7話
「遅い。遅すぎる。いつまで職員室にいる気なの!? 学校終わったら、バイトを探しに街へ歩こうって言うからワクワクしてた……わけじゃないけど、とにかく街に行くって言ってたのに。もう夕方じゃない! お昼食べてないから、お腹も空いたし……ずっとずっと待っているのに!」
稟堂は三年六組でずっと僕の帰りを待っていたようだった。
「いくらなんでも遅すぎる。職員室に特攻しかないか……」
立ち上がり、稟堂は職員室へと向かう。
その頃、僕と高野橋先生は車から降りて、僕はかばんを取りに教室へ、高野橋先生は職員室へと戻っていた。
僕が教室に着くと、教室には誰もいなかった。当たり前か。三年生はもう三日程、学校へ行かなくて良いもんな。僕はかばんを取りに自分の席へ向かう。その時にようやく気付いた。
稟堂の席に、かばんがあることに。
その頃、職員室では
「失礼します! 弓削はいますか!」
室内を見渡すが同年代の姿はない。全員年上だった。
「稟堂? 何してるんだお前?」
後ろから話しかけられた。振り向くと、担任である高野橋先生がいた。
「あ、先生。あの、弓削を探しているのですが。お昼からずっといなくて」
「弓削か? 弓削ならさっきまで俺といたぞ」
先生と一緒にいたのか。全く、私を差し置いてどこへ行っていたのだろうか。そのようなことを聞いてみた。
「一緒に進路の話をな。職員室でちょっと騒ぎが起きてな」
「え? どういうことですか?」
「弓削を守ってやった。と言えば恰好がつくな」
先生の話からは一切情報が掴めない。もったいぶらないで早く言ってほしい。
「守った? え? どういうことなんですか? 詳しく教えてください!」
「いや、ただ俺と一緒に進路の話を場所を変えて」
「場所を変えてって、どこでですか!」
結局どこで進路相談をしていたのか気になる。まさかレイセン、私に黙っていきなり進路変更とかするんじゃ……。
「ラーメン屋だが」
「ラーメン屋?」
高野橋先生の言葉を復唱してしまう。何故ラーメン屋なんかで?
「場所は弓削に聞いてくれ。すごい美味いんだぜ。お前も弓削と行って来いよ」
「そうですか。ありがとうございます」
私に黙ってラーメン……。ズルい。
「ん? どうかしたか?」
「いえ、何でもありません。さようなら」
「お、おう。気をつけて帰れよ」
担任の言葉も聞かず、稟堂はすぐに三年六組へと向かった。
「レイセン、絶対に許さない。私を差し置いてラーメン? 良いもの食べてるじゃないの。私は今、腹の虫が泣きすぎてお腹の中で革命が起きそうな勢いだって言うのに、先生と二人でラーメン? 許さない許さない許さない」
三年六組で僕は稟堂を待つ。しかし、あまりにも遅いので探してみることにした。
教室を出ると、こちらに近付いてくる金髪美少女がいた。美少女だが、今は恐怖の方が勝っている。
「レイセン、おかえりなさい。どうだった?」
「な、何が……?」
「先生と、進路の話どうだった? しっかり話せた?」
稟堂はやけにニコニコとしながら僕に当たり前のようなことを聞いてくる。何か言いたいのだろうか。
「何だよ。さっきから、何が言いたいんだ、お前は」
「先生と楽しい時間を過ごせたようだね。良いなあ、うらやましい」
「だから。何を言いたいんだ。お前は」
痺れを切らした僕は彼女に強めに聞いてみる。
「私ね。ずっと、レイセンの帰りを待っていたんだよ? 今日は三限で終わりだから、大体六時間は待っていたのかな? 一日の四分の一を、レイセンの帰りに使うなんて、もったいないと思わない? それなら、先にコフタロンに帰るなりしていれば良かったと、何度も後悔した。お昼も食べていないからフラフラしているし」
「ごめん。ちょっと、先生に連れて行かれて」
「先生のせいにするんだ? レイセンは卑怯だね」
何を言っても僕のせいにしようとしてくる。実際は僕のせいなのだが。しかし、このままだと埒が明かない。
「あー! もう! どうすれば許してくれるのさ」
「連れて行って」
場所も言わずにいきなり連れて行けと言われても困る。そう思っていると、稟堂は話を続けた。
「ラーメン屋! 先生と行ったんでしょ!」
「なっ、どこでそれを」
「偶然、職員室で先生と会ったの。その時に、聞いた。美味しいんだって?」
「ああ。すごく美味かった」
彼女のお腹から、すごい音が聞こえた。女性に向けて言う言葉でもないが、掃除機と言うか。
「……連れて行って」
顔を真っ赤にして涙目で彼女は言う。
「今の音聞いて分かったでしょ! お腹空いてるの! ついでに言うとね! ファミレスから私、何も食べてないから!」
