種まき~1~
王国から程よく離れた街、テレーシャ。
これといって特徴はないが活気は良く、貧民街なども出来ていない。
王国とほかの街を結ぶ、中継地点のような役割を担っているため、宿場町や、経済活動の中心地、といった様相をはたしている。
街の外観は中世のヨーロッパのようなレンガ造りの家が多く、移動手段は主に馬車である。
電気などは開発されていないが、街灯は灯りが灯っている。
電気の代わりに魔法で灯りがともっているのだ。
夜が近づくと魔法使いが、街灯に魔法で灯りをともすのは、この世界の風物詩でもある。
また、街は高い壁に囲われており、外敵からの侵入を阻む役割を果たしている。
高さは約20m。生半可な攻撃ではびくともしない。
そんな、街の中心地。
一般家庭よりは遥かに大きく、どっしりとした造りの家に、今、新たな生命が産まれようとしていた。
「ヒッヒッフー、ヒッヒッフー、うぅぅぅ痛いぃぃぃ」
「頑張ってください!奥様!あと、少しです!」
「うぅぅぅ!辛いよぉぉ」
「そんな、情けない声を出さないでくださいよ!」
「でもぉ」
「はい!頑張って。ほら、ヒッヒッフー」
「ヒッヒッフー、ヒッヒッフー」
ラマーズ呼吸法をしつつも、苦痛に呻く女性と、それを手助けする年老いた老婆がそこにいた。
女性は出産をしており、老婆は産婆のようだ。
踏ん張ること、1時間。ついに
「ぅぅぅあぁぁ!!」
「お、奥様!産まれました!産まれましたよ!」
めでたく胎児の出産は成功したようだ。
女性は疲れ切った様子でぐったりしていたが、特に命に別状があるわけではないようだ。
産婆は、胎児を抱き上げ臍の緒を切り、胎児の顔を覗き込む。
「ひっ!」
「どうしたの!」
「い、いえ、何でもありません!」
産婆が胎児を落とさなったのは、長年この仕事に従事してきたプライドもあったのだろう。
その胎児は、全く泣いていなかったのだ。
胎児が泣くのは、母親から切り離され、世界に1人だという孤独を感じるためだと、言われている。
しかし、この胎児はまるで泣かず、それどころか、薄らと開けた瞼の中には真っ赤に充血した瞳が、睨みつけるように潜んでいたのだった。
産婆は、そんな胎児に心配とかそういう感情ではなく、恐怖心を感じていた。
が
「奥様。赤ちゃんですよ。」
「ありがとう。エミリア。」
産婆、エミリアは鉄の意思で赤子を渡した。
その際に瞼を手で覆い、無理矢理閉じさせたのは、しょうがないともいえよう。
「ふふ、可愛いわねぇ。」
「そうですね。奥様。」
「でも、全然泣かないんだけど、大丈夫なのかしら?」
「少し心配ですけど、見る分には問題は無さそうなので、大丈夫だと思いますよ。」
「そう?なら良かったわ。あと、エミリア。周りに誰もいないんだから、私のことはマリアと呼びなさいよ。」
「いえ、それは」
「もぅ。頭が固いんだから。」
マリアと呼ばれた女性は、赤子を抱きかかえたままエミリアと談笑する。
少し、ぽわぽわしている人のようだ。
エミリアも、朗らかに笑っているが視線を赤子から、1度たりとも離すことはない。
それは、職務上の理由、ではなくさっき感じた違和感というには生温い恐怖のせいである。
それはともかくとして、
「奥様、この子の名前は決まっているのですか?」
「そうね。女の子だったらリリィって決めてたんだけど。」
「では、まだ決まっていないのですか?」
「いえ、決まってるわ。」
そして、マリアは少し息をすって赤子の顔をじーと、見つめ
「ヴァンジェアンス。この子の名前はヴァンジェアンスよ。」
世界に破滅をもたらす怪物“ヴァンジェアンス”誕生の瞬間だった。
