80話
目を覚ますと、ベッドの下からレイセンの寝息が聞こえてくる。うたた寝しているときに、レイセンは私にキスしようとしてきた。
つまり、これはレイセンも私のことが好きだと言うことだろうか。
それとも、ただ単に私のことを性欲のはけ口としか思っていないのか。
考えていても仕方がない。レイセンを起こして、今日もバイトを探さないと。
「レイセン、起きて、朝だよ」
呼びかけながら揺すっても、目を覚まさない。
「……キス、するよ?」
反応はない。そう言えば、過去でも同じことを言っていた気がする。
あのときは、寝起きにキスだなんて不衛生だと思い、口内洗浄をしてからキスするために一度洗面所へ向かい、洗浄しているとレイセンが目を覚ましたので、結局キスはしていない。
今回も、期待だけさせて終わらせよう。その方が良い。どうせ明日、勇気を振り絞ってするのだ。
出来るかどうかは、明日の私の勇気次第なのだが。
レイセンも起きる気配がないので、過去と同じように私は洗面所で顔を洗いに行く。すると、レイセンがやってきて夢で見たなど全く同じ質問をしてきたので、思い出せる限りの返事をしておいた。
身支度をして現実に戻り、駅へ向かうと、夜明が近くの公園で震えていた。何故この場所が分かったのかは分からないが、関わると面倒なことになりそうだったので、無視した。
「おい、稟堂。あの子、昨日映画館にいた女の子だろ? 何か言わなくて良いのか?」
立ち止まって私に話しかけてくるが、レイセンの手を握ってすぐに立ち去ろうとすると、夜明は声を上げる。
「おーい! 弓削レイセン! この寒い中、ずっと待っていたんだぞ!」
……面倒なのに捕まってしまった。夜明は笑顔でこちらに近付いてくる。
「どうして昨日、映画館に来いって行ったのに来なかったんだ? まあ、理由は言わなくても良いが、それよりも、弓削レイセン。お前に聞きたいことがあるんだ」
私は夜明の考えを先読みする。まだ大学のことを話してくるのだろう。
「レイセンは大学に行かない。それじゃ、私たちバイト探ししなきゃいけないから。さよなら」
「お、おい稟堂!」
レイセンの手を引っ張り、彼女に背を向けると、夜明の嗚咽が聞こえてきたが、無視して駅へと向かった。道中で何度もレイセンは私の名を呼んでいたが、彼の手を握り、歩き続ける。
ついに痺れを切らしたレイセンは私の手を振りほどく。
「何なんだよ、あの女の子は何で僕のことを知っているんだ?!」
「だから、昨日も言ったじゃない。受験日にレイセンの後ろにいたんだよ。あの子は合格したから、レイセンも合格してると思ってるの。それで突っかかってくるんじゃないの?」
「そんな理由で? でも、あの子も運命を変えられるんだろ? 僕にはもう稟堂がいるんだ。それなら突っかかる意味はないんじゃないのか?」
レイセンのことが好きだからだなんていうと、また厄介なことになる。それなら、言わない方が良いだろう。
「おい! 弓削レイセン!」
踏み固められて円滑になっている雪の上を必死に走りながら夜明はやってくる。
「お前、大学はどうなったんだ? こんなところで呑気にデートなんかしている場合じゃないだろ」
「えーっと、その、僕、大学には行かないからさ。それに、明日卒業式なんだ。卒業後はフリーターするから」
「な、何を言っているんだ? お前、わたしの前にいたよな? 必死に血眼になって参考書読んでいただろ? 落ちたのか?」
レイセンが首を縦に動かすと、夜明は下を向いて震えだした。次第にこちらを向いて大声で笑い出す。
「うわははは!! お前、落ちたのか?! あんな地方大学に!! うはははは! 傑作だこりゃ!!」
レイセンは怒っているかもしれないと思い、顔を覗き込むと、呆れていた。
「何なんだよ、お前」
「ほら、行こうよ。こんなゲス女は私たちに幸運をもたらすわけないよ」
「……そうだな」
冷たい蔑んだ視線を容姿は小学生の女の子に降り注いだ後、背中を向けて駅へと歩きだす。
「お、おい! 待てよ!」
後ろで夜明は叫んでいたが、辺りを見渡し、誰もいないのを確認して駅の高架下へとジャンプした。
「ね? 分かったでしょ? あの女は人の不幸をあざ笑う悪女なの。あんな悪魔に耳を傾けちゃダメだよ」
レイセンは、ううんと唸っていた。
「どうも悪い子には見えないんだよな。場の雰囲気で睨んだりしてしまったけど、何だかあまり悪気があってやっているとは思えないって言うかさ」
「な、何言ってるの! 大学受験失敗した人を笑うような人だよ!?」
