48話
外へ出ると、特に何も変わってはいない。久良持さんと葉夏上さんのいる二階へ向かうと、笑い声が聞こえてくる。
「ああ、レイセンくんたちか。どうだった?」
「え? 何がですか?」
「二人ですることって言ったら決まってんじゃん! ねえ、ちまきちゃん!」
いきなり振られて躊躇している葉夏上さんを見ていると、この葉夏上さんは運命を変えられない方かもしれない。
もう一人の、運命を変えられる方の葉夏上さんは、こちらの大人しい葉夏上さんとは裏腹に、少しばかり意地悪なのだ。今の質問に対して躊躇などするわけがない。
「え? えっと、何ですかね?」
「それよりもさ、輪廻ちゃん、ちょっと良いかい?」
玄関に立っていた稟堂を一階におろし、話を始めていた。
僕は玄関前で突っ立っていると、葉夏上さんがこたつに入るように言ってくるので、靴を脱ぎ、こたつに入ると、話しかけてくる。
「輪廻ちゃんと何の話をしてたの?」
「そんなすごい話じゃないですよ。これからの話です。別に、久良持さんの言っているようなことはしていないですよ」
「あはは。そうだよね」
しばらく無言が続く。時計の針の音と、外から久良持さんと稟堂の声が聞こえてくるだけだった。
「な、何話しているのかな? 久良持さんと輪廻ちゃんの共通の話題って何かあったっけ?」
「うーん、特に思いつかないけど、この前、一緒にお風呂に入ったときに急に仲良くなっていたから、そのことで何か話しているのかもしれないですね」
葉夏上さんは笑った後、話題を変える。
「そう言えば、玲泉くんと輪廻ちゃんっていつ出会ったんだっけ?」
カマをかけるチャンスだ。とりあえず適当な嘘を吐こう。
「あれ、この前言いませんでしたっけ? 僕と稟堂は、中学生の頃に会ったって話です。そこから、進学先の高校も同じって話」
「あれ? 中学だっけ? 高校じゃなかったっけ?」
引っかかった! 葉夏上さんは記憶を共有している。
疑問が確信に変わった瞬間だった。彼女は、運命を変えられる方と記憶を共有している。
「そ、そうでしたっけ? 何かと勘違いしているんじゃないですか? あははは……」
「まあ、何でも良いや。それで、輪廻ちゃんとどこまで行ったの?! もうキスはしたんでしょ!? どうだった? レモン味?!」
何故かキスに関してやたらと聞いてくる。しかも僕は稟堂とキスをしたことなどない。胸は服の上から触ったことはあるが。
「キスしたことなんかあるわけないじゃないですか。稟堂はキスしようとしただけでも顔を真っ赤にするような女なんですよ」
「へえ、ってことは、やろうと思ったことはあるんだ」
ニヤリとしている葉夏上さんを見て、僕はしまったと思う。同時に、顔をが赤くなっているのが分かる。
「あははは。玲泉くんも男の子だもんね。あんな可愛い女の子と一緒にいて、キスの一つや二つしたくなるのも仕方ないよ。私が玲泉くんだったら、きっと同じ気持ちに陥っていたと思うしさ」
慰めているのだろうか。それじゃまるでキスをしていない僕がおかしいみたいじゃないか。
そのとき、話題の張本人が一階から僕の名を叫んでいる。
玄関を出て、窓を開けてみると稟堂が下に来いと言っていたので、下へと降りる。
「玲泉、もう一人の私はいつやってくるのか分からない。でも、これだけは言っておくよ。何かあったら、私じゃなくて、久良持さんか、葉夏上さんに助けを求めて。シダネナジーが溜まってきたらまたその都度言うけど、何も言わなかったら、私には言わないで」
「そうそう、悪い輪廻ちゃんはシダネナジーがたくさんあるかもしれないし、もしかしたらもうすぐやってくるかもね」
冗談でも笑えないことを言っている久良持さんとは裏腹に、稟堂は真剣な眼差しで僕を見ていた。
「分かったよ。それよりさ。中に入ろうぜ。寒い……」
彼女たちはコートを着て、稟堂に限ってはマフラーまでしているのに、僕はマフラーを巻いていなければ、コートも着ていない。
「あっ! 中に入る前にちょっと聞きたいんだけど」
「何だよっ!」
