第9話 静寂の夜に
いろんなことが一気に起きて頭がついていけてない私の思考を置き去りにして、文字通りエリーさん達は小屋からいなくなってしまった。
「えっと……とりあえずは明日、かな? それでシュン。怪我はないってことだったけど、本当に大丈夫?」「キュ?」
シルは心配した眼差しをこっちに向けた。シルの仕草を真似するように、スーちゃんも私の肩の上で首を傾げてこちらを見る。
「大丈夫だよ。スーちゃんもありがとね」
そう言うと、シルは安心したのか肩の力を抜いた。スーちゃんは私の頬にスリスリしてくる。くすぐったいよ、もう。
スーちゃんは頭を撫でてあげると、気持ちよさそうに目を細めている。
キュゥ――
……スーちゃんの鳴き声かな?
「あはは。色々あったし、少し小腹も空いたね。火を起こして何か作ろう」
うー……私が食いしん坊みたいじゃない。乙女の羞恥心を無視して鳴ったお腹を押さえて、顔を赤くする私に背中を向けてシルは食事の準備を始めた。
*
はぁ、美味しかった。どこで手に入れたのか、シルは迷犬のお肉を手際良く香草などで味付けして、簡易の燻製にして出してくれた。
小腹が膨れた私の右隣にシルが腰を落とし、紅茶を入れてくれた。この紅茶は懐かしい香りがした。まだそんなに経っていないのにセフィさんの入れてくれた紅茶を思い出す。
無言で火を見つめる私とシル――どれくらいそうしていただろうか。ふと視線を感じて横を向くと、シルがいつものどこか優しくも寂しそうな目でこちらを見ていた。
「……シルはよくそんな目で私を見るけど。何かあるの?」
聞こう聞こうと思いながら、聞く機会を逃していたことを問いかけてみる。シルは少しだけ驚いたように目を見開いたあと、何度か瞬きして視線を焚き火に向ける。
「そんな目って……どんな目か自分ではわからないんだけど。なんとなくどういうことを聞かれてるのかはわかるかな。ごめんね、シュン」
シルはそういいながら、右手で焚き火に薪を放り込む。パチッと弾ける火の粉。目を細めるシル。でもきっと目を細めたのは火の粉のせいじゃない。
「なんで謝るの?」
私はシルが謝る理由がわからず、素直に聞いてみる。
シルは私の質問にしばらく無言を返した。それから小さく口を開いて話を始めた。
「……僕にはね、大切な人がいたんだ」
『大切な人』。その言葉に内心ドキッとした。でも自分でもどうしてそんなに動揺したのかが理解できない。自分の胸中にある感情が落ちる前にシルは話を続ける。
「その子はね、とても明るくてよく笑う子だった。僕ととても仲が良くてね。小さな頃から色々なことをした。時にはヤンチャをして、族長から怒られたこともあったよ」
シルは思い出しておかしくなったのか、軽く笑った。
「その人って……いまは……?」
私はそう聞いてから、ハッとした。シルの顔が悲しみと切なさを織り交ぜたものに変わったからだ。
私はバカだ。長いとはいえないが、シルの家にお世話になった。その間に話にあったような人物がいただろうか。それにここまでの話の流れを考えればなんとなく察しがつく。
なのに私はこの胸のモヤモヤや焦燥感に思わず聞いてしまった。
「ご、ごめんなさい! 私……」
慌てて謝る私の頭に柔らかい感触がある。優しく包み込むようにシルが私を撫でていた。
「いいんだよ。その子はね、いなくなってしまったんだ。僕のせいで……」
頭をおそるおそる上げるとシルは複雑な気持ちを表情に浮かべていた。
「その子にどことなくシュンが似ていたからだろうね。少しだけ面影を重ねてしまっていたんだ。だから『ごめん』なんだよ。ほら、やっぱり他人と重ねられるなんて嫌でしょ」
そう言ってシルは苦笑した。
「そんなこと――」
否定しようと口を開きかけて、それは塞がれた。
「でも――ごめん。少しだけこうさせてくれないかな。とても……心配したんだ――」
シルに頭を抱きかかえられるように抱きしめられた。突然のことで固まってしまって動けない。
体温が高くなった気がする。心臓の音が大きく聞こえる。いや、これはシルの心臓の音なのかもしれない。それに……シルの匂いがする……
視覚が封じられているからか。嗅覚と聴覚がいつもより強く働いている気がする。ドキドキするけど、私は同時にとても安心した気持ちになっていた。
――ふと、小さな揺れを感じた。地震とかじゃない。シルが小さく震えているのだ。
私は……そっとシルの背中に手を回して抱きしめた。
*
しばらくそのまま二人で抱き合っていたが、急にバッとシルが離れた。
「ご、ごめんね。えっと、そろそろ寝ようか。今日は大変だったし、僕が見張りをするから! シュンは小屋の中でゆっくり休んでね! はい! これ毛布使って!」
シルは慌てたようにまくし立てて、コッチを見ずに毛布を渡してくる。見えている長い耳は、焚き火の灯りのせいだけじゃなく赤くなってるように見える。
「ありがと。じゃあお言葉に甘えて中で休むね」
男の人としては、触れて欲しくないだろうからね。私はあえて茶化すようなことはせずに、小屋に足を向け歩く。
「あ、シル――あの、改めて今日は助けてありがと。おやすみ」
シルの方は見ずにそれだけ告げて、パタパタと小屋に入り扉を閉めた。私の耳も同じくらい赤くなってるのかな。
少しだけ熱くなった耳を押さえて扉に寄りかかった。