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5年後
「俺の名前は、斉藤 樹。経済学部3年の大学生。母親の名前は心。父親の名前は大樹。彼女はいない。……よし、まだ憶えている」
鏡の前に危なげなく立つ、少年というには幼すぎる男児がいた。
彼は誰もいない、鏡の前でぶつぶつと何かを確認するように呟く。
彼はヴァンジェアンス。
5年前この家で産まれた男の子だ。
髪の色は、母親に似て金髪。髪質が柔らかいのか、金髪ではあるが落ち着いた印象を周りは受ける。
まだまだ、赤子から抜け出せてはいないようで、5歳程度の年齢には特有のぷにぷにした肉感の体だ。
しかし、目は違う。
いつも、何かを睨みつけているような細い目をしており、少し周りに恐怖心を抱かせる。
だが、この程度の年齢だと、そんなハンデはあってないようなもので、皆可愛がってくれるようだ。
それはともかく。
(この作業をやらねぇと、俺が日本人だったことすら忘れちまいそうになるからな。転生されてから、何周もしてるから通算で数十年は、俺の記憶は積み重ねられてるしな。)
彼、ヴァンジェアンスもとい斉藤 樹は転生者である。
輪廻転生。というのを知っているだろうか。人は死んだら、魂が形を変え違うものに生まれ変わるという仏教的思想のことだ。
つまり、生まれ変わりのことだと思ってくれればいい。
この斉藤 樹もしっかりと元の世界で死んだ。大したドラマもなく、世間一般どこにでも転がっている死因の一つ。交通事故で死亡だ。
死んだ斉藤 樹は魂だけが天界へと昇っていき、魂の裁量を受けた。
これは、古代エジプトでも考えられていた思想で、魂の穢れによっては地獄に行く場合があるそうだ。
だが、一般的に考えられている嘘をついたり、不親切だったりすると地獄に落ちるというのを決してない。大体、そんなことは神には関係ない。
つまり、地獄に落ちるというのは、他の生物を殺しすぎた時、しかも数百万単位で殺した時、神の仕事を増やしたとして、地獄に落ちるのだ。
ただ、良くも悪くも小市民だった斉藤 樹が、そんな大それたことをやっているはずもなく、普通に転生の流れとなった。
だが、ここからが斉藤 樹が他の魂とは違ったところである。
転生の際、神と呼ばれる何かが魂を作りかえ、虫や動物、はたまた樹木や石に変えるわけだが、これらの作業はバランスというのが重要であり、分業が行われている。
つまり、魂の総量を平等に分配する係と、分配された魂を作り変える係に分かれている。
この、斉藤 樹も当初は山奥の池に住んでいるカエルに生まれ変わる予定だった。
しかし、同時期に異世界で不死鳥が討伐されたのだ。
不死鳥、それは死んだ時炎に包まれ灰となった後、復活するという伝説の生物だ。しかし、これは実際には違う。
天界に膨大な数の魂があるときに、神がひとまとめにして、不死鳥として形成するのだ。
だから、実際には不死鳥というのは限りなく生き続けるが死ぬ生き物である。
とはいえ、数十億の魂がこもっている鳥なのだから不死と言っても過言ではない。
そんな、死ぬとは全く思われていなかった不死鳥が死んだ。
つまり、その世界には数十億の魂の抜けがあるということ。
これは、まずいということで神はその世界を空転させることにした。
足りない状態で世界が続きすぎると、不具合が起こるからだ。
では、どのようにして空転させるか。
ここで、斉藤 樹の魂が出てくる。
こいつをその世界に送り込み、死んだ時を空転のポイントにすればいいんじゃないか?