僕は震えながら稟堂の方を向くと、彼女は驚くべきことを言う。
「葉夏上さんを騙すようなこと、言っていないよね?」
「な、何だよ急に」
「別の運命と言えど、記憶の共有のことはしばらく忘れて。きっとどこかでぼろを出すから、その時に指摘しちゃおうと思っているから」
したり顔をしている稟堂を見て、身体中から冷や汗が溢れ出す。脂汗が止まらない。
「あのさ、ええっと、もう、その、あの、遅いって言うか、えっと……」
稟堂の方を見てみると、初めて会ったとき、コフタロンコントローラーが家にあると言ったときと同じ顔をしていた。
「バッ、バッカじゃないの!!? 何してんの! どうして玲泉は私の言うことを……! はあ、もう怒っても仕方ないけどさ。で、どんなこと話したの?」
「稟堂と僕いつ再開したのかって話を振られたから、高校じゃなくて中学って言った。そしたら、高校じゃなかったかと言ってきたけど、中学ってことにしておいて……」
「まあまあ、輪廻ちゃんも真剣に考えすぎだよ。そこまで深く考えなくても良いんじゃないかな? 記憶を共有していたとしても、レイセンくんの勘違いってことにしておけば分かってくれるよ。あの子だって鬼じゃないんだからね」
久良持さんは稟堂のことをなだめていた。
二階へ戻ると、葉夏上さんは笑顔で僕たちを出迎えてくれた。
「お帰りなさい! 寒かったでしょう? こたつに入って」
笑顔で布団をめくって入るように促してくる。お言葉に甘えて、僕たちはこたつの中へと入る。
「いやあ、外は寒いね。もう四月とは思えないくらい寒いねっ! こんなときのこたつは最高だよ!」
机の上に置かれたみかんを勝手に自分の前に持ってきて、そのようなことを言っている久良持さんを見ていると、稟堂もみかんに手を伸ばし始めていた。
「玲泉もみかん食べたら? こたつと言ったらみかんでしょ」
「そうだな、じゃあ、僕も貰おうかな」
僕もみかんに手を伸ばした瞬間、葉夏上さんは全員のみかんを奪取する。
「な、何しているんですか! このみかんはただの飾りですよ! 匂いだけ出るだけで、食べてもお腹壊しますよっ!!」
「そ、そんな大事なことは先に言いなよっ!」
みかんをせっせと回収している葉夏上さんを、稟堂はジッと見ていた。稟堂に近付き、何があったのか聞こうとすると、葉夏上さんは稟堂の視線気付いていたようだった。
「どうしたの? 輪廻ちゃん」
「……そのみかん、本当に飾りなんですか? 飾りにしては、柔らかさも香りも本物のみかんっぽいですけど、もしかして何かあるんですか? 例えば、毒とか」
真顔でとんでもないことを言っている稟堂の口をふさぎ、僕は必至に葉夏上さんに謝る。しかし、驚くことに、葉夏上さんの方からも謝ってきた。
「ごめんなさいっ! これ、本当は腐っているの!! でも、飾りとか見栄を張っちゃって、その、本当にごめんなさい!」
「謝るところはそこなんだね。あっ、そうだ。私ちょっと銭湯の方に急用があるんだった。ごめんね、ちょっと出てくるよ」
急ぎ足で出ていく久良持さんを見送った後、僕と稟堂も、いつまでもここにいても仕方がないので外へ行くことになった。
階段をおりて、駅の方へ向かっているときに稟堂に質問をしてみた。
「なあ、どうしてみかんのこと気付いたんだ?」
「気付かなかった? あのまま玲泉が食べなかったら、私も久良持さんもお腹を壊してあの場からいなくなっていた。でも、玲泉は食べていないからあの部屋に残ってしまう。何が言いたいか分かる?」
「分からないから質問してんだよ」
稟堂は大きくため息を吐いて話した。
「はあ、鈍感だなあ。彼女は懲りもせずに玲泉の運命を変えようとしていたんだよ。玲泉は葉夏上さんに二度も運命を変えかけられているのに、信頼しすぎだよ」
そうは言っても、僕自身も葉夏上さんと境遇が似ているので、どうしても味方してしまうのだ。
しかし、彼女の言う通り、少し僕は信頼しすぎているかもしれない。でも、彼女を一人にするのは罪悪感がある。
お人よしすぎるのは分かっているが、やはり考えはまとまらなかった。
