どうして外の世界はネスクみたいな社会にならないんですか?」


「それもやっぱり、社会制度の違いね」


 花は携帯端末を操作しながら話を続ける。


「砂理ちゃんは、資本主義と社会主義って、もう習った?」


「はい。資本主義はたしか、自由競争による経済活動で、社会主義は国家に管理された経済活動だったと思います」


「まあ、そんな感じね。それで、今の日本は資本主義社会なんだけど、どんな社会体制であろうと、生活できなくなる人たちというのは必ず発生する。わたしみたいな社会の落ちこぼれってヤツね」


 花は自嘲気味に自分の顔を指さした。


「そして今の日本において、わたしみたいな人間の数は数千万人と言われているの。つまり、日本人の四人に一人が、資本主義社会に適応できなかったってわけ。そして今からおよそ四十年前、そういう社会の落ちこぼれを救うために、一人の企業家が頑張った。彼の名前は、法条快ほうじょうかい――」


「あ、知ってます。ネスクを作った人ですよね」


「そうそう、この人ね」


 花は端末画面を砂理に向ける。そこには『かりゆしウェア』を着た老齢の男性が表示されている。


「世界的な大企業、法条グループの四代目に就任した彼は、房総半島のおよそ七割の土地を買い占めてネスクを作った。そして政治家に働きかけて、ネスクを特別行政区として認めさせると、日本中から移住希望者を募集した。だけど巨大な壁でネスクを隠し、内部情報を徹底的に封じ込めたので、ほとんどの人は怖がってしまい、ネスクに行こうとは思わなかった」


「そういえば、どうしてネスクの中のことを、外の世界に教えないんですか?」


「一言で言えば、イメージ戦略ね」


 花はさらに端末を操作しながら言葉を続ける。


「わたしもそうだったんだけど、ほとんどの日本人は『ネスクに移住するなんて冗談じゃない』――って思っているの。なぜなら、ネスクがどんなところなのか、まるでわからないから。だけどそれがネスクの狙いだったの」


「ネスクの狙い、ですか?」


「そう。ここがこんなに暮らしやすい場所だとわかれば、多くの人が押し寄せてくるに決まっている。だけどそうなると、移住希望者の対応だけでネスクの事務処理はパンクする。さらに、移住希望者の中にはさっきのジジイみたいな悪い人間も必ずいる。だから、『もうネスクに行くしか生きていけない』――っていう、本当に困った人だけを受け入れるようにするために、ネスクの情報を制限して、『ネスクは怖い』というイメージを持たせるようにしているのよ」


「なるほどです。そういうことだったんですね」


「そのおかげで、特別行政区として認定されてから二十年以上が経つのに、ネスクの人口は288万人で抑えられているみたい。まあそれでも、日本国内の地域人口としては、東京特別区と横浜市に続く第三位。北欧のリトアニアや、中南米のジャマイカといった国々よりも人口は多いけどね」


「ネスクって、そんなに大勢の人が住んでいたんですね。それはまだ聞いていませんでした」


「まあ、たしかに人口は多いけど、土地の面積もかなり広いからね。人口密度は、全国の八百近い市町村の中で283位って話だから、けっこう余裕がある方ね。一平方キロメートル当たり、およそ860人。東京都の八分の一ぐらいだから、そう考えるとかなり快適ね。――それで話を元に戻すけど、ネスクは資本主義と社会主義のどっちだと思う?」


「えっと……」


 砂理は思わず言葉に詰まり、おずおずと口を開く。


「たぶん、資本主義だと思います……」


「はい、正解。だけど丸っきり資本主義というわけではなく、社会主義のいいところも組み込んでいるの。北欧のスウェーデンやノルウェーは社会民主主義の国家だけど、それに近い感じかな。ちょっと矛盾した言い方になるんだけど、ネスクは、エリア内の自由競争による経済活動を、適切に管理して支援しているの。だから、社会資本主義ってところね」


「すいません。ちょっとよくわからないです……」


「いいのよ、別に。中学一年生にはちょっと早い内容だったからね。今はとりあえず、『ネスクは一つの会社』って考えておけばいいから」


「一つの会社……?」


 砂理は眉を寄せて首をかしげた。


「そうよ。ネスクの住民は、ネスクという会社に就職した社員みたいなものなの。だけど普通の会社とは違い、ネスクはありとあらゆる事業を手掛けている。だから一人ひとりの職業適性を分析して、それぞれの資質に合った仕事をしてもらうことで、労働生産性を高めているの」


