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若葉マークの高齢者

4月1日。

テレビからは入学式やら、入社式やら、桜色のニュースが流れてきよる。

今日は世間の多くの人にとって『はじまりの日』として一生心に刻まれることだろう。

ワシもその一人じゃった。40年前、ある商社に縁あって入社したのも4月1日。自分はサラリーマンとして会社を牽引し、ひとつの時代を担ってきたと自負しとる。

だが、今回の4月1日はそんな一人の誇り高き戦士が刀を置く日でもある。

『定年退職』とはまったく、どうしようもないものだ。一人のビジネスマンとしてやりのこしたことが無いわけではない。

しかし全てを流れに身に任せ、人間共通の「老い」という現象をただそのままに受け入れるしかない。

私、松尾正信65歳。老兵は死なず、ただ消え去るのみ。


退職してから、正信は変わった。

今は妻さちへと一軒家に2人暮らしであるが、さちへもその変化にすぐ気付いた。

毎朝5時に起きて新聞を読みながら「コーヒー」と呼びかけ、朝食はパン一枚とヨーグルト。6時にきっちりワイシャツにアイロンをかけ、7時にきっちり出社する時間厳守は、もはや過去の日課であった。

さちへは定年後の彼を以前から心配していた。

正信にとって「仕事」とは生きがいであり、それは人生とも呼べるまでの存在と知っていたからであった。

昼ごろ起きて、テーブルの料理を平らげ、TVを見て、昼寝。起きて、TVを見て、夕食をとり、寝る。現在の正信は、まるで家畜のような生活を送っていた。


正信だけでなく、社畜から家畜へ移行することは別に珍しいことではない。

仕事第一で長年過ごしてきた人間は、他のコミュニティが少ないと同時にそこへ入る方法も忘れてしまう傾向がある。

会社のために尽くす兵士は、自分の欲求を押し殺し士気を高め、戦わなければならないのだ。

平日は残業、休日は家族サービス。自身の「休みたい」「遊びたい」などといった欲求は、すべて背負いきれずにどこかに置いてしまうのだ。


定年から1ヵ月もした昼下がり、TVをぼーっと見る正信にさちへは問いかけた。

「老後とは人生の終着点。昔から終わり良ければすべてよしというけれど、あなたの人生はこんな過ごし方で終わって本当に良いのかしら?優秀なあなたならきっと心の中でわかっているはず、こんな生活は嫌だと。ゆっくりとTVを見て過ごす老後があなたの描いていたビジョンだったのでしょうか?」


正信の眼が久しぶりに、黒く澄んだ。

「わかっておるが…どうしようもない。いきなり好きなことをしなさいといわれても自分自身何が好きかわからん。どこに行けばわからん。どうしようもない指示待ち人間だよ、ワシは。」

ゆっくり眼を閉じ社会の家畜と化した正信に、さちへは1つ言葉を与えた。

それは自立したジジイになってほしい、そしてなによりあなたの人生はあなた自身のものなのよという思いを込めて…


「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし。吉田松陰」


正信は…気付いた。

ワシには夢がなかった。正確にはキャリアビジョンでの夢や計画はあったが、ライフビジョンは一切考えてこなかった。両方を考えなくては人生として大成したとは言い難い。そこに今、気付いた。


「夢…か…」

正信はさちへに向けてにやけ笑顔をこぼした。

松尾正信65歳、第二の人生を今、歩みだす!

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