神はそう考えた。
そう、斉藤 樹の死に戻りは別に能力でも何でもなくただの、スイッチということだ。
そして、斉藤 樹はこの世界に送り込まれたのだ。
(まぁ、神もこんな状況は想定してなかっただろうな。俺が記憶を保持し続け、さらにこんなにも殺されやすいとは)
斉藤 樹もといヴァンジェアンスはそう独りごちた。
(まぁ、今回の世界はなかなか上手くいっている。今までの傾向からいって約8割が出産直後に殺されてたからな。)
と、突然部屋の扉がコンコンと、慎ましく叩かれた。
「ヴァンジェアンス様。お食事の時間ですよ。」
「ヴァンちゃーん、ご飯よぉ!」
扉のすぐそばからは、やたらと畏まった声が、そして階下からは元気の良い声が響き渡ってくる。
「はぁーい!今行きます!」
ヴァンジェアンスは5歳を取り繕った元気な声を上げ、鏡の前の日課を止め扉を開ける。
扉の前には5年前よりも、白髪が目立つようになったエミリアが立っていた。
「ヴァンジェアンス様。おはようございます。」
「うん。おはよう!エミリア」
エミリアは5年前とは打って変わって、孫を見るかのような優しい目をしていた。
あの時見たのは、疲れていたから見た、見間違えだったのだと思い込んだのだ。
「ヴァンちゃーん!ご飯冷めちゃうよぉ!」
「分かったぁ!今行くよ!お母さん!」
ヴァンジェアンスは、階段を駆け下りリビングに向かう。その際、すぐ後ろにエミリアが付いてきており、転ばないかとヒヤヒヤして見守っていた。
◇
「はい、席について。」
「うん!」
「じゃあ、食前のお祈りね。」
「「今日という日を迎えられたことに感謝を。そして、今日を無事過ごせるように祈りを。」」
「じゃあ、食べましょうか」
「うん!」
祈りの言葉は本来は、もっと長いのだがそれを全部行っていると食事が冷めてしまうので、程よいところで切るのが庶民流なのだ。
この世界の食文化は、パン食が中心である。米も流通しているが、気候的に小麦の生産量が多く、パン食が中心になるのだ。
「今日のご飯も美味しいね!」
「そう!ありがとうね。ヴァンちゃんは、いつも美味しいって言ってくれるから作りがいがあるわぁ。」
(やっぱり、父親はいないのか。)
ヴァンジェアンスは2人っきりの食卓を見渡しそう思った。
エミリアは使用人なので同じ食卓についてはいない。
ヴァンジェアンスは父親が不在のことを尋ねようかと思ったが、聞けなかった。
この世界の全ての人間を殺し尽くすという、決意が揺らいでいる訳ではない。
(この人。いや、マリアには何度も助けられたからなぁ)
例えば、823周目の世界では魔獣に襲われそうになっていた、子供の斉藤 樹を助け逃がすために死んでしまった。
943周目の世界では、この街テレーシャで何故だか処刑されそうになっていたとき、なんの関係もないのに助けようとして、失敗し二人揃って処刑されたこともある。
そして、1026周目。今の世界の一つ前の世界でも、斉藤 樹を庇って死んでしまったのだ。
そんなこんなで
(あんま、マリアは巻き込みたくないんだよなぁ)
と、なっているわけだ。
「ヴァンちゃん。今日のご予定はなんですかな?」
「今日はね!ミミカちゃんと街の中を探検するの!」
「あらあら、手が早いわねぇ。」
「5歳の餓鬼に何言ってんだ」
「ん?何か言った?」
「何でもないよ!お母さん!じゃあ、行ってくるね!」
「うん。行ってらっしゃい!」
「服を着替えてから行ってください!ヴァンジェアンス様!」
エミリアが追いすがって、ヴァンジェアンスに服を着せる。
「エミリアはどこにいたの?」
「婆は、どこにでもいますよ?」
(本当にいそうで怖いんだよ!)
「もう、エミリア!ヴァンちゃんに、変な言葉教えちゃダメ!」
「申し訳ありません。奥様」
「じゃあ、行ってきまぁす!」
「「行ってらっしゃい(ませ)」」
ヴァンジェアンスは家を飛び出す。
道を歩いていると顔見知りが、沢山出てきて挨拶をする。
当然、過去の世界でヴァンジェアンスを直接や間接的に殺そうとした人間もだ。
ヴァンジェアンスは、殺意を全力で抑えながら
「おはようございます!!」
と、元気よく挨拶をして歩く。
そして、
「ミーミカちゃん!遊びましょ!」
「あ!ヴァンくんだ!うん、遊ぼぉ!」
ヴァンジェアンスは、一つ前世界で仲間であったが、最後に裏切ったミミカの家に辿り着く。
「じゃあ、今日は街を探検しよう!」
「うん!行こう、行こう!」
背中を押されながら歩いている、ヴァンジェアンスの口元が三日月のように、にやぁ、と開いていたのは恐らく気のせいではない。