駅の近くにある緑、白、青の三色が目立つコンビニで飲み物などを購入し、人気の少ないコンビニの道を挟んだ向こう側にある勤労者広場の建物の物陰から自分たちのコフタロンへと跳ぶ。
久良持アパートからそれなりに距離はあったから、帰りは跳んだ方が良いと判断した稟堂だが、歩いてコンビニに行こうと言いだしたのも稟堂だ。
「なあ、戻って何かするのか?」
「別に何もないけど」
「……それならちょっと行ってみたい場所があるんだけど、良い?」
頷く稟堂を確認し、荷物を置いて、再度現実の世界に戻る。正面玄関を出る前に、久良持さんの部屋である一〇二号室の前で僕たちは横町の広場前へと跳んだ。
相変わらず時間も時間だったので、辺りは閑散としていた。しかし、夜になれば大人たちで賑わう、らしい。
「どうしたの、こんなところに跳んできて。玲泉はまだ未成年だからお酒も飲めないでしょ。あっ、もしかしてアルバイトでも見つけたの!?」
「違うよ。一度ここに来たことあるんだけど、憶えていないか?」
「えっ? 私も?」
「僕と、稟堂と、久良持さんと、葉夏上さんと来た。憶えていないか?」
首を傾げて唸っている稟堂を見ている限り、どうやらここには来ていないらしい。やはり、夢だったのだろう。これも疑問が確信に変わった。
「それで、何しに来たの?」
「もう用事はなくなったよ。これを聞きたかっただけだから」
金髪碧眼の彼女は大きくため息を吐いた後、僕に言う。
「こんなことだけならコフタロンで言えば良かったじゃない……」
「で、でもさ。どうせコフタロンにいてもすることなんかなかっただろ? ついでにバイト探しているか見て回ろうぜ。稟堂も市街地に来るのは初めてなんだろ?」
あまり釈然としていなかったが、渋々スクランブル交差点の方へと歩き出した。
よく来るわけでもないが、遊ぶ場所と言えば、ここかオゾンくらいしかない田舎に住んでいるので、この辺に住んでいる人たちは、この並びのことを「街」と呼んでいる。
どこからどう見てもただの道なのに、街と呼んでしまうほどこの辺りは何もないのだ。
この辺りを街と呼んでいるのは気に入らないが、別の視点から見れば、この辺りは簡易的な東京だと思えるらしい。
渋谷に本店があるアパレルショップ周辺には、スクランブル交差点などもあるのでアパレルショップ周辺は渋谷、アニメショップがあるあの辺は歩行者専用道路になっているので、秋葉原と裏で呼ばれている。
しかし、二十年近く住んでいるが、呼んでいる人は見たことないので、ガセネタだと思っている。
「たしかにお店は多いけど、言うほど店も開いていないじゃない。シャッター商店街ってやつ?」
まさに閑古鳥が鳴いていると言う言葉がピッタリくる自称若者の街だが、毎週水曜は一斉休業日と言うことを聞いたことがある。家を出てから曜日感覚が完全になくなっているので今日は何曜日なのかすらも分からない。
唯一経営していた緑色がモチーフの100円ショップに入ってみる。
地下にあるので、エスカレーターで下がっていると、稟堂は酷く興奮していた。
「わっ! すごい!! 階段が勝手に動いて!! わっわっ!!!」
彼女のいた世界にエスカレーターのような機械はなかったのだろうか。喜んでいるうちに地下に到着し、店内を歩いてみる。
すぐに店内に書かれているある貼紙を見つける。
「玲泉! 見て、これ!!」
彼女も気付いたようだ。僕が求めていたアルバイト募集と言う広告だ。
「……ここで働くか? 久良持アパートまで距離はあるけど、跳べばすぐに着くし、歩いて来られない距離でもないだろ。ここにするか」
メモを忘れてきたので、電話番号を脳に刻み込み、再度ある程度店内を歩き回った。
地上に戻ると、外は暗くなっていた。ここまで長い時間いると思わなかった。
「玲泉、ここで働くの?」
「今のところ、ここが一番良いと思っているよ。立地も悪くないからな」
若者の街の割に人が少ないのを見ると、楽なのだろう。高時給と言うわけでもないが、稟堂と二人で頑張れば何とかなりそうだ。
