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「いいから、落ちつけ。美海、動くなよ…!」

 美海をなるべく刺激しないように、ゆっくり近づく。そんな悟に「来んで」と美海は声を出すが、震えてあまり声にはならず、今度は強めに「来んでっちば!」と訴える。

「何でいるわけ…?悟にはそんな力ないでしょ!幽霊見えたり、遠くの見えない場所が見えたり、それこそ未来が見えたりとか、そんなことできらんでしょ!」

 感情が乱れている美海に、落ちつけと思いながら「睦美姉が昨日、見舞いに来た」と説明する。

「その時に『美海の弟に会った?』っち、意味ありげに訊いてきて…。何で?っち訊いても教えてくれんから、気になって今日、お前の家に行ったらこんな手紙あるし…」

 強く握ってしわくちゃになっている手紙を突き出し、内容に驚いたと強調する声で続ける。

「お前を探しとったら聖司が『照さんなら山ん中、めっちゃ走って崖に向かっていった』っち、連絡くれたから来た」

 聖司の名前を耳にした美海は、その場から少し離れた展望台を見上げる。その展望台の二階に人影が二人分あり、目視では断定できないが、聖司とその彼女に違いなかった。その二人が展望台にいるということは、ああ、なるほどと、死の瀬戸際でも美海の頭は聖司の聖の字は性行為の性に替えるべきだと呆れ、この島は本当に狭いと実感する。呆れたことで少し冷静になれた美海だが、誰かが常にどこかで見ているという息苦しさが強く美海の心を押さえ、蝕む。

悟は展望台に気を取られている美海に今駆けよれば、押さえ込んで海への飛び込みを阻止できないかと考察するが、距離が遠く、危険性が高いと判断して、説得を続ける。

「美海、まだ死ぬな…!俺が溺れたの、お前関係ないから…!」

 悟を見つめる美海に、美空は「どうする?」と訊く。

「死ぬの、やめる?」

美空に顔を向けると悟が「美海、俺の話を聞け!」と必死になる。 

「決めるのはお前や」

「美海!」

「俺は止めへんで」

 悟が必死に止める傍ら、美空は美海の行動を試すようにもう一度「どうする?」と口の端を上げて続けた。

「俺は、ここで消えるけどな」

高波が崖を大きく叩き、早く来いと美海を急かす。死ぬと言い出したのは自分で、美空を感化させたのも自分。責任を感じた美海は後に引けないと、手を握り締めた。

 美海、美海、と少しずつ近づく悟の存在を、美空は「呼んでるで」と美海に伝える。

「行ったらええやん。あんなに呼んでくれる人がいるんやし。わざわざ死ぬ必要ないやろ」

美空の言葉も美海を死から遠ざける内容ではあるが、美空が言えば言うほど、美海の気持ちは美空を一人にしてはいけない、させたくないと強く膨らみ固くなる。

「…行けない」

 美海の呟く声に、悟は「美海?」と訊き返す。

「悟。私、そっちに行けない」

 涙ぐむ美海の言葉に「何で?ふざけんな!」と悟は叱るが「ふざけてない」とすぐに撥ねのける。

「悟には分からんよ、私なんかの気持ち…!分かるわけない!悟には、お父さんもいて、お母さんもいて、お兄ちゃんもいる。みんなでごはん食べて、みんなで笑う家族がいる悟に、何が分かるわけ!」

 突然家族の話をされた悟は意表を突かれ、言葉が出ず、喋り続ける美海の言葉を黙って聞いた。

「悟は、学校の友達とも、近所の人とも、それこそ知らん観光客とも平気で喋ってすぐ友達になるがね!でも私には無理だもん。親ともうまくいってないのにさ、他の人とうまく付き合えるわけがないがね!」

 瞬きを一度でもしてしまえば零れ落ちるほど涙を浮かべ「悟に、一人ぼっちの気持ち、分かるわけない」と睨んだ。

 悟は周りに恵まれていて、たくさんの人がいる。けれど、美空にはいない。誰もいない。私しかいない。

美海は悟の代わりに死ぬと決めていたが、当初の理由は姿を変え、今は美空を一人、見殺しにはできないと心から震えていた。

 睨まれた悟は、美海の気持ちを咀嚼し、それでも尚「ふざけんなって!」と叱り飛ばした。

「自分から一人になろうとしとって、一人ぼっちの辛さ語るな!お前の家は複雑だから、同情はするけど、でも、だからって何でも家のせいにすんな!俺は何度も遊ぼうっち、お前の家に行ってる。それを何かと理由つけて断ってんの、お前だろ!一人が嫌なら断るな!」

 悟の主張に、美海は唇を噛む。

「お前が来い。自分でこっちに来い。寂しいのも辛いのも、俺に言いに来い」

 全部聞くからと言われ、美海は自分のどこか冷めている部分が心の過熱によって解けるのを感じ、次から次へとたくさんの涙を零した。

 悟の気持ちは素直に嬉しい。けれど、美空を一人にはできない。そう思って美空を見れば、美空は「俺は行けへん」と、少し寂しそうに口元が笑う。美海は、自分でももうどうしていいのか判断ができなくなり、ついには泣きじゃくってしまった。

 そんな美海に悟は、今度は優しく「来い」と、手招きをする。

「でも、でも…」

「美海、来いって」

「美空、美、美空…が…」

 噎び泣く美海はうまく喋れず、悟が「みーくん?」と訊き返す。

「そうだ、美海。俺にみーくん紹介するっち言ったよや」

「悟…?」

「まだ会わせてもらっとらん。家にいるんだろ?ばーちゃんの部屋に」

「え…?」

「戻って、三人で懐かしい話しよう」

 悟は何を言っているのだろう?

