71話
「輪廻ちゃんはどこでちまきちゃんが入れ替わったのかってことを聞きたいんだろう? ここじゃまずいから、一旦髪を乾かして、離れてから話すよ」
ドライヤーで私の髪を乾かしながら久良持さんは話してくれた。夜明も横で何か言っていたが、すぐに暖簾を潜っていなくなった。
乾かし終えた私たちも脱衣所から出るが、出て行く直前に葉夏上さんの方を向くと、彼女は私に気付き、手を振っていたが、無視して待合室へと向かった。
「先に牛乳を飲ませてもらってるぞ」
腰に手を当ててんっんっと言いながら必死に白い液体を喉へ流し込んでいる。その姿は、どこからどう見ても私と同じ十八歳には見えない。
「ぷはあ! 久々に飲む牛乳も良いな! 私のいた小中学校は腹が痛くなるとか言って、飲んでないヤツが多かったが、そんなのは言い訳だ! ただ不味いと言う先入観に踊らされて飲んでいないだけだ!」
牛乳について熱く語っている夜明を無視して私も冷蔵庫に入っている瓶のコーヒー牛乳を手に取り、ソファに掻けて飲み干す。
「稟堂はどうして牛乳を飲まないんだ?」
「コーヒー牛乳の方が好きなの。夜明も今まで飲んでなかったんでしょ。久々に飲んだんじゃないの?」
核心を突かれたのか、夜明は何も話さなくなった。
私もコーヒー牛乳を喉へと流し込むと、数秒後に胸の内側がひんやりとする。風呂上がりの一杯は最高に美味しい。
「そいじゃ、ちまきちゃんのいない今の間にコフタロンに戻ろう。話したいこと聞きたいことたくさんあるんだろう?」
久良持さんは右手の指を鳴らすと、銭湯の待合室から久良持さんのコフタロンに変わる。
ソファに座るように言ってくるので、言われるがまま腰かけると、私の横には夜明が座ってくる。
「まー、ちまきちゃんは二重人格だってことは輪廻ちゃんも知っているだろう? だけど、いつ、どうやって入れ替わっているかは知っているかい?」
「いえ、知らないです」
「気付いていただろう? ちまきちゃんの一人称が変わっていたこと。あの数分の間に入れ替われるはずがない。仮に双子だとしても。あの場で入れ替わることは無理だ。だけど、あの場にあった『あるもの』で入れ替わっているとしたら、どうだい?」
微笑みながら私に目を合わせてくる。すぐに夜明が目線を逸らせと言うかのように声を大にして話し始める。
「ええい! じれったいなあ! 何を使って入れ替わっているんだ!」
「そこは自分で考えなきゃ。あの場をよく考えてみなよ」
久良持さんの言う通り、銭湯内を思い出す。風呂があり、シャワーがあり、露天風呂があり、富士山の絵があり、身体を洗う鏡があり……。
そうだ。葉夏上さんは私たちと一緒に体を洗わなかった。
私たちが再度風呂に浸かった際に入れ替わっていた。そのとき彼女は体を洗っていた。と言うことは、身体を洗う場所にあるものだろう。
湯桶、水道、シャワー、鏡……。
「どうやって入れ替わったんだ? あいつらもコフタロンを持っているのだから、いつの間にかコフタロンにいる葉夏上と入れ替わって……」
夜明がううんと唸り声をあげている中、私はボソリと呟く。
「鏡、ですか……?」
「ビンゴだよ。あくまで私の仮説だけど、夜明ちゃんの仮説も面白いよ。だけど、私は鏡を推したい。それはどうしてかと言うと、ちまきちゃんは極端に鏡を見るのを拒むんだ。それなのに部屋を決めるときは一階じゃ嫌だ、二階の洗面所が目の前にある二〇二号室が良いとゴネていたんだ。初めはどうとも思わなかったけど、鏡を見るのが嫌だと分かってから何か理由があるんじゃないかと思ってね。何度も言うけど、あくまで私の仮説だから勘違いはしないでね」
そう。あの場から一瞬で入れ替われるとすれば、コフタロンから移動するよりも鏡を使った方が早い。 それに、鏡で入れ替わる瞬間を見られるのがまずいので私たちと体を洗わなかったと考えれば、辻褄もあう。
「鏡を見て、どうやって入れ替わるんだ? 鏡を見ただけで自分の中身が入れ替わるだなんて、忙しい女だな」
「どう言う入れ替わり方かは定かではないけどね。まあ、一人称が変わっていたから入れ替わったのは確実だよ。それに、一緒に体を洗わなかったのには何か大きな理由があるはずだ。それがないと言うのもおかしな話だろう?」
久良持さんと夜明が討論している間に、私はRVを使って、レイセンの様子を見る。相変わらず暗い部屋で眠っているレイセンをただただ黒髪の私が見つめているだけであった。
おかしすぎる。どうして私は動かないのだ。どうしてレイセンは目を覚まさないのだ。
「あの、久良持さん、レイセンが動かないんですけど。ずっと」
