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午前十時にもならないというのに、浜辺はすでに灼熱地獄。その原因である太陽の光線から逃れるため、アダンの木陰に舟こぎ要員が四人、身を寄せ避難している。
悟が「遅れた、ごめん」と、美海を連れて道路からコンクリートの階段を降り、砂浜を歩いて近づくと、待っていた四人は口々に「遅い」と言いつつ、歓迎する。四人のうち、一人は聖司で面識はあったが、他の三人は美海の知らない男子だった。悟と高校で仲良くなった人たちと解釈し「こんにちは」と小声で簡単に挨拶し、会釈。
「人見知りすんな」
「痛っ」
悟に頭を軽く叩かれたので悟を睨むが、悟は気にせず「舟出そうじー」と、みんなに声をかける。
ハマヒルガオが蔓延る一画に、舟は雨水などが入らぬよう、裏返しに置かれている。舟といっても、ボートの形と違い、細長く、プラスチック製のため軽い。その場に到着した者から舟の淵を掴み、みんなでそれをひっくり返して持ち上げ、海へと運ぶ。遅れて到着した美海も、手伝おうとその淵に手を伸ばすが、悟に「櫂持ってこい」と言われたので、アダンの木陰に早足で戻り、櫂を六本腕に抱いて、悟たちの元へと急ぐ。
舟が軽いと言っても木造と比べればの話であって、それなりの重量がある。乾いた砂浜から波に濡れた砂浜を通ると、運びながらサンダルを脱ぐ者もいれば、濡れても構わないと、そのまま波に運ぶ者もいた。彼らは海面に舟を浮かると、砂浜に戻って舟に座る位置を話し合う。
舟漕ぎは、二人ずつ六人が舟の中心部に座り、後ろに舵取りと呼ばれる人が立ち漕ぎで進路をとり、速さを競う、美尼島の夏の風物詩だ。速さは、一番前に座る人の速さに合わせて漕ぐため、誰がどのポジションに座るかという話は重要だ。
美海は話の邪魔にならないよう、静かに櫂を砂辺に置き、話が終わるまで大人しく貝殻の破片を見つめる。近くには捨てられたペットボトルがあり、書かれている文字に平仮名はない。外国は遠いと思っていた美海は、意外と近いのかもしれないと改めた。
「とりあえず、経験あるやつ前に座って。今日は人数足らんから、準備運動っち感じで、ゆっくりや」
悟が手を叩くと、聖司や他の男子が軽く準備運動をし、それぞれ櫂を持って浮かぶ舟に乗り込む。
「美海は一番後ろ座れ」
「…乗らんとダメ?」
「漕がんでいいから。むしろ漕ぐな。バランス悪くなる」
行けと、笑って舟を舟を指さす悟に、拒否権がないのだと諦めた美海は、サンダルを砂浜に残して海に進み、膝まで濡れた片足を上げて、舟の後ろに乗り込んだ。そして悟も後ろに乗ると、他のメンバーは漕ぎ始めた。悟はその舵を取り、ゆっくりゆっくり沖の方へと向かう。
この浜は、毎年舟こぎの練習として使われるため、浜から少し離れた海面に浮き玉がある。島の各地で行われる舟漕ぎ大会のレースは、一直線ではなく、浮き玉を折り返し、再びスタートした海面に戻るまでのタイムを競うので、ただ力強く漕げばいいというわけではなく、浮き球をいかに遠回りせず回れるかが重要になる。
悟たちは、水平線に並行して漕ぐために、浮き玉から約二五メートル離れた位置を目指す。その場所に着くまで、美海は透明な海の底を見続けた。ウニを見つけ、取って食べたいと思ったが、ウニを取るためには漁港の組合に行って、許可帽と呼ばれる帽子を一つ五千円で買わなければいけないと思い出し、昔は地元の人なら誰の許可もいらなかったのにと、諦めた。
スタート位置に到着すると、浜から「リンゴ~」と、黄色い声が飛んできた。明里とその取り巻きだ。愛想良く対応する悟を睨むと「何ブス顔みせてるわけ?」と言われ「うるさい!」と小さな声を少し荒げた。美海は、明里が来ると分かっていたら絶対来なかったのに、と逃げ場のない舟の上で後悔する。
一番右前に座る聖司が「リンゴ、始めていい?」と訊き、悟が許可を出すと「せーの!」と聖司の声で発進し、浮き玉を目指して直進する。
直射日光はもちろん、海面からの照り返しも強い。潮の香りと男子特有の汗の匂い。早く降りて帰りたいと美海は俯いて願った。
浮き玉をブイと呼ぶ彼らは「左座ってるヤツは、ブイ周り内側だから回るとき細かく漕いでや」という悟の指示に「りょ!」と、短く了解を示す。
砂浜から離れていると言っても海底の深さ一・五メートルほど。透明の海の底には岩やサンゴの死骸があると、はっきり分かる。美海は、岩の隙間にある黒い物体はナマコだろうかと、なるべく明里を意識しないように努めた。
「美海、あんまり内側行くな」
悟が注意をしたが、美海は生返事に対応した。
ブイ周りに近づくと悟は舵取りの腕の見せ所で、自分の仕事に集中する。浮き玉擦れ擦れで回るのが理想だが、高校生の彼らは経験が浅く、そのため困難を強いられた。自分にも何か手伝えることがあればいいのにと思った美海は、片手を海面に突っ込み、櫂に見立てて漕ぐのを手伝う。加勢になってはいないが、ただ座っているより気持ちが楽だった。すると、気になっていた黒い物体が、先ほどより大きくなっていると美海は気づく。それは段々と大きく広がりをみせ、ナマコではないことが分かる。底に缶が沈んでいて、油か何かが広がっているのかなと、じっと見つめていると、黒い部分の中心に人の目があり、目が合って、思わず片手を引っ込めた。けれどその黒い物体は一瞬にして美海の片手に絡みつく。その黒が、人の髪の毛だと気付いた時には、美海は海の中へと引きづり込まれた。