「僕だって何も食べてないよ」
「嘘っ!」
即否定された。だが本当に何も食べていない。
「嘘じゃないよ!」
「ラーメン食べてたっ!」
稟堂に指摘されて、そう言えば数時間前に食べていたなと思い出す。それより、今ラーメンの話をしていたのに何故思い出せなかったのだろうか。きっとラーメンを食べて幸せだったからだろう。
「あっ」
「あっじゃないよ! バカ! レイセンの奢りだから!」
僕はまた同じラーメン屋へ行くことになった。次は先生ではなく稟堂と。
「何これ? バカにしてんの?」
ラーメン屋について、最初に彼女が言った言葉が、これだった。
「ほらよく見てよ。らあめんって書いてあるでしょ」
僕は高野橋先生と同じことを言う。
「あ、営業時間過ぎてる」
「その点に関しては大丈夫……だと思う」
「思うって何? 自信ないの?」
目の前にラーメン屋があるのに、どうしても入ろうとしない金髪美女に僕は早く入るよう急かす。
「ないわけじゃないけど。とにかく入ってよ」
「何で私から入らないとだめなのよ」
「いや、僕もそうだったから。それが、きっとこの店のルールなんだよ。入って!」
「ちょっと! やめてよ!」
僕は彼女の背中を押したはずなんだが、何だか柔らかいものが僕の両手に当たった。何だこれ。
彼女、背中に何か仕込んでいるのか? よく分からないので揉みしだいてみる。こんな柔らかいもの初めて触ったぞ。
「レイセン」
「お前の背中、柔らかいな。何入れてあるの?」
僕はすぐに疑問を抱いた。何故、彼女の声は、正面からストレートに聞こえているのか。
今、彼女は僕に背を向けているはず。それなら声は少し聞こえづらいはずだ。それが、今は耳にストレートに、ダイレクトに入ってきている。
答えは簡単だ。彼女は、僕の方を向いている。
彼女は、僕が背中を押そうとしたとき、瞬時に体を翻して僕の方を向いた。その時に、偶然、僕の手は、彼女の胸を触ってしまった。
「い、いやあ……悪気はなかったんだけどね」
このパターンは殴られると、すぐ直感的に気付いたので、僕はさらに激しく揉んだ。
こんなおいしい経験、絶対にもうないからと直感的に悟ったからだ。
案の定、彼女に殴る蹴るの暴行をくわえられた後、罵声を浴びせられた。マゾ大歓喜だよこれは。正直、僕自身も、少し嬉しかったなんて、口が裂けても言えない。
稟堂は、怒りながら入店した。
「ごめん! 機嫌直してよ!」
「ふんっ」
「あ、店長さん。さっき先生と食べたものと同じもの二つお願いします」
店長さんは頷き、麺を茹で始めた。
「な? 僕が悪かったよ。ここのラーメンさ、美味いんだぜ。お前もこれ食ってさ」
「私のプライドがどれだけ傷ついたか、あんた分かってないでしょ」
「本当にあれは偶然なんだって!」
僕は必死に言い訳をするが、稟堂は聞いていない。
「男の子に胸を揉まれるなんて絶対にありえないと思っていたんだからっ!」
「えっ! そこかよ! て言うか、大声でそんなこと言うなよ!」
店内に響くような大声で僕が胸を揉んだことを暴露している。幸いにも店内にいるお客さんは僕と稟堂の二人だった。店長さんは聞いているのか聞いていないのか分からないが、稟堂の声量から察するに聞こえているだろう。
「何よ! 私の胸を触って話しかけたあと激しく揉みしだくなんて! あんたもう変態とかの領域超えてるわよ! 受験失敗して当たり前よ! バカ! アホ!」
「おい、場所を考えろって」
店長さんはラーメンをすぐに持ってきた。僕と先生の時より遥かに早く感じた。それとも、僕が初めて女性の胸を揉んだことに酷く興奮し、余韻に浸っていて、俗にいう相対性理論で時間の流れが速く感じたのかもしれない。
「とりあえず食おう。な?」
僕は彼女に割り箸を渡した。
それを素直に受け取らないので、彼女のラーメンの器の上に置いた。
「おい、伸びるぞ。せっかくだから食えって」
稟堂はうつむいたまま涙目である。
「もう分かったよ。僕の命に関わること以外なら、何をしても良いからさ。頼むから機嫌直してくれよ」
「本当?」
急に反応してきたので焦った。それにしても涙目が良く似合う。
「う、うん。だからさ。ラーメン食って、元気になって。バイトはまた明日探そう。今日は仕方なかったんだからさ」
「そ、そうだね。じゃあ、いただきます」
稟堂はやっと機嫌を直してくれた。
そして僕の財布からは完全にお金がなくなった。
つづく
相対性理論云々の話が出たとき、原文では玲泉がアインシュタインの名言を言うシーンを書いていましたが、カットさせてもらいました。
誤字訂正+追記しました。
3月27日