67話
夜明はその後も何か言っていたが、僕は無視して稟堂を追いかけた。
「おい! わたしのことはどうでもいいのか!? 泣くぞ!」
彼女の言葉は聞こえていたが、背を向けて稟堂を追いかけた。
「ま、待ってよお!!」
すぐに泣きそうな声で僕のことを追いかけてきたが、次は僕が横断歩道で捕まってしまう。同時に夜明も僕に追いついて、息を切らしながら話を始めていた。
「はあ、はあ、黒髪のあいつも言っていたけど、どうして、そんなにあの女にこだわるんだよ。そんなに、運命も変えてもないのに。そりゃ、わたしは、お前のイスタヴァにはならないよ。いや、なれないって言うべきか。稟堂輪廻の弓削レイセンに対する覚悟は生半可なものじゃないって言うのは分かっているからな。あいつから聞いているだろう? 死の運命を変えることはあっちの世界ではタブーなんだ。だけど、あいつはその過ちを犯してでも、弓削レイセンのことを助けた。これは、常人が出来ることじゃないんだよ。稟堂の覚悟は、お前は分かっているのか? ……弓削レイセン!!!」
信号が赤になり、自動車が停止したので僕は必死に何か話していた夜明の話も聞かずに稟堂を追いかけた。
稟堂は僕が一人で悩んでいた際にいた公園に曲がるのが見えたので、建物に隠れつつ、僕は稟堂の様子を見ていた。
「うっ、うっ……」
稟堂の嗚咽が聞こえる。
草むらに隠れつつ僕は稟堂のことを見ていたが、すぐに夜明が僕の横にやってくる。
「おい! 何でわたしのことを無視すんぐぐ」
「静かにしろ! 稟堂にばれちまうだろ!」
「んー! んんっ!」
夜明の口を押さえながら、僕はそっと稟堂の方を見ると、彼女は僕たちに気付かず、両手で顔を覆い隠して泣いていた。
「ぷはぁ! お前はわたしの口を押さえるのが本当に好きだな! なんだ? わたしの唾液でもほしいのか!? この変た」
「黙っていろって!! あとでヨダレでも何でもやるから、今は黙っててくれ!!」
「わ、わたしは弓削レイセンのヨダレなんかいらないぞ!! そ、そんなにわたしのことを……!?」
僕たちがくだらない言い争いをしているうちに、稟堂は僕たちに気付き、じっとこちらを見ている。
「……何? レイセンはそんなに、その女の子と仲良くしているところを見せつけたいの? 私のことは、もう、どうでも良いってわけ?」
いつの間にか僕の前には稟堂がいた。蔑むような視線を僕に送り続けている彼女を見て、僕は言葉を失うが、すぐに払拭する。
「違う! 僕は稟堂のことが心配で」
「心配なのに、どうしてそんないちゃいちゃしているの? やっぱり、そういうことなんでしょ? 私よりも、その女の子の方が好きなんでしょ?」
「おい、稟堂輪廻。わたしからも言わせてもらうけどな。たしかに、わたしは弓削レイセンのイスタヴァになりたい。だけど」
「ほら! やっぱり私のことはどうでも良いんだ! そんなにその女の子が良いなら、その子とイスタヴァになれば良いじゃない!」
泣きながら稟堂はその場から消える。どこかへジャンプしたのか、それともコフタロンへ移動したのかは、分からない。
僕もその場で唖然としてしまい、立ち尽くしていた。
「……ゆ、弓削レイセン、大丈夫か?」
「お前のせいだぞ! お前のせいで稟堂がいなくなったんだぞ!!」
僕は夜明の胸倉を掴み、大声で罵声を浴びせる。涙目を泳がせつつ、必死に言い訳をしている彼女を見ていると、僕は余計に冷静でいられなくなる。
「とにかく、離してくれ……苦しい……」
夜明を地面に落とすと、彼女は首を押さえて必死に息を吸い込んでいた。
「もう、僕に、いや、僕たちに関わらないでくれ。夜明、お前は大学生になれ。僕がいなくても、大学生活は楽しめる。僕は、絶対に大学には行かない。稟堂と一緒に運命を変えていく」
「ま、待ってくれ。それなら、わたしも大学に」
「行けって言っているだろ!! 僕たちにもう関わるな!!」
怒鳴った瞬間に、彼女は目に大粒の涙を溜めて、大声で泣き始めた。泣き叫ぶ彼女を無視して、僕は久良持アパートへと静かに歩き出した。
アパート前には誰もいなかったので、自分のコフタロンに戻ってみると、稟堂はいなかった。
「くそっ、どこ行ったんだ……」
