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翌朝起きると、誰もいなかった。
祖母の姿が見えないのは、本来なら当然のこと。神出鬼没で、見える日もあれば、見えない日もある。それは仕方ないとして、いるべきはずの父と、いてもおかしくない弟の姿がないことに、朝から虚しくなった。
日常に戻っただけ。
誰もいない茶の間で、美海は自分にそう言い聞かせ、台所に向かって冷蔵庫を開ける。そして、朝ごはん代わりに麦茶を体内に流し込み、水分補給をすませると、自室に戻ってベッドの上に横になった。
昨日の電話で、美空にとってここだけが居場所ではないと実感した。母方の祖父母の家と、大阪。美空にはちゃんと逃げる場所があるのだ。どうして自分はそんな当たり前のことに気づけないのか。血が繋がっているからといって、親近感を持って馬鹿みたいと、美海は自分を憎らしく思った。
大の字に寝そべって目を瞑り、今日の一日の計画を立てる。
涼しいうちに掃除して、お昼になったら何を食べよう。昼は暑いからやはり勉強を午前中にすませ、午後から掃除をしようか。夕ご飯はどうしよう。美空は照家に戻ってくるだろうか。
会いたいわけではないが、美空の顔が浮かぶ。しかし、頭の中の美空は可愛げがなく、美海に向かって「可哀想な犬」と蔑む口調で言われたのを思い出した。そんなに音痴だろうかと自分の疑問に答えるべく、童謡の犬のお巡りさんを、イントロから脳内に流して口ずさむ。
迷子の迷子の仔猫ちゃん。あなたのお家はどこですか。お家を聞いても分からない、名前を聞いても分からない。
「にゃんにゃんにゃにゃ〜ん、にゃんにゃんにゃにゃん」
「何泣いてるわけ?」
「にゃっ!」
目を開くと、悟が顔を覗き込んでいた。
「だから、勝手に入ってこんでっちば!!」
「一応玄関で挨拶したけどや」
悟は気にせず、ショルダーバッグからケータイを取り出し「はい」と美海に差し出す。受け取った美海は、それが父親のものだとすぐに分かった。なぜ悟が、自分の父親のケータイを持っているのか不思議に思っていると「俺が交渉したんど」と、悟がしたり顔で話しかけてくる。
「娘を、夜中一人歩かすなっち、お前の父ちゃん叱っといた。美海にもスマホ持たせれっち言ったら、そんな金無いっち言われて、これ渡されたんば、無いよりマシよや」
「え…?」
「今日からそれ、お前のケータイ」
自分のケータイ?
美海は悟とケータイを交互に見て、本当に?と目で訴える。
「いらんかったらお前の父ちゃんに返す」
「いるいるいる!」
取り上げられそうになるケータイを大事に両手で隠し、悟から遠ざける。
「大事にせよ」
「うん」
先ほどまでの憂鬱な気持ちが一気に吹き飛び、ありがとうと感謝して、早速ケータイを開いた。電話とメールと、あとネットで色々調べられたら最高だなと、とりあえずボタンを押して、色々と弄る。楽しそうな美海に、悟は「俺の連絡先、入れといたから」と告げると「えー、いらなーい」と笑って邪険にしたので、悟はまた美海からケータイを取り上げようとし、美海は態度を改め謝罪した。
「分かればいい。あ、あとライン。ガラケーでもできるはずだから、ちょっと貸してみん?」
「ライン…?」
「CMで見たことあるだろ」
「ああ!絵、飛ばすやつ?」
「絵を飛ばすって?ああ、スタンプや」
悟が操作を手早く進めていくので、それに引き込まれるように美海の顔も近寄っていく。その距離に照れた悟が「近い!」と美海を叱ると、美海はベッドの上に正座して待機した。
しばらくして「これで電話とか無料になったから」と渡す。美海は両手で受け取り、しばし感動を味わう。これで簡単に連絡ができると思うと、睦美の存在が頭を過った。
「そうだ、睦美姉の連絡先聞かんば」
美海は立ち上がって部屋を出ようとすると、悟に「おい待て」と制される。
「誰のおかげでケータイ使えるようになったっち思ってるわけ」
「悟だけど?」
「よし。そしたら少しは俺の役に立たんばやっち、思わん?」
「え?」
愛嬌のある悟の笑顔に裏があると感じた美海は、眉を顰めた。
「舟こぎの人数足らんから、来い」
いままでのお誘い口調はなくなり、半ば強制的に美海は海へと拉致された。




