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1.

夢うつつに、懐かしい匂いを感じた。

甘いような、苦いような、スパイスみたいな。

お香にも似た、鼻孔の奥に絡みつく独特の匂いには馴染みがあった。

祖母の匂いだ。

耳を澄ませば、祖母の声が聞こえてきそうだった。愛用の乳鉢を擂る音と共に。


『茉莉花は喉が弱い子だね』


風邪をひけば、挨拶代わりに油紙に包まれた薬包を渡され、問答無用で飲まされるのが常。

中は祖母お手製の漢方薬。

甘苦い、きつい匂いと味のそれが、子供の頃は嫌いだった。

もっとも、すごく良く効くので拒否できた試しがないのだけど。


祖母は残留孤児で、産まれてすぐに漢方医をしていた老夫婦に預けられたらしい。

人の好い漢方医の老夫婦に実の子同然に育てられた祖母は、漢方や中国伝統の医学を学んだ。成人し、大使館に勤務していた祖父と知り合い、結婚し、日本に渡った。

日本で整体や鍼灸師の資格を取り、私が物心ついた頃には小さな治療院を営んでいた。

時代的にも辛い経験をたくさんしてきたはずなのに、私の中の祖母はいつも笑っていて、『私はね、とっても恵まれてるの』というのが口癖。

年を取ってなお精力的な人で、新しいことに物怖じせず、いつも好奇心に満ちたきらきらした目をしていた。知識も豊富で、祖母の話はいつも面白かった。

色白の細い指ですいすいと器用に薬を作る様子はまるで魔法使いのようで面白く、匂いも味も大嫌いなのに調薬するとなると祖母の元に張り付くのが私の習慣。

そんな祖母に私はすっかり懐いていて、いずれは祖母の治療院を継ぐのだと決めていた。

そう言う度に、

『馬鹿ねえ。私の真似ばかりしないでいろいろやってご覧なさい』

と笑われたが。

それでも、大学は漢方薬学を専攻し、整体や鍼灸の勉強もして、『あんたも頑固ねえ』と呆れられた。

・・・結局、私は大学でお世話になった伝手で製薬会社の研究所に入り、祖母の治療院を継ぐ話は延期になってしまったのだけど。


(ああ、でも、そうだ。お祖母ちゃん、死んじゃったんだっけ・・・)


寝ている間に安らかに息を引き取った、お祖母ちゃんらしいあっさりとした最期で、寂しかったけど納得できた。

遺品の片付けを任されて、祖母が使っていた乳鉢や鍼なんかを貰って、それで・・・


辿った記憶が、次の瞬間真っ赤に染まった。


血塗れの誰かの顔、驚いたように見開いた双眸から瞬時に消える光。

胸の辺りから突き出た、鈍く濡れた棒状の物。

怒号、悲鳴。

ずる、と棒が引き抜かれて、吹き出す大量の赤。噎せ返るような酷い臭いがして、そして。


私は悲鳴を上げた。


「いやあああああああっ!!」


悲鳴を上げるのと同時に目が覚めた。というより、自分の悲鳴で目が覚めたのか。

視界に入ったのは、全く見覚えのない風景。布で覆われ、仕切られた部屋は、テントのようにも見える。殺風景だけど、清潔な感じは保健室を思わせた。

余りに見覚えが無く、それに自分の口から悲鳴が出るのにも慣れていなくて、零れた悲鳴は割とあっさり引っ込んだ。替わりに疑問符が大量に頭に浮かぶ。

ここはどこなんだろう。

新たな混乱に襲われていると、


「ああ、起きたんだね」


どことなく間延びした声と共に、仕切り布を持ち上げて男性が現れた。

草臥れた衣服を纏い、何か作業をしていたのか、捲った袖を直しながらこちらを見てニコリと笑う。

人の良さそうな笑みだったけれど、なにしろ全く見知らぬ人だ。警戒心が先に立つ。

反射的に身構えようとして、ずきりと体中に響く痛みに声もなく崩れ落ちた。


「い、っあ・・・っ!」

「ああ、無理しないように。三日も高熱続きで寝てたんだ、体は相当弱ってるはずだよ」


宥めるように言われ、私はそんなに意識がなかったのかと激痛に堪えながら驚いた。

それにしても全身が痛い。どこが痛いのか分からないくらい痛いけど、それよりも疑問が口をついて出た。


「は、ぁっ、なん、でっ?」

「なんで?・・・ああ、寝ていたこと?それとも高熱?うーん、俺にも良く分からないんだよね。運ばれたときは特に大怪我もしてなかったし。・・・むしろ、俺の方が色々聞きたいことがあるんだよね」


