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美海の母親が島を去った翌年、祖母も亡くなると、美空の母親が美空を連れて照家にやってきて、父親と一緒に四人で過ごしていた時期がある。しかしそれも長くは続かず、父親は街へと出かけた切り帰って来ず、美空の母親は周囲の「押しかけ女房」や「不倫女」という影の言葉を浴びながら二人の子供を面倒をみていたが、なぜ帰ってこない奴の子供の面倒までみなければいけないのかと自問自答した末に、大阪に引っ越して行った。それからは親戚のおばさんが、時々、多くて週に三回ほど、父親の分もおかずを作って持って来る生活が続いている。

一人でテレビを見ながら食べるのが当たり前で、残しても誰も怒らない。冷蔵庫に食べ物をしまい忘れ、おかずが傷んでいるか判別できずに腹を下した日もあったが、おばさんに気を使いながら一緒に暮らす生活より父の帰りを一人で待つ方がずっと楽だったので、来るたびに「おばさんの家に来んね」という誘いを断り続けた。

朝も自分で起き、制服に着替え、給食を食べるために学校に行く。そんな生活をしていたので、学校が休みの週末は地獄だった。どうして二日も連続して学校がないんですかと、住所さえ分かれば総理大臣に手紙を書こうと思ったほどだ。

けれど、美海には悟がいた。小さい頃から毎日のように悟と遊んでいたが、週末は必ず悟の家に行った。外ではなく、悟の家。美海の家ではなく、悟の家。悟の家に行って遊び、その流れでご飯にありつくことが最大の目的だ。そのため、お昼ご飯が始まる一時間前には悟の家に行き、勉強を教えるふりして悟のおばさんの言葉を待つ。

「そろそろご飯よ、美海ちゃんも食べるでしょ?」

 美海の家の事情を知る悟の母親は優しく、当時の美海では作れない食事を御馳走してくれた。それはラーメンだったりチャーハンだったりと、決して特別ではないメニューだが、美海にとっては最高の食事で、来週も悟の家でごはんが食べたいと、食べ終わった食器はきちんと台所へ運び、みんなの分の食器を洗い終えると、率先して悟の両親に「何か手伝うことある?」と訊いて、嫌われないように努めた。もし、中学に上がって明里に「何で毎週リンゴの家でお昼ご飯食べるの?」と訊かれなければ、その生活は、続いていたかもしれない。

美海が小学五年生になった初夏のある日、悟の両親に民宿の手伝いを頼まれた。

「サーフィンの大会でお客さんいっぱい来とって大変っちょ。いろいろ手伝ってくれらんかい?」

 嫌がる悟とは違い、美海は笑顔で了承して夕ご飯の手伝いをした。一方の悟は、悟のおじさんと車に乗って空港へ行き、お客さんをお迎えに行ったので、家にはおばさんと二人きりだった。五年生ともなると家庭科の授業で包丁の使い方を習い、簡単な調理の経験はあったが、悟の母親は最初から丁寧に切り方を教えてくれた。他にもごはんの炊き方、味噌汁の作り方、島豆腐を使ったゴーヤチャンプルなど、いつも出来上がったものを食べている美海にとって作る過程を知るのは新鮮で面白かった。

「うち、息子二人じゃがね?娘がいたら一緒に料理したかったっちょね〜」

 悟の母親の嬉しそうな顔をみて、美海も母親がいたらこんな感じなのかなと、少し照れた。

食事の準備以外にも、掃除やシーツの洗濯などを手伝うと夕方になり、疲れた美海は居間のソファーでうたた寝をし、気付けば悟のベットで目を覚ました。

「お前の分の夕ご飯もあるっちよ」

悟に言われて居間へ向かうと、悟の父親と英語の単語帳を捲る四つ年の離れた兄が食卓に座っていた。壁掛け時計を見れば八時前。

「はい、みんな座って」

 悟の母親が味噌汁を乗せたお盆を持って、全員に配り終えると、悟の父親が笑顔で「みんな今日もお疲れ」と労いの声を発して両手を合わせた。

「いただきます」

悟も悟の兄も母親も両手を合わせて挨拶をするので、学校みたいだなと、美海もみんなに合わせた。

食卓に並ぶご飯や味噌汁、ゴーヤチャンプル、魚の煮付けはどれも温かかったが、それ以上に林家の笑顔に、普通の家族の夕ご飯はこんな感じなのかと疑似体験をした美海は、心の底から羨ましく思った。昨日の残り物の唐揚げを取り合う悟と兄の姿も、食事中に喧嘩をするなと叱る悟の父親の姿も、お代わりあるからいっぱい食べてねと笑う悟の母親の姿も。ご飯の時間は、テレビをつけなくてもこんなに楽しいんだと、改めて知った。