「玲泉がここが良いって言うのならそれで良いと思うよ。私も今はただの一般人だから、口答えも出来ないからさ」
「シダネナジーが溜まっていたら、不満でもあったのか?」
「それじゃあ溜まっていると言う仮定で話すよ。この辺りは働き口が多いのは確かだけど、時給に見合わないと思うの。例えば六時間働いたとしても、五千円も稼げないんだよ? それでも良いの?」
彼女の言動から察するに、確実に稟堂は働くつもりがないらしい。履歴書も渋々書いていたのを見ると、真面目に働くつもりは端から皆無なことは分かっていたが、まさかまだその気がないとは。
「稟堂も働けば一万円近くにはなるだろ。それなら問題ないだろ」
「は、はあ!? 私は玲泉の運命を変えに来ただけなんだよ!? どうして一緒に働かなきゃいけないわけ? 辟易だよ! 私は運命を変えるだけだからね!!」
「でも、今の稟堂はシダネナジーがないから一般人と同じじゃん」
稟堂は返す言葉が見つからず、歯を食いしばっていた。
「とにかく、一旦久良持アパートに戻ろう。確実に働くって決まったわけじゃないから」
県内でも活気あふれる場所と言われているが、人気のない場所は存在する。すぐに裏路地などへ移動し、久良持アパート前へとジャンプする。
今回もアパート前ではなく公園に跳んできたので、またアパートの近くに誰かいたのだろう。
大きくため息を吐いて、気力のない足取りの稟堂と共に久良持アパート前へ戻ると、葉夏上さんと誰かが話しているのが見えた。
「誰だろうな、近所の人か?」
「はああ……どうでも良いよ。コフタロンに戻ろうよ」
物陰に隠れて自分たちのコフタロンに戻る。
「ねえ、どうしても私も働かなきゃダメなの? 私はあくまでも玲泉の運命を良い方へ変えに来ただけなんだよ? 現に、もう一人の悪い方の私から守ったわけだしさ。これに免じて私が働くのはヤメにするって言う条件はどう? これなら正当な理由でしょ?」
「……前々から思っていたんだけどさ、稟堂は、働くことに何か厄介ごとでもあるのか?」
「えっ!? べ、別にないけどさ。でも、運命を変えているだけでも感謝してほしいくらいなのに、玲泉のために働くだなんて、いくらなんでも虫が良すぎるって!」
一瞬納得しかけたが、彼女は僕と同様一般人なのだ。それなら、働くことで罪滅ぼしくらいはしてほしい。
「まあ、別に急ぐ必要もないよ。その代わり、シダネナジーがある程度溜まるまでは働いてくれよ? それなりに溜まったら、働いていない運命にするとかにすれば良いだろ。それに、バイト中にもう一人の稟堂が来たりしたらどうするんだよ」
何も言い返せず、ただ下を向いて目に涙を溜めている稟堂を見て、罪悪感に襲われる。
しかし、僕の言っていることが間違えているとは思っていない。
「さっきも言ったけど、急ぐ必要はないよ。諸々準備とかもしなきゃいけないだろ、例えば、バイトの服装だとか、髪型に規定とかもあるだろうしさ」
「……玲泉って、変なところで楽観的で几帳面だよね。その他は悲観的ででたらめなのにね」
「とにかくご飯食ってもう寝ようぜ。明日もっと良いバイトがあるかもしれないから、もう少し探してみよう。横町じゃなくても、別の場所に行ってみようぜ」
不満を持っていた稟堂だったが、すぐにシャワーを浴びに脱衣所へ向かった。
それにしても、家を出て約二週間。やっと働き先が見えてきた。
駅前のコンビニは気付けば貼紙がなくなっていたし、葉夏上さんに限っては妄想の中のコンビニだった。
自分の手で掴んだバイト先だと思うと、まだ働いていないが、何だか妙な達成感がある。
高校時代は薬局でレジ打ちや品出しや雑用しかしていなかったが、きっと今働こうとしている100円ショップも似たような感じだろう。接客経験がある分、採用される可能性も十分にある。
……稟堂の言う通り、少しばかり楽観的すぎる気もするが、まあ、良いだろう。
その後もしばらくバイト先のことを考えていると、稟堂が脱衣所から出てきたので、僕もシャワーを浴び、翌日に向けて眠ることにした。
つづく
誤字訂正 5/12




