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正午のチャイム『恋はみずいろ』が流れる集落を、心身共に疲れて歩いて帰ると、落ち着かない様子の悟が玄関前に立っていた。昨日、美空との関係を変な風に捉えられ、追い返したばかり。少し気まずく思うが「何してんの?」と声を掛ける。
「お前こそ。服、汚れてるけど」
展望台で豪快に滑ったと言う気になれず「ちょっとね」とはぐらかす。悟はそれ以上触れず、手に持っていたビニール袋を持ち上げて「村屋の和菓子、食べん?」と誘う。
「その前に、謝ることあるでしょ」
「昨日のことは、一応謝る」
「一応っち、何よ」
「お前はみーくんのこと何とも思っとらんかもだけど、みーくんはどう思ってるか分からんがな」
「美空も兄弟としか思っとらんよ」
「なんで分かるわけ」
「態度かな。全然女の子扱いせんもん」
「できらんだけかもしれんがな」
「じゃあ、逆に訊くけど。何であんたはそう思うわけ」
悟は決まりが悪い顔をして、頭を掻きながら「前、みーくんとケンカしたっち話、したがな」と続ける。
「あれ、俺が兄弟は結婚できらんっち、教えたから。そしたらみーくん怒って叩いてきて、殴り返してケンカになった」
美海は小さく驚いて「バカじゃない」と呆れた。
「それ、小学生になる前の話よね?そんな昔の話、あるわけないがね」
それでも腑に落ちない顔をする悟に「縁側で待っとって」と場所を指定する。美海はそのまま台所でお湯を沸かし、その間に着替えながら、美空は私のこと好きだったのかと不思議な気持ちになる。全然気づかなかったなと中学校の短パンにTシャツを着ける終えると、台所でお茶を淹れ、縁側に座る悟に持って行った。
「こんなクソ暑いのに、お茶…?」
「和菓子にはお茶」
「カステラもあるんば」
「マジで?」
悟と美海の間にお盆を置き、美海はビニール袋の中身を確認する。中には個別に包装された和菓子がいくつかあり、その中にカステラが二切れ分入っていた。
「私、あんこ食べたい」
「食え食え」
「ありがと」
村屋の和菓子は美海の好きな粒あんなので、それを一口かじると自然と笑みがこぼれる。
ケンカをしたわけではないが、悟との仲が元に戻ってよかったと横目で見ると、カステラを二口で食べ終えた悟と目が合う。不自然に悟が目を反らすので、気になった美海が「何?」と訊くが、何でもないと返される。
「何か言いたいことあるなら、言って」
「いや…ちゅうか、ケータイ。お前、ケータイ持ち歩いとらんわけ?」
ケータイと訊かれ、美海は短パンのポケットを軽く叩く。が、何もない。
「部屋だ。多分机の上か、ベッド」
「何で持ち歩かんわけ?」
何でと言われても、電話もメールも鳴らず、SNSを見ても気分が落ち込むだけなので使わない。それに。
「ちょっと睦美姉のところ行っとって、すぐ帰るつもりだったし」
一番の理由はそれだった。
すると睦美と言葉にしたことで、睦美姉が島から出るという事実を受け入れられず、展望台へ行ったら聖司たちに会ったという出来事を、あんなに走ってスッキリさせた頭が再び思い出し、美海の頬は薄紅に染まる。
そのタイミングで「聖司と会った?」と悟が訊くので美海は「えっ!」と大きく驚いた。悟を見ると、目を合わさずに「なんか、驚かせたっち、聖司から連絡きたから」と、いつもの悟とは違い、言葉を慎重に選びながら話している。
「…うん、会った」
悟に聖司が何をしていたか言うべきか、けれど聖司には言うなと言われたなと悩む美海に「もう展望台に近づくなよ」と、悟は注意した。
「展望台は、そういう場所だから」
「そういう…?」
「ん、……ラブホ」
「らぶ……ほっ!?」
真っ赤になって動揺した美海は「あんた、聖司くんが何しとったか、知ってるわけ?」と訊くと、悟は顔を反らして「想像はつく」と答えた。
「何で家でヤらんわけ?」
「家は親がいるからじゃない?」
「でも、相手中学生っ!」
「アレの彼女、一つしか変わらん」
「でも、でも…!聖司くんだよ?」
「いや、アレも普通に男だろ。つーか、あいつは前からヤってる」
