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美尼島の日の出は、海から見える。
砂浜も、町も、山も、海からの光に照らされる。
悟がいなくなった部屋、いつも通り誰もいない家。それでも美海は心が満たされていたし、勉強を頑張って、島を出て、人並みの生活をするという目標を立て、希望を抱いた。
大学生になったら、バイトして、友達も作って、好きな人もできるといいなと妄想する。島に囚われず、ずっと内地で過ごせたら。
たまには朝ごはんを食べようと、冷蔵庫やキッチンの棚を漁り、親戚のおばさんから貰った御中元のそうめんを見つける。今日はもっとボリュームのある料理を食べる元気があるのに、米を炊くのは面倒臭く、そのうえオカズがない。仕方がないのでそうめんを湯がき、水を切って、フライパンで焼く。お好み焼きもどきが完成すると、お好みソースをかけて、食べ始めた。
今から蝉も鳴き始め、昼には隣の家から紬を織る音も聞こえてくるに違いない。いつも通りの日常を、無駄なく勉強に費やして、将来の自分のために頑張ろうと、活気にあふれる。
「何なん、それ?」
気づけば美空が台所に来ている。美空はテーブルの食事風景を見て、眉を顰めていた。
「…お好み焼き?」
「お前の好み、普通とちゃうな」
「これしかないのに」
「食べる?」
「食べへん」
「やっぱり関西風じゃないと嫌とか、こだわりあんの?」
「まずそれな、お好み焼きちゃうやんか。根本的に間違ってるの、食う気せぇへん」
「うるさいなぁ。そんなに大阪好きなら、大阪帰れば?」
悪口や嫌味を言ったつもりは無い。ただ、思ったことを言った美海の言葉に、美空は黙ってしまった。
「…美空?」
心配して美海が窺うと、ないねん、という声が聞こえた。
「帰る場所、どこにもないねん」
これはどこまで訊いていいのだろうかと、美海は悩みながら「…お母さんとこ、帰らんの?」と訊く。
「…家か。うち、お母んが三年くらい前に、再婚しよってん」
初耳だ。二人暮らしだと思っていたが、義理の父親との間に妹ができ、四人家族だという。
「別に虐待されてるとか、そんなんちゃうねん。なんていうかな、溶けこめへんねん。水彩画とか、したことある?」
「授業でなら…」
「水に赤とか白とか絵の具垂らしたら混ざるやろ?でも、俺は混ざらへん。油みたいに浮いてんねん。てか、油使うとこ、そこちゃうやん。普通、料理に油使うやん。でも、料理用の油でもない。どないせぇっちゅうねん」
声量はないが、荒く吐き捨てる声に、ストレスが混じっていると分かる。
例え話をされた美海は、なんとか言葉を返そうと「昔さ」と声を出す。
「雨上がりにさ、油が混ざった道路、虹色に光ってて、キレイじゃなかった?」
「自分、何の話してん?それ、フォローしてるつもりなん?」
美海自身、何が言いたいのか良く分からない。けれど、無言よりかはマシだと思ったその発言は、やはり効果がないようだった。美海は素直に「例え話されると、困るんば。そういうの、得意じゃないし」と伝える。
「頭、悪いもんな」
「うるさいな。人より勉強してるし」
「お前の勉強してるは、勉強してるうちに入らへんで。ええとこの大学目指してる人間は塾行ってるし、寝る時間もあらへん」
「内地と比べらんでよ、塾行くお金ないし」
「えっ、この島、塾あんの?」
「街に行けばあるし!」
美空が自分から家の話をしてくれたことに、少しはうちとけたのかなと嬉しく思う。言い方がキツイところもあるが優しい面もあり、その後も勉強を教えてくれた。人見知りが激しい性格をしているが、その性格に慣れさえすれば、いい奴なのだと感じた。
午後三時頃、休憩しようかと話していると「照美海っ、いる!?」と明里の声がした。明里がわざわざ家に来るなんて、ありえない。悟に関する話だと思うが、口調から、相当怒っていると察した。
薄暗い玄関へ向かうと、開いている扉から鬼の形相の明里がいる。近づきたくはないが、行かないわけにはいかない。
「あんた、悟と付き合ってるわけ?」
ほら、やっぱり悟のことだ。
怒りを耐えに耐えて真実を聞き出そうとしているが、そこに、いつも余裕で明るく、自信に満ち溢れた明里はいない。睨む目が、怖い。そのためやはり近づけず、田舎ならではの平屋の玄関は広いので、なるべく不自然にならないような距離を保ち「ううん」と、返事をした。
「…は?付き合っとらんわけ?」
「うん」
「…嘘。悟が童貞棄てたっち、男子が話してるとこ聞いたんば」
あの馬鹿は外で何をペラペラと喋っているのかと思うと苛立ち、自然と嫌な顔になる。その表情を、明里は見逃さなかった。
「やっぱり、ヤったのアンタね!どういうつもり!ヤっといて付き合ってないとか、嘘つかんでくれん?」
いきなり人の家に来て怒鳴るなんて、どんな神経をしているのだろうと思ったが、普段からありとあらゆる美しさに気をつけている明里なので、あえて行動に移していると思われ、取り巻きの女子を連れて来なかっただけでも感謝しなければいけないのかもしれないと思った。
「ちょっと、訊いてる?」
「うん、でも…」
「でも?」
「ちゃんと悟に確認した。西さんと、ヤっとらんち。西さん、悟とまだ、付き合っとらんでしょ?だから…西さん、まだ怒らんで、いいっち思う」
目を合わすことはできなかったが、言いたいことは言えた。なるべく怒らせないように伝えたつもりだ。しかし、それも許せない明里は、無言で靴のまま照家に上がり、美海の頬をぶっ叩く。
「男ひっきゃ!」
ひっきゃ?ああ、男贔屓って意味だっけ?
しかし、男に媚びているのは誰にでも愛嬌を振りまく明里の方で、自分は悟にしか好意を寄せていないのだから、男贔屓しているのは明里だろうと思ったが、美海は口が裂けても言えず、その後も二発、三発と叩かれ「悟に言うからね」と荒々しい呼吸と共に、厭味たっぷりな口振りで棄てセリフを吐いた。
「悟はアンタと付き合ってるっち、勘違いしてるみたいだから、言わんと」
明里が去ったあとの玄関は、いくぶん涼しく感じたが、叩かれた美海の頬は熱く、痛みを伴った。静かになると、ゆっくりと美空がやってきて「…大丈夫?」と訊く。
「もう少し、早く出てきてくれらん?」
「嫌や。あの女、怖い!」
怖い、か。そりゃそうだ。
同い年の男子が明里をそんな風に思うのは新鮮で、共感できると笑う美海に「ほんまに大丈夫か?」と、頭もおかしくなったのではと心配したが「俺、修羅場とか見るの嫌やから、消えるけど、ええやろ?」と告げた。
「修羅場?」
「今からゴリラ、来るんちゃう?俺、巻き込まれるのも、そんな空気吸うのも嫌やし、どっか消えとく」
ゴリラ、悟か。
前に、悟に「俺の気持ちとかさ、あんま考えんよや」と言われたのを思い出し、美空の言う通り、たぶん怒って来るだろうと美海も思った。けれど、不安や焦りはない。お互い好きだとか付き合おうだとか、そんな言葉を交わしていないので、美海は自分を正当化できる自信があった。ただ、身勝手に悟の気持ちを振り回したのは謝らなければいけないと思うし、最悪の場合、幼馴染みという関係に終止符が打たれると、覚悟を決めた。