「それはつまり、やりたい仕事をやらせてくれるということですか……?」


「簡単に言うと、そういうことね。誰だって、向いていない仕事、やりたくない仕事をやるよりは、向いている仕事、やりたい仕事をした方が楽しいし、頑張れるから。だけどそれを実現するには、広大な土地と様々な会社が必要になる。しかし、それを準備するのは国家レベルでもほとんど不可能。それを現実のものにしたんだから、法条快って人は、もはやほとんど神様ね」


「たしかに、こんなに優しい場所を作るなんて、神さまみたいな人だと思います」


 砂理は噴水広場に目を向けた。先ほどの騒ぎによる動揺は既に収まり、誰もが穏やかな表情を浮かべている。犬の散歩をしている人も、ジョギングで汗を流している人も、肩を並べて歩くカップルたちも、みんなが幸せそうに微笑んでいる――。その光景に、砂理は胸の前で手を組んで、嬉しそうに目元を和らげた。


(ま、中学生相手に堅苦しい話ばかりしていてもしょうがないか――)


 花は一つ咳払いして、話のまとめに入った。


「つまりね、砂理ちゃん。外の世界は一人ひとりの都合なんか気にしないの。どこの会社も社員に仕事を与えて、仕事のできない社員がいたら放り出す。だからみんな、どんなに向いていない仕事であろうと無理やり頑張って働こうとする。それでストレスが溜まり、心と体のバランスが崩れてしまう。中にはストレス発散と言い訳しながらお酒を飲んだり、暴力を振るったりする人もいる――」


 あ、まずい。


 花はとっさに口を押さえたが、既に手遅れだった。砂理は奥歯を噛みしめて、悲しそうにうつむいている。花は無理やり笑顔を作り、わざと明るい調子で言葉を続ける。


「だっ、だけどね、ネスクはそうじゃないの。一人ひとりの職業適性を慎重に分析して、その人にピッタリの仕事を割り振ることで、誰もが幸せに働けるように配慮しているの。だからネスクは、こんなに優しい社会なのよ」


「そうなんですね……」


 砂理はぽつりと呟いた。花は落ち込んだ砂理からそっと顔を背け、白目を剥いた。


(ああ……わたしって、ほんと大バカ……)


「そ、そうだ、砂理ちゃん。そろそろお昼だけど、何か食べたいものある? 久能さんが食事券を送信したって言ってたから、それで美味しいものでも――って、ほえ?」


 花は慌てて話題を変えたが、端末に届いていた電子クーポンを見て思わず目を丸くした。


「花さん? どうかしたんですか?」


 素っとん狂な花の声に、砂理は怪訝けげんそうに首をかしげた。


「あ、いや、クーポンの金額が……」


 花は軽く呆けたまま、端末を砂理に向ける。砂理も画面を見たとたん、思わずポカンと口を開けた。


「え? これって……10万円?」


「うん。クーポン10万円分。しかも、ショッピングにも使えるみたい」


「……あ、わたしにも届いてる」


 砂理も自分の端末を確認して目を丸くした。


「どうする、砂理ちゃん。お昼ご飯、お寿司と焼肉、どっちがいい?」


 近くのイタリアンかハンバーガーショップを想定していた花は、店のグレードを一気に上げた。


「あ、お寿司ならわたし、回るお寿司屋さんに行ってみたいです」


(うーむ、さすが中学生。かわいいこと言ってくれるわね)


 子どもらしいリクエストに、花は思わずくすりと笑う。つられて砂理もクスクスと笑い出す。


「それじゃ、回転寿司のあとで、ホテルのケーキバイキングにでも行ってみよっか」


「はいっ!」


 とたんに砂理の顔がパッと喜びに輝いた。


 花も嬉しそうに微笑みながら立ち上がる、そして転がっていた杖を拾い上げ、砂理と一緒に歩き出す。


「そういえば花さん。ネスクの名前の意味って知ってますか?」


「え?」


 唐突な砂理の質問に、花はキョトンと一つまばたき。


「名前って、ネバーエンディング・幸せシティじゃないの?」


「わたしもそう思っていたんですけど、本当は『ニュークリア・エネルギーシステムセンター』じゃないかって、郁音ちゃんが言ってたんですけど……」


「ニュークリア? そんなまさか」


 花は軽く笑って肩をすくめる。


「それ、日本語だと『核エネルギー制御機構機関』になるから、微妙に変よ。英語でも日本語でも意味がちょっとおかしいから、さすがにそれはないんじゃないかな」


「やっぱりそうですよね。郁音ちゃんって、そういう変わった言葉を使うのが好きなんです」


「まあ、いいんじゃない。想像力が豊かなのは、別に悪いことじゃないからね」


 花はにこりと微笑み、近くのゴミ箱に曲がった杖を放り込む。そしてそのまま砂理と一緒に公園をあとにした。




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