「……今の稟堂の方が悪女に見えるぞ」
レイセンのこの言葉で私はハッとする。
そうだ。今のこう言う他人を貶めるような発言などがもう一人の悪い私の要素になっていくのだ。
「ご、ごめん。私、どうかしてたよ……。本当、ごめんなさい……」
「僕じゃなくて、さっきの女の子に謝った方が良いんじゃないのか? 僕、バイト探してくるから、謝ってきなよ」
すぐにレイセンを置いて、夜明が泣いているであろうさっきの道に戻るが、公園へとジャンプしてきた。多分、車や通行人がいたのだろう。
「冷明! どこ!?」
必死に叫んでいると、夜明は雪山からひょっこりと現れる。
「何だ?」
「その、さっきはごめんね。私、あなたのことを誤解してたみたいで」
「急にどうしたんだ? えっと、お前、名前は何だ?」
この時点では初対面のようなものだ。彼女が私の名前を知らないのも無理はない。
「私は稟堂。 稟堂 輪廻。あなたと同じ運命を変える者だよ」
夜明は後ずさり、私のことを睨んでいる。
「お前、何者だ?」
「大丈夫、危害は加えないよ。でも、私も言わせてもらうよ。レイセンには手を出さないでよ? レイセンは私のイスタヴァだから。もう契約もしているからね。二重契約しようだなんて考えているようならその考えを今すぐに捨てて」
夜明は頷いてはいたが、実際の考えは分からない。
「弓削レイセンのイスタヴァなのか。これは失敬。で、どうしてお前はわたしの名前を知っているんだ? わたしは昨日の映画館を抜いたら初めて会ったはずだよな? あの受験会場にもいなかったし」
「私は3月31日からやってきたの。だから、これから起きることは全て分かっている。その未来を変えるためにも、タイムスリップしてきたんだよ」
夜明は特別驚いているわけでもなかった。むしろ、簡単に私が未来からやってきたことを飲みこんでいる。
「未来では大変なことになっているんだな。で、どうやって未来を変えるんだ?」
「明日、卒業式があるんだ。卒業式が終わったあとに、レイセンに告白しようと思ってるの」
「え? お前、レイセンって呼んだりしているくせに、告白していないのか? 馴れ馴れしいにも程があるぞ!」
10年以上前からレイセンのことを知っていると話すのが面倒だったので、馴れ馴れしいままで良いと思って話を続けた。
「そうだ。冷明にも協力してもらおうかな」
「……稟堂、その、何だ。未来ではわたしたちは名前で呼び合う仲なのか?」
顔を真っ赤にしながら、目を逸らして私に質問してくる。ちょっとかわいいと思ってしまった自分が憎い。
「ま、まあそうだね。だから私のことも輪廻で良いよ。あっ、別に強制じゃないから。それで、冷明に手伝ってもらうことなんだけどね。明日、卒業式の後にレイセンのお母さんを止めてほしいんだ」
「……と、言うと?」
また説明しなければいけないのかと思いつつも、未来を変えるにはこれ以外に方法がないので、渋々ながらも説明をする。
「まず、レイセンは勘当されているの。でも、卒業式にはレイセンのお母さんがやってくるんだ、その後、家に連れて行かれるけど、勘当を取りやめにしてくれと言われるんだ。その未来を完全になかったことにしたいんだ。私たちは結構長い間、教室にいるから、あまりにも帰りが遅いと、レイセンのお母さんは教室にやってくると思うの。そうなる前に、冷明が止めてほしいんだ」
「わたしはもう卒業式が終わったから構わないが、どうやって弓削レイセンの母親を止めるんだ? まず、わたしは弓削レイセンの母親の顔も知らないぞ?」
「玄関前に待っていて。女の人はたいていスカートを穿いているけど、レイセンのお母さんはスラックスを穿いているんだ。そんな人はレイセンのお母さん以外にいなかったはずだから、黒のスラックスを穿いている女の人がいれば、その人をマークして。話題は何でも良いよ。受験の人にレイセンの後ろにいたとか、レイセンのことが好きだったとか」
夜明は顔を真っ赤にしている。
「ゆ、弓削レイセンが好きだなんてっ! そ、そんなこと話せるわけないだろっ!!」
「じゃあ受験のときに後ろの席だったって話題で良い。それで、出来るだけ話を続けてほしいんだ。レイセンのお母さんが教室にやって来て、私たちの告白現場を見てしまうと、私もレイセンもレイセンのお母さんも気まずくなると思うし……」
「……輪廻。一つ言わせてくれ。未来から来たのなら分かっていると思うが、わたしがレイセンのこと好きなのは知っているんだろ? それでいて、その好きな人の告白の手伝いをしろって言うのはどうなんだ? わたしだって、レイセンに好きだって言いたいぞ……」
