51話
「レイセン、起きてよ。レイセン」
僕の名を呼ぶ声が聞こえる。目を開けると、馬乗りになった黒髪稟堂がいる。
「どうして私のことを避けるの? 私ともう一人の悪い私、何が違うの? 遺伝子も、声紋も何もかも同じなのに、私のこと、どうして嫌いなの? こんなに私はレイセンのこと愛しているのに……」
涙目になりながら僕に自分の心情を暴露している稟堂モドキ。僕も自分の心情を暴露する。
「……とにかく、降りてくれないか?」
僕の声が聞こえていないのか、降りる気配がない。それどころか、倒れ込んでくる。
「お、おいっ!? ふざけんなよ!」
「……ふざけてなんかないよ。私はレイセンのこと、好きだって言っているじゃない。だから、今すごく幸せなんだよ? ずっとこの時間が続けば良いのにって思っているよ」
すぐに感付く。彼女は本物の稟堂よりシダネナジーが早く溜まるのは、『幸せ』だからだ。
稟堂はコフタロンコントローラーの説明をした際に言っていた。シダネナジーは楽しい、嬉しいと言ったポジティブな感情だ。
稟堂モドキは僕といることによって幸せになっているので、稟堂よりもシダネナジーのゲージが溜まりやすいと言う解釈だ。間違いないだろう。
そのようなことを考えていると、黒髪稟堂は僕の長い髪をかき分けて、唇を重ねようとしてきた。
「わあああっ!!!」
もしかして、これから毎日稟堂モドキのキスされる直前で目を覚まさなきゃいけないのだろうか……。
ベットを覗くと、稟堂がいなかったので汗を流すために脱衣所へと向かった。
脱衣所の扉を開けると、今まさにシャワーを浴び終えたであろう稟堂が出てきて、ばったり鉢合わせしてしまった。
「ご、ごめんっ!!」
急いでベッドがある部屋に戻るが、稟堂は珍しく悲鳴もあげていなかった。
彼女の体を拭く音が聞こえてきたが、不安に思ったので、扉越しに聞いてみることにした。
「稟堂、どうかしたのか? 元気、ないみたいだけど」
「……大丈夫だよ。平気」
声音が明らかに大丈夫ではない。彼女も悪夢を見たのだろうか。
しばらく脱衣所の近くの壁に背中を預けて稟堂が出てくるのを待っていると、数分後に乾ききっていない髪で稟堂が脱衣所から出てきた。
「おい、りんど、う……」
彼女の目の下には僕より酷いクマが出来ていた。まるで眠っていないように見える。
「稟堂、お前、目、どうしたんだよっ!」
「……何でもないよ。今日も、バイト、探す、の?」
僕に一瞥もくれず、彼女はベットに向かって歩き出す。しかし、すぐに倒れそうになっている姿を見て、急いで駆け寄る。
「しっかりしろよ。お前、寝てないのか? 目のクマ酷いぞ」
「平気、だから……」
瞼が痙攣している。きっと今日は一睡もしていないのだろう。
「……今日はゆっくり寝ていろよ。今日は僕もバイト探しはしないよ。稟堂のそばにいるからさ」
「私のことは気にしないで……バイトを探そうよ」
「無理するなって。今日は一日ゆっくりしていろよ」
ベットに入るのを頑なに拒んでいる彼女を見ていると、本当に悪夢でも見たのではないだろうか。いや、この場合は悪夢ではないかもしれない。
「もしかして、寝るのが怖いのか?」
不意を突かれたのか、彼女の表情が一瞬だけ驚愕した表情になる。そして、すぐに泣きながら僕に相談してくる。
「昨日、怖い夢、見たの。悪い私が、いて、レイセンの上に、馬乗りしてて、一緒に、布団で横になったり、顔を触っていたり、でも、私は動けなくて、ただそれを見ているだけで、レイセンが、私の元から、いなくなっちゃうんじゃないかって思うと、怖くて」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。それ、昨日の夢か?」
涙声で肯定の返事をしている彼女を見て、僕は新たな疑問が浮かぶ。
僕と稟堂が同じ夢を見ていた。しかも、稟堂が昨晩見た夢を僕は今晩見た。
ひょっとすると、これは夢ではなく、別の世界へと誘われているのではないだろうか。
「驚くなよ、さっきまで僕もその夢を見ていた。全く同じ夢だ。でも、稟堂がいたのは見えなかった」
「嘘、でしょ……」
目のクマが酷い彼女は僕と目を合わせてくる。涙が今にも溢れ出しそうだ。
「と、とにかく、僕がそばにいる。だから、稟堂は寝ていろよ。な?」
「……嫌。眠るのが怖い。それなら、寝ない方がマシだよ」