今日は泊まっていけばと誘う悟の父親の言葉に、お父さんいるかもだから帰ると断ると、おばさんからゴーヤチャンプルをお裾分けに貰った。

「悟、美海ちゃん送ってけ」

「えぇ~」

 観光客の大学生とテレビゲームで盛り上がっていた悟は、コントローラーを動かしたままテレビから目を逸らさずに言うので、美海は「私、一人で帰れるよ。近いし」とおじさんに伝えが、おばさんに「翔も悟も、義務教育受けてる子はもう辞めなさい」と注意され、林家の兄弟は不満そうにゲームを終える。

「じゃあ、行ってくる」

 靴を履く悟の横で、美海はおばさんにありがとうと感謝して家を出た。

 星がたくさん煌めく夜だった。フクロウだろうか、美海の知らない野鳥の鳴き声が山から聞こえる。海も近く、潮風の匂いもした。

「悟はさ、いつもあんな夕ご飯食べてるわけ?」

 古い木造電柱に備え付けられた外灯の下を歩きながら、羨ましくて訊いた質問に「魚が多いよや~、毎日肉でもいいのに」と、不満の声を漏らす。

「おばさんのごはん、美味しかったよ」

「そう?普通じゃない?」

 普通、と言われると美海には分からなくなる。ただただ、羨ましくて、自分も林家に生まれたかったなと、時々思っていた願望が日に日に増して強くなり、悟のお嫁さんになれば、毎日あの家にいることができるのにと安直に考える。

美海の数歩先を歩く悟に「ねぇ悟」と声をかける。

悟は眠たげな声で「何?」とそのまま歩き続ける。

構わずその背中に「悟のお嫁さんになってもいい?」と訊いた。

「は?」

 自分の耳を疑った悟は立ち止まって振り返る。美海にとって深い質問ではなく「もしもの話よ」と言うと、悟は照れて「考えとくが」とだけ言い、また歩き始めた。なれたらいいなと思ったことが、なれるかもしれない。

帰って温かい気持ちで寝ていると、玄関の方から騒がしい声がした。気になって玄関へ向かうと、半分酔っぱらっている父と血相を変えて何かを話している悟のおじさんがいた。また父が迷惑をかけたのだろうかと少し離れて見ていると、美海に気づいたおじさんが「悟知らん!?まだ帰って来とらんっちょ!」と必死に訊いてきた。

「悟が…?」

 美海の心臓が凍り付く。

さっきまで一緒だったのに?ちゃんと家の前で別れたのに?

 悟の父親は美海の話を聞き終えると「分かった。ごめんや、心配せんでいいからや」と、照家を後にした。

 悟がいない?悟が消えた?なんで?私がお嫁さんになりたいって言ったから?

 いつも通りの日常で唯一違うことがあったとしたら、美海が悟の嫁になりたいと言ったことくらい。美海は罪悪感に胸が締め付けられ、顔が悲愴に支配される。

 私のせいだ、私のせいだ、私のせいだ…!

 美海は、酔っ払いの父が呼び止める声も聞かずに外に飛び出して、一緒に歩いた帰り道を戻り、悟の家の近くまで行く。悟、悟、と近所の人も叫びながら捜索を手伝い、大事になっている。

 私のせいだ、私のせいだ、私のせいだ…!

 美海はあてもなくその場を走り去った。近くの公園、近くの川、近くの畑。悟、悟と名前を呼びながら必死に探した。けれど悟は一向に見つからない。

月が雲に隠れ、不安に押しつぶされた美海は、車が一台も通らない夜の畑道で、大声でしばらく泣いた。

「ごめんなさい、ごめんなさい…!」

 大切な人は自分の側を離れる。母がそうだったように、祖母が亡くなったように、美空が連れ去られたように、ずっと一緒にいたいと思った人は、消えてしまう。昔からそうだったのに、どうして忘れていたのだろうと、美海は自分を責めた。

溢れ出る涙を手で拭いながら「もう、お嫁さんになりたいとか、思ってません」と声に出す。神様の存在を信じているわけではない。けれど、自分にしか見えないものがある。自分にしか感じない何かがある。今は何だっていいと、声をあげて叫んだ。

「悟を返して!連れていかんで!」

 そしてまた泣きじゃくって悟の名前を何度も呟いた。目を強く瞑り、何度も何度も呼んだ。すると瞼の向こうに木が見える。大きなガジュマルの木。悟と美海の家の間にある川の上流に似た木があったと思い出し、目を開け、顔を上げた。

 根拠なんてない。けれど今は勘を頼って川の上流を目掛けて走る。草の生えた獣道が近道。ハブがでるかもしれないなんて不安は頭を過ることなく美海は全力で山道を走った。

上流には手長エビがいて、毎年夏になると悟の父親が専用の網を持って美海も一緒に連れて行くので、初めて行く場所ではない。けれど、夜に来たのは初めてで、目的のガジュマルの前に到着しても悟はおらず、暗い山の中で一人の美海は急に怖くなった。

「悟、悟―!」

 大きなガジュマルの木の下で周囲を見回しながら悟の名を呼ぶと「美海」と声がした。


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