苛立ち混じりに独り言を呟いたところで稟堂が出てくるわけではないと分かっている。
だけど、言わずにはいられなかった。すぐに現実に戻り、駅の方へ向かおうとするが、駅の方には夜明がいるかもしれないと思い、僕は稟堂と肉まんを食べた公園へ向かった。
辺りは暗くなっていたが、気にせずに公園へと走る。到着して、すぐに気付く。
僕は過去に戻った際に長生殿と会っていたのに、肝心な運命の果てのことを聞くことを忘れていた。
「レイセン」
声のする方を振り向くと、そこにいたのは稟堂ではなく夜明だった。僕はあからさまに素っ気ない態度を彼女に向ける。
「なんだよ。もう関わるなって言っただろ」
「……わたしは、レイセンのイスタヴァにはなれない。だけど、わたしは、レイセンと一緒にいたいんだ。だから、わたしも大学にも行かない。イスタヴァにはなれなくても、稟堂輪廻の補佐として一緒にいることはダメか? もちろん、レイセンと稟堂輪廻の許可があってだ。双方の意見が合致したら、一緒にいちゃ、ダメか……?」
僕は動揺が隠せない。自分の顔が熱くなっているのが嫌でも分かる。普段フルネームで呼んでいる彼女がいざ、名前で呼んでくると、動悸が早くなる。
「よ、夜明、お前、何言っているのか、分かっているのか?」
「分かっている! だけど、わたしは、やっぱりレイセンと離れたくないんだ。稟堂輪廻とイスタヴァ契約をしている以上、わたしはもうイスタヴァにはなれないし、黒髪の稟堂が言っていたレイセンの死の運命を変えたと言うこと、もしも本当なら、尚更、稟堂輪廻には敬意を払わなければならない。だから、レイセンのイスタヴァにはならない。だけど、稟堂輪廻の補佐はする」
簡単に言うが、一応ルール的には大丈夫なのだろうか。
僕と稟堂はイスタヴァ契約を結んでいる。だから、僕と夜明がイスタヴァ契約を結ぶことは不可能だ。 だけど、夜明が稟堂の補佐をすると言うのは、グレーゾーンではないのだろうか。あっちの世界の事情は詳しくは分かっていない。だからこそ、稟堂に会って聞いてみたいのだが、その肝心な稟堂がいない。
「レーイセン!」
僕の目を覆い隠しているので、稟堂の胸が僕の背中に当たっている。
「お、お前! まだいたのか!」
「うん、いたよ。だって、まだ、お前を殺していないからねっ!!」
僕が振り向いた直後、黒髪稟堂は夜明のことをこの場から消す。
「ふふ、もう、邪魔者、いなくなったよ。ずっと二人で生きていこうね。大体、おかしな話なのよ。補佐をするって何? そんなの出来っこないに決まってんじゃん。しかもよりによってもう一人の金髪の私。バッカみたい。本当、ああ言うガキって嫌いなのよね。レイセンも嫌いなんだよね?」
「き、嫌いなわけ」
「嘘吐かなくて良いんだよ。嫌いじゃなかったら、あんなに怒鳴ったりしないでしょ。ぜーんぶ、見ていたんだよ。レイセンのこと、好きだから」
背中に悪寒が走る。僕は、ずっと彼女に監視されていたのか? そう言えば、稟堂も僕のことを見ていたなどと言っていたが、まさか。
「お前は、僕のことを監視しているのか?」
「監視だなんて言い方するのは気に食わないなあ。ただ、レイセンのことを見ていただけだよ。監視なんかじゃないよ。それに、見られるのは私ともう一人の、金髪の私だけだよ。他の人にはできない」
黒髪稟堂が嘘を吐くとは思えない。特に、好意を抱いている僕に吐くのはにわかに考え難い。
と言うことは、やはり、僕のことをこの稟堂も、もう一人の稟堂も、監視していたと言うことだろう。
「……どうして僕のことを監視するんだ?」
「監視じゃないってば。レイセンは好きな人のこと、見ないの? 見ないならそれまでだけど、私は見るの。たいていそうじゃない。好きな人のことをチラチラ見て、時たま目が合う。キャー! 青春!!」
一人で話して一人で騒いでいる彼女に目もくれず、僕は考える。
稟堂は僕のことが好きなのか? 好きだから、監視するのか? 監視して、何か意味があるのか?
そう言えば、彼女自身が言っていた。僕のことを十年以上前から知っていたと。十年以上、僕のことを監視していたとそのときは思っていたが、問題はそこではない。
僕のことを、好きだから監視していたのか?