もじもじしながらそのようなことを言われてもどうしようもない。それに、借りに私ではなく夜明がレイセンに告白してしまうと、これはこれで未来が変わってしまい、結局もう一人の私が出てくるだろう。
「はあ、あまり言いたくなかったけど、仕方ないか。未来を変える理由の一つにさ。もう一人の悪い私が出てくるんだ。そいつに、冷明は何度も殺されかける。その都度レイセンが助けているんだけどね。だから、ここでハッキリ言っておく。私は、無意識にあなたのことを憎んでいるんだ。レイセンを奪うから。だから、冷明がレイセンに告白してしまうと、間違いなく私はあなたを殺す。正確には、もう一人の私があなたを殺しに行くと思う」
夜明は身震いをしていた。小さな体が小刻みに動いていることに気付いたが、それは寒さからではなく恐怖からだと分かったのは、彼女の声音が震えていたからだ。
「わ、わたしは……死ぬのか? レイセンに告白できずに、死ぬのか……?」
「私のいた未来では死なない。でも、今あなたがレイセンに好きだと言えば、私の憎悪の心が限界を超えてもう一人の私が出てくることは間違いないの。だから、告白は、悪いけど諦めて。本当にごめんね」
不服そうな顔をしていたが、彼女は口を開く。
「しょうがないなあ。馴れ馴れしい輪廻には敵わないか。分かったよ。レイセンのことは諦める」
彼女は目に涙を溜めていた。そして、もう一度私に向かって言った。
「絶対に、告白するんだぞ! どうせレイセンの返事もオッケーなんだろうし、こんなの出来レースなんだろうけどな! 悔しいけど、頑張れよ。それじゃあ、明日、学校へ行けば良いんだな? 学校はどこだ?」
学校の場所を説明し、もう一度強くレイセンの母親の特徴を説明すると、夜明は目に溜まった涙を拭い、自分の家へと戻って行った。私も、レイセンの元へと戻った。
レイセンとバイト探しをして、この日の晩に初めて肉まんを食べたことを思い出し、コンビニに寄って、久しぶりの肉まんを頬張る。寒空の下で食べる肉まんは涙が出そうなくらい美味しかった。
その日の夜、過去ではレイセンのことを思い切り平手打ちをして、気を失っている間に私も眠っていたが、今回は何もない。
まず、平手打ちをすることになった原因であるラーメン屋での胸を揉まれたことが起きていないどころかラーメン屋にすら行っていないので、何も起きていない。
「ねえ、レイセン。明日、卒業式って覚えてる?」
「うわっ、すっかり忘れてた。てっきり卒業したモノだと思ってた……」
レイセンは賢明に履歴書を書きながら、スマートフォンで久良持アパートから候補のバイト先までどれくらい時間がかかるのか調べていた。しかし、私の言葉を聞いてレイセンはペンを止めて、私の方に振り向く。
「だけど、稟堂がいなかったら僕、凍死していたんだろうな。あのまま家を追い出されていても、僕にはもう行く宛がないからさ。稟堂には感謝しているよ。ありがとな」
「い、いや。別にそんなお礼を言われるようなことなんて私……そ、それに! 家を出て行くって決断したレイセンもすごいよ! 私にはそんなこと出来ないかな。あはははは……」
明日、告白すると頭の片隅で考えていると、何を話せば良いのか分からなくなる。
「ま、何でも良いか。それじゃ、そろそろ明日に備えて寝るか」
イスで伸びをした後、レイセンはシャワーを浴びにいなくなったので、私はベッドの上で考える。
本当に告白するんだと。キスもしてしまうのだろうか。
過去では、私が勇気が出なかったばっかりに何も出来なかった。黒板のラクガキのことが好きだとは言ったが、本当は照れ隠しで言っただけで、レイセンのことが好きだと言いたかった。
何度もイメージトレーニングはしているが、先ほどのようにレイセンにお礼を言われるだけで顔が熱くなって何も考えられなくなるくらいシャイな私にキスどころか、告白だって出来るのかすら不安になってくる。
しばらく告白の言葉を考えていると、レイセンがシャワーから上がったので、私もシャワーを浴びて明日に向けて眠りに就いた。
つづく
過去の3月13日では、輪廻が運命を変える者は不思議な力に目覚めると言っていましたが、彼女自身、リモートビューイングが使えたりしていますね。完全にこの辺のこと忘れていました。
次の話で終わらせようと思っていますが、あと2、3話書きます。10月までには終わると思います。
次の更新も未定です。