「ええ? レイセンくんまだ眠っているのかい? 寝坊助だなんてモンじゃないよ」
「よく寝る人だって言うのは知っていますけど、ここまで眠っているのはおかしいですよ。それに、黒髪の私も動かないんです」
「……稟堂、こんなこと言うのも気が引けるんだが、もしかすると、レイセンはもう死ん」
咄嗟に体が動く。夜明の長い前髪が生えてきている前頭部を押さえつける。
「そんなわけないでしょ。レイセンは生きてる。勝手に変なこと言わないで」
「いたたた! 悪かった! わたしが悪かったから話してくれ! 痛い痛い!!」
離すと同時に罪悪感が押し寄せる。
「だ、大丈夫っ?! ごめん、私、怒りで……」
「てて……たしかに、無責任なことを言ったわたしにも非はある。だけど、髪を掴まないでくれよ」
私が押さえつけていた部分を両手で触っている彼女を見て、さらに罪悪感を覚える。
「んー。だけど、ずっとその状態なんだろう? 輪廻ちゃんのリモートビューイングを疑っているわけじゃないけど、おかしくないかい? もうお昼になるのに、どうしてレイセンくんはまだ眠っているんだろう? その、別に夜明ちゃんを擁護するわけじゃないんだけど、レイセンくんは眠っているって言うより、もしかすると、昏睡状態、つまりは、過去に戻っていたりしているんじゃないのかい?」
すぐにハッとする。そうだ。ここまで眠っていると言うことは、レイセンは過去に何度もあるじゃないか。三日間も眠っていたくらいなのだ。きっと過去に戻っているのだ。
「そ、そうですよね。過去に戻っているんですよね」
自分に言い聞かせるようにそう呟く。
久良持さんのコフタロンから出て、葉夏上さんに会わずに自分のコフタロンへと向かう。
「夜明はどうしているわけ?」
「忘れたとは言わせないぞ。わたしは稟堂の補佐だからな。どこまででも着いて行くぞ」
バンバンと私のお尻を叩いてくるので、彼女の長い髪を掴んで引っ張ると黄色い声を上げていた。
「それはともかくとして、レイセンをそうやって助けようか……」
「何か良い方法はないのか?」
「ないから困ってんだよ……」
二人でううんと唸っていても、何も解決はしない。
夜明は何度かベットに倒れ込み、寝息を立てたりもしていた。
気晴らしに外へと出てみたが、辺りは暗闇に包まれていた。
朝風呂に入り、久良持さんと葉夏上さんのことを話し終えたのは正午過ぎだった。そこからコフタロンに戻り、唸っているだけで一日の六分の一近く使っていたのかと思うと恐怖と焦燥感が襲う。
「稟堂、お腹空いたぞ……」
「自分のコフタロンに戻って何か食べれば良いでしょ。私はレイセンのことを助けたいから、ご飯なんていらないよ」
「だけど、何か食わないとお前も倒れてしまうぞ。今日はわたしが何とかするから、稟堂はゆっくり考えていてくれ」
言うと同時に夜明は跡形もなくいなくなったので、食材の調達へ向かったのだと察して、肉まんを食べた公園でゆっくりと考える。
それでも何も思いつかず、時間だけが過ぎていく。
夜明がいなくなってから何時間経っただろうか。
時計に目を向けると、時間は既に0時5分前であった。結局、今日一日ううんと唸っているだけで終わったのかと思うと、涙が溢れてくる。
私は、レイセンを助けることが出来ずに終わってしまうのだろうか。
そんなのは絶対に嫌だ。私はレイセンのことが好きでたまらない。
好きだからこそ、彼を助けて、運命を変えてあげたい。だけど、それが出来ない以上、私はイスタヴァ失格だ。
地面に手を着いて大粒の涙を流していると、私の目の前には見覚えのある靴が見えてくる。顔を上げると、そこにいたのは夜明ではなく、何と長生殿であった。
「お久しぶりですわ。輪廻さん」
「あんた、どうしてここに、いるの……?」
涙を拭い、嗚咽交じりで彼女に質問する。
「今は必要最低限のことだけを言っておきますわ。ハッキリ言うと、レイセンさんを助けるのは今の輪廻さんには不可能ですわ。ですので、時間を戻します。時間を戻した際に、輪廻さんがレイセンさんを失わないようにちゃんと行動が出来れば、そのまま無事に4月を迎えることが出来ますわ。しかし、輪廻さんが何の行動も移せなかった場合、レイセンさんは……」
「ちょ、ちょっと待って。長生殿は今現在のレイセンの状態を知っているの?」
「知っていますわ。レイセンさんは、もう一人のあなたによって監禁されておりますわ。……いいえ、輪廻さんはリモートビューイングで見られるわけですわね? ずっとレイセンさん、動きませんわよね? どうしてか分かりますか?」
ひょっとして、過去に戻ったレイセンが長生殿をこの場に?