金髪の方の稟堂はあまり感情を表に出さない。特に恋愛絡みになると余計に出さない。
初めて寝ている稟堂にキスしようとしたときの拒絶っぷりを見て、彼女は僕のことを嫌いだからあそこまで拒絶したと思っていたが、そうではないのかもしれない。
自分の勘違いで何度も僕は後悔をしているんだ。あまり、稟堂とは恋愛のことを話さなかったし、僕も稟堂を一人の女の子として見るのではなく、運命を変えに来てくれた人物だとしか思わないようにしていた。
「黙っちゃって、どうかしたの?」
「今も、金髪の稟堂は僕のことを監視しているのか?」
「さあ? しているんじゃない?」
僕は空に向かって叫ぶ。
「おい! 稟堂! いるなら出て来い!」
叫び終えると、辺りを走っている車の走行音だけが響いている。
数秒後には電車の警笛も鳴りはじめる。
「良いよ、きっともう一人の私も出てこないよ。さ、コフタロンに戻ろう? 寒いよ」
彼女に言われるがまま、僕はコフタロンへと跳ばされる。
「寒かったねー、レイセン、何か食べたいものある? 何でも作っちゃうよ!」
机の上にはいつの間にか野菜や肉などが詰められていた袋がそこにはあった。
「まー、何でも作るって言ったけど、実際は鍋をしようと思ってね。レイセン、全然このコフタロン駆使してないでしょ? ここ、鍋だって出るし、もちろんコンロもあるんだよ。それなのに、全然使わないで外食ばかり。お金、なくなっちゃうよ?」
黒髪稟堂は右手の人差し指を立てて、ひょいひょいと動かすと、こたつや土鍋などが出てくる。まるで魔法使いのようだ。
「驚いてる? ふふ、無理もないよね。こんなこと出来るのに、全然してないんだもん。もう一人の私、全然知らないんだなあ」
ブツブツ言いながら、彼女は手際良く鍋の準備を整えている。
「それにしても、私自身も驚いたな。どうしてレイセンがこんなに快く私の言うことを聞いて、私のコフタロンにやってきたんだろうって。普段のレイセンなら拒否してるのに、そんなことしてないんだもん。やっと私に心を許してくれた?」
僕は何も話さなかった。ただただ、彼女が鍋の中に野菜や肉を綺麗に詰め込んでいるのを見ていた。
「まあ、何でも良いや。二人っきりで鍋だなんて、嬉しいな。あとは蓋をして待つだけだよ」
蓋を閉じると、彼女は、こたつの中で自分の足で僕の足を触ってくる。
「あったかいね」
彼女は僕に笑顔を見せている。その笑顔を見て、僕は笑い返すこともなく、ひたすらに彼女のことを見ていた。
「かしこまらなくても良いよ。ここ、もう私とレイセンの家、ううん。レイセンと私の世界みたいなものなんだよ。大丈夫、ご飯も、トイレも、お風呂も、何もかも揃っているから。だから、これからは一緒にここで暮らしていこうね。もうレイセンは働く必要もないし、大学に行く必要もない。あなたを惑わす人物も、もういない。私と、ここで二人で生きていくんだよ」
言いながら黒髪稟堂は僕の方に近付いてくる。
「レイセン、好き」
僕に口づけをしようとしてきた直後、鍋からは沸騰する音が聞こえる。同時に、吹き零れる。
「おっとと、大変大変」
コンロのつまみを回して、吹き零れた鍋の汁を拭く。その後は、鍋の蓋を開けて、美味しそうなどと呟きつつ、小皿に僕の分の鍋をよそっている。
「はい、どうぞ。熱いから気をつけてね」
彼女の盛った鍋を受け取らなかった。困った顔をしながらも僕の前によそった鍋を置く。僕の好きな味噌の鍋だ。匂いと色ですぐに分かった。
「熱いうちに食べないと美味しくないよ? あっ! 私が食べさせてあげる!」
肉と白菜をつまみ、自分の息を吹きかけ、熱さを冷ましてから、笑顔で僕に近付けてくる。
「はい、あーん」
そっと口を開けると、肉と白菜の濃厚な味わいが、口内で染み渡って行く。
「美味しいでしょ? 何と言っても、私の手作りだからね。隠し味も入れてあるんだよ。それは、レイセンに対する愛だよ。キャー! 恥ずかしいー!!」
僕が話さなくても勝手に話を続けている黒髪稟堂は、心の底から楽しそうだった。ここは、黒髪稟堂のコフタロンだ。僕たちのコフタロンと非常に似ているが、僕の布団がなく、何よりも先ほどまで鍋の食材があった場所に僕と稟堂の履歴書がなかったのを見ると、完全にここは僕たちのコフタロンではないことが分かる。
「さ、また食べさせてあげる。はい、あーん」
笑みを浮かべて、僕に食べさせてくれている黒髪稟堂に罪悪感は感じない。感じるのは、羞恥と憎悪の心だけだった。どうして僕は、彼女と一緒にいるのだろうか。夜明や葉夏上さんや久良持さん、そして、稟堂はどうなったのだろうか。
「うふふ、可愛いよレイセン」
僕はこのコフタロンに来て、一言も話していない。
それでも彼女は勝手に話をして、勝手に楽しんでいる。
ここに来てしまったということは、僕はもう、現実には戻ることは出来ないのかもしれない。
「はい、あーん。口、開けて」
僕の考えを遮るように、彼女は僕に鍋を食べさせてくれていた。
つづく
最後の最後に黒髪稟堂のヤンデレっぷりを披露しましたが、もう少し過激でも良かったかなって言うのはあります。
次週からは玲泉目線ではなく、稟堂と夜明目線で話を進めます。
次週の更新はやや遅れるかもしれません。
なるべくいつも通り四日後に更新しようとは思っています。
誤字訂正 7/24