聴きたくないと両手で耳を塞ぎ、美海の中の聖司像が崩壊したことに嘆くと「あいつに夢見すぎ」と、悟は呆れる。
「だって聖司くんだよ?真面目で勉強できて優しい…聖司くんだよ?」
「現場、見たんだろ」
「見た、けど…」
美海は縁側からぶら下げていた足を抱え、深いため息を吐いた。それを見て「お前…まさか聖司のこと…?」と悟が勘繰る。
「普通にショックじゃがね…。同い年で、そんなことしてる人がいるっち、思わん…」
「いや、割とみんな…ヤってる」
「それは東京の話でしょ?」
「いや。早い奴は中一とか…」
「嘘っ!」
「お前が知らんだけ」
みんなが知っているのに、自分だけが知らない。みんなには見えないのに、自分だけは見える。そういう少しのズレに、美海は孤独を感じ、辛くなる。寂しさが、心に沁み入る。それを悟られないよう、抱えていた膝に顔を埋める。そして、その体勢のまま悟は?と訊いた。
「悟も、したの…?」
「あ…?」
「セックス、したの…?」
その単語一つに悟は耳を疑い、固まった。
ただでさえ暑い日に、体内からこみ上げてくる熱が、悟を耳まで赤く染める。
「ねぇ、したの?」
普段、あんなに煩わしい蝉の声が小さく、美海の声がはっきりと聞きとれた。ああ、聞き間違いではないと自覚すると、悟自身の鼓動もうるさく鳴り、落ち着きを取り戻そうとお茶に手を伸ばすが、全然冷めていない湯呑に「熱っ」と声を出し、すぐに手を引っ込める。
返事をしない悟に痺れを切らした美海は「ねぇ、聞いてるわけ?」と、膝を抱えたまま悟を覗く。美海も美海で、照れを隠せず「西さんと、したわけ?」と、目の動きが安定していない。
特定の名前が出てきたので「なんで明里?」と、火傷しかけた指を空中で振って冷やしながら自然を装って訊いた。だって、と色んな理由が美海の頭を巡るが「可愛いがね」と、当たり障りのない言葉ではあるが言いたくなかった言葉を、口を尖らせて言った。
「ヤっとらんし」
「本当?」
「疑ってるわけ」
「聖司くんがヤってて、あんたがヤってないとか、おかしくない?」
「はぁ?どーゆう意味な」
「じゃあ、訊くけど。悟は誰ともヤっとらんの?」
互いに目が合うと、先に目を反らしたのは悟の方で、脳内には童貞の二文字が浮かんでいる。高校一年で童貞なのは悟だけではないが、友達が次々に卒業していて、少しコンプレックスを感じ始めていたので、即答はできず「ん〜…まぁ、そんな感じ」と曖昧に答える。
「興味、ないわけ?」
「はぁ!?」
そんなのいちいち聞くなと一喝して、次は何を食べようかと、袋の中の和菓子を探すフリをして、悟は他の話題を頭の中で探した。けれど美海は、終わらせない。
「じゃあ、ヤってみらん…?」
探す手を止め、美海を見る。膝を抱えたまま悟を見つめる頬は赤い。
「か、からかうな…!」
ただでさえ赤かった頬が、つられて更に赤くなる悟に「からかっとらん!」と、真面目に声をあげる。
赤ちゃんができたということは、睦美もセックスをしたということだし、真面目で大人びた性格の聖司もセックスの経験者だ。
大人になりたい、大人になりたい。
そんな気持ちが焦る一方で、セックスをすれば大人になるとは思わない。けれど、何かが変わるかもしれないという、淡い期待はある。
普通でいたい、普通でありたい。
みんなが経験しているのなら、自分も経験しなければ普通になれない。置いていかれないように、弾き出されないように、うまく社会に溶け込みたい。
いろんな気持ちが複雑に絡み合う中で、一番の理由は、単純に、誰かと深く繋がりたいから。その行為は特別なものと美海は認識していて、誰とでもしていいわけではないと理解している。本来なら、恋人同士がするということも分かっている。けれど、悟がまだ明里のものではない今なら、たった一度くらい繋がっても罰は当たらないと思った。ただの幼馴染で恋人ではないし、これからもなるつもりはないけれど、それでもたった一度くらい、そんな思い出を密かに抱いてもいいと思った。
悟は「自分が何言ってるか、分かってる?」と、疑う。分かってると呟いて、戸惑っている悟を、断らないでと願いを含んだ目で見ながら言った。
「悟じゃないと、こんなこと言えらんよ」