そうは言いながらも彼女の瞼に重りがついているかのように、数秒後には眠ってしまいそうなくらいウトウトしている。
「おうおう、やっぱり君たち、そう言う関係なんじゃないか」
声のする方向に久良持さんがいた。いつの間に入っていたのかなどは気にならなかった。それよりも、稟堂が安心して眠れる場所を提供してくれそうな唯一の人だ。相談してみるだけしてみよう。
「あの、久良持さん。ちょっと良いですか」
久良持さんの元へ近付こうととすると、稟堂は僕の袖を掴んでくる。
「どこ行くの?」
「どこって、久良持さんのところだよ。どうしたんだよ」
「……一人にしないで」
これは完全に参っている。どうやら悪夢を見ていたのは今日だけじゃないらしい。それは僕も同じだが。
「何だい何だい、朝から見せつけてくれるじゃないか。そう言う冗談は置いておくとして、何かあったのかい? いや、何かあったからそうなっているんだよね。何があったか聞かせてくれるかい?」
久良持さんは話しながら僕たちの方へと近付いてくる。
「実は、もう一人の稟堂がですね」
「そうだろうと思ったよ。輪廻ちゃんも辛いだろうからね。一旦私のコフタロンへ行こう」
眠そうな稟堂の手を繋ぎ、久良持さんのコフタロンへとジャンプする。
自論を説明すると、僕たちの正面に座っている久良持さんはううんと唸ったあと、視線を僕に向ける。
「レイセンくんの考えだと、もう一人の輪廻ちゃんは別世界を見せているって考えなんだね?」
「稟堂の視た夢を翌日に僕が見るだなんて、いくらなんでも出来すぎている気がします。あのフィルムケースはデータ内で作られた過去を見せていますけど、ある意味ではあれも別の世界のようなものじゃないですか」
フィルムケースと言う単語で思い出す。黒髪稟堂はあのフィルムケースを欲していた。研究して、ここにいる今にも眠ってしまいそうな稟堂を消すためと口を滑らせていた。
「あと、もう一つ。黒髪稟堂は、このフィルムケースを欲しがっていました。理由は、ここにいる稟堂を消すためだと言っていました」
「消すってどういうことだい?」
「これも僕の予想ですけど、文字通り、元々この世界に存在していなかったことにしようとしているんだと思います。そうすると、黒髪稟堂だけが残りますからね」
「……レイセンくん、その考えは間違えているよ。黒髪輪廻ちゃんはそこにいる輪廻ちゃんの悪い心が具現化されたものなんだろう? 本体である金髪輪廻ちゃんが消えちゃうと、枝分かれしたであろう黒髪輪廻ちゃんも一緒に消えちゃうことになっちゃうよ。だから、仮に奪われそうになったらそう言いなよ。それに、レイセンくんに気があるんだろう?」
久良持さんの考えを聞いて納得する。
「それよりも、黒髪稟堂を消す方法ですよ。おかげで僕たち、睡眠時間もままならないんですよ」
「弱点があるはずでしょ。ね、輪廻ちゃん」
茫然としている稟堂に目を向けると、口を開く。
「……弱点なんかないです。無敵です」
ダメだ。完全に寝ぼけている。睡眠時間が足りないと、脳の活動が低下すると聞いていたが、まさか本当だったとは。
「無敵なら仕方ないかあ」
「納得しないでくださいよ!」
ツッコミ後はしばらく無言が続いた。横にいる稟堂は睡魔が限界に達して来たのか、何度も僕の肩にぶつかっては目を覚ましてを繰り返していた。
「輪廻ちゃん、私たちはどこにも行かないから、私の布団で寝ていなよ。大丈夫、もう怖い夢なんて見ないよ。今は体を大事にしなよ。ね?」
「ふぁい……」
大きな欠伸をした後、久良持さんの布団に吸い込まれるように入って行き、五秒もしないうちに寝息が聞こえてきた。
「さて、もう一人の輪廻ちゃんの撃退法だけどさ。レイセンくんはこんな話を聞いたことあるかい? 進化の果ての話」
聞いたことがないと言えば嘘になる。高野橋先生が雑談のときに雑学の一つとして教えてくれた。
「高野橋先生から聞いたことあります。進化の果ては消滅、ですよね」
「その話、やっぱりしていたかあ。完全に私の受け売りだよ。だけど、もう一人の輪廻ちゃんを進化できるわけがないよね……」
提案してきた割に、逡巡している久良持さんを見ていると、僕はふとある考えが頭に思い浮かぶ。
「あの、シダネナジーってありますよね。あれ、限界を超えるまで溜まっちゃうとどうなるのですか?」