___すっと空気が冷えた気がした。

口調は変わらない。けれど、瞬間的に私は最初から男が一度も本当の意味では笑っていなかったんだと悟ってしまった。

目が、怖かった。

冷徹な観察する目。まるで物を見るみたいな。

そんな目で見られたのは、たぶん産まれて初めてで。

失礼だ、と思うより怖かった。

この男にとって、私の命はきっととても軽い。そんな気がした。


「ねえ、何で君はあんな処にいたの?ああ、迷い込んだなんてすぐにばれる嘘は止めた方がいいよ。君がいたのは前線の激戦区。この周辺の住民はとっくの昔に避難している。おまけに君の格好はとても奇妙だった、この辺では全く見ない服だったね。顔立ちもこの辺りじゃ見かけない。・・・正直に言ってくれないかな。君は、いったい何?」

「そっな、ん、こっちが、聞きたい・・・っ」


立て続けの質問・・・もうこれは尋問に近い気がする。口調は穏やかだけど、追い詰めるような容赦のなさを感じて、正直、怖い。

おまけに前線とか激戦区とか、日常で聞かない単語のオンパレードに目眩がしそうだ。

痛みにわけが分からなくなりつつも、私は自分が危うい立場にいることをおぼろげに理解した。

良く分からないが、疑われている・・・んだろう。

でも、疑われる理由が分からない。

だって、私は祖母の遺品を片付けて、形見分けの品を貰って、それで・・・

ぽっかりと記憶が抜けていることに気づいて、息が止まった。

___家に、帰ったはず、だ。

なのに、家に帰った記憶がない。

遺品の入った鞄を手に道を歩いて、ふと見上げたら月が綺麗で、ああ、お祖母ちゃんは月見酒が好きだったなあ、とか思い出したりして・・・そこから、ぷつりと記憶が途切れ、突然の視界いっぱいの赤へと繋がっている。

またしても悲鳴が込み上げてきて、私は急いでそれを押し込めた。悲鳴の替わりに涙がじわりと浮かんだけれど、それは抑えられなかった。

溢れる涙と痛みに息を詰まらせながら、私は切れ切れに言葉を紡いだ。


「ここ、どこなのっ・・・も、やだ、意味、わかんない・・・っ」

「駄々を捏ねないでくれるかな。質問をしているのはこっち。君はしらばっくれるつもりかもしれないけど、そんなことをすると余計に状況が悪くなるだけだよ」

「だって、ほんとにわかんない・・・っ!お祖母ちゃん、助けて・・・っ」


助けて、と口にした途端、不安と恐怖がどっと押し寄せる。

ここはどこで、なんで私はここにいて、それに、さっき言っていた戦場ってどういうこと?いろいろなことが明らかに許容量を超えていた。

体に感じる痛みの方がまだマシだと思える。だってそれは分かりやすいから。

得体の知れない、心許ないこの状況の方がずっと怖い。本能的な怖さだ。


「うちに、帰して・・・っ!」


止めようもない涙で視界がぼやけると、周りを見なくて済むのが良かった。

子供のように身を丸めて、私はただひたすらに泣いた。たぶん、こんなに泣いたのは人生初なんじゃないかと思うくらいに。


「・・・あー、ちょっと、さすがにそんなに泣かれると、なけなしの良心が痛むなあ・・・」


困ったような声が微かな溜息を落とすのが聞こえたが、知ったことか。

勝手に痛め、こっちはそれどころじゃないんだから!


「まあ、起き抜けに聞いた俺も悪かったかな・・・どうも混乱してるみたいだし。じゃあね、とりあえず君の名前。それくらいは言えるでしょ?」


頭にそっと指が触れた。

不意打ちのそれにぎくりとするも、優しい手つきで宥めるように髪を梳かれただけだった。


「俺は、セアドラ。君の名前は?」

「・・・・・・茉、莉花・・・」

「マリカ。マリカね。ん、了解」


ぽんぽん、と頭を優しく叩かれた。

何一つ信用できないのに、優しいその手つきにほろりとまたひとつ、涙が転がり落ちた。

悔しい。泣き顔を見られて恥ずかしい。なのに全く制御できないことを考えるに、よっぽど情緒不安定らしい。


「ああ、熱がまた上がってきたな。寝るといいよ・・・とりあえず、今は」


今は、ってなんだ!

逆に心配になる一言を付け加えられ、私はうう、とくぐもった呻り声を上げたが、体力の限界には逆らえず。

泣き疲れたのもあって、こてん、と落ちるように眠ってしまった。




寝て起きて、また気絶。話がなかなか進まない・・・。

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