 理解できない美海は涙をながしたまま、隣の美空を見た。確かにいる。隣にいる。夕日に照らされた長い前髪をなびかせ、隣に立つ美空と目が合う。

「美海、会わすっち言ったがな。みーくんが、まだ人に会うの嫌がるなら、襖越しでもいいし。お前がおらんば、俺、みーくんに話しかけれん」

 悟が喋り続けるので悟を見れば、美海はあることに気づいた。悟の目が、美海しか見ていないということに。

「…どういう事…?」

 美海は隣の美空に訊く。涙はいつの間にか止まっていた。美海を気遣う悟を他所に「どういう事なわけ…?」と、静かに美空を問い詰める。

「そんなの、俺が知りたいわ」

 美空の体に、夕陽が段々差し込まれ、透けてゆく。

「島に来る途中、空港行きのバスが事故って…、気づいたら島にいた」

 たしかに美空は突然島に来た。祖母に言われた美海は自力で美空を探し、観光客が初日にはいかないような、サトウキビ畑の奥にいた。けれど、まさか、そんな。

「最初から、ずっと…?」

 外方を向く美空を肯定と捉えた美海は「死んでるなら死んでるっち、何で言わんわけ!」と感情的に避難した。突然叫んだとしか思えない悟は「美海…?」と様子を窺う。美空は気にせず「生きてるくせに、生きた生活してへんお前に言われたない」と吐き、言うたやろと前置きして、笑った。

「殺しに来たって」

 その言葉に美海は腰を抜かして崖のギリギリの地に尻を着き、慌てた悟が美海の名前を叫びながら全力で駆け寄った。

 潮風が、美空の前髪を掻き上げるように通り抜ける。口元は笑っていたが、目が悲しそうな表情をしているのが分かった。

「美海、大丈夫か?美海!」

 美空が見えない悟は、美海だけに集中し、柵を越えると美海を抱き寄せる。構わず美空は「せやから、罰があたってん」と話し続けた。

「何で俺だけ人生躓いてんやろって、一人で考えれば考えるほど腐っていって、そんなときでも隣の部屋からは笑ってる家族の声が聞こえて、俺がおらへんくてもうまく生活してる。ああ、おれの居場所ここやないなって思って」

 美空の涙声を、初めて聞いた。

「もし、あのまま島に残れてたら、こんな性格にならへんかったんちゃうか、もっと楽しい生活あったんちゃうかって。また一人で考えて。考えれば考えるほど、島でのうのう暮らしてる思ってたお前にムカついて、憎らしくなった」

 涙が溢れていると気付かれたくないのか、美空は空を見上げて「人を恨んでも良いことない、罰当たるって…ほんまやな」と、しみじみ呟いた。

「だから事故で死んだんちゃうかな。俺は神様信じてへんから、運が悪かっただけかも分からん。けど仮に、仮にやで?神様がおるとしたら…」

 お前は守られてる、と美空は微笑んだ。

 何度も悟に呼びかけられても反応をみせなかった美海が「美空…?」と呟いたので、悟は反射的に美海の視線の先を見た。けれど、何もありはしない。風が吹き、遠くの空で烏が飛んでいるだけ。けれど美海が何かを見ているのは、眼差しで分かった。

「お前は疫病神ちゃうよ。お前が一番大切に思ってる奴が、こうして心配で駆けつけてくんのやから」

 悟が「みーくんいるわけ?」と訊くので、美海は二重に頷いた。

「みーくん、久しぶり。元気?」

「死んだ奴に元気か訊くか、普通。ほんまアホやな」

「悟、美空がアホやって」

 ふざけんなと腹を立てる悟を見て笑ったあと、美空は美海に「今日でお前のその変なジンクス終わりやで」と、忠告した。

「仲良くなった奴が離れるとか、ただの偶然や」

美海は話を聞きながら、美空の体形が足元からだんだん崩れ、風の流れで消えていると気付いて息を呑んだ。

「それでも、一緒におったら悟が死ぬんちゃうかって不安に思うんやったら、お前の信じてる神様に、言うといたるわ」

 消えちゃう、消えちゃうと、涙を流し続ける美海に「え?」と抱きしめたまま訊く悟。その悟を指さして「こいつは人間やない。ゴリラやから、見逃したってって」と冗談を言い、年相応の笑顔に少しだけ性格の悪さが滲んだ。

「バイバイ、美海」

 美空の下半身は、既に消えている。

「美空…、行かんで美空…っ!」

 叫んで美空に手を伸ばす美海。悟は海へ落とすまいと、暴れる美海を押さえ込むように強く抱きしめる。

「美空ーっ」

 何度も何度も名前を呼んで行かないでほしいと訴えたが、美空は夕日に照らされ煌きながら美しい空へ溶け込み、そのまま消え去ってしまった。

「美空、美空…」

美空が完全に消えると美海の気力も消えた。悟は放心状態になってしまった美海を心配したが、それも束の間、美海は喪失感に襲われ号泣し、その声は空高く響き渡った。


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