「……結構非道なことを考えるね。実はシダネナジーが完全に溜まってもなお、シダネナジーが溜まり続けて、限界突破すると、当然だけどコフタロンコントローラーが破裂する。それはどう言うことか、分かるかい?」
「運命が変えられなくなっちゃいますね」
「そんなちゃちなもんじゃないよ。ハッキリ言っちゃうと、コフタロンコントローラーが完全に壊れちゃうと、その人間は、さっきレイセンくんが言った言葉を使わせてもらうと、文字通り、この世界から消えちゃうんだ。ううん。予めいなかったことになる。生まれてこなかった運命に変わる」
「それじゃあ、黒髪稟堂は僕たちのコントローラーを壊しちゃえば解決じゃないですか」
「だけど、金髪輪廻ちゃんが消えると、遺伝子も指紋も何もかも同じ自分も消えてしまうことになるだろう? だから、君たちのコントローラーを壊さないんだと思うよ」
決まりだ。それなら、黒髪稟堂のシダネナジーを限界まで溜めてしまえば良いだけの話だと提案する。溜飲が下がったので、気分が晴々していたが、すぐに久良持さんは口を挟んでくる。
「シダネナジーを限界まで溜めてコフタロンコントローラーを破壊して人格を消すって言うけど、どうやって溜めるんだい?」
「稟堂が過去にポジティブな感情が続けば、シダネナジーが溜まると言っていました。だから、黒髪稟堂を思い切り幸せにして、コフタロンコントローラーを破壊しようと思います」
思い立ったが吉日。僕はすぐに久良持さんのコフタロンから現実へと戻り、一〇一号室で黒髪稟堂の名前を叫ぶ。すぐ目の前に黒髪稟堂は登場する。
「何!? そっちから呼ぶだなんて珍しいね!! ついに私のこと好きになったの!!?」
話を黒髪稟堂が好きだと言う方向に進めた方が良いだろう。だが、ハッキリ言ってしまわないで、少し焦らすべきだろう。
「そ、そんなのは良いだろ。お前と、二人きりで話したいことがあるんだ」
「ええっ!!? もしかしてそれ、デートの誘い!!?」
反応を察するに、今もジワリとシダネナジーが溜まっていると考えても良いだろう。
「ああ、そんなところだ」
「やったー!!」
普段の稟堂と反応が全く違うが、声も同じ稟堂なのだ。違和感しかない。
稟堂と同じ能力と言うので、本当にジャンプ出来るのかどうか疑問だったが、実際には、駅にジャンプしたいと思うと本当に出来た。何もかも本物の稟堂輪廻と同じらしい。
「どこ行こっか! 私はレイセンに合わせるよ」
いざとなると何も思いつかない。
「とにかく、歩こうぜ。歩いている内に何か見つかるかもしれないしさ」
歩き出しても、特に目ぼしいものもなく、有名な鼓門を潜り抜け、噴水前にあるスクランブル交差点で信号待ちをしていると、黒髪稟堂は僕の名を呼んでくる。
「ねえ、ちょっと話したいこと思い出しちゃったんだけど、良い?」
動揺しつつも交差点から離れ、西方面の高架下にある小さな公園で話をすることになった。
「話って何?」
「別に変な目的じゃないんだけどさ。私はもう一人の輪廻ってこと、レイセンは知っているでしょ? それで、ね。私と一緒に、運命変えようよ。運命を変えられるのは、私だけなんだよ。指紋、声紋、掌紋。何もかも同じだから、もう一人の私が消えちゃえば、良いだけの話」
そう言う話だと思った。しかし、何故目線を下に向けて顔を真っ赤にしているのだろうか。
「何度でも言うけど、僕はお前と運命は変えない。僕のイスタヴァは稟堂 輪廻なんだ」
コントローラーを持ちながら目線を下に向けている彼女のシダネナジーはあと数センチで満パンになりそうだった。彼女をどうにかして幸せにして、消してしまわなければ。
「考えていること、分かるよ。私のことを消そうとしているんだよね」
冷や汗が身体中から溢れる。
「知っているよ。レイセンは私のこと嫌いってことも分かっている。だけど、良いの。私も元の世界に戻るよ。これ以上好きな人を苦しめたくない」
「お、おい。何言ってんだよ。僕は別にそんなこと」
「分かるよ。目が泳いでいるし、何もかも同じもう一人の私と運命は変えるのに、私とは運命を変えない。私のこと、嫌いだってことくらいは行動だけで分かるよ」
黒髪稟堂は立ちあがり、僕の前に立ち塞がる。
「じゃあね、レイセン。大好きだよ」
目に涙を溜めていたが、必死に笑顔を作り、僕の前から跡形もなくいなくなった。
つづく
誤字訂正 5/23