いやいや。あれはあくまでもデータ上の作られた過去を見せているだけだ。そのデータの中でいくら過去を変えても無駄である。
「分からないのなら、言わせていただきますわ。レイセンさんは、もう一人のあなたに殺されましたわ。今後、未来永劫、生きかえることはありえませんわ」
「ふ、ふざけないでよ! 何で私がレイセンを殺すわけ!? わ、私はレイセンのことが好きなんだよ!? 好きな人を殺すだなんておかしいじゃない!」
長生殿の胸倉を掴み、必死に私は声を出す。彼女には何の罪もない。だけど、今は誰かに当たっていないと、自分を保っていられないくらい私は弱い存在になっているのだ。
「愛のカタチは複雑なのですわ。悪の輪廻さんは、レイセンさんを殺すことによって自分の『モノ』にしてしまいたかったのでしょう。独占欲の強いあなたのことですわ。殺すのも範疇の内と言ったところでしょうかね」
考えを放棄し、私は只管に泣く。声をあげて、涙が止めどなく溢れている。
この世にレイセンもういない。
私と何もかもが同じ者に殺されたと言うことは、私が殺したと言っても過言ではない。
「輪廻さん、今は好きなだけ泣けば良いですわ」
長生殿はそっと私のことを抱擁してきたので、彼女胸の中で私は再度泣いた。
どれくらい泣いただろうか。時計に目を向けると、23時59分で停止していた。
「落ち着きましたか?」
「……あの、ここ、どこなの?」
「やっと気づいたようですわね。ここは1秒が永遠に引き延ばされた世界とでも言うべきですかね? まあ、仮想世界とでも思っていてください。それで、ワタクシは輪廻さんにチャンスをあげますわ。時間を戻してあげると言う意味が分かりますか?」
時間を戻す。
傍から聞いてみるとあり得ないことだ。レイセンが稀に行っている過去へ戻ると言う行為はデータ上の過去なのだ。正確にはタイムトラベルではない。
「……輪廻さんに一応言っておきますわ。レイセンさんのいない状態で4月1日を迎えることは出来ませんわ。それは、レイセンさんが重要な人物に選ばれたからなのです。彼から聞いているでしょう? 彼は運命の果てまで来た人物なのですわ。その重要人物がいない4月1日は存在しない。つまり、今この状態で4月1日を迎えることは出来ませんわ。……いいえ出来ると言えば出来ますわ。しかし、3月31日23時59分59秒までがワタクシたちが認知出来て、4月1日0時0分0秒にはもうワタクシたちと言う存在すらなくなりますわ。ですので、死なない運命に変えるのです」
「それならコフタロンコントローラーで変えればいいじゃない」
「レイセンさんはワタクシが厳選した重要人物ですわ。そんなチャチなコントローラーで帰ることなんて出来ませんわ」
チャチなコントローラーで悪かったねと意地を張っていると、長生殿は突然私の手を掴んでくる。
「良いですか? 時間を戻すためには膨大なエネルギーと時間が必要なのですわ。ちょうど24時間後の3月31日に時間を巻き戻しますので、輪廻さんはそこからレイセンさんを助けてください。良いですね?」
我に返ると、同時に、時計が12で重なる。
私は、長い間、何をしていたのだろうか。
たしか、長生殿が時間を戻すと言っていたが……。
「おー、稟堂。こんなところにいたのか」
向こう側から夜明が駆けてくる。
「寒いから早くコフタロン戻ろうぜ。すっかり日も跨いじまったしよ。おー、サムイサムイ」
しゃべるたびに彼女の吐息は凍てつき、白くなっている。
「……ねえ、時間が巻き戻るって言うと、信じる?」
「あっははは! 稟堂も冗談を言うんだな! 戻るわけないだろ! 戻ることが出来りゃ今頃誰も苦労なんざしないって! それよりも、鍋を作ったんだ。早く食おう!」
彼女に手を引かれて、私は夜明のコフタロンへと移動した。
つづく
ここ最近は0時29分更新をしていましたが、完全に私事に追われていてすっかり忘れていました……。
今回の話はちょっと急激に話を進め過ぎた気もしますが、時間を巻き戻すことによって尺を伸ばすことにします。
正直言うと、もう終わらせても良い気がしますが、書き残したこととか謎が多すぎるので、終わろうに終われない状態になっています。
次の更新は未定です。
誤字訂正 8/5




