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目を覚ますと、悟が美海の名前を呼びながら頬を叩くので「痛い」と呟く。一瞬、安堵の顔を見せた悟だが、「お前、海に落ちるとか、ありえん!」とその場で叱った。話を聞けば、ブイ周りの時に美海が内側に座りすぎてバランスを崩し、そのまま舟は転覆したのだという。美海はその話が信じられず、左手を見た。長い髪が腕に巻きついているものの、大量ではなく、数本。これではいくら得体のしれない何かに引きずり込まれたのだと主張しても「それ、自分の髪の毛でしょ」と笑われ、頭のおかしい人間扱いをされるのがオチだと目に見えた美海は、普通であり続けるために自分の主張を下唇を噛むことで堪え、それを飲み込み、悟とみんなに「ごめん」と謝った。けれど悟は、美海の表情から「何か言いたいことがあるなら言え」と促す。
「…ない」
「言えっちょ」
「ないっちば!」
声を上げてしまった美海は、険悪なムードを作ってしまった現状と、聖司や明里たちに注目され、やはり耐えられず、悟に「ごめんだけど帰る」と言い捨て、自分のサンダルを拾いに行く。悟はみんなに「ごめん、送ってくる」と伝えると「リンゴがおらんかったら誰が舵取るわけ」と明里が言った。明里は「私たちが送ってくから。心配せんで練習しとって」と悟を引き止め、美海に近寄る。
明里の女友達が二人も「照さん、待ってぇ」と可愛らしく、美海の後を、いや、明里の後を追う。美海は早く一人になりたいと思うのに、走ってこの場から逃げると、また空気を壊して悟に叱られるので、せめてもの抵抗は歩みを止めず、ゆっくりゆっくり浜を出た。
「照さん、大丈夫?海に自分から落ちたように見えたけど」
シュロの木が一定の間隔で車道と歩道の間にあり、その歩道側を、美海と明里とその女友達二人で歩く。明里の話に、クスクス笑う女友達を煩わしく思いながら「大丈夫」と、気にしていない素振りで、表情を変えずに答える。
「あんまりリンゴに迷惑かけたらいかんよ。リンゴ優しいからさ〜」
あんたよりも私の方が悟といた時間は長いよと思ったが、美海は「うん」とだけ、呟くように言った。
「そういえばもうすぐ集落の祭りだね」
「花火、楽しみ~」
女友達の一人が話題を替えると、もう一人の女友達がはしゃいぎ、歩き方がJポップでも聞いているかのような軽い足取りで美海の周りをうろつく。それを鬱陶しいなと思っている美海に「照さんは誰と見に行くの?」訊き、急に行く前提で訊かれた予定のない美海は「えっと」と口籠る。
「えっ、まさか一人で?」
「可哀想〜」
可哀想。その言葉は、美海が幼いころからよく聞いてきた言葉だ。お母さんが島から出て行って可哀想、お父さんの女癖が悪くて可哀想、貧しくて可哀想、一人ぼっちで可哀想、可哀想、可哀想…。近所の人や学校の人に言われ慣れているはずなのに、やはり見下されている気がしてならなかったし、本当に可哀想と思うなら笑うなと、美海は無言で耐える。一人でいることは恥ずかしいことではない、どうせ死ぬときは一人なんだし、集団で行動しないと何もできないあんたたちとは違うのだと、自分を正当化させていると、明里が口を開いた。
「ならさ、うちらと一緒に見らん?」
明里の発言に、美海だけではなく、他の女友達も黙った。
明里ちゃん、何言ってるの?
明里ちゃん、本気?
そんな空気が美海に伝わる。
「一人っち、可哀想じゃがね。みんなで見た方が楽しいっち思わん?リンゴ達も誘ってさ」
明里の魂胆がわかった友達は「イイねイイね!」と盛り上がる。
去年の夏、明里は悟と花火を見ていない。クラスの仲のいいメンバーで花火を見ようと、明里は悟や聖司たちを誘ったが、悟は毎年一緒に見ている美海に「どうする?」と訊き、美海は屋台で食べ物を買うお金がないので、自分だけ虚しい思いをするのは避けたいという気持ちから断ると、悟も「俺もいいや。家から見えるし」と断っている。
冗談じゃない、利用されてたまるかと思った美海は「ごめん、私は無理」と咄嗟に、けれど控えめに断った。
「近所のお姉さんと、見ることになってるから。あと、見送りここでいい。ありがとう、じゃ」
本当に?大丈夫?それなら…という言葉に美海は軽く会釈し、足早にその場を去る。
咄嗟に出た嘘は、見え透いていたかもしれなかった。きっと一人よ、可哀想。そんな言葉を影で言われるのかと思うと、太陽は頭上で燦々と美海を照らしているのに、俯いているために、足元の自分の影の黒さしか見えていない。いや、周りが明るければ明るいほど、美海自身の影は黒くはっきりと浮かんで見えた。けれど、しばらく歩いて、それならば本当にしてしまえと顔を上げる。帰ったら睦美を祭りに誘うと決め、家に駆け込んだ。そうしなければ、狭い集落だ。祭りに参加していなかったのがばれてしまう。
家に着くと、玄関には上がらず、庭からそのまま風呂場に向かう。誰が設計したか分からないが、美海の風呂場には外から入れる扉があった。そのため昔読んだ漫画で、土砂降りの雨に濡れて帰ってきた女子高生が、母親に「傘を持って出かけなさいと言ったでしょ」と叱られ、そのまま玄関で制服を脱がされるシーンがあったのだが、それなら風呂場から入れば廊下を濡らさずに迷惑をかけないですむのに、と思った過去がある。しかし、テレビドラマを見ているうちに、風呂場に扉のある家がおかしいのだと思い知らされた。けれど、今日みたいな、海水で濡れて全身べたついて早くシャワーを浴びたい時には、すごく便利だと思っている。
玄関の扉のドアノブを握り開けると、風呂には呑んだくれの父が、裸で湯船に浸かったまま寝ている。いないと思ったらこんなところにいたのか、酒を呑んだ後にこんなところで寝るんじゃない、すぐに風呂に入れると思っていたのに入れないじゃないか、早く出て行け、でも裸体はみたくない。そんな感情を全て込め、空気を一度吸い込んでから「お父さん!」と、ありとあらゆる溜めこんだストレスを発散するかのように、声を荒げて言い放った。




